遠い山なみの光のレビュー・感想・評価
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先が気になる感じじゃなかった
2025年劇場鑑賞241本目。
エンドロール後映像無し。
文学作品ということで小難しそうだなぁと思っていましたが、そうでもなかったです。今年は原爆投下後の長崎フィーチャーの映画が多い気がします。
時系列が行ったり来たりしますが、広瀬すずと吉田羊なので全く混乱しません。ストーリーも難解ではなく、演技にも不満なく、最後もなるほどという感じでした。でもこの先どうなるんだろう的な事はなかったのです。確かに昔と今で主人公を囲む環境が大きく変わっていて、間をどう埋めるのだろう、というところはあるにせよ、思っていた経緯と若干違っていても、結果は序盤で与えられる情報からやっぱりそうだよねという感じだったのでこの先どうなるのかな、という感じでは観られませんでした。
長崎駅ホームの背景に見える車両が変です。(欧州の車両のようです。)こういうところでガッカリ
カンヌ映画祭がらみの映画は、難解なものが多くて苦手です。今回もその印象です。わからないままのものが多い、(エピソードが回収されていない。)それは観衆が各自考えろと言うことなのでしょうか? いちいち伏線ガー 回収ガー と言うなよ という映画通はいますね。
皆さん気が付いたでしょうか? 鉄道ファンの私は、長崎駅のプラットホームのシーンで後ろに映る留置線の紺色の客車に違和感を感じました。
窓の配置といいシルエットといいヨーロッパの客車です。(オリエント急行のような)連結器が自動連結器ではなく日本では1925(大正14)年に一斉に取り換えたバッファーが付いた連結器が見えます。
本題には関係ない。いちいち重箱の隅をつつくなと言われそうですが、なにか参考にする画像にしてもちょっとは考証してほしいと思いました。(映画制作側に鉄道に少しだけ詳しい人はいないのか?)
(日本映画にある時々見られるエラーの例 東海道新幹線、ABCの席(本来海側)で真横に富士山が映るというもの。(実際にはありえません) 海側←ABC通路DE→山側(富士山真横)です。)
※なお長崎市内の街路のシーンで走る路面電車も鉄道ファンの目で見れば変なのですが、これは茨城県つくばみらい市にある商用撮影施設「ワープステーション江戸」で撮影したと一目でわかるので(この施設には自走できる路面電車まで用意されている。)不問です。
※高倉健主演「鉄道員(ぽっぽや)」に出てくるディーゼルカーは、その当時の新しい車両を苦心してレトロ化したもので、ファン的にはまだ違和感が残るものの、こだわろうとしたことを高く評価します。(今も前頭部の実物カットが廃線となった幾寅駅(映画の中では幌舞駅)に保存されています。)
地味な作品だけど、いろいろ解釈できそうだ。
長崎の原爆投下が作品の背景にある。それぞれの登場人物には、過去のトラウマがあって作品を奥深くしているが、本当に地味な物語で退屈してしまう人もいそうだ。
私は自殺した長女と二階堂ふみの娘が重なって見えた。また、義理の父三浦友和も教師として戦前の軍国教育を推進した過去を教え子に批判され、悩みを抱えている。被爆した広瀬すずは、その事を心の奥底に抱えている。自分を自制し行きてきた彼女は、自由奔放に生きる二階堂が、気になって仕方がない。また、その娘にも。たくましく見える二階堂も新しい人生を切り開くためアメリカ軍人と結婚し米国へ渡るという、他人任せの人生のなっている。
自宅を売却することがきっかけとして、過去のトラウマに向き合う主人公の物語だった。
原作を読んだのだが、すっかり忘れていた。製作者に作家本人の名があり、原作を尊重した映画になっている。映像化に成功している映画だと思う。最後に家族写真を見て、救われた気持ちになった。
本年度トップクラスの余韻
絵画的なファーストショット。徐々にピントが合うと、呼吸の荒い、うなされている人物が浮かび上がってくる。
他人を丸ごと理解することは難しいけれど、共感的に理解しようとしなければ、いつまでも明確な像を結ばない。
この映画全体を象徴するような、美しく見事な導入だった。
物書きを目指す娘が、母親へのインタビューをまとめるといった形で、1950年代の長崎と1980年代のイギリスとが、行きつ戻りつしながら描かれる今作。
ロケーション、調度品・インテリアなどの美術、ライティング、映像に重なる音や楽曲の一体感が素晴らしく、鑑賞後の余韻でいうと、今年度観た作品の中でトップクラス。様々な側面から振り返りたくなる、とても複雑な味わいを感じた。
