「吉永小百合が演じる必然性」てっぺんの向こうにあなたがいる あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
吉永小百合が演じる必然性
田部井淳子の半生を描いたフィクションである。さすがに阪本順治の手腕で手堅くまとまっており130分の長尺でありながらあまり飽きることなく観ることができた。
時系列としてはおよそ3つに分かれる。最初は、女子登攀クラブからエベレスト登山隊が編成され1975年に田部井(映画では多部純子)が単独登攀に成功する、でも帰国してしばらくの間ゴタゴタがあるところまで。
2つ目は、80年代、90年代のこれは田部井の七大陸最高峰登攀時代にあたるが、息子進也(映画では真太郎)との軋轢や、北村節子さん(映画では北山悦子)との友情が描かれる。
3つ目は、純子が発病し、東日本大震災が起こって、純子が震災地の高校生の富士山登山事業を進めること、そしてそれには息子真太郎が協力する姿が描かれる。
脚本の編成上、やむを得なかったとは思うが、時間として一番長いはずの2つ目の時代が奇妙なまでカットされている。だから真太郎の子供時代の紹介が一切なく、配役の若葉竜也(好演)は高校生としていきなり登場する。真太郎がいみじくも母親に「だから人が離れていくんだよ」というのだがこれを説明する具体的説話が隠されているのだろう。おそらく、ここまで実在の人物が登場しながら、なおも仮名にせざるを得ないのは、遠慮しなくてはいけない事実があるからで、全てをフィクションというフィルターに通す必要があったのだろうと推測している。
つまり、この映画は田部井淳子という登山家の、エベレスト登頂と被災地高校生の富士山登山事業という2点のみをいいとこどりをした作品である。加えて、夫との長きにわたっての信頼関係と、息子との和解についても心温まる逸話として付け加えられている。
これは多分、吉永小百合のために準備された枠ぐみである。田部井淳子の物語に吉永小百合をキャスティングしたのではなく、吉永小百合ありきで企画は用意された。それ以外、この作品に吉永小百合が出演しなければならない理由はない。(評判が良かった「最高の人生の見つけ方」に続く天海祐希とのコンビという点はあったかも)そして吉永小百合が出演する以上、演じる人物の欠点は隠されなくてはならない。
今年80歳になる吉永小百合の若々しさは驚くべきものでありコンディションを整えるためにおそらくなされているであろう努力には敬意を表する。
でも別に上手くもなく、どんな役を演じさせても吉永小百合本人にしかならない、つまり説得力もない俳優が、映画界の「てっぺん」を取り続け、接待しているとしか思えない作品が次々と作られることには違和感を覚える。
コメントありがとうございました。
吉永小百合さんはいつまでもきれいでかわいくて立派ですが、天海祐希さん主役でカッコいい映画作ればいいのに、と思ってしまいます。
田部井淳子さんは、私はこの映画で批判されるような古い時代の男なので好きになれなかったんです。
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