てっぺんの向こうにあなたがいるのレビュー・感想・評価
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てっぺんの向こうにいるのは誰?
奇しくも憲政初の女性総理が誕生したけど、「女性」という枕詞がつく偉業を達成したことで、今では考えられない取り扱われ方をしたのかも知れないなぁ…と思ってみていました。
そして、それだけ偉業を成した夫婦でも「お父さん」「お母さん」と呼び合うのか…と、変な意味で感心してしまいました。それは昭和や平成だからなのか、令和でも、子供がいる夫婦は、こういう呼び方になるのか、ちょっと考えさせられました。
そういう中で、てっぺんの向こうにいるのは誰?
色んな解釈があるのかな…と思いました。
私の理解力がない?
てっぺんの向こうにあなたがいる(映画の記憶2025/11/1)
なんか泣けました
2025年劇場鑑賞304本目。
エンドロール後画像有り。
1本前にも富士山登る映画観たなぁ。
そっちは全然刺さらなかった(バスで登ったからかな(笑))のに対してこっちは実話だと思うとちょっとした会話でも泣いてしまいました。と思ったら実話を基にしたフィクションですと最後に出てきてちょっと萎えました。朝ドラみたいなことなんでしょうが。
吉永小百合80歳近いのに、夫役の佐藤浩市と親友役の天海祐希が60歳近いのに違和感があり、若い頃はのんと工藤阿須加という30歳位の俳優で歳合わせてるから尚更です。でもモデルの方も80歳近かったので、逆に周りが若すぎたみたいです。
序盤はのんの方が出番多くてこれのんが主役なのに吉永小百合が強くてクレジット押しやられたのかなと邪推しましたが、後半はちゃんと吉永小百合の映画になっていて一安心。
吉永さん正統派作品。ホントは普通の3ですが 最後の 『事実を基にしたフィクションです。』表示が良かった。
イヤイヤ 映画の物語というのは
実在の人物だろうと 実在の史実であろうと
全部 脚本に基づく
フィクションです。その当たり前のことを言う気遣いが良かった。一応 based on
まあ 実際は 存命中の人物だったり 敢えて挿入した人物
誇張した表現 つまり コレが本当のまんまだと理解されると不都合と言う気遣いだと思う。
つまり 田部井淳子さん【昭和50年代 ガキだった人は 名前だけは聞いたことがある認知度が75%くらいあると思う】
では無いのだよ 多部純子さんが主役
エベレスト 女子初。と言う史実に基づくフィクション
その困難さ は少しだけ
むしろ 家族関係含めた 人間関係&生き様作品。
まさに そこに山があるから作品
コレが マジで ザ吉永小百合さま映画。🟰吉永小百合
っーか 吉永小百合の生き様じゃ無いの的
レイトショーなので観客は少なかったが
その全員の観客の期待に応える 吉永小百合が観たい映画 &好感度高い天海祐希さん &のんさん
なんか 同僚にしては 吉永小百合さんと天海祐希さん 年齢離れすぎの気が
吉永小百合さんは白黒テレビ時代『橋幸夫さんとの いつでも夢♪を』オリンピック前からだし 天海祐希さんはもう平成でしょ
全然世代違うのにビックリ🫨
でも 皆んな 観客は 全員 吉永小百合さんの真っ当さ が観たい人ばかり 皆んな静か
でも俺的に胸を打ったのは 吉永小百合さんでも天海祐希さんでも 堅実の佐藤浩市さんでも無く
若葉竜也さん演じる息子役の 強烈な反抗期 &大人への成長
わかるわかる 葛藤した時期があったからこそ 真の親子🧑🧑🧒🧒 真の母親への労わり。
有料パンフ🈶@990は まあお年寄りにも格安で 文字も多すぎない 優しいパンフ。リアル息子さんインタビューあり。
まあホームページもわかりやすいけど 昭和世代は やっぱり紙📃ですね。
そこに撮影秘話が載ってたよ❗️ 撮影地は・・・
まあ 映画に 真っ当さを求める人のための 昔のNHKみたいな作品。吉永さん124作 あと6作は主役で行ってほしい。
そのあとは 田中絹代さん『サンダカン八番娼館 望郷』みたいに 心機一転でも良いのでは・・・
でも アタックは 単独では無く2人で良かったと思う シェルパいるのだから【スクリーンで確認を】
田部井淳子さんの半生を描いた作品。
