「罪を犯した者にも、その人を思いやる人がいる」金子差入店 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
罪を犯した者にも、その人を思いやる人がいる
今年の劇場版「名探偵コナン」に、「刑務所の近くには差入店がある」みたいな台詞があったが、それが、実際にどんな職業なのかは、本作を観るまで知らなかった。
刑務所への差し入れの代行業というと、受刑者の身内等にはありがたいのだろうが、犯罪の被害者にとっては、加害者に肩入れしているようにも見えてしまうので、映画の中で描かれているように、反感を持たれたり、非難されることがあるのかもしれない。少なくとも、「誰からも感謝されるような仕事ではない」ことは確かなので、それに従事する上での苦労や葛藤があることは、容易に想像することができる。
ただ、罪を犯した者であっても、その人を思いやる人はいて、そんな、依頼人の「思い」を受刑者に届けること、あるいは、受刑者に、「あなたを思っている人がいる」ということを知らせることも、差入店の重要な仕事であるのは間違いない。
劇中、主人公が、主に関わるは、彼の一人息子の友達を殺した若い男と、娘に売春をさせていた母親を殺した元ヤクザの2人の受刑者で、それぞれを演じている北村匠海と岸谷五朗が、共に強い印象を残している。
若い男の方は、「100匹の蟻」の話を持ち出して自分を正当化し、少しも改心する様子はないし、彼の母親にしても、情緒が不安定で、「二十歳を過ぎた子供の責任は取れない」みたいなことを言い出して、どちらにも、同情することも、共感することもできない。
一方、元ヤクザの方は、少女を救い出すために母親を殺したということが分かってくるのだが、売春の事実を表沙汰にさせないという配慮から、少女は、元ヤクザとの面会を拒絶され続けている。
終盤、主人公が、少女と元ヤクザの面会を実現させる場面では、自分のことを助けてくれた元ヤクザに、必死で「生きて」と訴える少女の姿に、思わず目頭が熱くなったのだが、これこそが、「思い」を差し入れるということなのだろう。
その一方で、主人公が、若い男と面会する最後のシーンからは、たとえ、人間として許せないクズであっても、業務として差し入れを続けるという職業人としての「矜持」は感じられるものの、サイコパスには「思い」は届かないという無力感も覚えてしまった。
ここは、そんな殺人犯でも、母親は「罪を償って立ち直ってほしい」と願っていて、そんな「思い」が、わずかながらでも彼に届いたみたいな展開になっていたならば、もっと感動できたに違いないと、少し残念に思ってしまった。
それから、主人公自身が元受刑者で、受刑者の心情を理解できるということが、比較的重要な設定になるのだろうと思っていたのだが、そうした背景が、まったくと言っていいほど物語に活かされなかったのは、一体どうしたことだろうという疑問が残った。
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