ファーストキス 1ST KISSのレビュー・感想・評価
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全てのマンネリ夫婦に捧げる最高のラブストーリー
今一番面白い脚本家・坂元裕二と今をときめく監督・塚原あゆ子が初タッグを組んだオリジナル恋愛映画。これは絶対面白いだろうと、期待して映画館に足を運んでも、決して裏切られることのない安心感。素敵なMOVIX DAYを過ごすことができます☺️
驚くべきは、若い頃の松たか子さんの透明感。松村北斗くんとの年齢差18歳を全く感じさせません。誰がどう観てもお似合いの夫婦に見えるのが素晴らしい。そしてさすがヤマザキ春のパン祭りを四半世紀にわたり請け負ってきた松たか子さん!朝はパンがお似合いなんです♪
元ジャニーズには、二宮和也さんや岡田准一くんなど、俳優として頭角を表すアイドルグループの方が沢山いますが、今を代表するアイドルグループでまさに俳優として頭角を表しているのが、SixTONESの松村北斗くん。昨年の映画「夜明けのすべて」では、数々の賞を受賞しており今後ますますの活躍が期待されています。彼は作品にも、共演者にもいつも恵まれている気がします。
そして何より、作品として完成度が高いのは、松たか子さんと松村北斗くんの圧倒的ナチュラルな演技力によるものでしょう。いい意味で、顔も演技も個が立ちすぎていないので、観る側はすんなり物語に集中できるのです。ストーリーは、これまでの坂元ワールドを打ち破るタイムスリップ系?!これを不快と思う方は、評価は若干低いかもしれませんが、私は素直に面白かったです。
どんな夫婦でも思い返せば、
好きで一緒になったハズ。
「恋愛」は、いいとこ探しで
「結婚」は、嫌なとこ探しなんて
そんな寂しいことは言わないで
もう一度思い出そう!あの頃を🙄
全てのマンネリ夫婦に捧ぐ
最高のラブストーリーの爆誕です♪
鑑賞後久しぶりに旦那と手を繋いで帰った
結婚して⚫︎年、付き合い当初のトキメキや、お互い良いところしか見えなかったあの頃はとっくに終わった。そんな夫婦に特にオススメしたい。刺さると思うし自分ごとのように思って見れると思う。
私は正直恋愛映画が得意ではなく、キュンよりも照れくさいが先にきてしまい、基本ゆるい涙腺も、恋愛シーンになると固く絞まってしまう。
なので『花束みたい〜』はあまり刺さらなかった。
けれど今作は違った。純粋な自分が久しぶりにムクっと起き上がったみたいにキュンとして、感動して、最後は泣いてしまった。素直に2人が素敵だなと思った。そして夫婦生活の初心に戻れた。
これは脚本やカメラワークだけではなく、松たか子さんと松村北斗くんの演技の力も大きいと思う。
見る前は多少歳の差の違和感とか無理感を感じるかなと思ったらとんでもない。もしこれが別の人が演じていたら、カンナは若作りイタいおばさんになっていたかもしれないし、駈は少女漫画実写化歳下男子になっていたかもしれない。
けれど2人のとても自然体で、感情を滲ませるような演技がめちゃくちゃ良かった。
ビジュアル面でも、20代の肌艶編集加わった松たか子さんは、昔のドラマの頃のようでめちゃくちゃ綺麗だったし、40代の松村北斗くんのメイクも自然で驚いた。
台詞回しは坂元節はありつつも『カルテット』や『大豆田とわ子』よりはマイルドで、ロマンチック度が上がった感じ。好きな人はコレコレーってなるやつ。
またもう一度見たくなる、素敵な夫婦再生物語でした。
そいつ、おばちゃんのこと、好きなんだよ
日本映画界のヒットメイカー、といつの間にか言われるようになった塚原あゆ子監督。正直、「わたしの幸せの結婚」(’23)とドラマ「海に眠るダイヤモンド」しか観ていないが、TVドラマの経歴は長い。「わたしの」「海に」を観る限りは、主人公を際立たせる、という最大の要求をきっちりこなしつつ、世界観のバランスを崩さない、という、結構難しいことをこなす方だな、という印象。
だがちょっと悪く言うと、演出の強弱が見る側にあまり感じることがなく、ストーリーの弱い部分は補えず、観る側におっと思わせるストーリー展開であっても、決めどころがさらっとしすぎるため、どこかもやもやが残る、カタルシスを得るところまでには到達せず、キャラと演者の力のおかげで、面白かったね、という作品が続いている印象。力業でねじ伏せる、強弱でインパクトを与える、という点が1本の映画では必要だが、話が途切れ、視聴者側にリセットがかかる「ドラマ」はそれが必要ない。そういうことだ。
