ファーストキス 1ST KISSのレビュー・感想・評価
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結果より過程が大事...
1.日本教育の内容だった
2.給料上がんないけど「一生懸命やれば幸せになれるよー」と言われている感じ
3.世界は結果を変えようと動いているのに...
4.これでは日本は他国に...
5.松さんや北斗さんの演技は良かったので星三つ
6,なんかプロパガンダ映画っぽい
7.結果(老後?)なんか変わらないから死ぬまで働いて充実感?を得れば?年金払わなくて良いしっと言われている感じ
8.やり直した時何故子供つくんなかった?
9.日本はやりがい詐欺だ
10純粋な若い頃見てたら5点満点?
11.そりゃ若い旦那に何回もあっていればトキメキも持続する
12.若い旦那も自分の未来とか言われたら改心するわな
13.結果、わかっちゃいるけど...って感じ
14.若い松さんは可愛かった
15.松さん若いと思ってたけど、15年前と比べると...
16.そして北斗さんは令和の稲垣吾郎だ!
思っていた以上にコメディ要素が有った
タイムリープ物が普及して、見慣れてきたので、タイムリープ自体のそれっぽい科学的説明に時間を取らなくてよくなりましたね。
それで、タイムリープ物って、その状態を脱出する事とか出来事を変える事を目的に行動し、それを観る映画が多いですよね。
この映画のカンナの行動もこのパターンです。
対して、タイムリープ物の少数派として、『君が落とした青空』の原作(映画は×)や『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』の様に自分自身を変える事に重きを置く作品も有ります。
この映画での駈は、自身はタイムリープしなくても、こちらのタイプです。
『コーヒーが冷めないうちに』の塚原監督、こちらの方が得意なんじゃないかな。
このタイプの作品の良作は、観た人が例えタイムリープが出来なくても、心構えを少し変えてみようという気にさせる力が有ると思います。
そして、この映画は意外とコメディ要素が有るんです。これが良かった。
松さんの演技力も有るんでしょうけど、コメディタッチのお陰で、過去に戻ったカンナがチャーミングに見えるの。
カンナがもう一度恋をして、駈が初対面のカンナと恋に落ちるのが、この映画の重要な部分だから、カンナが魅力的に見えないと成り立たないんですよね。
それから、教授の娘かわいいなと思ったんですよ。
後で確認したら吉岡里帆さんだった。
言われてみれば、確かに吉岡さんなんだけど。
今の吉岡さんがヒロインをやる恋愛映画が観てみたくなりました。
夏に公開予定の池田千尋監督のは、そうなのかな?
人を大切にしたくなる映画
「愛とは何か」を静かに問いかける作品。
松たか子演じる主人公は、ずっと夫のことが好きであり続ける。離婚前に夫に先立たれた彼女の視線の奥には、一途な愛と切なさが宿り、思わず胸が締めつけられる。
この映画の魅力は、ただの恋愛にとどまらず、「人を大切にすること」の意味を教えてくれる点にある。
長い結婚生活を幸せに続けるには、
互いに思いやりを持つことが何よりも大切。
時には言葉足らずだったり、すれ違ったりすることもある。それでも「相手を大切に思う気持ち」があれば、
きっと乗り越えていけるのだと思わせてくれる映画だった。
人生は選択の連続であり、
どの道を選ぶかによって未来は変わる。
しかし、どんな道を選んでも、
そこに「愛」があれば後悔はしないのかもしれない。
観終わった後、改めて大切な人に優しくしたくなる。
そんな余韻が心に残る、温かくも切ないラブストーリー
餃子
この映画を見れて良かったと思います。
言葉の選び方が綺麗だなと感じました。
好きで始まった事が嫌いになって終わってしまう事は確かにあり、好きにならなければ良かったと感じてしまう事かあります。。
私は、この映画は好きにならなければ良かったの考え方を変えてくれる映画だなと感じました。
冒頭の餃子でその対比を綺麗にしてるようにも感じました。
始まりの餃子は、嫌な事を消す為の餃子
それはきっと、臭いものに蓋をする蓋の役割だったのかもしれません。