田部井さんといえば生前、田中陽希君の山番組のナビをやっていてよく見たし
また東北地震の後、東北の高校生と一緒に富士登山すると言って、病が悪くなって
「もう6合目まで行くのも必死」と奮闘してる姿を見ていた。
木下直哉氏(キノシネマなど木下グループ代表)は、この人を映画の題材に取り上げてくれてありがとう。
おかげで、エベレストに登る準備の大変さや、エベレストアタックに岩田広江さんも挑む予定がやむなく下山となってしまったこと、田部井さんは生前ずっとその岩田さんの墓参りをしていたこと、田部井さんのご主人も高校時カリエスだったが克服した(ちなみに私の敬愛する三浦綾子光代夫妻は若い頃やはりともに結核で死線をさまよいキリスト教に入信)こと、など初めて知ることができた。
田部井さんの歌をうたう時の衣装も歌も決まっていた(実際は吉永小百合が演じているが)。
のんさんは、田部井さんの若い頃を演じたが、生命力にあふれる感じがよくでていて良かった。
この映画は、初見は茅ヶ崎イオンシネマだったが、キノシネマみなとみらいでも見てみようと思った。
山に登りたくなったので、大山あたりにヒルに気をつけて
登りに行くかな。
主人公に反発して離れていったメンバーの気持ちが分かってしまう
主人公が、1975年に、女性として初めてエベレストの登頂を果たすまでを描いた序盤の展開は、男性優位の社会に抗って、女性だけのグループが偉業を達成する様子が面白い。
その後、登頂した主人公だけに脚光が当たることに反発したメンバー達が、主人公のことを非難すると、「そんな仕打ちを受けたら、自分だったら登山家をやめるだろう」と思われて、主人公がどのようにして立ち直り、登山家を続けることになったのかが気になった。
ところが、そんな経緯はまったく描かれず、主人公が、何事もなかったかのように登山家として活躍していることが分かると、彼女が味わった確執や挫折は何だったのかと、拍子抜けしてしまった。
次に、主人公の息子が、高校生の時に、母親が有名人であるがゆえにグレる様子が描かれるのだが、この騒動も、何となく丸く収まってしまって、どういう経緯で彼が更生したのかが描かれなかったのは、物足りないとしか言いようがない。
やがて、ガンで余命宣告を受けた主人公が、東日本大震災の被害地となった福島の高校生達を、富士登山で励ますイベントに打ち込むようになると、彼女のバイタリティーには感心するものの、子供達に教えるべき山の素晴らしさや厳しさのようなものが今一つ伝わってこなかった。
それどころか、登山のインストラクターとしてイベントをサポートする親孝行の息子や、主人公のことを献身的に支え続けてきた理解のある夫だけでなく、今も主人公と一緒に山に登ってキャンプをする女性記者の姿を見ると、主人公が、家族や友人に恵まれ過ぎているように思われて、何だか、彼女に反発して離れていった登山仲間の気持ちが分かるような気分になってしまった。
それから、主人公がホスピスに入所してからのエピソードだが、寝言を言ったり、エベレストの絵を描いたりする描写が冗長に感じられて、不謹慎だが、「一体いつになったら亡くなるんだ」と、少しイライラしてしまった。
福島の山
やっぱり何かを初めて成し遂げる人ってエネルギッシュなタイプが多い しかし以前エベレスト登山のアニメを見た時は無酸素だのコースの難易度だの言ってたので、きっとそんなに難しいコースではなかったのかな?当人ばかり目立ってしまって登山部の仲間割れに家庭内のゴタゴタ、そして偉業にあまりスポットを当ててないのが予想外な展開だった 天海祐希はこういうストーリーだと吉永小百合とセットなんかいな?なんか似たようなことやってたような...当時の女性なんちゃらなお話かと思ったら、またまた富士山🗻と夫婦👨❤️👨 高校生の持ってた携帯が一番感動した
のんは当時の映像そっくりだった
そしてあんな素敵なホスピス?ホントにあるのかな
仲睦まじい夫婦
原作未読
女性初エベレスト登頂した
田部井さんの半生と
家族や友達の話。
ガンで余命数ヶ月と告げられ
再発のたびに克服する。
吉永小百合さん綺麗
元気をもらいました。
最後に旦那さんの頬に
キスするシーンは
なぜか?うるっとしました…
なんでかな?