もちろん、キャラと演者で映画は成り立つ、を持論とする名監督もいるわけで、そこから先はある意味ないものねだりや、好みの問題だ。
そこにかつて「トレンディ・ドラマ」で名を馳せた坂元裕二の脚本とのタッグ。オレは「花束みたいな恋をした」(’21)はあんまりかってなくて、近年の「怪物」(’23)は観ていない。そもそも塚原監督は今や名脚本家と言われる野木亜希子氏とともにキャリアを築いてきた人だ。
なので、塚原さんと坂元さんの初タッグという話題性には特に惹かれることはないのだが、本作を初日に鑑賞したには訳がある。
タイムリープ。
これです。現在の日本の映画界最高峰とされる、スタッフ、キャストでのこの題材。「オール・ユー・ニード・イズ・キル」(’14)がこの題材の最高峰としているメンドクサイおっさんが本作を鑑賞。
「ファーストキス 1ST KISS 」
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タイムスリップする方法や帰ってくる方法は、まあ、いいです。気にしては本作、その時点で楽しめなくなる。
問題なのは、同じ時間にしか帰れない、そうではない、が結構あやふやで、「何度やっても失敗する」という悲壮感が薄すぎる。「最愛」の旦那を絶対に死なせない、という理由ではないので、危機感はどうでもいいことではあるが、終盤の写真の枚数の積み重ねがただの枚数でしかなくなる。(積み重ねを写真で、というのは上手いんですけどね。)
また、積み重ねはおばちゃんの方であり、若い旦那は「いつだって」初めてなのに、話の展開が積み重ねあっての心情の変化に見えるのも強引。ただし、演者の松村さんはそのことが分かっているかのようで、いつだって「初めて」の演技をしているのは素晴らしい。
しかし、いろいろ欲張っているものの、ストーリーの緩さと演出の強弱がないため、なんだが、「あえて」中途半端な形で終わらせようとしている感がある。完成までに時間がなかったのか、という風には思える。それともタイムスリップものに腰が引けたのかな。
腰が引けた感は、偶然靴下にくっついたポストイットで終わらせにかかるところなんかもそうだね。
なんだか、演者の力と、坂元脚本の「例の」会話のやり取りで作品できました!ってな風にみえすぎちゃって、今回特にセリフに押しつけがましさが目立ち、見どころである会話劇もオレはノれなかった。
ひねくれたおっさんはやっぱり観てはだめだな。
予告では、おばちゃんが、死んだ旦那の若いころの時代にタイムスリップし、死なないように手を打つが、青年旦那におばちゃんのほうを好きになる、という、言うまでもなく「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の例の展開が想起される。
おばちゃんが若いイケメンの子に好かれる、というのはこれはこれで立派なネタだ。そして本作の話の原動力は間違いなくそこである。
だがおばちゃんと若いイケメンの子が結ばれる、という表立って熟年層のおばちゃんが「ムフフ」というような映画にできなかったのは、死んだ旦那の死因がああいったもののため。
松さんと松村さんの「1ST KISS」で満足できればいいが。
死んだ旦那の死因の設定がこの映画の最大の欠点。この死因でなければ、もっと面白くなったかと思うし、日常の尊さのテーマと旦那の決意が飛躍しすぎるので、正直その設定は不快だった。
松さんも、独り言がおおく(もちろん、孤独感、イタイ感もあるが、タイムスリップの説明をさせる言い訳でもある)なに、このおばさん?というウザイ役も素晴らしい。
だが、オレが一番面白かったのは、かき氷の並びのところで、後ろの人に「そいつはおばちゃんのこと、好きなんだよ」と「モブ」に言わせる点。ここ最高だった。
追記
stではなくて、STなんだね。ST(大文字)は「本当の初めて」ではないよ、という意味なのかもしれない。でもターゲット層にはシンプルにアピールしたいから、「本題」「副題」として、「1ST」を入れたのかな。
トータルとしては、ゆるい感はあるが、「ターゲット層へ向けた」という意味では非常に「欲張り」な作品になっており、結果、塚原あゆ子監督らしい「お客さんを呼べる」娯楽作品に仕上がっているのは、いい意味で、演者の力で作品を持たせた、ということできっちり仕事をこなした、という点で素晴らしかった。
