「社会のシステムやビジネスでは人は救えない、人は人しか救えないということなのか。だったらもっとそこを明確にメッセージすべきじゃないか?」サンセット・サンライズ あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
社会のシステムやビジネスでは人は救えない、人は人しか救えないということなのか。だったらもっとそこを明確にメッセージすべきじゃないか?
まず言うべきは「映画としては相当面白い」ということ。2時間をはるかに超える長編でありながら脚本も演出も実にキチンとしており最後までたるむことなくみせる。
ダイヤモンドプリンセス号の騒動のあたりだから2020年の春先ということになるのだろう。南三陸の町に釣り好きの菅田将暉演ずる西尾青年が家を借りるところから話は始まる。最初のうちは彼と、貸主である井上真央演ずる関野百香、そして周辺の人々のドタバタがユーモラスに描かれるのだが、やがて震災の復興はなかなか進まず過疎化が進む→コロナ禍によってリモート勤務が増える→都会から空き家を借りて住もうという需要が出てくるかも。という三題噺からビジネス周りにストーリーが収れんされキナ臭くなってくる。
ここからがかなり不快。まず西尾青年の勤務する会社社長(小日向文世)は、南三陸までやってきて、出された刺し身の説明も聞かないし、箸をつけようともしない。失礼極まりない人物です。西尾のプロジェクトのメンバーも土地の人や立場について理解不足というか理解する気がない。これは既視感があり昨年の「悪は存在しない」に登場する開発業者とそっくりなんですね。
東京の彼らと、地元メンバーの対立というか意識のズレは、芋煮会の場面で頂点に達します。さらに西尾と百香をくっつけることしか考えていない、はっきり言って色ボケの職場同僚(すっかり面変りしてしまったが池脇千鶴なんですかね)介在することでさらに場面は不快になる。お芝居とわかっていてもなかなか最近ではここまで不快な映画シーンはなかった。
西尾にしたところで、だからといって、百香に結婚を申し込むか?あなたは十分に彼女の体験したことや思いを受け止めていけるほどの会話や共通経験を積み重ねてきているのか?そこに疑問を感じました。
映画の最後で、時間は一気に進み、2024年あたりになったようです。恐らく、空き家プロジェクトは挫折して中止になっているのでしょう。コストからみてもスピードからみてもビジネスとしては合わないから。南三陸からしてみればハシゴは外されてしまっているのです。
たから恐らくは西尾青年は最後、個人として決着をつける道を選んだ。一見、ハッピーエンドです。でも本当にそれで良かったのでしょうか?
最初の話に戻るとこの映画の製作者たちはかなり優秀です。だからこんな批判は想定していたはず。何か他に言いたいことがあったんでしょう?