ゴーイングマイウェイな母と支える家族の愛
吉永小百合ワールド
吉永小百合は私が子供の頃から今の立ち位置だけれど、そのせいで触れる人が限られてるのが見ていてむず痒いのはもちろんだけれど、その映画史的存在は理解したけれど、この作品では、阪本順治、佐藤浩市というどちらもちゃんと大俳優を取り扱いできる人材が居てこそという構造も降りてきてくれないなぁと思ってしまうのも確か。吉永小百合とのんを重ねるキャスティングは流石。どちらも喋る時に独特のタメがあり、私はそこに反応しないが、両者のファンはそこに萌えているような気がする。喋り方萌えのようなものがある気はする。前回は山田洋次が撮っていたので、それはもちろん余裕かと思う。高市が首相になり、女性活躍が騒がれる世の中で、そこについていけない高齢者にも優しい作りなのが、日本的だがそこが良い。世界的に女性の歴史を洗い直す作品は多いがその中でも一番、穏当な作品かもしれない。子供を連れて観に来てる人が居て、ラスト近くのバンザーイのシーンに子供だけが笑っていた。
登山家田部井淳子ではなく人間田部井淳子を描いた作品。
田部井淳子さんがヒロインで彼女の人生にスポット当てたドラマだったので観てみました。七大陸最高峰を制覇した登山家田部井淳子を描くのかと少しは期待していたのですがお門違いでした。登山家田部井さんというより人としての田部井さんを掘り下げて描いた作品です。登山家田部井さんを期待していたらガッカリするかも知れません。もし登山家田部井淳子を映画化したら予算も莫大となり若かりし頃の田部井さんを演じる女優さんは登山が好きで相当に体力のある方じゃないと無理でしょう。
それでもあんな田部井さんでも仲間や息子さんとの軋轢があって精神的に苦しんだこともあったのを描いており、人間田部井淳子さんを知ることができそれはそれで素晴らしい作品になってます。
ことが出来ました
良かった!
吉永小百合&のんはベストマッチ!
主人公多部純子を吉永小百合とのん(青年期)が演じていて、
だいぶ年齢差はあるものの、雰囲気は違和感なかった。
のんの天真爛漫さというか、芯の強さオーラや、目力の強さは本当にすごいし魅力的。
老年期を演じた吉永小百合は80歳とは思えないほど美しく、永遠の銀幕スターだと思う。
登山シーンはハラハラして見ていたが、並々ならぬ努力をされているのではないか。
夫を演じた佐藤浩市、娘の木村文乃、息子の若葉竜也、みんな上手いし素晴らしい。
特に佐藤浩市がこんな良い人というか暖かい人物を演じたのは初めて見た。
妻を支える優しさが実に心に沁みるし、やはりラストシーンは夫婦のカットで終わるのだが
そのシーンがこの映画でもっとも美しいシーンだと思う。
これが見たくてこの映画を観ていたのだなと。
多部純子の偉業を伝える作品ではなく、あくまでも多部純子をとりまく家族と
親友 北山悦子(天海祐希)との時間を描く愛情にあふれた作品だ。
誰の主観でもなく客観的(神の目視点)に描かれているので、感情移入はしなかったが、
ラストへ向かうにつれ、涙が溢れそうになった。
この作品を観ると優しい気持ちになれるかもしれない。
私は淀んだ心が少し浄化された気がする。
役に寄り添って滲み出る美しさ
友達や息子が離れていったという過去を持つ女性が、自分が大病を得て命を失うことを知ってから、家族の再生と世の中のために何かしたいという「新しい山」への挑戦をする姿を描いた作品となっていて。
その「離れる」というのが、日本のマスコミと、日本の女性たちの「精神的幼さ」に起因するのが、わかりすぎるほどわかって、心苦しく感じた。
F1や自転車ロードレースなどを見たことがあるとわかるんですが、1人の優勝は、チームの優勝なんですよね。
実は登山も、ベースキャンプ維持、登山に必要な道具の運搬がないと、登頂できない。
後の世には、機材の軽量化で「単独登頂」なんてできるようになっては行ったけれども、1975年なんて時代では、シェルパを含めて最低でも20名(下手すると100人近い)バックアップ体制は最低限の条件で、1人を押し上げるために全員の協力が必要だった。
逆に言えば、1人が栄光を独占すべきものではないのだが。
しかし、マスコミも世間も、登頂した人だけを讃え、賞を贈ったりする。
わかりやすい「象徴(シンボル)」「ヒーロー・ヒロイン」「見出し」を設定した方が、大衆に伝わりやすい側面はあるが、こういう偏った称賛の仕方は、正直マスコミの怠慢と無能と無知に起因する。
そして本来支え合ってきたはずの仲間たちの嫉妬。
ここが、あくまでも事実(モデル)をベースにした創作(フィクション)だからいいのだけれども、当時の隊員たちへの侮辱とも捉えられかねない微妙な内容まで踏み込んでいて。
