「役に寄り添って滲み出る美しさ」てっぺんの向こうにあなたがいる コージィ日本犬さんの映画レビュー(感想・評価)
役に寄り添って滲み出る美しさ
友達や息子が離れていったという過去を持つ女性が、自分が大病を得て命を失うことを知ってから、家族の再生と世の中のために何かしたいという「新しい山」への挑戦をする姿を描いた作品となっていて。
その「離れる」というのが、日本のマスコミと、日本の女性たちの「精神的幼さ」に起因するのが、わかりすぎるほどわかって、心苦しく感じた。
F1や自転車ロードレースなどを見たことがあるとわかるんですが、1人の優勝は、チームの優勝なんですよね。
実は登山も、ベースキャンプ維持、登山に必要な道具の運搬がないと、登頂できない。
後の世には、機材の軽量化で「単独登頂」なんてできるようになっては行ったけれども、1975年なんて時代では、シェルパを含めて最低でも20名(下手すると100人近い)バックアップ体制は最低限の条件で、1人を押し上げるために全員の協力が必要だった。
逆に言えば、1人が栄光を独占すべきものではないのだが。
しかし、マスコミも世間も、登頂した人だけを讃え、賞を贈ったりする。
わかりやすい「象徴(シンボル)」「ヒーロー・ヒロイン」「見出し」を設定した方が、大衆に伝わりやすい側面はあるが、こういう偏った称賛の仕方は、正直マスコミの怠慢と無能と無知に起因する。
そして本来支え合ってきたはずの仲間たちの嫉妬。
ここが、あくまでも事実(モデル)をベースにした創作(フィクション)だからいいのだけれども、当時の隊員たちへの侮辱とも捉えられかねない微妙な内容まで踏み込んでいて。
様々なトラブルで機材が足りなくなり、複数人数での登頂が不可能になったとき、皆が「多部淳子隊長に任せた」と合意して送り出したのに、その淳子だけがちやほやされることに我慢がならなくなる他の隊員たち。
冷たく分析してしまえば、そこを我慢できず冷静さを保てないほどの理性のなさ、心の狭さ。
そういう「無知から生まれる称賛の偏りと、嫉妬を抑えられない心の狭さの露見」という日本人の悪癖がよく描かれていました。
そんな悪癖によって与えられた精神的苦悩を耐える姿を演じた吉永小百合さんが、その個性と相まって美しく見えました。
吉永さんって、不思議な方で。
加山雄三さんが何を演じても若大将だったり、木村拓哉さんが何を演じてもキムタクに思えるように。
その存在感と、観客や監督が「吉永小百合」像を押し出し求めるゆえに、何を演じても吉永小百合でしかない時が多いのです。
しかし、そんな吉永さんが役に寄り添って、「吉永小百合らしさ」を減らしたが故に、逆に吉永さんの役者としての良さ、個性がより鮮明になって、物語が輝くことが時々あって。
本作はそのパターン。
夫への深い愛情を持ち、生きることややりたいことに貪欲で悪気はなく、むしろ友達想いの人物であること。
そういう多部淳子の像を演じた吉永さんは、80歳を超えて、ますます美しいと感じさせてくださいました。
また、吉永さん演じる主人公の、若い頃をのん(=能年玲奈)が演じていて、それもまたよかった。
単純に似ている方というなら、今なら広瀬アリスや武井咲など、20代の頃の吉永さんに顔の造形が近い女優さんはいますが、好きなこと・やりたいことに全力でぶつかっていく登山家としてのエネルギーを演じるのは、のんが適役だったと、その配役の妙にも感心しました。
とはいえ、美化し過ぎじゃないかな?
この映画こそ「ヒロイン像」をねつ造していないかな?
という疑念もまた同時に生じてしまい、故に⭐︎の点数は少なめ。
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