でも物語を通した後の終わりの餃子は、思い出を閉じ込めたタイムカプセルみたいなものだったと感じました。
過程が違うからそんな事当たり前だろと思うかもしれませんが、始まりと終わりはどっちも同じなのです。
違いは知っているか、気づけているかです。
スタートとゴールは変える事はできなくても、道のりはいくらでも選べる当たりのことかもしれませんが、慣れてしまっている小さな幸せに気づき積み重ねることが、好きにならなけれは良かったを幸せだったに変えられる魔法なのかもなと感じました。
晩御飯は餃子食べようかな。
序盤は正直退屈
登場人物に何の思い入れもない序盤でいきなりあの暴走は、正直言って『なんだコイツら…』という感じだった。餃子火にかけたままその場から離れるし、常識はずれな行動はとるし、不愉快のレベル。
起きてることに対する詳しい説明も無いまま、とんでもない事に巻き込まれるので、心の中でツッコミ入れつつ、なんとか関心を切らさないように見ていた。
時間軸がどうなってるかわからないが、少なくとも過去への行き来は数日間の間に複数回に分けて行われていた。日中仕事しながら夜はアレだと寝不足も尋常じゃなかったのではないかと。
まぁ物語としてはある意味落ち着くべきところに落ち着いたのだと思う。死人がよみがえる、というか今回のように『死ぬべき(死ぬことが既に起きた)人間』がその運命をねじ曲げて、無事生き続けるような展開を、最近はあまりしない気もする。だが、個人的には理屈が無理のない範囲であれば、無事生き延びてハッピーエンドがベストな展開なので、そこは残念なポイント。
だっていうなれば、未来から来た自分の妻から全てを聞いて、全てを承知で15年という月日を生きてきて、起こることが分かっていて妻が一人残されることを分かっていても、結局は言われていたとおりに、自分の命を赤の他人のためになげうったのだから。あれだけ愛していると言っていた妻の優先順位は何も変わらなかったわけで、そこがなんだか腑に落ちない。
あとは最後、不仲にならず終わった世界線の硯カンナ(B)と、過去に何度も足を運んでいた当初から出ていた硯カンナ(A)は別物なのかと思うので、結局Aの方はその後どうなったのかと気になるところ。
それにしても最近の技術はすごい。演者の年齢なんてどうにでもごまかせるほど、若返らせることも老けさせることも可能なのだから。
SF的な解説は重要ではない
映画館を出た直後に、2人の女性客が「ラストの意味がわからない」「辻褄が合わない」「伝えたいメッセージが分からない」と感想を伝え合っていた。
自分はラストは旦那さん視点で「やり直した15年」を描いたのだと解釈しました。
確かに主人公視点が描かれていないことでスッキリしない部分はあります。現代に戻った主人公にはどんな結末が待っていたのかわからないので。
過去に介入して書き換えられた歴史は、主人公の記憶に上書きされない事は、繰り返したタイムリープから分かっているので、幸せな15年の記憶を持つ事は出来ないだろうと想像しました。いわゆるパラレルワールドですね。
ただ、同じように彼からのメッセージを受け取ることが出来たのではないかと、そうであって欲しいと願いました。
この映画が伝えたかったメッセージが何かと言うことより、この映画から自分が受け取ったものは、「大切な相手には思いやってコミュニケーションを取ること」の重要性でした。
さすがの坂元脚本✨会話劇を楽しむラブコメ♡
坂元脚本、、、控えめにいっても最高でした♡
恋人とは、良いところを見つけあい褒め合う、、、
夫婦とは悪いところを探し出し、つつきあう、、、
そんな夫婦が死をきっかけにタイムリープしてみつめ治し、、、という感じ、、、
坂元さんで、タイムリープ、、、最初想像がつかなかったのだけど、旦那さんの靴下はいちゃったり、かき氷屋さんの列の後ろの人達のお話とか、、、とにかく会話劇が面白くかなり楽しめました✨
タイムリープする前に頼んだ餃子とタイムリープ後の餃子の違いにキュンでした♡
まだまだしかけが散りばめられていそうなのでもう一度みたいです✨
冷め切った夫婦より、冷めかけたまだ修復可能なご夫婦で見にかれるのが良いのかな♡
松たかこさんの、演技は安定の面白さで、相手役の松村北斗くん、あまり期待してなかったけど、とても上手でした!
