てっぺんの向こうにあなたがいるのレビュー・感想・評価
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誰かに魅せる為ではなく、自分がどう生きたいのか。てっぺんの向こうの真実を知る!
先日 女性初となる第104代内閣総理大臣に高市自民党総裁が選出されました。
この”女性初”って言葉、今の時代は中々あえて使われることが少ないかもですね。
私が学校に通っていた頃に 今作の”エベレスト女性初登頂”の話題が日本中を駆け巡ってて どこの場所でもあの初登頂写真を見る事がありました。
随分前の出来事ですけどね。
映画冒頭でその場面を見て とても懐かしく感じた次第です。
今日は「てっぺんの向こうにあなたがいる」鑑賞です。
昔ラジオ番組でエベレスト初登頂の事を本人が語って居られるのを聴いた事が在りましたが、今作題名の ”てっぺん”(頂上・目的)では無く ”その向こう”にいる あなた・・・ つまりその後の事を知るという話の流れ展開となっています。
人生、山あり谷あり、彼女が感じ得たこの言葉の意味に少し触れたかと感じました。
原案(エッセイ):田部井淳子氏『人生、山あり“時々”谷あり』
監督:阪本順治氏
脚本:坂口理子氏
------感動を贈る俳優陣------
多部純子役:吉永小百合さん
(青年期役):のんさん
多部正明役(夫):佐藤浩市さん
(青年期役):工藤阿須加さん
北山悦子役(記者):天海祐希さん
(青年期役):茅島みずきさん
多部教恵役(長女):木村文乃さん
多部真太郎役(長男):若葉竜也さん
その他 脇役方々
配給:キノフィルムズ(良い企画製作と感じます)
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(感じた事)
①純子と正明さんの実に仲の良い所が素晴らしい。良い夫婦像と思います。特に旦那さんの優しさ。長女と二人で妻の偉業を支えている所など、自分の登山に対する願望も有ったろうし 妻が雪崩に遭った危機でさえ冷静に成ってる所など留守中の家をしっかり守るのが夫の務めでもあり、この優しさは素晴らしいと感服致します。
②女性だけのエベレスト登山隊。この活動の苦労と、成功の軌跡そして絆が散り行く崩壊。この部分が一番何故か私的には刺さりました。それはラジオで田部井さん自身が語っていたのを思い出したからかも知れません。
男性の登山隊と違って、女性だけの隊の場合 統率とか纏めるのが非常に大変だったと伺いました。女性の場合は公平感が優先されてしまい 私も資金を出しているから山頂に立ちたいと言う思いの人が多いのだそうです。これらを整理して行く苦労が凄く重責としてあったのでしょうね。命もかかってますからね、生きて帰らなくては成らない訳でもあり。
家族が有って、待っているからこそ希望を実現させる事が出来たのだと感じます。
③世界で有名な登山家であるが故の家族内の悩み。そして支え。
教恵の幼少時期の母が居ない寂しさ、真太郎の有名人の子と言うレッテルと周囲への反発、葛藤。夫の妻や子供達を支えての生活と自分自身の登山への夢を諦める思い。
夫、正明さんの家族をずっと支えていた存在こそ 凄く褒めるに値する事だと一番思います。影の支え無くして偉業成功なんて有り得ないと思うのですよ。
④夫婦の馴れ初め。バスの中での話が良かった。夫の幼少の頃の死を彷徨う程の重病、病気がちだったが それを克服しそして登山するまでに。この事を純子が素直に感動する所。素朴な人柄に惹かれる思いが良かった。
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今作の俳優陣は皆さん仲が良いようで それが絵の隅々まで出ていたかと感じます。これも吉永さん、佐藤さんの夫婦役の功績だと思います。
ラストカット ちょっとやり過ぎではと思いましたが、夫への想いとしてはこれで良いのだと受け取りました。
今月11月22日(良い夫婦の日)に鑑賞するにはオススメな一作
ご興味御座います方、ご夫婦、ご友人の方々
是非 劇場へお越し下さいませ!!