今作を論理的に解ろうとするには、一回の鑑賞で自分が手に入れたピースは充分ではないし、それが解ったからといって、受け取ったものがより豊かになるとは思えないので、一つ一つには細かく触れないが、自分が特に考えさせられた点についてのみ、記録に残したいと思う。
<一部内容に触れた、個人的な感想や解釈です>
=記憶の曖昧さとその向き合い方について=
つい最近のこと。小学校時代の友人と話していて、自分の記憶の中に残っていた「とある友人とのエピソード」が、いつの間にか「別の友人とのエピソード」にすり替わっていたことに驚かされたことがあった。
本作で感じたのは、正にそのこと。
何が事実なのか、そもそも本人にとっても記憶の輪郭は曖昧なのだ。
しかも、悦子のように、できれば目を背けたい過去がある場合には、意図的な欠落や改変も混じって、余計に真相はわかりにくくなる。
ただ、本作では、娘のニキが自分の中にあるわだかまりを乗り越えようと一歩踏み越えたことをきっかけとして、母の悦子自身も、長く蓋をしてきた自分の過去を掘り起こすことにつながった。市電の中から見えた黒い服の女性が、自分の顔だったシーンが象徴的だ。
生きるためには、目を背けることが必要な時もあるけれど、見つめ直すことで改めて前を向けることもあるのだろうと思ったし、希望の光が見える終わり方だった。
=悦子にとっての「縄」=
川縁の沼地を走る悦子の足に絡みつく葛のツル。ツルは編めば、リンゴを収穫するカゴにも、思い出の品を保管するトランクにもなるが、景子が自死に利用したり、また連続幼児殺人の犯人が凶器にしたりした縄にもなる。
悦子は、自分の尊厳を守り生き抜く「抑圧に屈しない強さ」を持ってはいるが、合わせて、受け持ちの子どもたちを見殺しにして、自分ばかりが助かってしまったのではないかという自責の念と、景子を自死させてしまった原因が、長崎を離れたいがためにイギリスに連れてきた自分にあるのではないかという悔恨も持っている。(もちろん、景子が被曝による誹謗中傷を受けずにいられる環境を願った意味もあっただろうが…)
そうした悦子が、夢の中で手に持つ縄は、その悔恨の象徴なのだろう。
本作の中では、連続幼児殺人が報じられている。
この犯人は、何の為に殺人を犯しているのか不明だが、悦子自身は、心の奥底で「自分のしたことは、この幼児殺人と何が違うのか」という自問を繰り返していたのではないかと思わされた。
=信念と価値観について=
日本は、原爆に負けたのか。それとも、元々、皇国の嘘を教えて洗脳していたことが間違いだったのか。
三浦友和演じる元校長と、渡辺大知演じる教え子の教師とのやりとりが重かった。
指示を出す側ではなく、応召で戦地に赴いた人々や、積極的に送り出した人々は、心情的には、自分の良心からの行為だった訳で、そこを否定できない苦しさが、三浦友和の佇まいに滲み出ていた。
それに対して、渡辺大知は若さゆえの直情を感じさせる演技で、正論と思われる言葉を吐くが、戦時下で検挙された教師たちの多くは、教え子たちの貧困や社会的階層による不条理に対する憤りがきっかけだったものの、彼らが教室で行った行動の中身的には、逆の意味での洗脳を企図する危うさもあり、それが戦後の「教育の政治的中立性」につながっているのだろう。
後の時代の者が、簡単に当時の人々のことを断じることはできないし、今、生きている我々も、信念と価値観は、常にアップデートを求められ続ける。
松下洸平演じる息子二郎が、自分の指を失うという代償を払ったことで、父へのわだかまりを募らせながらも、急激な価値観の変化には自分もついていかれず、同じ長崎市民ながら被曝者への偏見を口にしたり、男性性にとらわれたりしている様子は、決して遠い昔のことと切り捨てられないと思わされた。
※ただ、本編とは関係ないが、映画のプロモーション方向はちょっと迷走していると感じる。
「5つのヒント」のような手段は、作品の質とフィットしていない印象。
主演2人に惹き込まれる
原作とともに話題なので観てみたが、なかなか深い。
ミステリー調で話自体がどうなるかと先が気になりながらも、
最後にあっと驚く仕掛けとともに、もう一回、みたくなる。
その中に時代背景、女性、戦争へのメッセージや意図が含まれており、それらすべてがつながっている。
しかし、普通に見ただけでは、概要の部分しかわからない。
レビューなどをなんとなくわかったが。。。
ある男っぽく終わってはいるのも監督らしくて面白い。
