てっぺんの向こうにあなたがいるのレビュー・感想・評価
全23件中、1~20件目を表示
観た人🖐️ 好きなセリフなんですか?
「えっちゃん、やっぱり山はバーボンだよね🥃」ってセリフが好きです! ネタバレ注意の私情からめた感想お許しください!
田部井淳子さんは偉大な女性登山家と言うよりは、身近にいたら大好きになりそうなおばさまって感じで知っていました。実力とまっすぐすぎる不器用さと情熱全てがこの人の人間性だと、のんさん・吉永小百合さんを通じてよくわかりました。
のんさんは自由でのびのびした感じが田部井さんの青年期にぴったりでしたが、吉永小百合さんのようなおしとやかな女性がどうやってあのお転婆なおばさんを演じるのか心配してました。そこは大女優、おふたり共通の少女性を体現して演じてきました。
駆け足ながらも田部井淳子さんの半生をしっかり伝えられていました。(とはいえ著書は読んだことなし、なので)いい意味で謎が残ります。特にエベレスト付近ですね。田部さんにとってのヒロさんの存在や、報告会後の隊長の涙、一切触れられなかったエベレスト挑戦前に亡くしたザイルパートナーのルミエさんについて、気になります。これはご本人の著書を読み漁って個人的な解析したいきたいです。
そして「てっぺんの向こうにあなたがいる」という、タイトルのあなたって誰だろうって話です。おおよその人が旦那さんと答えると思いますが、我が家で討論会に発展しました。父が「山の神や仏などの超越的な者」、母が「カメラマン」、ワタシが「亡き元ザイルパートナーのルミエさん」と自分の見解を真剣にバーボン飲んで語り合いました。「田部さんは言葉数が少ないものの華はあり目立ってしまう人で、決して目立つ場面が嫌いではなさそうだから、山頂の先に居るカメラマンは有力だよね」とこれには父もワタシも母の意見に納得し爆笑しました😂
低山専門ののんびりクライマーですが、「いっぢゃーん。やっばり山は、っバーボンだよねえ🥃」ってセリフのせいで、山✖️バーボンの説得力が半端ない。美味しいに違いない。田部井淳子さんの憎らしいくも愛おしい、テント泊への誘いの洗礼をワタシは来年喜んで受けることになると思います。
期待とは違ったけどいい映画
昔々にK2を見て感動してから山関連の映画は見るようにしてます。
極限の中で頂上に向かう登山家の情熱を期待したのですが、
メインテーマは家族愛と好きなものやり通す人生観
みたいなものなんだろうなと感じました。
自分も背中を押されるような感動もありいい映画でした。
ただ、もうちょっとエベレスト登山を見たかった。
登頂シーンは泣けました。
ところで原作本の帯に「彼女はてっぺんの向こうに何を見たのか?」なのに対してこのタイトルなんで???ってなってました(笑)。
女性登山家の半生記
吉永小百合主演映画というものは、テレビのロードショー以外で見たことは無かったのだが、今回初めて見た。
それというのも、田部井淳子という女性登山家をモデルにした映画であったから。私もちょっと山登りはしたことがあって、以前は日本アルプスだとか八ヶ岳に登ったりしたこともあった。吉永小百合と登山というのはどうにもあまり結びつかない感じだったが、登山を主目的とした、何々登頂記、的なものとは違い、家族や友人といった人間関係に主眼を置いた物語になっていた。
山登りが趣味な人間からしたら、ちょっと物足りないところもあるだろう。若い頃はのんが演じていて、時折回想というか、時間が前後して話が進む。
吉永小百合と天海祐希や佐藤浩市って親子くらい年が違うだろう、とか思いながら見てしまうが、年相応な役者を使わないのは何か理由でもあるのか。
吉永小百合の年齢もあるし、登山とかやっていたわけでもないだろうから、登山描写は少ない。若い頃と晩年が主に描かれていて、途中がすっとばされている感じ。
昔ドラマでは、市毛良枝が演じていたが、市毛良枝は登山経験もあり、いまでも登山関連の番組に出たりもしている。市毛良枝が演じていたら、登山家の田部井淳子という感じで描かれたかもしれないが、これは吉永小百合主演映画であって、田部井淳子を描きたいという感じではないのだろう。
病院での診察とか病床の描写が真に迫っているというか、見ている人も高齢者が多かったし、老後というものの過ごし方というか、そういう方面に力が入っているような映画ではあった。
特段悪いとかそんなところも無く、淡々と話は進んで行く。まあ、私としては、田部井淳子がエベレストしか登ってないような感じに見えてしまうのはちょっといただけないが、それは主眼としてみなければ悪くも無い映画だった。
偉業達成者の光と影
................................................................................
