「ダークツーリズムを通して描かれる「みんな辛い」」リアル・ペイン 心の旅 おきらくさんの映画レビュー(感想・評価)
ダークツーリズムを通して描かれる「みんな辛い」
この映画には2つの要素があると思った。
1つ目は「ダークツーリズム」について。
ダークツーリズム(個人的には最近知った言葉)を題材にした映画は珍しいと思う。
知らない人のために一応説明させていただくと、ダークツーリズムは「歴史的に悲劇が起きた場所を訪問する観光」のこと。
今回はホロコーストツアー。
ポーランドの各地を訪問していく話なので、まるでポーランドを観光している気分が味わえた。
でもこの映画で一番重要な訪問先は「強制収容所」。
この場面になると音楽が止み、各部屋で何が行われたかをツアーガイドが淡々と説明していくだけの静かな場面になるが、説明を聴いてその場所で何が起きたかを想像するだけで戦慄が走った。
同じ人間が起こしたとは思えない非道の数々。
この場面を観れば誰でも「こんな異常なことを人類は二度と起こしてはならない」と思うはず。
それだけでもこの映画には価値がある。
本作の中で、ダークツーリズムの問題点について言及する場面が出てくるも面白い。
最近、映画やドラマなどの考察が流行っているような気がするが、そういうのが好みではない人間からすると、この映画の中で指摘されているダークツーリズムの駄目な部分って、そのまま「映画やドラマなどの考察」についても言えるなと思った。
2つ目の要素は「陰キャと陽キャ」なついて。
ジェシー・アイゼンバーグ演じるデヴィットは陰キャ、キーラン・カルキン演じるベンジーは陽キャの代表みたいな人物に思えた。
この映画は基本的には次の二つの場面が何度も出てくる構成。
「最初はデヴィットとベンジーが一緒に行動するも、デヴィットは他人の迷惑になるのを嫌がって大人しくしているのに対し、ベンジーの方はゼロ距離で他のツアー客と積極的にコミュニケーション、その結果、ベンジーはみんなと打ち解けあって仲良くなり、デヴィットは孤立していく」という場面と、「デヴィットがベンジーの悪さに付き合わされて最初は迷惑そうにするも、付き合っているうちにワクワクしてくる」という場面。
ツアー客みんなでディナーする場面で、ベンジーはみんなと仲良くなって大盛り上がり、一方、同じテーブルの隅で黙々と食事していたデヴィットは一人で先にホテルに戻ってふて寝。
個人的にはデヴィット側の人間なので、気持ちがわかりすぎた。
あと、非常識なベンジーの行動を他人は我慢していちいち指摘しないのに、ベンジーの方は他人がちょっとでも問題があると思ったら遠慮なく常識を諭してくる感じ、とても既視感。
「おまいう」と突っ込まずにはいられなかった。
ツアーでみんなとお別れする場面での、ツアー客のデヴィットとベンジーに対する対応の差がリアルすぎて「ひえー」となった。
みんなデヴィットとはしっかりと別れの挨拶をして、ベンジーには何もしないと可哀想だからとりあえずやってあげてる感が滲み出てて、何気ないけど凄い場面だった。
この映画はデヴィットとベンジーの「服の色」に目がいく作りで、たぶん意図的。
ずっとそこを気にして観ていたら、後半、びっくりした。
ジェシー・アイゼンバーグ監督は去年公開の初監督作『僕らの世界が交わるまで』を観た時も思ったが、脚本が上手いと思う。
会話のやり取りが面白く、登場人物たちの行動は「実際にこういうことする人いる」と思わせる説得力があり、前半の何気ない物や行動の多くがその後の伏線として生かされていたりして、脚本に無駄が無くレベルが高いと感じた。
祖母が亡くなった理由がちゃんとは描かれないが、デヴィットが映画の中で繰り返し行う行動から推測はできる作りで、そこも脚本上手い(的外れな推測かもしれないが…)。
伝聞よりも自分で思いつく方が衝撃が大きい。
終盤、デヴィットがベンジーに対して取る突発的な行動を観て、「だから『リアル・ペイン』なのか」と一瞬思った。
デヴィット側の人間の人間としては「陰キャって辛いわ」と思う場面の連続だったが、この映画は「陽キャだって辛い」も描いていて、そこが素晴らしいと思った。
本作は一番最初と一番最後がどちらも同じシーンの画になっているが、映画を最後まで観ると、印象が全く違って見えるのが凄い。
ツアーのお客さんたちも自分はどっち寄りなのか?考えた感がありましたね、ガイドの人は感謝してましたが。夕食の席でのデイブの告白もデカかった・・ピアノはやり過ぎた?