劇場公開日 2025年1月31日

「巧妙な脚本による心温まる珠玉の作品」リアル・ペイン 心の旅 クニオさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0巧妙な脚本による心温まる珠玉の作品

2025年2月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

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 いるんですよ、こうゆう奴、私の大親友の1人がまさにそう。無難な常識に囚われた私からすれば「よせよ、そんな今更恥ずかしい、ややこしくなるだけでしょ、きっと嫌がられるよ」と阻止せざるを得ない状況でも、振り切って向かってしまう奴。いつまでたっても戻ってこない、面倒くさいと思いつつ様子を見に行くと、なんと相手の人々と旧来の友のように奴は打ち解け歓迎されてるではありませんか。どうゆう事?と思う以上に、呆れる以上に、その見事な対処能力に羨望すら抱いてしまう私。旅行だって詳細は全部私が決めると言うより、何にもしてくれないから、私がやらざるを得ない。そのくせその場の閃きで、人の迷惑顧みず本当に実行してしまう行動力には舌を巻く。

 心底、我儘で勝手で奔放で、いつだって苛々させられる、おまけに頑固。でも、その本音の行動力と融和性に私はいつだって感服しきりなのです。しかも離れていると、奴がちゃんとやってるのか心配ばかりする私。まさに本作のジェシー・アイゼンバーグ扮するデヴィッドの心境が手に取るように分かるのです。しかし監督・脚本・主演を務める彼自身が実はベンジーではなかったか? これまでの彼の出演作を思い起こせば、そんな結論しか導き出せない。いわば彼自身の自伝的作品なのでしょうね。それをご本人が監督する段になって役をキーラン・カルキンと入れ替える決断が本作にとって大正解だったと言えます。

 そのキーラン・カルキンのちょっと発達障害的なこの役の取り組みは、ほとんど天才的とも言える演技でほとほと感心させられる。アカデミー賞の助演男優ノミネートは当然どころか本命かも。引っ掻き回す助演の好演があってこそ、主演のジェシー・アイゼンバーグの「リアル・ペイン」が浮き彫りにされる作劇なんですね。主演男優枠ではノミネートされてませんが、せめて脚本賞を獲得して欲しい、それ程に巧妙に出来ているのです。

 従弟同士の2人のユダヤ系米国人が亡くなったポーランドからの移民だった祖母の生家を偲んで、ワルシャワ・オプションツアーに合流する。ツアーメンバー揃っての人間模様を描く一種のグランドホテル形式かと思ったものの、中年の夫婦、リタイアした女、ウガンダの青年そしてガイドを務める英国人のそれぞれの内実まで入り込まない作劇なのですね。あくまでも2人の関係性が作品の縦軸で、横軸にユダヤの苦難の歴史を織り込んで来る。この案配が流石のバランスで、数多のホロコースト映画のように感情的に煽ることもせず、2人のコメディ路線をあくまで維持するスタンス。だから、史跡ツアーの帰り道バスの中で終始泣いてるベンジーの描写が極めて強い印象を残す。ガイドが事前に繰り返しツアーメンバーに念を押す「くれぐれもヘビーな体験となりますので、その覚悟を」みたいな警告描写があるものですから、映画の観客とて身構えてしまう。

 我が国同様に欧米でもホロコーストは無かったなどと歴史修正主義者の声が響く昨今、語り継ぐ試みは今を生きる者にとって義務とも言えるものではないでしょうか? 2人の共通の祖母がもし収容所送りになっていたら、2人は確実にこの世に存在してないのですから。

 ツアーから敢えて離脱したのは、彼らの亡くなった祖母の当時の家を訪ねるため。そもそも1930年代の家がそのまま残り、今も誰かが住んでいるってのが日本人の理解を超えたところで。25と記された住所の扉が今しも開いて祖母の関係者が顔出して、思わぬ展開が始まる、かと思いきや、何にも起こらないのが本作には実に相応しい。

 ニューヨークから飛び立ち、ニューヨークに帰って来る、空港のロビーのベンチで1人佇むベンジーの様相で本編は始まり、またラストカットも同様で終る。極めて意図的なカットですが、旅を経てベンジーに成長と言いますか変化はしかしまるで感じさせなのがミソでしょうね。ご本人は人間観察と称してますが、凡人は思うでしょう、なにか裏でもあるのではと。いえ。本当に裏なんてなく、ただ見ていて飽きないのですよ本当に、奴等には。

 珠玉の作品ってのは本作のような映画を言う。20世紀フォックスを買収し傘下に置いたディズニー。このゴリゴリの利益追求会社の下、20世紀スタジオと名を変え、そのまた傘下のアート系サーチライト・ピクチャーズは以降縮小されてしまうのね、と心配してました。が、本当に杞憂に終わり、良作を次々のリリースの素晴らしさ。オスカーノミネートには本作とボブ・ディランを描いた「名もなき者」もこの会社。ディズニーに感謝するしかありませんね。

クニオ