エベレスト初の女性登頂者・田部井淳子さんの話。
女性だけの素人登山グループで、登頂を目指してた。
でみんなで現地に行ったもののトラブルが重なって、
結局田部井だけがトライし、登頂に成功する。
それで一人だけ世間から脚光を浴びてヒロイン扱いされ、
仲間達とギクシャクし始め、グループは解散する。
ただ当時、現地まで同行した記者・天海とは気が合い、
老後になっても親友みたいな関係が続いてた。
田部井はガンで余命宣告された後、何年も生き続ける。
高校生たちを率いて富士山に登頂する会を主催してた。
それにより気持ちが維持できて元気でいられたのかも。
................................................................................
田部井淳子って人を知らなかったし、
女性初のエベレスト登頂者が日本人なのも知らなかった。
その人が世間から脚光を浴びた部分だけでなく、
病気、仲間や子供との人間関係の問題なども描かれる。
本人は「みんなが自分から離れて行く」と悩んでたらしい。
でも優秀過ぎるとか脚光を浴び過ぎたからって理由だけで、
やっかんで離れて行く人なんて、一部だけじゃないの?
そんなシーンはもちろん一切ないのやけど、
実は本人がめっちゃ図に乗ってたんちゃうの?とか、
マウント取りまくったんちゃうの?とか勘ぐってしまう。
この人を知らないし、実際どうだったのかは分からない。
でもそう勘ぐってしまわんように描いて欲しかったな。
映画なんやから多少の脚色や正当化は構わんしね。
田部井さんの若い頃の役はのんちゃんやったのやが、
髪型的に最初ふかわりょうかと思ったw
田部井さん役の吉永さんの富士山頂でのシーンがある。
合成やCGじゃないことを祈ったが、後から調べたら、
本当に登って撮影したんだそうな。80歳。素晴らしい。
ツッコミ所と思ったけど・・・猛省
ヒロインが登山界のスーパースター田部井淳子(映画では多部純子)なんですが
息子の男子高生が
その呪縛に苦しめられ続け
姉のすすめもあり家を出て転校
金髪・ピアスの彼は転校1日目で
「何だよ!多部純子の息子だからって金髪・ピアスいけねえのかよ」
先生「誰の息子とか関係ない!校則だからいかんぞ」
言われて驚く息子
驚くのか?
ええっ、知らなかったのか?
と、この映画最大のツッコミ所か!・・・と困りまくったのですが
映画終了後自分の判断に猛省しました。
つまり
前の学校では叱られたり指導さてるたびに枕詞のように「母親の名」が出てきたのではないか。
で、もはや判断力を失う程、彼の闇と苦悩は深かったのでは。
先生がちゃんと言ってくれる学校に転校して良かったね。
と、人に対して「話す時に気をつける事」を今更かもですが学ばせてもらえました。
有名人の悩み
登山してみたくなるような爽やかなサクセスストーリーみたいな内容かなと思ったらちょっとシリアスな展開もあり、予想とは全く違っていましたが良い作品でした。
チームでエベレスト登頂を目指したにもかかわらず、結果的に田部井淳子さんとシェルパだけの登頂となってしまった。帰国後、田部井淳子さんだけが世界で最初に女性として初めてエベレスト登頂に成功したこととして報道され、脚光浴びることになってしまった。それを快く思っていない他のメンバーたちは次々と彼女の元を去ってしまった(のんと天海祐希が演じる新聞記者を除いて)。そして晩年はがんになってしまった。栄光の影に何とやらというか、順風満帆ではなかったのですね。結局最後は家族の絆が大事だったということですね。
サユリスト
女性発でエベレストに登頂したのは凄いこと。
仲間がいて、それを支えてくれた家族が
いたから出来たのだろう。
家族愛と夫婦愛を描いた作品。
どれだけ一緒に計画して理解を深め
チームワークが良くても、山で起きた時の
状況の判断基準にズレが無い事が大切
だと思った。
人生に差す光と影。失う物と寄り添う物。
