「宿敵は「ベビわる」のゴースト(幻影)」ゴーストキラー LittleTitanさんの映画レビュー(感想・評価)
宿敵は「ベビわる」のゴースト(幻影)
アクション好きにも、髙石あかり推しにもオススメの作品。特に、ヒロインと(髙石)とゴースト(三元雅芸)の掛け合いや、髙石さんんが一人で演じる、ヒロインと憑依したゴーストの掛け合いは見処。 ただ、個人的には終わり方が好みではなかった。また、善くも悪しくも「ベビわる」と比較したくなる心境も綴りたい。
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1. 日常回帰は夢オチと同じ
本作に限らず、アクションものに多い傾向として、非日常な大活劇に巻き込まれた少女が、何とか障害を乗り越えて事件が解決すると、元通りの日常に回帰する。これは映画館で非日常を体験した観客が、映画が終われば日常に戻っていく心境を模しているのかもしれないが、自分はしばしばヒロインを助ける為に死んでいった人たち何だったのと取り残された気持ちになる。
例えば「Léon」。父の横領がキッカケで、ヒロイン(Mathilda,12才)の家族は麻薬組織に皆殺しにされるが、ヒロインだけ隣人の殺し屋Léonに救われる。少女と中年の共同生活は暫くの間平穏だが、組織への復讐を志す事で歯車が狂う。2人は組織に襲われ、大活劇の開始。Léonは命がけでMathildaを助へ、宿敵への復習も適うが、多勢に無勢で果てる。その後、Mathildaは元々通っていた寄宿舎に戻り、Léonの観葉植物を庭に植えて終わる。Mathildaは家族を失っているので、正確には日常には戻れていない。ただ映画の序盤、寄宿舎から連れ戻されたMathildaは明らかに家族から虐待されており、寄宿舎でより平穏な日々を送れていそう。自分の責任ではないとは言え、巻き込んだ側のヒロインが「日常」を手にし、巻き込まれた側のLéonの「非日常」な殺し屋生活が終わる。大活劇は夢でしたと、言われたのと似た印象を受ける。
最近だと「デットデットデーモンズ...」。宇宙人の襲来や、少女の闇落ちなど、ディストピア化した世界を正常化しようと、マルチバースを移動して世界を複数回やり直し、最終的にありふれた日常に回帰する。正確には、ディストピアな世界も残り続けている訳だが、観客に提示されている世界は「正常」化しておわる。なので、たくさん人が死んだり、たくさん殺したりもしたけど、ぜーーんぶ夢でしたと言われた気分になる。もっと言えば、どんな悪い事をしても、何だかんだ「正常」な「日常」に戻れて当然という大嘘を付かれている気さえする。
「ゴーストキラー」でもヒロインの顔に、不可逆的な傷が残ってても不思議じゃない。影原(黒羽麻璃央)が完全には後始末をできず、ヒロインが再度襲われる可能性も高そう。後始末していない過剰防衛で、親友が逮捕されてても不思議じゃない。全て現実的に描いてほしい訳でもないが、夢オチ的な無責任さも好みではない。
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2. 改めて感じる「ベビわる」の奇跡
「ベビわる」に夢オチ感がないのは、アクション・パートばかりでなく、ちさまひがイチャつく「日常」パートでされ、もはや非日常レベルだったから。そもそも、ちさともまひるも一般社会では生活できない社会不適合者。設定上も2人の日常は一般人の日常と異なって当たり前な設定。加えて、溢れるNEET感と、萌度の高い百合絡みに特別感がある。「ベビわる」は本格的なアクションを、コメディな日常で中和している作品ではなく、アクションもイチャイチャも同等に魅力的なパートに昇華している。その点「ゴーストキラー」は、アクション以外のパートが「ベビわる」程には到達していなかった気がする。
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