様々なトラブルで機材が足りなくなり、複数人数での登頂が不可能になったとき、皆が「多部淳子隊長に任せた」と合意して送り出したのに、その淳子だけがちやほやされることに我慢がならなくなる他の隊員たち。
冷たく分析してしまえば、そこを我慢できず冷静さを保てないほどの理性のなさ、心の狭さ。
そういう「無知から生まれる称賛の偏りと、嫉妬を抑えられない心の狭さの露見」という日本人の悪癖がよく描かれていました。
そんな悪癖によって与えられた精神的苦悩を耐える姿を演じた吉永小百合さんが、その個性と相まって美しく見えました。
吉永さんって、不思議な方で。
加山雄三さんが何を演じても若大将だったり、木村拓哉さんが何を演じてもキムタクに思えるように。
その存在感と、観客や監督が「吉永小百合」像を押し出し求めるゆえに、何を演じても吉永小百合でしかない時が多いのです。
しかし、そんな吉永さんが役に寄り添って、「吉永小百合らしさ」を減らしたが故に、逆に吉永さんの役者としての良さ、個性がより鮮明になって、物語が輝くことが時々あって。
本作はそのパターン。
夫への深い愛情を持ち、生きることややりたいことに貪欲で悪気はなく、むしろ友達想いの人物であること。
そういう多部淳子の像を演じた吉永さんは、80歳を超えて、ますます美しいと感じさせてくださいました。
また、吉永さん演じる主人公の、若い頃をのん(=能年玲奈)が演じていて、それもまたよかった。
単純に似ている方というなら、今なら広瀬アリスや武井咲など、20代の頃の吉永さんに顔の造形が近い女優さんはいますが、好きなこと・やりたいことに全力でぶつかっていく登山家としてのエネルギーを演じるのは、のんが適役だったと、その配役の妙にも感心しました。
とはいえ、美化し過ぎじゃないかな?
この映画こそ「ヒロイン像」をねつ造していないかな?
という疑念もまた同時に生じてしまい、故に⭐︎の点数は少なめ。
昭和の映画
吉永小百合が演じる必然性
田部井淳子の半生を描いたフィクションである。さすがに阪本順治の手腕で手堅くまとまっており130分の長尺でありながらあまり飽きることなく観ることができた。
時系列としてはおよそ3つに分かれる。最初は、女子登攀クラブからエベレスト登山隊が編成され1975年に田部井(映画では多部純子)が単独登攀に成功する、でも帰国してしばらくの間ゴタゴタがあるところまで。
2つ目は、80年代、90年代のこれは田部井の七大陸最高峰登攀時代にあたるが、息子進也(映画では真太郎)との軋轢や、北村節子さん(映画では北山悦子)との友情が描かれる。
3つ目は、純子が発病し、東日本大震災が起こって、純子が震災地の高校生の富士山登山事業を進めること、そしてそれには息子真太郎が協力する姿が描かれる。
脚本の編成上、やむを得なかったとは思うが、時間として一番長いはずの2つ目の時代が奇妙なまでカットされている。だから真太郎の子供時代の紹介が一切なく、配役の若葉竜也(好演)は高校生としていきなり登場する。真太郎がいみじくも母親に「だから人が離れていくんだよ」というのだがこれを説明する具体的説話が隠されているのだろう。おそらく、ここまで実在の人物が登場しながら、なおも仮名にせざるを得ないのは、遠慮しなくてはいけない事実があるからで、全てをフィクションというフィルターに通す必要があったのだろうと推測している。
つまり、この映画は田部井淳子という登山家の、エベレスト登頂と被災地高校生の富士山登山事業という2点のみをいいとこどりをした作品である。加えて、夫との長きにわたっての信頼関係と、息子との和解についても心温まる逸話として付け加えられている。
これは多分、吉永小百合のために準備された枠ぐみである。田部井淳子の物語に吉永小百合をキャスティングしたのではなく、吉永小百合ありきで企画は用意された。それ以外、この作品に吉永小百合が出演しなければならない理由はない。(評判が良かった「最高の人生の見つけ方」に続く天海祐希とのコンビという点はあったかも)そして吉永小百合が出演する以上、演じる人物の欠点は隠されなくてはならない。
今年80歳になる吉永小百合の若々しさは驚くべきものでありコンディションを整えるためにおそらくなされているであろう努力には敬意を表する。
でも別に上手くもなく、どんな役を演じさせても吉永小百合本人にしかならない、つまり説得力もない俳優が、映画界の「てっぺん」を取り続け、接待しているとしか思えない作品が次々と作られることには違和感を覚える。
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