ずっと登り続ける山景色には、いつも
何が待ってるのだろうか。
彼女が見てきた世界。
最高の人生を生ききり、自分の路を
常に登ってる感じがした。
吉永小百合さんが80歳には驚愕。
多くのサユリストが嬉しそうに
鑑賞していたのは微笑ましい。
「守りたい」 貫く亭主と 登る山
羨望と嫉妬でおかしくなった仲間を失い回復不能な心の傷を背負うところをなにげない日々に換え、同じ理由で人生を失いかけていた息子も救いだす。スーパーヒロインを支える亭主は別にスーパーな超人てわけではないが、「守ってやりたい、と思わないか?」さりげなく息子に問う一言。この気持ちがあって行動にできれば、家庭という山は完踏できます…。とてもいいラストであり、人生訓だと思います。完全にふたり共、というか「ふたりで」主演ですね。
タイトルなし(ネタバレ)
原作未読。田部井さんのことは、女性初のエレベスト登頂者ぐらいのことしか知りませんでしたが、素敵な夫、子供たち、登山仲間に恵まれていたのですね。
のん(青年期の純子)さんと工藤阿須加(青年期の正明)さんの姿が、良かったです。壮年期の吉永小百合さんと佐藤浩市さんの仲睦まじい姿にもジーンときました。
2人の子供を演じた木村佳乃さんと若葉竜也さんもハマリ役だと思いました。
天海祐希(北山悦子)さんは悪くないのですが、吉永小百合さんと歳の差がありすぎるので、登山隊の友達という役には違和感ありましたね...(青年期を演じた茅島みずきさんは、天海祐希に似ていると思いましたが...)
男女問わず 何か偉大なことを成し遂げるということは、運や本人の努力と強い意思が必然だと思いますが、家族や仲間たちの協力があってこそ達成できることだと思います。
自然体の演技が素晴らしい今年最高の感動作!
登山の映画くらいの話しか知らなくて、まさか余命物とは知らずに劇中は何度も涙ぐみました。
吉永小百合さんや佐藤浩市さんの自然体の演技が素晴らしく、自然と涙が溢れます。
ジュンコは余命3ヶ月と告げられますが、前向きな性格で、精力的に取り組む姿勢に共感します。
ダメ息子だったシンタロウの変化も良かったです。
吉永小百合さんの演技は、自然と引き込まれるものがあり、前向きな気持ちになります。
大谷翔平より(多分)世界的には有名なスーパースター
封切りから1週間後に地元シネコンで鑑賞
地味目の作品なので予想はしていましたが封切り1週間しか経ってないのにガラガラでした
主人公のモデルとなった田部井淳子さんは地元福島が生んだ世界的スーパースター
なんなら大谷より(多分)世界的には有名な女性初のエベレスト登頂者です
その生涯を描いた作品が地元で不人気ってどういうことよ
と憤りかけましたが冷静になれば仕方ないのかな
私も山を歩き始めるまでは存じ上げなかったわけだし
登頂した当時はビッグニュースだったでしょうが五十年前の話ですし
という私の個人的な憤懣は置いといて映画の内容です
冒頭はエベレスト登頂シーン
その後一気に時は流れ初老の主人公は癌を告知されます
ここから回想シーンが中心
戦友の天海祐希と山で語り合う描写が時々挟まれる形で物語は進んでいき終盤の富士登山でクライマックスを迎えます
私は原作を読んでますし田部井淳子さんの生涯も存じ上げているのでなおさらなのかもしれませんが全体的には起伏の少ないストーリーです
しかしアラフィフを迎えた私には刺さるシーンが多く終始泣きっぱなしでした
そんな多々ある泣き所の中でも私的ハイライトは吉永小百合が歌う「You Raise Me Up」のシーン
娘役の木村文乃が「素人にしてはまあまあ聞けるレベル」と言う通り本家のケルティックウーマンの歌声に比べれば覚束なさは否めません
でも泣けるんだこれが
原作の著書のタイトルにある通り田部井淳子さんの人生観は「人生山あり"時々"谷あり」
作中のエベレストに向かう経過やその後の社会的成功が「山」だとすれば登頂後に様々なものを失う過程や病魔に身体を蝕まれていく姿は「谷」に映ります