追記2
全く余談。
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」がいつも同じ時点にタイムリープするが、うまいのは、前任者がいて、理解、協力する存在、その人がうまく機能(美しい女性に主人公を殺させて、タイムリープしなおす)していた点。
そういう意味では、森七菜さんや吉岡里帆さんをそういう存在にしてもよかったんじゃないかな、と思ったが、主人公2人の「セカイ」だから、難しいところだ。
追記3
おっと、忘れていた、ヴィルヌーブの「メッセージ」(’16)。
冒頭に、それらしいナレーションはあり、本人はそれでいいかもしれないが。
タイムトラベルの掘り下げ不足を感じるも「会話劇で魅せる不思議なラブコメ映画」としては十分面白い。
本作は、会話劇が楽しく、ベースの完成度は高いと思います。ただ、会話がリアリティーを醸し出しているぶん、タイムトラベルという非常に「特異」な設定については受け止めが分かれるところ。個人的には以下の2点がマイナス要素に。
1点目は、松たか子が演じる妻は、とても論理的な人物として描かれていて作品の魅力を高めて良いと思います。
その一方で、「タイムトラベル」についての根本的な考察がほぼ抜けていた点は不自然に思えました。高速道路を走り、たまたま「15年前の2人が出会う直前の場所」にタイムトラベル。ただ、どうやって現代に戻るのか? 戻った際の時間はどのくらい過ぎているのか? 再びタイムトラベルできたら、いつのどの世界に移動できるのか?
このような初歩的な大前提について、せめて「東京リベンジャーズ」くらいの最低限の考察は劇中で欲しいところでした。
2点目は、妻が15年前の過去に何度も行き、松村北斗が演じる夫の将来に変化を与える設定は面白さを生んでいます。それなのに、終盤での夫は、2つの可能性のうちの「片方だけ」を前提にしていて、論理的に必然性が欠けているように思えました。
以上のような特異な設定に起因する不自然さも見られますが、「会話劇で魅せる不思議なラブコメ映画」と割り切って見れば、十分に面白い映画です。
松たか子に惚れ直す
坂元裕二ファンです。
ウィットに富んだ会話劇を楽しめたらいいな、くらいのつもりで来たら、ラストの展開に涙させられ、じんわりといい余韻の中で帰ることができました。
●良かった点
-松たか子
カンナが魅力的なキャラクターだ、ということがこの映画に没入できた原動力になったと感じた。
間の抜けた愛くるしさと真っすぐな行動力をあわせ持つカンナの人間性を、松たか子の表情、特に黒目を大きく使う演技がより立体的なものにしていたと思った。犬にまみれるシーンはじめ、随所のコメディエンヌぶりもさえ渡っていた。
15年前のカンナもキレイだったし、若い頃の松たか子のビジュアルを思い出させて感慨深かった。
-最後の展開
この展開は予想がつかなかった。
数あるタイムトラベル映画の中でも見たことのない個性的なプロットで、かつそこにこの映画の最大のメッセージが詰まっていて、脚本を思いついたときは痛快だったろうなと思った。
-吉岡里帆
どちらかいうと王道よりも少しズレた感性の役柄がハマり役になる女優さんだと感じていたが、今回もカルテットに続き坂元裕二の描くズレた吉岡里帆はよかった。
●タイムトラベルの設定
特に気にならなかった。
初回の往復で細かな説明がなかった時点であまり深く考えないでいいんだなと感じたのと、メインプロットに引き込まれたのでそちらに注意がいくヒマがなく見終えられて、ラッキーだったかもしれない。
時を超える餃子と想い
会話劇の楽しさ反面、心が躍らない結末
夫婦で観たい作品
チェキは時代を超える
過去にもどってトライ&エラーを繰り返すSF恋愛映画。塚原あゆ子氏と板元裕二氏という職人コンビ、巧いのはもちろん、アートなおごりがないので見やすかった。
松たか子さんがきれいだった。実年齢は2025年時点で48歳。松村北斗さんは30歳。現在のカンナ(松たか子)が過去の硯駈(松村北斗)に出会うというプロットゆえに年の差でキャスティングされているが、それでもあまり年の差を感じないカップルだった。