お互いの好きな所を発見し合うのが恋愛。嫌いなところを見つけ合うのが結婚
まず僕の持論として、家族や恋愛系の日常の物語に、ファンタジーを取り込んだ作品は、作り方を間違えなければ大抵良い感動作が出来上がると言うのがある。いま、会いにゆきます然り、ぼくは明日、昨日のきみとデートする然り。それは現実では難しい設定の調整弁になり、非日常要素が適度な刺激になる。そしてタイムトラベル系は何らかの別れが必ずついてくるからだと思っている(但し、失敗すると、話がよく分からなくなったり、設定の不整合が目立って内容に集中どころじゃなくなる)。今回はその要素を織り込んだ設定で、坂元さんと塚原さんがタッグを組んだ作品。どんなふうに料理するのかと楽しみだった。
結果、タイムトラベルの設定は微妙だったが、そこは怒涛の展開で押し切っているのと、メインメッセージはそこではなく、あくまでタイムトラベルは伝えたい事を支える重要な小道具でしかない、そこよりも本筋に目を向かせるような作りになっていて、大して気にならなかった。
内容はと言うと、坂元さんは相変わらず夫婦に対する表現が妙を得て、感慨深い。最高の離婚や大豆田とわこのように。塚原さんは飽きさせない怒涛の展開(ちょっとラストマイル的な)と、そうは言っても大事なところで入れてくる緩急が絶妙。そして、変わらず様々な設定と細かい伏線。
松たか子さんはわちゃわちゃした感じが似合うし、若い頃はこう言う喧嘩が多かったなと思わせる(あの艶肌はどうやって出したのか?本当に20代に見えました)。松村北斗君は初めて観たが、とてもこの役に合った演技だと思った。でも、松たか子さんがインタビューで毎回、「とても輪郭がはっきりした人」と言っているから、実際は違うのかも知れない。そうだとするとあの雰囲気を良く出せたなと感心する。
ロープウェイの映像は綺麗だった。演技者たちの佇まいも。
作品中の台詞、「お互いの好きな所を発見し合うのが恋愛。嫌いなところを見つけ合うのが結婚」は、結婚の名言集に出てきそう。恋愛結婚の夫婦の倦怠期なら、また昔に戻ろうと思い、お見合い結婚の夫婦の倦怠期なら、少し相手に優しくしようかと思うのではないかと思いました。そして、この作品では…。ネタバレになるから書きませんが、終わりの駆の振る舞いに隠された思いを想像すると涙が止まらない。話の4分の3は松さんがわちゃわちゃしてストーリーを進め、最後の4分の1の北斗君のターンが話をとてもしっかりとしたものに落ち着かせてくれる。建築物の基礎のように。そして、彼の言葉や気持ちを理解できるように。
良い作品でした。
タイトルなし(ネタバレ)
結婚から15年。
カンナ(松たか子)と夫・駈(松村北斗)の夫婦、はじめは睦まじかったが、冷え冷えとした関係になってしまった。
離婚届を夫が持って出た日に、駈は人命救助のための事故で死んでしまう。
それからしばらく後、大きな地震があり、首都高走行中のカンナがトンネルを抜けた先は、15年前、駈と出逢った夏の日だった。
もしかしたら、彼のバイアス・思い込みを変えれば、彼を救えるかもしれないと考えたカンナは・・・
といった物語は、使い古されたタイムリープもの。
愛する人を過去に戻って救いたい・・・のようにみえるが、脚本の狙いはそこにない。
花束みたいな恋をした』同様、腐ってしまう花束にも、輝いた花束の時があった・・・みたいな物語。
うまく行かなかった結婚生活、タイムリープという驚く事件に遭遇し、うまくいかなくなる以前に立ち戻れて・・・
この前半のカンナが冷めきった夫・駈と再び出逢い、「うわぁ、いい人…」と思い直すあたりが好き。
このあたりのカンナの心理は、
「好きではなかった人を喪い、悲しいとかそういうのではなくて、自己を責め、何か埋めることはできないか」という理由なき贖罪なのか・・・
しかしながら、現在に戻って来ても、過去に戻って再び浮き立つ自分を抑えられない・・・みたいな。
が、そう描かれてもおらず。
ただただ「この人、救いたい」ゲームみたいになって、あまり面白くない。
このゲーム性要素高いエピソードは笑うに笑えず(といっても少し笑ったが)。
最終的に、しあわせな夫婦生活を送ることになるのだが、
あれれ? 心変わりは、過去の経緯から夫・駈だけで、妻・カンナはそれを知らない・・・
(夫側から変わることが重要です、と説いているのかもしれないが)
カンナが、消し忘れた電気を消すシーンなどが欲しかったかなぁ。