生きてく中での様々な起伏は程度の差こそあれ私たちの日々においても変わりはないと言えるでしょう
とはいえ何しろ世界のスーパースター田部井淳子です
そのエネルギッシュな姿勢はやはり「我々凡人とは違うよね」と思いたくなるのも事実
実際作中でも息子役の若葉竜也に似たような葛藤をぶつけられます
ブッ飛んだ描写も時折見られますし当のご本人もそうだったのでしょう
でなければあんな偉業は成し遂げられるはずありません(70リットル位ありそうなデカいザック背負って両腕に買い物袋下げて自宅に帰ってくるのを見て「こんな主婦いねぇよ(笑)やっぱ超人だな」と思いました)
そんな世界のクライマー田部井淳子がスパンコールのドレスに身を包み万感の感謝を込めて歌う姿はどこか滑稽で愛らしく
それでいて病人とは思えないほど力強いのです(ご本人も「病気になっても病人にはならない」と仰ってます)
そして忘れてはならないのが夫である田部井政伸さんを演じた佐藤浩市の名演
福島県民なら周知の事実ですが(願望)この方も若かりし頃は日本トップレベルの名クライマーでした
しかし登山中の凍傷による足の指の切断等の理由で淳子さんのサポート役に廻ります(これは作中の描写なので実際のところはわかりません)
政伸さんの著作も読みましたが凄い方なのに偉ぶることのない素敵なお人柄が滲み出ています
そんな政伸さんのただ者じゃないのに謙虚なナイスガイっぷりを淡々と表現した演技は本当に素晴らしかったです
そんなお二人の絆を象徴するラストシーンも泣けましたが私的号泣シーンはその少し前
淳子さんが被災した東北の高校生を勇気づけようと始めた富士登山
人生最後となる登山の頃には病気は進行し息も絶え絶えです
全盛期の田部井さんなら楽勝で2〜3往復は出来たであろうルートを道半ばで「私はここまで」と登頂を断念
この「私はここまで」がカッコいいのなんのって
山を登るものなら多少の無理は押してもてっぺんを踏みたいものです
それは私のようなへなちょこハイカーでも高名な登山家でも同じでしょう
でもこれ以上は自分の足で降りられないと思ったら潔く諦める
吉永小百合の晴れやかな表情に「ああ登山愛好家(田部井淳子さんはご自身を登山家ではなく登山愛好家と仰っています)はこうありたいな」と思ったらもう泣けて泣けて
私もアラフィフを迎え体力の衰えが目に見えるようになってきました
いつかは登れなくなる日が来ると思うと寂しくなる時があります
でもその時が来たらこんな表情でストックを置きたい
そうなれるように今を懸命に生きるのだと勇気をいただきました
素晴らしい映画です
命を燃やし人生を全うした1人の女性の物語
仲間たちと苦難を乗り越え、てっぺんに立った時、駅伝を完走したのを観た時のような感動を覚えました。しかし急転直下、仲間たちとすれ違い、たった1人悦子を除いて離れていってしまう。理解ある家族と思いきや息子とは対立してしまう。そして癌発覚と余命告知。それでも登山のように一歩一歩、命を燃やし歩き続ける。そんな姿を見て息子も心が動く。
夫婦の絆、家族の絆、親(心.真)友との絆
最後の言葉に全て込められているように思いました。
自分の人生が悔いなく完走できたのは、てっぺんの向こう側には愛する人たちがいたから。
ありがとう
素敵作品でした。感動しました。
山映画ではありません
登山映画と言うより田部井さんの家庭内情を
メインに描いた映画です。
登山がらみのシーンは雪が付いて無かったり綺麗な
お顔やリュックなどで山の高度感も無くイマイチ
田部井さんの色々な苦労や生き方、夫や困った息子
が更生する姿など忠実に再現されているんだろうと
思いました。
吉永小百合は、いつまでも若く最後の頃に少し
白髪混じりになりましたが全体的に綺麗に
描き過ぎの、気がしました
大女優ですからね・・
同伴下山
情報を入れてなかったので最初は主題を掴みかねたが、メインはやっぱり家族愛•夫婦愛かな。
エベレスト登頂を描く序盤は割と退屈。
