「頭の良い人は「感情をコントロールして仕組みを作る」ということがよくわかる映画でした」バーラ先生の特別授業 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
頭の良い人は「感情をコントロールして仕組みを作る」ということがよくわかる映画でした
2025.4.22 字幕 アップリンク京都
2019年のインド映画(134分、G)
実在の教育者ランガイヤ・カデルラの体験をベースに描く教育啓発映画
監督&脚本はベンキー・アトゥルーリ
原題は『Vaathi』で「Sir(先生)」という意味
物語の舞台は、2000年のインド南部のヴェールール
そこで高校生活を営んでいるアビー(Sathvik Varma)はつまらない授業に嫌気が差し、ゲームで時間を潰すほどだった
ある日のこと、祖父ブーパティ(ラージェンドラン)のビデオショップが売りに出されることになり、アビーと友人たちは店の片付けをすることになった
古めかしいカセットなどが山積みになっていたが、その戸棚の奥に頑丈なケースに入っていたビデオを発見してしまう
アダルトビデオだと思って映像を見ることになったアビーたちだが、そこに映っていたのはある講師の授業のビデオだった
しかもわかりやすく説明されていて、アビーはこの人に学べば今習っているところも簡単にクリアできると考えた
そして、貸出カードに書かれていた名前(A・M・クマール、演:スマント)の人物を探すことになった
なかなか手掛かりが掴めなかったが、ある人物から「それはカダパの役所にいる」と聞かされる
A・M・クマールはカダパ県の行政長官になっていたが、彼がその講師ではなかった
クマールはその男を「恩師」と言い、彼が行なった教育改革の馴れ初めを話していくことになったのである
クマールが教育を受けたのは1993年のことで、インドは近代化に向けて突き進み、教育もビジネスと化し、公立よりも私立に行く人間が増えていった
私立に入るために多額の資金を用意できる親は良いが、普通以下の国民は私立に入ることができなくなっていた
さらに高い給与を求めて教師も私立に行くようになり、公立は教師不足から閉校に至るところも増えていた
そんな折、私立協会の会長でもあるティルパティ(サムドラカニ)は「公立に私立の教師を派遣する」という方策を打ち出す
それは、私立も公立も授業料を一本化するという法案が出ていて、それを阻止するために「表向きの公立支援」を打ち出したのである
そして、チョーラワラムの村にある公立高校に、バーラ(ダヌシュ)という若い教師が派遣されることになった
バーラはティルパティに対して大見得を切り、ティルパティも「君の担当教科で生徒が良い成績を上げたら正規教員にしてやる」と約束をすることになった
だが、バーラの派遣された高校では学校に通うよりも生活のために働かざるを得ない子どもがいて、到着日は村長のパーンディヤン(P・サイ・クマール)の一声で集まったものの、翌日には誰も来なかった
その後バーラは、再び村長に村人たちを集めさせ、ある偉大な科学者の話をする
それによって、子どもを学校に行かせる親が殺到し、ようやく授業を行うことができた
だが、村ではいまだにカースト的な考えが浸透していて、カーストの違う生徒は同じ教室に入って、隣に座ることは許されなかったのである
映画は、実在の人物をベースにした物語で、「Kaderla Rangaiah」という教育者のエピソードを基にしている
インドのテランガナ州の公立高校にて生徒の学力向上のために尽くした人物で、2021年にはインドの全国最優秀教員賞に選出されている
ランガイヤ先生は自腹を切って高校を改装し、文学士号を持っている妻のヴィーナさんをボランティアとして授業の補助を行なった
当初54人の生徒も5年で280人にまで増え、保護者と慈善家の支援を受けて、多くの物品の購入ができるようになったとされている
本作では、そのさわりであるインド工科大学の試験(JEE-MainもしくはJJJ Advanced)に向かう様子が描かれていて、そこで受け持ちの45人+1人が合格をした、という流れになっていた
様々な脚色がなされているが、本作のメインは「ティルパティの強欲を利用した安価な教育改革」の部分であると思う
ティルパティの協会から派遣された教師によって合格を成し得たという事実はあるものの、様々な妨害工作を行なった挙句に手柄を横取りしようとしていた
だが、バーラはそれすらも看過し、「サインをしろ」と動揺する生徒たちに伝える
彼は「立派な地位について、同じように子どもたちに教えなさい」と解き、それこそが真の目的であることを伝える
一代限りの奇跡では意味がなく、教育とは永続的にそのシステムが機能する必要があり、褒賞は後からやってくる
まさに先見の明がある施作を実現させるのだが、様々な妨害工作というものが通信教育の下地を作っているところも面白い
映画は、教育には金がかかるという洗脳を行なってきたティルパティが、強欲を利用すれば無償で教育ができるという洗脳に打ち負けるという内容になっている
ある意味、この構造は教育の無償化的な要素を持っていて、私立が広告に使うための費用(映画では各家庭に拠出するお金)によって、次世代の公立の無償化が進んでいることになっている
あくまでもティルパティが面目を保つために拠出しているのだが、それらは全て私立に通っている生徒の親が肩代わりしていることになっている
この構造は決して世には出てはならないが、ティルパティも広告のために買収していることを知られたくはないので、ある種のWin-Winに見える
そう言った意味も含めて、頭の良い人は「仕組みを作る」のだなあと、関心させられるのである
いずれにせよ、ここまでのことをモデルの教師がやったわけではないが、インドの現在の教育実情を踏まえて設定に落とし込んでいるのだと思う
富裕層の強欲と見栄を逆手に取って行くことになるのだが、現実ではこうも簡単には騙されないように思う
だが、試験の上位45人が同じ公立の出身者であるという実績は私立にとっては将来を突き崩す要因にもなっているので、そうせざるを得ない部分もある
バーリ先生はそれすらも読み切って生徒たちにメッセージを送っているので、彼が私立の経営を行えば、もっと格差が広がるのではないか、と思った
彼がそっち方面に行かなかったのは恩師アンサーリ(ハーリッシュ・ペーラディ)のおかげなのだが、彼がその方針でバーラ先生に教育を行なったからこそ、優秀な生徒が生まれたとも言える
映画のタイトルは「先生」という意味で、バーリ先生にもその言葉が当てはまるが、源泉を辿ればアンサーリに送られる言葉なのかな、と感じた