(つまり、妻側も変わったのよ、を示すシーンも必要)
このように脚本に穴があり、致命的穴は、映画のほとんどがカンナの視点なのに、最後の最後は夫・駈の視点になってしまう。
これはご都合主義。
過去が変わったので未来もその途中も変わるわけだが、変わった中でもカンナの一貫性が必要。
個人的には、現在に戻って来たら、しあわせな生活になっていた・・・
が、その大半は忘れていた。
腐った花束みたいな毎日だったかもしれないが、意外といい夫婦生活だった。
部屋中央の螺旋の洗濯物干しに、しあわせな時間の記録が残っていた。
15年のエピソード。
初めは密に、後には疎らに。
でも、しあわせな夫婦生活だった・・・
な、ややビターテイストも含めての感じで。
死ぬか死なないか、結果がすべて・・・ではない物語は良い。
が、物足りないなぁ、という感じでした。
少しウルルと来たけれど。
やや変わった問題提起型の映画にも思える、おススメ。
今年57本目(合計1,599本目/今月(2025年2月度)20本目)。
作品の問題提起としては、結婚してある程度盛り上がったけど、年を重ねるなどして「飽きてしまった夫婦」に起きる摩擦などをどう解消していくかという観点において問題提起型なのだろうというところはすぐわかります。
一方で、ストーリー展開は2024年だったかの「ペナルティループ」(タイムループもの)に近く、その作品が「花言葉」(→アイリスの花言葉を知らないと理解が難しくなる)であったのに対し、こちらは映画内では誘導はされますが、ある程度生物(せいぶつ)用語が飛んできますので(作内で、研究している、という設定のため)、そこがある程度ポイントかな…と思います。
問題提起型の映画で見るもよし、ある程度の謎解きを含むペナルティループもののタイムループものの映画と見るもよし、複数の見方もできるという事情もあって、本作品は押せるかな…といったところです。
あえて気になる点もなくはありませんが(後述)、この点については後述します。
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(減点0.5/事務管理を(本人または夫婦のもう一方が)取り消せるか)
※ 事務管理と無権代理の論点(固定幅0.3扱い)含む
事務管理は、不当利得・不法行為と並んで、特定の条件を満たすと勝手に発動する、分類としては「法定債権」と呼ばれるものになります。また、学問上、事務管理(697条)は準法律行為とされ、そこに取消し・無効などの概念はないものとされます(ただし、強迫されて無理やり行わされる事務管理のように、管理者(事務管理を行う人をいう)にそもそもその意志がないか「やる気がない」場合にまで取り消せるか、というと微妙なところがある。日本ではこの点、最高裁判例はなく地裁判例すらきわめて少ない)。この映画も、駅で落ちそうになっている人を助ける行為は事務管理(この映画の場合、緊急事務管理)に当たるところ、それを夫婦のもう一方が(タイムループを使って)取り消せるか?という解釈にすると微妙なところがあります(ただ、この点を突っ込めるのは法学部以上の出身か、法律系資格持ちの2パターンか)。
そのため、観方によっては解釈がヘンテコであったり、いつも書いている通り、事務管理と無権代理の関係(管理者にあらゆる代理権が与えられているわけではないので、勝手に第三者と契約を結ぶなどしても本人には当然に帰属しないので、表見代理が成立しないなら無権代理になるといういつもの論点←こちらは最高裁判例がある)があり、かなり解釈が微妙な気がします。
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恋愛の鮮度をいかに保ち愛を熟成させるか
「崩落事故でカンナは亡くなっている」もう一つのストーリー
タイムリープの設定が腑に落ちなくて2度鑑賞し、2度目の鑑賞で標題の「崩落事故の段階で、カンナは死んでる」説に立ったもう一つのストーリーを考えるようになりました。「これが正解」というつもりはなくて、作中で「ミルフィーユのように時間が成立」しているように、この映画自体も複数のストーリーを許容する重層的な作りを意図して作られているのではないかと想像しています。
「なぜそう思うか」を、つらつらと書いていきます。