頻繁に現代に戻るのでテンポも悪く、そこでの会話も話を前に進めないため、余計に。
バーボンのくだりや歌は最終盤に効くので削る必要はないが、それぞれ纏めて見せてほしかった。
一番気になったのは見た目年齢。
過去と現在の純子に対し、正明や悦子の見た目のバランスが明らかにおかしい。
真太郎の高校時代も、姉との年齢差から考えて老けすぎだし。
主人公の経年に関しては、声や顔立ちは納得のものだったが身長が…(仕方ないけど)
芝居は吉永小百合が大分寄せてはいたが、のんの自由さに対してはまだ上品で微妙に繋がらない。
純子の話から家族の話になり、“下山”への意識が強まる中盤からはよかった。
若葉竜也が特に見事で、関係性や心情の変遷を上手く見せてくれる。
真太郎に“図星”を突かれた際の佐藤浩市も、否定しながらもそれと分かる絶妙な間と台詞回し。
闘病しながらも富士登山へ向けて前向きさを失わない吉永小百合の演技も好感触。
ただ、母の携帯と共に山頂を目指す少年のくだりなどはちょっと狙いすぎで蛇足かな。
ホスピスでのやり取りは地味ながら染みた。
「治療のために生きたくない」と、下りながらも歩みを止めない姿はとても眩しい。
家族愛•夫婦愛がメインと書いたが、人生の下り方の話でもある。
そしてその先にあるものが、あのラストカットの可愛らしいキスなら、それは幸せだろう。
山女に惚れてまうやろぉ
まだまだ男性が外で働き稼ぎ女性は家庭を守る
そんな価値観がある時代に「山女」として七大陸最高峰制覇を成し遂げた田部井淳子氏をモデルにした吉永小百合さん演じる多部純子の物語
申し訳ない事に田部井さんの事は何ひとつ存じ上げておりませんし山登りも子供時代の遠足で富士登山挫折程度のキャリア💦
吉永さんをはじめ豪華キャスト集結と予告編でのなんとも言えない爽快感や達成感を体感したくの鑑賞ではありましたが男女差別や彼女ばかりが注目され同志からの妬みや憎しみにも近い感情…幸福感や爽快感だけではない人生の向こう側を物語は写し出し「てっぺん」に立つ人間の苦悩を掘り下げ観る者の心に若干の残酷さを刻み込む…
個人的に吉永さんと天海さん演じる山女2人が山頂でお酒を酌み交わす星空を見上げるシーンが刺さりました⭐️
人生山あり谷あり…に相応しき人生を家族、友人と共に過ごせた彼女の「てっぺん」への挑戦を心から讃えたい
そして自身も「皆さんありがとう!」と言える人生の終幕を迎えたい
⭐︎病気の役のせいもあるのでしょうけど吉永小百合さんがひとまわり小さく見えて心配になったのは私だけでしょうか…まだまだ素晴らしい作品で私達を楽しませていただきたいです
どうぞご自愛ください⭐︎
家族愛>登山なので、偉業の過酷さを知りたい人向けの映画ではありません
2025.11.4 TOHOシネマズ二条
2025年の日本映画(130分、G)
原案はモデルとなった田部井純子の自伝『人生、山あり“時々“谷あり』
世界初の女性エベレスト登頂者とその家族を描いたヒューマンドラマ
監督は阪本順治
脚本は坂口理子
物語は、1975年に世界初のエベレスト女性登頂者となった登山家・多部純子(のん、現代パート:吉永小百合)が描かれて始まる
隊長・新井涼子(和田光沙)、アタッカーの岩田広江(円井わん)を含めた11人で構成された女性のみの登山隊は、記者の北山悦子(茅島みずき、現代パート:天海祐希)とともにエベレスト登頂を目指していた
現地のシェルパたちが高山病に罹って離脱する中、アタック隊も雪崩に巻き込まれて装備を失ってしまう
そんな中、新井の判断にてアタッカーに純子と岩田を抜擢したのち、最終アタッカーは純子が指名されることになり、無事に登頂を果たすことができた
帰国後、夫・正明(工藤阿須加、現代パート:佐藤浩市)と娘・教恵(花門俐娃、現代パート:木村文乃)に出迎えられた純子は、瞬く間に時の人となってしまい、それが原因で色んな不和が起こってしまう
それから35年後、純子は腹膜癌に罹り、化学療法を始めることになった