頻繁に過去に行き、失言や失策のたびに「やりなおします」と言ってループするのはgroundhog dayというよりHappy Death Dayの印象で、それを考えるとHappy Death Dayはgroundhog dayを「何度もやり直す過去」という汎用なコンポジションに落とし込んだと思う。Happy Death Dayはなんていうか気軽にgroundhog dayを使っていいという不文律を布いた。
ループものはなぜそうなっているのかという科学的根拠や理屈を説明すると物語が失速する。なぜかそうなっていて、ループすることでなんらかの結論へもっていけばいいのであり、ループによらなければ物語にならないが、かといってループ自体に重要性はない。
じっさいに坂元裕二氏は『これってもしかしたらタイムトラベルをしなくても、自分たちの気持ちや行動でやり直していけるんじゃないだろうか、と映画を観た人に感じてもらえればいいなと思いながら脚本を書いていた』と語ったそうだ。(fromウィキ)
結果ループ構造は背景のように後ろへ引いて、同氏脚本の「花束みたいな恋をした」のような真摯なラブストーリーになった。あるいは岩井俊二のラストレターのような印象もあった。
groundhog dayが言いたいのは己の日常を愛しなさいor足るを知りなさいということだ。
groundhog dayでビルマーレイが酔客に説教されるシーンがある。
「(半分飲んだビールジョッキを指しながら)このグラスを見て「もう半分しかない」と見るか「まだ半分もある」と見るか、あんたは「半分しかない」っていうほうだな」
これは、もう半分しかないと落胆するより、まだ半分もあると思って明るくしていなさいという既に陳腐化した自己啓発の教訓だが、ようするに日常を生きていて、つまんないとか、いやだとか、面白くないとか、金がないとか腐ってばかりいれば、腐ったなりの人生にしかならない。そんな態度でいたら、また同じ一日がまた繰り返されるだけだ、とgroundhog dayは言っていて、じっさいにフィル(ビルマーレイ)が、明るく積極性と協調性をもってイベントgroundhog dayと町民に関わるまで、ループは止まらない。その基調理念がファーストキス1STKISSにもある。
ファーストキス1STKISSは何度やり直しても硯駈がしんでしまう結果は変わらないのだが、しかしループによってカンナと硯駈の意識が変化し、ふたりで過ごした月日がかけがえのないものに変わる。物語ではそれがタイムトラベルによってもたらされるが、いみじくも板元氏が言ったように『タイムトラベルをしなくても、自分たちの気持ちや行動でやり直していける』ということをサジェストしてもいたと思う。だから狂言回しとなるループが悪目立ちせず「花束みたいな恋をした」のような純粋なラブストーリーが浮き彫りになった。さすが板元裕二脚本だった。
セリフでは「ここ結婚してます」がいちばん笑った。
「15年後は世の中どうなってんの」という質問に対しての「人がね、なに見ても聞いても「やばい」しか言わなくなってる」というセリフは、ボキャブラリーの魔神である板元裕二氏が、現代人を評した実感にも感じられた。
役者ではチェキ娘と少年のコンビがよかった笑。
おじさんこそ観るべし
今年2月公開、予告編を何度も映画館で観たけれど、恋愛と死をテーマにしたものということで「ああ、またね」みたいな感じでスルーしていた。
映画をたくさん見た最後の夏休みの最終日、もう見るものがないと思った中で、見てみようかと思ったのは菊川の映画館Strangerにまだ行ったことがないからだった。ちょうど1日の計画上時間もよかった。
鑑賞に先立って調べてみると、『花束みたいな恋をした』の坂元裕二が脚本。この映画も全く興味がそそられなかったのだけれど、好きなラジオ番組でプチ鹿島さんが「おじさんこそ観るべし」と力説していたので見てみた。
恋愛ものというだけで、甘々な世界を想像していいやと思ってしまうのだけれど、とても面白く、脚本の凄さには舌を巻いた。
あとビジネス書に関わる仕事をしている身としては、彼女から見た彼が「ビジネス書を読むようなつまらない人間になってしまった」という描写が妙に引っかかったこともあって印象に残る映画だった。
さて本作である。何度か泣かされた。はずかしい。
タイムトラベルもの、パートナーの死の克服という陳腐、だからこそ難しいテーマを予想の150%上をいく描写の連続で見せられたすごい脚本。オリジナル脚本だから、もうこの人の本でやるということだけで、名作佳作保証付のような脚本家なのだろう。