まず、三宅坂JCTで崩落事故に遭遇したカンナの車はコントロールを失い、横滑りしています。迫りくる障害物に恐怖するカンナの顔が映された後、衝撃音とともに暗転。そこで過去にタイムリープします。どうみても無傷ではすまない状況ですが、トンネルを抜けたカンナは無事。車も傷一つない。アナザーストーリーを想像するきっかけは、このシーンの不自然な演出。(もしかしてカンナはここで死んでる…?)と思い始めたことが理由です。
では、トンネル事故後に展開されるストーリーは何かというと「カンナが死の間際に見る予知夢」なのではないでしょうか。自分が生きていたら体験したかもしれない「希望的な未来」を、事故に巻き込まれたカンナが臨終間際に走馬灯のように見た。この解釈に立つと、いろいろ言われている時空の設定上の矛盾も、タイムリープも「夢」ということで説明がつきます。
この「死の間際に見る予知夢」のプロットは、古くはアンブローズ・ビアスの短編小説「アウルクリーク橋の出来事」で描かれています。これは絞首刑に処される男が主人公の話。男は処刑のために首に縄を結ばれ、橋の上に立たされています。いざ処刑が執行され橋から落とされるのですが、運よく縄が切れて助かります。上から射撃されたりしながらも、命からがら川を泳ぎ切り家へたどり着きます。そこで妻がやさしく手を広げて自分を迎えるのが目に入る。「なんて幸せな人生なんだ」と実感したその瞬間、男は首に強い衝撃を感じて絶命するというストーリーです。本当は縄は切れておらず、橋から落ちて縊死するまでのわずかの時間に、もしかしたら起こりえるかもしれない未来を、まるで本当に起こったことのように幻想して死ぬ男の不思議な物語です。ネタバレになりますが、映画「ジェイコブス・ラダー」や「ルル・オン・ザ・ブリッジ」でもこのプロットは使われています。
このプロットをうかがわせる要素がいくつか本作に散りばめてあります。
例えば、駈の研究テーマであるハルキゲニアのラテン語の意味は「夢想」です。上下左右が逆転するこの生物の学術的な発見エピソードは、「夫婦生活は視点を変えることで不幸を幸せに変えることができる」といった含蓄のようにも思えますが、他にも様々な解釈が成り立ちいまいちピンときません。ここは「カンナの予知夢」を暗喩する存在としてのハルキゲニアだったのではないでしょうか。
同じような暗喩がもう一つ。主人公の名前は「栞奈」や「環奈」ではなくカタカナのカンナです。カタカナで書くカンナは南米原産の花の名前でもあります。この花の花言葉は「妄想」。さらに赤いカンナは「堅実な最期」です。臨終の際に駈との堅実で幸せな生活が実現した様子を夢に見て、安らかに眠りにつく。そんなストーリーを演じる主人公だからカンナという名前なのかもしれません。
カンナが駈とかき氷屋に並んでる場面で、駈は地球の歴史と比較して「人の一生なんてチュンという間に終わってしまう」と語ります。このセリフは、映画冒頭の電車事故のシーンでも駈のモノローグとして流れます。まるで「これから描かれるストーリーは、カンナが死の間際に見るチュンという間のできこと」と暗示しているように感じます。
もう一つ、カンナが過去に戻った際に「森林からカンナを見ている鹿」が何度か登場します。鹿はシシ神と呼ばれ、生命与奪の力をもつといわれています。死の間際にいるカンナを見守る存在として、鹿を登場させているのではないでしょうか。
要所要所で登場するチェキで撮影する2人の子供の存在も謎めいていて、まるで冥府からの使いのようにも思えます。
他にもあるかもしれませんが、これらの要素からだけでもこの映画が「カンナが臨終間際に見ている夢」である解釈を許容できそうな気がします。
最後に、このプロットのみで成立する一つの幸せな結末について書いてみます。
多くの方が指摘しているように本作は時間軸の設定があいまいです。(だから予知夢のプロットが成立する隙があります)前半で不幸な結婚生活の描写があり、終わりに幸せな結婚生活が存在するような演出から、複数の時空が存在するマルチバース(多元的宇宙)のようでもあります。また、森七菜演じるカンナの同僚が「過去も未来もミルフィーユのように存在している」とブロック宇宙論らしき解説をしてくれます。このように複数の宇宙理論が登場するため観客を混乱させますが、トウモロコシや非常ベルのエピソードが描いている通り、過去に干渉すると未来が変わる同一時間軸上のユニバース(一元的宇宙)が一番しっくりきます。