夫と教恵とともに住んでいた純子だったが、帰国後に産んだ息子・真太郎(若葉竜也)との関係はあまり良くなく、彼は高校時代から別居状態になっていた
真太郎は「有名人の子ども」というプレッシャーに晒され続けていて、それに反発するように校則を破ったり、挙げ句の果てには中退をしてしまう
その後、親戚の家に預けられることになった真太郎は別の高校に編入し、現在に至っていた
母の病気療養を聞きつけて帰省した真太郎だったが、純子は手術直前に「東日本大震災の被災者支援活動」を始めたり、その募金活動でチャリティコンサートを開くなどしていて、さらに戸惑いを深めていた
映画は、エベレスト後の家族を描き、癌治療と復興支援活動をメインに描いていく
被災した高校生と一緒に富士山に登ろうというプロジェクトを立ち上げた純子は、手術を乗り越えて、それを果たすことになった
その活動には真太郎も参加し、4回目を迎える頃には純子の代わりにリーダーを務めたりしていた
そんな彼は「母親に対する遺恨」を抱えていて、それを暴露することで家族内の不和を生み出していた
姉は「そんなに息が詰まるなら出ていけば良い」と言い、真太郎はそれを機に母元を去っていた
そして、被災者支援活動を通じて母親と再会し、遺恨というものが払拭する流れとなっている
物語は本人の自伝を「原案」とするオリジナルで、「事実を基にしたフィクション」となっていた
どこまでが本当かはわからないが、Wikiに載っていることは大体映画内で描かれていて、ある程度は史実ベースになっているのだと思う
前半のメインは「チームの離散」であり、せっかく目的を達成したのに、最終的にアタッカーとして登頂した純子だけが「特別な人扱い」されていることが原因となっている
その後、最後にアタッカーとして命運を分けた広江との交流などは描かれず、亡くなった後に墓参りをしていたというエピソードだけが描かれている
なので、映画の感覚だと、チーム離散後の和解というものは無く、半ば贖罪のような形でお墓参りをしているように描かれている
特にアタッカーを指名した隊長との関係はまったく描かれないので、そこら辺はモヤモヤする展開となっている
実名を使わないところで「かなりの脚色が入っている」ことはわかるのだが、協力者に夫と息子がいるので、かなり家族目線寄りになっているのかな、と思った
エベレスト登頂よりも、その後の日々をメインに描いていることから、偉業を成し得た後の「有名人の苦労」みたいなものがメインとなっていた
いくら本人が「みんなで成し得た」と言っても、マスコミは「この人が一人で登り切った」みたいな論調で報道してしまえば、それが世間の声になってしまう
そう言った「報道のされ方」というものはほとんど描かれないのだが、メンバーの反応を見ると「世間は一人で登った」みたいな感じに受け止めている世界線なのだなと感じてしまう
エベレストに関わらず、登山の過酷さというものは映画からは伝わらず、そこに至るまでの準備とか、登山途上の危険度みたいなものはほぼスルーされている
なので、登山映画を観たい人向けではなく、あくまでも家族愛の物語として、偉業によってどうなったのかを眺めるテイストになっているのは致し方ないところなのかもしれない
いずれにせよ、吉永小百合ファン向けの映画だと思うし、それ以上でも以下でもないような印象があった
家族愛の映画としてはまとまっているものの、随所に意味不明な演出があったりする映画だったと思う
真太郎の転校先の生徒の反応とか、母親の肩身を持って登山する高校生とか、その後何かあるのかなと思っても何もないみたいなシーンが多い
登山隊の内紛から解散に至る過程も想像にお任せしますレベルだったので、あえてあの不和を描く必要があったのかはわからない
そのエピソードがなくても、いきなり時の人となって家族が苦労した、みたいな話にはなってしまうので、結局どうなったのかを描かないのならバッサリとカットしても良かったように感じた
誰かに魅せる為ではなく、自分がどう生きたいのか。てっぺんの向こうの真実を知る!