山に人生を捧げ、家族に愛された女性の半生
■ 作品情報
監督は阪本順治。主要キャストは吉永小百合、のん、木村文乃、若葉竜也、工藤阿須加、茅島みずき、円井わん、安藤輪子、佐藤浩市、天海祐希。脚本は坂口理子。原案は、女性で初めて世界最高峰エベレストの登頂に成功した登山家・田部井淳子のエッセイ『人生、山あり“時々”谷あり』。
■ ストーリー
登山家・多部純子(吉永小百合/青年期:のん)は、1975年にエベレストを制覇し、世界を驚かせた。しかし、その輝かしい偉業は、純子自身や夫の正明(佐藤浩市/青年期:工藤阿須加)、盟友である北山悦子(天海祐希/青年期:茅島みずき)ら家族や友人たちに、光だけでなく深い影ももたらすこととなる。物語は、登山家として、また母として、妻として、一人の人間として「てっぺん」を目指し続ける純子が直面する様々な問題や葛藤を描く。晩年には余命宣告を受けながらも、笑顔を忘れずに山に挑み続ける彼女の姿を通して、人生をかけて挑むことの意味を問いかける。
■ 感想
実在の登山家・田部井淳子さんをモデルとした、多部純子の半生を追体験する中で、エベレスト登頂という人類の偉業だけでなく、その後の人生を山に捧げ続けた彼女の生き様と、彼女を取り巻く人々との絆に心揺さぶられます。
特に印象的だったのは、純子の情熱を献身的に支え続けた夫・正明と子供たちの存在です。山への純粋な想いが故に、時に周囲が見えなくなってしまう純子を、温かく、そして強く支える家族の絆がひしひしと伝わってきて、後半は何度も涙があふれます。偉大な業績の裏には、かけがえのない家族の愛があったのだと、改めて実感させられます。
一方で、一つだけ腑に落ちなかった点があります。純子に対する世間の扱いに嫉妬し、距離を置く女性登山仲間たちの心情です。純粋に山を愛する気持ちがあれば、世間の評価やスポットライトの有無にかかわらず、仲間と共に困難を乗り越えた達成感だけで十分なのではないでしょうか。それでは満足できないというなら、それは山への愛より名誉欲の方が強いということで、それはそれで不自然なことではありません。いずれにせよ、そのあたりの心の機微をもう少し丁寧に描いてほしかったです。そうなれば、作品全体への共感度がさらに高まったかもしれません。
とはいえ、本作は単なる登山記録映画ではなく、一人の女性が山という壮大な夢を追い続け、その中で家族との深い絆を育んでいく、人間ドラマとして見応えがありました。田部井淳子さんの情熱と愛と生き様は、子どもたちにしっかりと伝わり、そこからさらに次の世代へと受け継がれていくように思います。
エピソードや話の軸のてんこ盛り
美談のフォーマットに安住した、惜しい“実話の再構成”
阪本順治監督と吉永小百合の再タッグという時点で、ある程度の品格と安定感は約束されていた。問題は、その“上品さ”がこの題材──女性として初めてエベレストに登頂した田部井淳子さんをモデルにした物語の持つ荒々しい実像を覆い隠してしまったことにある。本作は、実話をベースにしながらも主人公の名を「多部純子」と微妙に変え、脚色を施した「実話風フィクション」として成立している。だが、その“曖昧な立ち位置”こそが作品の強みでもあり、最大の弱点でもある。
まず本作は、登山映画というより“人生訓映画”として設計されている。頂上をめざす過程における技術や危険性はほとんど描かれず、焦点は「どう生きるか」「何を大切にするか」という普遍的な問いに置かれる。ここまでは理解できるが、問題はその問いを支える“現実の重さ”が、脚色によって軽くなってしまっている点だ。女性が山岳界で生きるということは、単に勇気や努力で乗り越えられるものではない。資金・差別・家族の犠牲という構造的な壁がある。それを曖昧なまま「心の強さ」の物語に変換してしまった時点で、現実の田部井淳子が闘った“時代”は消えてしまった。
加えて、家族の物語も浅い。夫や長女・長男の葛藤は多少のドラマはあれど、“理解ある家族”というテンプレートで処理され、彼らが背負った孤独や社会的摩擦はほとんど描かれない。つまり、主人公の栄光を引き立てるための背景装置に留まってしまっているのだ。観客が求めるのは「彼女が登った山」だけでなく、「家族が登った別の山」でもある。そこが描けていれば、物語はもっと立体的になったはずだ。
ただし、阪本監督の意図は理解できる。彼は“事実”よりも“意味”を撮る監督だ。山頂の向こうにあるもの──それは達成ではなく、孤独と静寂である。多部純子という仮名を用いたのも、実在の人物を守りながら「象徴的人間像」に昇華させるためだろう。つまりこれは、田部井淳子の伝記ではなく、“彼女の魂が宿る誰か”の物語なのだ。その詩的アプローチをどう評価するかで、この映画の印象は大きく変わる。