主演2人の広瀬すず、二階堂ふみが容姿に引っ張られず、しっかりと長崎混じりながらも色っぽい口調で惹き込まれた。
重い作品ながらも、2人の演技で少し明るく見ることもできた。
過去の再現のためには仕方ないものの、
CGや映像の特殊効果が強いのが気になってしまいはした。
映画鑑賞後の謎めぐる旅
翻訳調に揺れる『遠い山なみの光』
『遠い山なみの光』の映画でまず気になったのは、芝居がかった台詞回しでした。
悦子と佐知子の話す言葉は日本語としては時代感を演出していますが、当時の女性がそのように話していたかというと違います。また原作は英語で書かれているため芝居がかったセリフはなく雰囲気が違います。
イシグロ・カズオの英語原文はもっと淡々とニュートラルで、感情を抑えた会話が特徴です。しかし映画の脚本は翻訳本である小野寺健訳に依拠しており、翻訳上の解釈がそのまま映画のトーンを決めてしまったように感じました。
私はむしろ、原文の抑制されたニュアンスを活かした「自然な日本語」で観たかった。そうすればイシグロ作品の核心である「静けさと余白」が、より鮮明に感じられたと思いました。
女性の居場所を見つけようとする物語ということか
1953年の長崎と1983年のイングランドを舞台に、時系列を入れ替えながら展開する物語。
予告編では本作に隠された「謎」をかなり推していたが、そこはあまり大したことがないんだろうなと予想。むしろ、戦後10年たっていない被爆地・長崎で居場所を見つけようとする女性の物語として期待していた。
広瀬すず演じる悦子がある秘密を夫に隠しているというのは実際にありそうなこと。夫と義父に対して変わらないと時代に置いていかれると伝える悦子の気持ちは、現代に生きている自分たちが深く共感できるもの。そしてあの時代で必死に生きようとする2人の女性の友情物語かと思っていた。
ところが1983年のパートで明らかになることの数々にどうにも違和感を拭えない。これがあの「謎」につながるんだなと思っていたが、その謎が明らかになっても腑に落ちない。どういうこと?と。だからラストのあの2人のシーンも戸惑いながら見つめていた。
正直、最後の部分は、他の人のレビューを読んでやっと理解ができた。わかったけど、わかりづらくてモヤモヤする。みんな理解してるのか。話としてはなかなかいいし、2人の女優の演技も素晴らしかっただけにちょっともったいない。
考察合戦で良いのでは?
小説らしい謎解きミステリー
長崎を舞台にした長編小説を映画化したヒューマンミステリー。50年代と80年代が交錯しながら進んでいく展開で如何にも小説らしい謎解きミステリーです。主演の広瀬すずを中心に日本を代表する豪華キャストによる演技合戦も見どころです。
2025-133
説明不足の絶妙を買う。
( ゚д゚)ポカーン
解釈は難しいが、最後まで観れた
公開2日目に観させていただきました。
カズオ・イシグロ氏がノーベル賞を受賞された年に遠い山並みの光の本を購入して読んでましたが、どういった内容だったかは断片的にしか思い出せないままに映画館に足を運びました。
映像でストーリーが進むと、いくつかのシーンで原作で記憶に残るところとつながったので少しずつセリフやストーリーが見えてきた気がしました。
舞台挨拶で石川監督が話されてたように、カズオ・イシグロ氏から、「これは歴史の語り直しの話なんだ、あなたの言葉、解釈で語り直してください」。と伝えられ、いろいろな解釈があると思うが、皆さんがどう捉えたがが正解と話された通り、解釈するのにいろんな思いが交錯する映画であった。
原爆、差別、戦前戦後のイデオロギーの変化、女性達のこころの思い、長崎の復興、当時のサラリーマンの姿などなど。
原作を映像化するのは大変な作業だっただろうと感じる作品でした。
当時の街の様子、店の看板などリアルに再現されていたので、当時はこういう雰囲気だったのかとタイムスリップしたような気がしました。
戦争を知る世代が少なくなっているので、当時を再現した映像や社会の雰囲気をリアルに表現した作品をこれからもたくさん作って後世に伝えていただけるとありがたいです。
広瀬すずに★★★★★😍😍😍😍😍ただそれだけ
文学に縁がなく頭も悪い自分には正直言ってよく分からなかった。
それでも広瀬すずの美しい姿をスクリーンで堪能できたので
観て良かった。
撮影班は広瀬すずの出演場面だけは絶対に綺麗に撮る!と気合が
入っていたに違いない。どのカットも完璧な絵柄だった。
「ゆきてかへらぬ」では大正時代の、そして今作では1950年代の
ヒロインを好演。その時代の衣装を着こなしメイクも完璧。
