「本当に辛い過去をどう伝えるか」遠い山なみの光 shinobu999さんの映画レビュー(感想・評価)
本当に辛い過去をどう伝えるか
ネタバレがあるので見る前には読まないでください
「友達の話なんだけどね」というのが実は自分の話だったりするのは良くある話。それは友達の話という部分は嘘かもしれないが、伝えたいことは満たしているかもしれない。そういう意味では嘘が混じっていても伝える価値はあるのかもしれない。
結論としては、悦子が佐知子とその子供(万里子)と語っているのはフィクションであり、良き妻でいようとする自分がいる一方で未来へ向けて葛藤しているもう一人の自分がおり、それが佐知子という架空の人物として語られていて、万里子は実際は景子のことに他ならない。そのことは明示こそされないものの間接的に表現されている。つまり、会話ではなく、写真や映像で表現されており、なかなか難しい映画でもある。
話を元に戻すと、どう考えてもいくら考えても、自分を主語にして話せないことが世の中にはあるのかもしれない。世の中とは残酷なもので、自分がどうしてもこうしたいとという時にだれかの夢や希望を奪ってしまうことだって現実にはある。
悦子は、いい妻でありたい一方で、被曝しているとわかられた瞬間に平和な時間は終わって、酷い扱いを受けるかもしれない、海外で女優になりたいという希望も捨てられない、男性社会の中で女性は弱い立場でもある。ここから逃げたい、それは子供である景子の希望を奪い取ってでも成さなくてはならない。自分の夢のためには犠牲があっても前へ進むのだ。それは悲壮な決意でもある。
悦子は大筋は後悔はしていないだろう。でも疼くのだ、景子が大切にしたかったものを自分の夢のために自分の手で葬ってしまったこと、嫌がる景子をイギリスまで連れてきたこと。そして結果的に馴染むことなく自分で終止符を打つことにさせてしまったことに。
景子の部屋を見ると悦子が景子のことを自分目線で大事に思っていたことは確かであるが結果としては景子本人の目線で大切にしたい意思や希望を潰す形で夢を推し進めたということになって、景子を深く傷つけ、それは治癒されることなく景子はこの世を去った。
子供は親の運命に翻弄されることがある。大きく翻弄されることがある。今回はその結果何処へも行けなくなった子供の話でもある。しかし思うのは、翻弄される中でも自分で運命や宿命に逆らって生きる強さを持たなければならない。親を恨むことは簡単だ、でも運命や宿命に逆らって自分で人生を切り開くことの大事さを世の中でもっと認識して欲しいと、親に大きく翻弄される人生を歩んできた自分は個人的には思うのである。
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