結局のところ、この作品は「実話をどう語るか」という永遠の課題に正面から挑んだ意欲作である。だが、挑んだ結果として“曖昧なフィクション”に留まった。観客は実話としての感動を期待し、映画は寓話としての普遍性を目指す。その乖離のまま終幕を迎える。もしこの作品が「頂上を超えてもなお登り続ける者の孤独」を描く詩として受け止められるなら、静かな余韻が残る。だが“実話の映画化”として観るなら、何かを語り残したまま終わった印象は拭えない。
期待しすぎたのか、凡庸な作品で失望。
やはり良くも悪くも、やはり吉永小百合は吉永小百合であり、のんはのんだった。そのためか、この二人の青年期から壮年期へのスムーズな流れが今ひとつだった。
あれだけ結束を誇った女性登山隊が、エベレスト登頂の後に仲違いして疎遠になるシーンは、おそらくそういうことが実際にあっただろうとは思うが、そこにリアリティが欠けているように見えてしまうのだ。
そして、なぜ“田部井”てはなく“多部”なのか。それが最初からずーっと引っかかっていた。
NHKの朝ドラもそうだが、なぜ“ラフカディオ・ハーン”ではなく“レフカダ・ヘブン”なのか。なぜ“やなせたかし”ではなく“やないたかし”なのか。
「この作品は実話ではなくフィクションだから」という理由は分からないではないが、何か釈然としないものが残る。
本来は⭐️2個といったところだが、80歳という年齢にも関わらず熱演をした吉永小百合に⭐️1個を捧げる。
やりたいことをやる
女神降臨
女性初のエベレスト登頂という、マコちゃんのような女性を、小百合ちゃんが演じています。
実際に和泉雅子がテレビドラマで演っていれば、なかなか良い作品になったかと思いますが、映画で吉永小百合が演じるとなれば、少々意味合いが違ってきます。
おそらく大抵の方は、映画ではなく吉永小百合を観にいらしているわけで、作品の出来不出来はオマケのようなものです。
肝心なのは、小百合ちゃんが我々の求める吉永小百合かどうかです。
今作のような個性的な女性は、素の小百合ちゃんに近いのかもしれませんが、世間一般の吉永小百合像とは違うかなと思いました。
何処か掴みどころのない、雲のような女性を小百合ちゃんは上手く演じていると思います。
かなり熱烈なファンは女優としての新境地を求めるのでしょうが、私のような不特定多数ファンは吉永小百合でいることだけを望んでしまいます。
映画の中の吉永小百合。
それは、筆舌に尽くしがたい辛苦を女神の微笑みで耐え忍んできた、古き良き時代の日本女性の鑑。
それ以外にはありません。
変に若作りして、普通のおばさんと呼ばれる女性を、吉永小百合が演じる理由が解りません。
実年齢と同じ役を演じれば、今でもこの世のものとは思えないほど美しいのです。
そして親友役に若い女優を配する理由も解りません。
松原智恵子だって、梶芽衣子だって、浅丘ルリ子だっているのです。
ルリ子さんが小百合ちゃんを見つめるシーンなんて、往年の映画ファンには涙無しでは観られないはずです。
とかなんとか言いつつ、前人未踏の記録を樹立し続ける小百合ちゃんを、我々は跪いて迎えなければなりません。
ファミリーヒストリー‼️❓素晴らしきかな人生‼️❓
優れた登山家が持つある種の無邪気さが上手く表現されていました
優れた登山家って結構身勝手で腹が立つことも多いけれど、何故か憎めないキャラが多い気がします。
8000メートル峰に極地法で登る以上、登頂者は氷山の一角、水面下にいて世間からは見えないメンバーの方が多くなることに改めて気付きました。それでも遠征費の負担はおそらく同額で、広江さんのやるせなさと、広江さんのやるせなさを思う純子さんのやるせなさに胸が痛みます。
それは純子さんの旦那さん然り。
佐藤浩市さんが演じたあのご主人はホントに凄いと思いました。
それだけの人にそう思わせる純子さんもまた凄い。
終盤の息子さんのセリフ
「どこの山に登ってんだよ。どこの山に誰と登ってんだよ。」
泣くところではないと思いますが涙が溢れました。
いろんな意味で諦めないことの大切さを改めて気付かされた作品でした。
てっぺんの向こうにあなたがいる
人生の“てっぺん”を越えたその先に、何が待っているのでしょうか?
ミスキャストだと思う
治療のための治療はしたくない
初めの登頂シーンで引っ掛かったのが白と黒のコントラストがきれいですだ、まだ薄暗かったからきれいに見えないだろと心が呟いた。前半は実際の田部井さんの映像をドキュメンタリータッチで紹介していたがあそこだけで言うなら女にも力があると誰も文句がつけれない形で世に知らしめた礎となった人と脳裏に浮かんだ。向こうに居たのが嫉妬や妬みかもしれない、けれどそれを許し合える伴侶や子供の存在が自分の支えとなったことを言いたかったのかなと浮かんだ。フィクションだけにガンの闘病と登山との兼ね合いに違和感を感じたが、富士山をまるで遠足のようにしたのは上手いと思えた。あれは現在の高齢化社会の医療現場の核心を突いた台詞だった。
田部井淳子さんの人生
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