「淡々と生きていくということ」金子差入店 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
淡々と生きていくということ
刑務所の近くに住んでいる。敷地のすぐ横に一軒の差入店がある。入口はいつも閉ざされ、窓もカーテンがかかっているが隙間から飲料の段ボールや雑誌のラックが見える。客は見たことがない。おそらく差し入れの注文などは電話で済ますことが多いのだろう。
刑務所の中にいるもの(加害者)と、外にいるもの(被害者やその身内、加害者の身内)をつなぐ役目の話である。弁護士もそうなのだが「差入屋」という耳慣れない、そして弁護士より立場が弱い職業を持ち込んでいて面白い。おそらく実際の差入屋の機能をかなり膨らませていそうだけど。
事件としては2つ。金子の息子の同級生を殺したサイコキラー小島高史(北村匠海)の事件と、自宅で売春をしている女を殺したヤクザ横川哲(岸谷五朗)の事件である。小島の事件は彼の母親が、横川の事件は被害者の娘が、それぞれ面会を申し入れているがいずれも拒否されており金子にお鉢が回ってきて苦悩することとなる。
小島の母親こず江(根岸季衣)の言動が凄まじい。世間への申し訳なさと息子への愛がないまぜになっており、同情をみせた(と理解した)金子に対して極めて高飛車な態度をとる。このことを初めとして、この映画では、被害者側が、加害者側が、さまざまな顔を見せる。犯罪は取り返しがつかず殺されたものは戻らない。だから被害者と加害者は永遠に折り合わず、許す、許されるということもないし、報復することもできない。結局、被害者も加害者も、折り合いがつけられるのは自分に対してだけなのである。
金子自身、迷惑な母親を抱えており、また自分の職業のために息子が学校でイジメにあう。(これは本当にあり得るのだろうか。設定のための設定である気もするが)だが彼は小島に対しても、横川に対しても、職分を果たそうとする。それぞれへのやり方は違うとしても。多分、自分の心に正直に、でも淡々と生きることに自分として折り合いをつけた心境からだと思う。
エンドクレジット後に、金子差入店の前に置いてある白いパンジーの鉢植えが割られている場面が挿入されている。白いパンジーの花言葉は「心の平安」。まさしく金子の心境である。でも、それが割られているということは、世間との戦いがまだ続くことを暗示している。やりきれない思いであった。
コメントありがとうございました。
最後にアパートへお裾分けのイチゴを持参し,ドアノブにかけておいた差入屋真司の行動が,母の対する拒絶的態度の軟化を表現していると解釈しました。
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