僕の最後の夏休みのテーマはメメントモリだった。最後というのは、もう直ぐ定年だからだ。本当は業務委託で残るつもりだったのだが、2ヶ月ほど前、退職を決め、自分の専門性でやってきた職業自体もこれで終わりにすることにした。
あと2ヶ月で終わりだと決めてから、不思議なもので、仕事のアイデアもどんどん湧いてくる。一緒に仕事してきた後輩たちに何かを残したい気持ちも強くなる。本を読んでも、映画を見ても、深く味わえる。何だか世界の見え方が変わってしまったような感じなのである。
リアルな死ではないけれど、職業人としての死の日程が決まり、そのカウントダウンの中で日々を過ごしているから起きていることだと思っている。
あまたの哲学者や思想家たちがさまざまに語る「死を想え」の正体とはこれだったのかと思う日々である。
そして、この映画、まさにそのメメントモリ的生き方を描いた映画でもあった。ニーチェの永劫回帰を現代的物語にしたらこうなると言ってもいいだろう。
坂元はもちろんニーチェやさまざまな死の哲学も消化して、この見事な物語を描いたのだと思った。
しかしこの映画のタイトルは何だろう。『ファーストキス』なんてタイトルつけられたらおじさんは見れないではないか。
でも、観終わって、このタイトルでいいとも思う。この場面に向かう一連のエピソードは年齢を超えた愛の話でもあり、おじさんにはそういうのは嬉しいのである。
松たか子は先日見たこの夏1番の映画「夏の砂の上」の名演に続いて、全く違う方向性の役柄なのにもう素晴らしいの一言。何でもできちゃう天才なんだろうか。
坂元裕二さんの次回作も楽しみで仕方ない。
すごく面白くて、感動した
硯カンナ(松たか子)と硯駆(松村北斗)
の2人が合っていて、笑い泣きできる映画でした。
そしてこの映画はカンナが駆の事を思って
何度もやり直すところが
また良かったです。
2人のコミカルな部分が笑えるポイントでした。
そして自分が泣いたシーンは
最後の手紙のシーンです。
今まで(やり直したこと)の事があったから
今の幸せな結婚生活を遅れたんだなぁ
と思ったのと同時に、駆が結局
結果は変わらなかったけど
最初の時とは全然違い
自分の事だけではなく、カンナの事も考えながら
15年間を過ごしていってたので
そこも感動しました。
松たか子と松村北斗の2人の演技が
すごく良かったけど
松村北斗の演技力はすごいなぁ~と
改めて思いました。
この映画はあまりにも面白く、はまって
3回観に行きました。
なおかつもう一度見たかったけど
上映が終了してしまいました。
そして興行収入も28億を記録し
2025年邦画実写ランキングで国宝に次いで
2位です。
それだけ人気があり、評価が高いと言うこと
ですね。
自分も、もう一回映画館で観たいなぁ…
と思いました。
タイムループの体裁で描かれる、大人のラブストーリー
脚本は坂元裕二、主演は松たか子。
この実績ある名コンビに、いま話題の塚原あい子監督が加われば、面白くなるに決まっている。
物語は冒頭からテンポよく進み、観る者をすぐに物語の中へ引き込んでいきます。
ただ、どんなに松たか子が奮闘しても、物語が最終的に“あの場所”に帰着することは、観ている側には分かっている。
その前提のなかで過去パートを追うという構造には、どこか切なさが伴います。
坂元裕二らしいユーモアもたっぷりで、思わず笑ってしまう会話劇も健在。
けれど、その軽やかな笑いの奥には、いつも「痛み」が控えていて、ふとした瞬間に胸をチクリと刺します。
それがこの作品の持つ、不思議な魅力でもあります。
終盤では、おばさんになった松たか子と、若き日の松村北斗が交わす会話がとても印象的。
ファンタジーという設定を通して、人生の“答え合わせ”がなされるような場面です。
ここは、おそらく誰もが一度は願う「反省会」のような時間。
まさに、観る者の心に深く刺さる名シーンです。
そして迎えるラストは、大人のラブストーリーとしての静かな着地。
ビターでほろ苦く、それでいて心に温かさを残します。
人生の記憶や後悔と、そっと重なり合うような。
見終わったあとに、ふわっと清々しい気持ちになれる──そんな一本でした。
坂元裕二脚本「ファーストキス 1ST KISS」ラブコメとしてもタ...