先日 女性初となる第104代内閣総理大臣に高市自民党総裁が選出されました。
この”女性初”って言葉、今の時代は中々あえて使われることが少ないかもですね。
私が学校に通っていた頃に 今作の”エベレスト女性初登頂”の話題が日本中を駆け巡ってて どこの場所でもあの初登頂写真を見る事がありました。
随分前の出来事ですけどね。
映画冒頭でその場面を見て とても懐かしく感じた次第です。
今日は「てっぺんの向こうにあなたがいる」鑑賞です。
昔ラジオ番組でエベレスト初登頂の事を本人が語って居られるのを聴いた事が在りましたが、今作題名の ”てっぺん”(頂上・目的)では無く ”その向こう”にいる あなた・・・ つまりその後の事を知るという話の流れ展開となっています。
人生、山あり谷あり、彼女が感じ得たこの言葉の意味に少し触れたかと感じました。
原案(エッセイ):田部井淳子氏『人生、山あり“時々”谷あり』
監督:阪本順治氏
脚本:坂口理子氏
------感動を贈る俳優陣------
多部純子役:吉永小百合さん
(青年期役):のんさん
多部正明役(夫):佐藤浩市さん
(青年期役):工藤阿須加さん
北山悦子役(記者):天海祐希さん
(青年期役):茅島みずきさん
多部教恵役(長女):木村文乃さん
多部真太郎役(長男):若葉竜也さん
その他 脇役方々
配給:キノフィルムズ(良い企画製作と感じます)
-------------------
(感じた事)
①純子と正明さんの実に仲の良い所が素晴らしい。良い夫婦像と思います。特に旦那さんの優しさ。長女と二人で妻の偉業を支えている所など、自分の登山に対する願望も有ったろうし 妻が雪崩に遭った危機でさえ冷静に成ってる所など留守中の家をしっかり守るのが夫の務めでもあり、この優しさは素晴らしいと感服致します。
②女性だけのエベレスト登山隊。この活動の苦労と、成功の軌跡そして絆が散り行く崩壊。この部分が一番何故か私的には刺さりました。それはラジオで田部井さん自身が語っていたのを思い出したからかも知れません。
男性の登山隊と違って、女性だけの隊の場合 統率とか纏めるのが非常に大変だったと伺いました。女性の場合は公平感が優先されてしまい 私も資金を出しているから山頂に立ちたいと言う思いの人が多いのだそうです。これらを整理して行く苦労が凄く重責としてあったのでしょうね。命もかかってますからね、生きて帰らなくては成らない訳でもあり。
家族が有って、待っているからこそ希望を実現させる事が出来たのだと感じます。
③世界で有名な登山家であるが故の家族内の悩み。そして支え。
教恵の幼少時期の母が居ない寂しさ、真太郎の有名人の子と言うレッテルと周囲への反発、葛藤。夫の妻や子供達を支えての生活と自分自身の登山への夢を諦める思い。
夫、正明さんの家族をずっと支えていた存在こそ 凄く褒めるに値する事だと一番思います。影の支え無くして偉業成功なんて有り得ないと思うのですよ。
④夫婦の馴れ初め。バスの中での話が良かった。夫の幼少の頃の死を彷徨う程の重病、病気がちだったが それを克服しそして登山するまでに。この事を純子が素直に感動する所。素朴な人柄に惹かれる思いが良かった。
------
今作の俳優陣は皆さん仲が良いようで それが絵の隅々まで出ていたかと感じます。これも吉永さん、佐藤さんの夫婦役の功績だと思います。
ラストカット ちょっとやり過ぎではと思いましたが、夫への想いとしてはこれで良いのだと受け取りました。
今月11月22日(良い夫婦の日)に鑑賞するにはオススメな一作
ご興味御座います方、ご夫婦、ご友人の方々
是非 劇場へお越し下さいませ!!