では、ユニバースだった場合どうなるか?映画の最後に描かれる「幸せな結婚生活を送った硯夫妻の世界」では、私たちが感情移入していた、何度もタイムリープして駈を救おうとするカンナは存在しません。駈が亡くなった後、未亡人として生きるカンナの人生が続きます。離婚するほどの関係であっても、自分を残して死んだ駈を恨んで(想って)いたカンナです。まして、幸せな生活を送ったカンナが駈を失った喪失感に耐えられるでしょうか?映画で描かれた後の時間は、カンナにとってとても悲しいものになりそうです。
マルチバースでは、過去を変えても、そこから分岐した別世界の未来が作られるため、元のカンナがいる世界は変わりません。トウモロコシや非常ベルのエピソードが成立しないので、理論的な説明ができず、無理くり結果を想像してみると、最後のタイムリープの延長線にある未来は、上に書いたユニバースと同じ結果になります。一方で、最後のタイムリープで自分の素性を明かして若い駈との幸福な時間を過ごしたカンナは、元の世界へ戻ります。元の世界では、遺影の駈は難しい顔をしているし、離婚届を書いた事実はそのまま。餃子も焦げています。タイムリープで若い駈と過ごした思い出が生きていく励みになるかもしれませんが、経験していない幸せな結婚生活を実感することはありません。
タイムリープするカンナが幸せを実感できるとしたら、不幸な結婚生活の後に過去へ戻り、若い頃の駈に影響を及ぼし、その先の未来で幸せな結婚生活が実現するという一連の流れを「映画の観客のように見届ける」ことでしか達成できません。
「夢」の話にもどります。このプロットを採用すると、本作はメタ構造になります。本作の主要パートである三宅坂の事故後のストーリーはすべてカンナの夢。私たちは夢を見ているカンナを鑑賞していることになります。この視点の構造的な変化は、カンナは「私たちが鑑賞している映画」と同じ情景を「夢」として見ていることを意味します。まるで映画の観客のように一連のストーリーを見届けているわけです。そして私が(おそらく多くの方が)本作を見て感じたように、満ち足りた感情を持って幸せのまま天に召されるわけです。
他の予知夢落ちのストーリーでは、最後に主人公がすでに死んでいる情景を見せて落ちを明かしますが、この映画ではそれがありません。そう描くことでストーリーが固定化してしまい、重層的に解釈する楽しみがなくなるのを懸念して、このラストになっているのだとしたら、まさに今、私はその楽しみをしみじみと味わっています。いい映画でした。
45歳のカンナは幸せな人生を過ごせただろうか
何度も未来を変えようと頑張った45歳のカンナは、最後のタイムリープを終えた後、かけるの愛を感じて幸せに生きることができただろうか、と想いを馳せてしまう。
未来を知ったかけるとの幸せな夫婦生活は、実感することはないながらも、かけるが過去を明るいものに塗り替えてくれた痕跡をたどりながら、幸せに生きたことを願いたい。あの手紙の本当の意味を理解できるのは、45歳のカンナなのだから、きっと大丈夫だったと思いたい。
あいさつは大事
妻と一緒に見に行けばよかったなと思いました。なにせ別行動なもので。。。
男女で受け止め方が異なるかもしれないですね。わたしはカケルが生き続ける未来のカンナが見たかったです。
いちばん大切なことと 譲れないこと
タイムリープものなんだけど、理論とか不思議な現象とか考えさせない、必然とさえ感じるストーリー運び。コメディを観ているみたいだけど切なさが増していく、笑いつつ何か期待させるスクリーン展開。こんなにしつこくやり直して、撮影自体も何回何パターン撮ったのだろう。重ねていくカットは気持ちの焦りが募って行くようでこちらも引き込まれる。坂元裕二脚本作品の松たかこは、本当に最高で、コメディエンヌなのだけど、切なくて、笑わせるけど泣かせる。15年前の彼と現在の彼女が本音を話し合うシーンは名シーン。やられました、完全に夫婦の会話になっているところに胸が熱くなりました。元々価値観が違う2人は最後まで守りたいものが違っていた、しっかりと練られたお話に、涙しつつ清々しい気持ちになれた名作です。
花江夏樹、あの声やはりそう?妙な扮装してた男の子なのか、確認出来なかったからもう一度見ようかな、きっともう一度見ても見飽きない作品でしょう。
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