餃子うまいかしょっぱいか
この映画の中で、女優松たか子が29歳と45歳の同一人物を演じているのだが、これが不思議とというよりまったく違和感がないのである。おそらくCG加工が施されているのだろうが、ネット上では「『ラブシェネ』の理子が蘇った」と結構な話題になったようなのである。シワだらけになったベテランのハリウッド女優が、20代の頃のピチピチ素肌を取り戻すYOUTUBEのCG動画なども観たことがあるのだが、ことデジタル世界における生成AIの進化には驚きを隠せない。
線路に落ちた赤ちゃんを助けるために自分が犠牲になってしまった硯駈(松村北斗)。妻カンナ(松たか子)との夫婦仲は完全に冷めきっていて、夫婦のベッドは別々、その朝もカンナは夫の用意した離婚届にサインをしたばかりだった。仕事途中首都高を車で走行中、ひょんなことから二人が出会った15年前の結婚式場にタイムリープしたカンナは、夫の命を救うため過去をなんとか変えようと奮闘するのだが….
いわゆる歴史改変ものにジャンル分けされる本作のストーリー、古くは『BTF』や『バタフライ・エフェクト』、同じ過去の同一地点に何度もタイムリープさせられる設定は、『恋はデジャブ』や直近の『パーム・スプリングス』などでもお馴染みで、特段目新しくもなんともない。過去に滞在できる時間や回数制限などリープルールについての説明も皆無なため、SFとして観たらハッキリいってポンコツだ。
脚本を担当した坂元裕二が、ほぼ同時期に発表した『片思い世界』と何かしら関係があるのかと思いきや、共通するのはSFという映画のジャンルだけである。既存のラブストーリーに行き詰まりを感じた脚本家が、柄にもなくパラレルワールドやワームホールなどを使って、現実逃避してみせたSFラブストーリーなのだろうが、どうもおさまるべきところにおさまっていない気がするのだ。
二人が出会ったその日に何か別の行動をとれば駈の命を救えると考えたカンナだったが、結局駈の死という同じ結末に行きつくことを知ったカンナは、ついに…多分坂元裕二は、過去を変えても未来が変わらないのであれば、今この時を精一杯生ききるしかない、という仏教的な結論に思いいたったのではないだろうか。なぜなら、人間が影響を与えることができるのは、過去でも未来でもない“今”この瞬間だけだからである。
本作にはまた、2人が行列にならぶかき氷や、3年待ち餃子なる人気グルメが、重要なアイテムとして登場する。そういえば主演2人の芸名にも“松=待つ”が頭につくわけで、お目当てのかき氷や餃子に実際ありつけた瞬間(未来)よりも、それらを待ち続ける過程(現在)の方がより幸福度が高いという、クンデラかクッツェーが何かの小説で書き示した真理とも一致するのである。
しかしながら、若かりし時のCGカンナのインパクトがあまりにも強すぎて、未来よりも過去が大切という誤った印象を観客に与えてしまっているのだ。致命的な演出ミスといえるだろう。15年後の将来を知って生き方を変えた“過去”の駈、的確なアドバイスをくれる“現実”主義者の後輩(森七菜)、駈を失ったことを“未来”永劫引きずりそうな里津(吉岡里帆)。クリスマス・キャロルの精霊たちを模したサブキャラ設定も、観客には伝わりにくいだろう。(3年待ちの🥟に涙しただけで)現実のカンナの姿に見た目ほとんど変化が感じられないからである。
ここではないどこかにいるわたしへのメッセージ
わたしたち(わたし?)がタイムリープという物語をこよなく愛するのは、いまここのパッとしないわたしではなく、ここではないどこかにいるわたしに出会える奇跡を夢想するからだと思います。
でも、この映画は、タイムリープをしなくても、その奇跡を起こせる方法があることを教えてくれます。
少しテンポがズレている松たか子さんが、限りなくチャーミングです。
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