美談のフォーマットに安住した、惜しい“実話の再構成”
阪本順治監督と吉永小百合の再タッグという時点で、ある程度の品格と安定感は約束されていた。問題は、その“上品さ”がこの題材──女性として初めてエベレストに登頂した田部井淳子さんをモデルにした物語の持つ荒々しい実像を覆い隠してしまったことにある。本作は、実話をベースにしながらも主人公の名を「多部純子」と微妙に変え、脚色を施した「実話風フィクション」として成立している。だが、その“曖昧な立ち位置”こそが作品の強みでもあり、最大の弱点でもある。
まず本作は、登山映画というより“人生訓映画”として設計されている。頂上をめざす過程における技術や危険性はほとんど描かれず、焦点は「どう生きるか」「何を大切にするか」という普遍的な問いに置かれる。ここまでは理解できるが、問題はその問いを支える“現実の重さ”が、脚色によって軽くなってしまっている点だ。女性が山岳界で生きるということは、単に勇気や努力で乗り越えられるものではない。資金・差別・家族の犠牲という構造的な壁がある。それを曖昧なまま「心の強さ」の物語に変換してしまった時点で、現実の田部井淳子が闘った“時代”は消えてしまった。
加えて、家族の物語も浅い。夫や長女・長男の葛藤は多少のドラマはあれど、“理解ある家族”というテンプレートで処理され、彼らが背負った孤独や社会的摩擦はほとんど描かれない。つまり、主人公の栄光を引き立てるための背景装置に留まってしまっているのだ。観客が求めるのは「彼女が登った山」だけでなく、「家族が登った別の山」でもある。そこが描けていれば、物語はもっと立体的になったはずだ。
ただし、阪本監督の意図は理解できる。彼は“事実”よりも“意味”を撮る監督だ。山頂の向こうにあるもの──それは達成ではなく、孤独と静寂である。多部純子という仮名を用いたのも、実在の人物を守りながら「象徴的人間像」に昇華させるためだろう。つまりこれは、田部井淳子の伝記ではなく、“彼女の魂が宿る誰か”の物語なのだ。その詩的アプローチをどう評価するかで、この映画の印象は大きく変わる。
結局のところ、この作品は「実話をどう語るか」という永遠の課題に正面から挑んだ意欲作である。だが、挑んだ結果として“曖昧なフィクション”に留まった。観客は実話としての感動を期待し、映画は寓話としての普遍性を目指す。その乖離のまま終幕を迎える。もしこの作品が「頂上を超えてもなお登り続ける者の孤独」を描く詩として受け止められるなら、静かな余韻が残る。だが“実話の映画化”として観るなら、何かを語り残したまま終わった印象は拭えない。
主人公に反発して離れていったメンバーの気持ちが分かってしまう
主人公が、1975年に、女性として初めてエベレストの登頂を果たすまでを描いた序盤の展開は、男性優位の社会に抗って、女性だけのグループが偉業を達成する様子が面白い。
その後、登頂した主人公だけに脚光が当たることに反発したメンバー達が、主人公のことを非難すると、「そんな仕打ちを受けたら、自分だったら登山家をやめるだろう」と思われて、主人公がどのようにして立ち直り、登山家を続けることになったのかが気になった。
ところが、そんな経緯はまったく描かれず、主人公が、何事もなかったかのように登山家として活躍していることが分かると、彼女が味わった確執や挫折は何だったのかと、拍子抜けしてしまった。
次に、主人公の息子が、高校生の時に、母親が有名人であるがゆえにグレる様子が描かれるのだが、この騒動も、何となく丸く収まってしまって、どういう経緯で彼が更生したのかが描かれなかったのは、物足りないとしか言いようがない。
やがて、ガンで余命宣告を受けた主人公が、東日本大震災の被害地となった福島の高校生達を、富士登山で励ますイベントに打ち込むようになると、彼女のバイタリティーには感心するものの、子供達に教えるべき山の素晴らしさや厳しさのようなものが今一つ伝わってこなかった。
それどころか、登山のインストラクターとしてイベントをサポートする親孝行の息子や、主人公のことを献身的に支え続けてきた理解のある夫だけでなく、今も主人公と一緒に山に登ってキャンプをする女性記者の姿を見ると、主人公が、家族や友人に恵まれ過ぎているように思われて、何だか、彼女に反発して離れていった登山仲間の気持ちが分かるような気分になってしまった。
それから、主人公がホスピスに入所してからのエピソードだが、寝言を言ったり、エベレストの絵を描いたりする描写が冗長に感じられて、不謹慎だが、「一体いつになったら亡くなるんだ」と、少しイライラしてしまった。
全23件中、1~20件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。