スクリーンに映える彼女を見ているだけで眼福。
共演の二階堂ふみもそうだけど、姿だけではなく話し方も現代劇とは
変えてあって、まるで当時こんな女優さんがいてこんな演技をしていた
のではないかと錯覚するような雰囲気を醸していた。
一方、80年代のイギリスでの話は意図的なのかどうかはわからないが
映像が平凡(個人の感想)。撮影班の気合が全然違っていたりして。
また登場人物の会話は原作の会話を朗読しているように聞こえるだけで、
心に響いてこなかった(個人の感想)。
戦争・原爆・被曝・偏見・孤独・女性の自立・戦前と戦後の教育の違い
その他様々な要素があって物語はミステリー仕立てになっている。
分かる人には刺さる映画なのかもしれないが、冒頭に書いたように
自分はよく分からず置いてきぼりにされた気分。
理解を深めるためというよりも広瀬すずをスクリーンで愛でるために
もう一度観たい。
わたしはあなた、あなたはわたし
イギリスの片田舎に住む『悦子(吉田羊)』の元を
ロンドンに住む次女の『ニキ(カミラ・アイコ)』が訪れる。
目的は、嘗て母親が住んでいた長崎での暮らしと、
渡英することになった経緯を聴き、
それを記事に仕立てること。
母娘の対話を通して、
戦後直ぐの長崎の世相が甦る。
共感と対立、女と男の、
二つの軸で物語りは展開する。
長崎に居た頃の『悦子(広瀬すず)』は
帰還兵の夫と結婚、
新築のアパートに住み、
妊娠数ヶ月の体を抱え日々の家事に勤しんでいる。
そんな彼女が川岸のバラックに住む
幼い娘『万里子(鈴木碧桜)』を連れた
『佐知子(二階堂ふみ)』と知り合う。
『佐知子』は『フランク』と言う名のアメリカ兵と
アメリカに行くことを目論んでいる。
渡米が二人の幸福に直結するか懐疑的な『悦子』だが、
陰に日向に母娘を援助する。
しかしここで観ている側にはむくむくと疑念が湧き起こる。
住んでいた場所、被爆の実態、子供の存在と、
二人の履歴はあまりにも似ている。
『佐知子』は実際には『悦子』であり、
友人に仮託した話としているのではないか。
提示される年代から逆算しても、
子供の年齢には乖離がある。
実の娘にも真実を話していないのでは、と。
家族には長女の『景子』が居たものの、
彼女は自死をしており、ただ
その経緯は詳らかにはされない。
『悦子』はいまだに悪夢にうなされる。
長女を連れてイギリスに来なければ、
彼女は死なずにすんだのではないかとの後悔の念に苛まれ。
本年1月公開の〔TOUCH/タッチ〕でも
被爆者の地元での生き辛さと、
逃れた先の海外でも異邦人としての差別に苦しむ姿は描かれた。
表立ってはいないものも、
同様の事態に直面し味わった苦難は、
本作の裏側でも起きていたのは容易に想像できる。
ここまでは、女たちの共感の物語り。
そこに、長崎に住んでいた当時、
義父の『誠二(三浦友和)』が訪ねて来たエピソードが挟まれる。
実の息子も彼の軍国主義には辟易しており、
父子の関係はぎくしゃく。
加えて嘗ての教え子が、
その軍国教育を糾弾する論文を学会誌に寄稿したことで、
『誠二』は激憤する。
二つの世代の溝は埋まることがない。
もう片方の、男たちの対立が露わになる。
『広瀬すず』を観に行ったわけだが、
彼女の演技にも、本編にも十分に満足し劇場を出る。
エグゼクティブプロデューサーとして参加した
原作者の『カズオ・イシグロ』も同じ思いではないか。
美しい台詞回しと美しい俳優陣を堪能
年々邦画では薄れている洋画風説明過小輪郭系映画
2025年劇場鑑賞65本目 良作 60点
公開2日目の109二子玉川にて舞台挨拶
疲れ切っていたのと睡眠不足故ほぼ寝てしまった
当方記録用として、十分に見入れなかった場合☆3.0 60点としている為、平均評価点を下げてしまうのは悪しからず
その日は六本木と二子玉川をはしごし昼から4本続けて登壇されていた広瀬すずさん、二階堂ふみさん、吉田羊さん、監督のお疲れな様子と、mc含め少々流れ作業感が否めなかったが、公開近辺は番宣等あちこち出演して、特にメディアでは疲れを見せれない中、現場には足を運んだ方への安心感からなのか、リラックスしてる用に見えてそれはそれで貴重だ
ストーリーの大枠と何が反響を生んでいるのかは知ることができたので、それを踏まえて万全な日にもう一度映画料金を払って足を運ぶか大変悩ましい限りである
全262件中、181~200件目を表示
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