「「驚きの真相」は楽しめるものの、疑問に感じることが多過ぎる」遠い山なみの光 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
「驚きの真相」は楽しめるものの、疑問に感じることが多過ぎる
1980年代のイギリスで、1人の日本人女性が、自分の娘に、1950年代の長崎での思い出を語って聞かせる中で、彼女の人生が浮き彫りになっていく展開は、どこかミステリアスで引き込まれる。
心に鬱積しているものを抱える主婦を演じる広瀬すずもさることながら、まるで小津安二郎の映画の登場人物のような台詞回しで時代性を感じさせる二階堂ふみや、英語の台詞だけで年輪を積み重ねてきた女性を体現する吉田羊など、主要な3人の女優の演技も見応えがある。
娘が知りたいのは、母が、どうして戦後の長崎を離れてイギリスに渡ったのかということなのだが、その割には、1950年代の母の話に、イギリス人の父親が一向に出てこないし、その一方で、彼女が知り合った近所のバラックに住む親子が、駐留米兵と一緒にアメリカに移住するということが描かれて、徐々に違和感が大きくなってくる。
やがて、終盤で、母が語っていたバラックに住む親子こそ、母親自身と長女のことであったと判明するのだが、ここのところの描写は、バラックに近づいて行く母と、姉の部屋に近づいて行く娘のシーンがオーバーラップして、ゾクゾクするような衝撃を味わうことができた。
結局、母親は、近所に住む親子の話として、自分と長女のことを語っていたということなのだろうが、それはそれで「映像として見てきたものが現実ではなかった」という驚きや面白さがあるものの、それと同時に、多くの疑問や納得のいかないことも残されることになる。
まず、バラックに住む女性が主人公であったのなら、モダンなアパートに暮らす元音楽教師の主婦は、単なる妄想だったということなのだろうか?だとしたら、傷痍軍人で右手の指が欠損している夫や、戦前に軍国主義教育を行ったことを非難されている義父も、妄想だったということなのだろうか?
もしかしたら、こうした結婚生活は、主人公が、夫と別れてバラックに住む前の記憶だったのかもしれないが、だとしても、主人公が、被爆したことを隠して夫と結婚した上で、長女を妊娠したことと、長女が被爆して腕に火傷を負ったこととの間に、時系列上の齟齬が生じるのではないだろうか?
その長女は、渡英して成人した後に、自殺したということなのだが、その原因に、彼女が被爆したことが関係しているのかどうかも分からない。
あるいは、1950年代の母の妊娠と猫の妊娠・出産のエピソードと、1980年代の娘の妊娠のエピソードが重なっていたり、終戦後の長崎で赤ん坊を水に沈める女性のエピソードと、猫を牛乳の木箱に入れて水に沈める母のエピソードが重なっているように感じられるのだが、それらが何を意味しているのかもよく分からなかった。
さらには、河原で縄ひもを手にした母の姿からは、もしかしたら、彼女が、幼女連続殺人事件の犯人なのではないかとの推測も可能なのだが、こうした描写にも、何か意味があったのだろうか?
記憶力が衰え、思考が混濁している老人の思い出について、何が現実で、何が妄想かをはっきりさせようとしても意味がないということなのかもしれないが、少なくとも、一つの物語としては、こうした疑問について、何らかの解答を示してもらいたかったと思えるのである。
そうなんですか?
さすがにノーベル賞作家は、奥が深いんですね。
でも、「観客に解釈を委ねる」という理屈で、謎を放りっぱなしにすることは、やはり無責任だと思ってしまいます。
教えていただいて、ありがとうございました。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。