ファーストキス 1ST KISSのレビュー・感想・評価
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鑑賞後久しぶりに旦那と手を繋いで帰った
結婚して⚫︎年、付き合い当初のトキメキや、お互い良いところしか見えなかったあの頃はとっくに終わった。そんな夫婦に特にオススメしたい。刺さると思うし自分ごとのように思って見れると思う。
私は正直恋愛映画が得意ではなく、キュンよりも照れくさいが先にきてしまい、基本ゆるい涙腺も、恋愛シーンになると固くしまってしまう。
なので『花束みたい〜』はあまり刺さらなかった。
けれど今作は違った。純粋な自分が久しぶりにムクっと起き上がったみたいにキュンとして、感動して、最後は泣いてしまった。素直に2人が素敵だなと思った。そして夫婦生活の初心に戻れた。
これは脚本やカメラワークだけではなく、松たか子さんと松村北斗くんの演技の力も大きいと思う。
見る前は多少歳の差の違和感とか無理感を感じるかなと思ったらとんでもない。もしこれが別の人が演じていたら、カンナは若作りイタいおばさんになっていたかもしれないし、駈は少女漫画実写化歳下男子になっていたかもしれない。
けれど2人のとても自然体で、感情を滲ませるような演技がめちゃくちゃ良かった。
ビジュアル面でも、20代の肌艶編集加わった松たか子さんは、昔のドラマの頃のようでめちゃくちゃ綺麗だったし、40代の松村北斗くんのメイクも自然で驚いた。
台詞回しは坂元節はありつつも『カルテット』や『大豆田とわ子』よりはマイルドで、ロマンチック度が上がった感じ。好きな人はコレコレーってなるやつ。
またもう一度見たくなる、素敵な夫婦再生物語でした。
そいつ、おばちゃんのこと、好きなんだよ
日本映画界のヒットメイカー、といつの間にか言われるようになった塚原あゆ子監督。正直、「わたしの幸せの結婚」(’23)とドラマ「海に眠るダイヤモンド」しか観ていないが、TVドラマの経歴は長い。「わたしの」「海に」を観る限りは、主人公を際立たせる、という最大の要求をきっちりこなしつつ、世界観のバランスを崩さない、という、結構難しいことをこなす方だな、という印象。
だがちょっと悪く言うと、演出の強弱が見る側にあまり感じることがなく、ストーリーの弱い部分は補えず、観る側におっと思わせるストーリー展開であっても、決めどころがさらっとしすぎるため、どこかもやもやが残る、カタルシスを得るところまでには到達せず、キャラと演者の力のおかげで、面白かったね、という作品が続いている印象。力業でねじ伏せる、強弱でインパクトを与える、という点が1本の映画では必要だが、話が途切れ、視聴者側にリセットがかかる「ドラマ」はそれが必要ない。そういうことだ。
もちろん、キャラと演者で映画は成り立つ、を持論とする名監督もいるわけで、そこから先はある意味ないものねだりや、好みの問題だ。
そこにかつて「トレンディ・ドラマ」で名を馳せた坂元裕二の脚本とのタッグ。オレは「花束みたいな恋をした」(’21)はあんまりかってなくて、近年の「怪物」(’23)は観ていない。そもそも塚原監督は今や名脚本家と言われる野木亜希子氏とともにキャリアを築いてきた人だ。
なので、塚原さんと坂元さんの初タッグという話題性には特に惹かれることはないのだが、本作を初日に鑑賞したには訳がある。
タイムリープ。
これです。現在の日本の映画界最高峰とされる、スタッフ、キャストでのこの題材。「オール・ユー・ニード・イズ・キル」(’14)がこの題材の最高峰としているメンドクサイおっさんが本作を鑑賞。
「ファーストキス 1ST KISS 」
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タイムスリップする方法や帰ってくる方法は、まあ、いいです。気にしては本作、その時点で楽しめなくなる。
問題なのは、同じ時間にしか帰れない、そうではない、が結構あやふやで、「何度やっても失敗する」という悲壮感が薄すぎる。「最愛」の旦那を絶対に死なせない、という理由ではないので、危機感はどうでもいいことではあるが、終盤の写真の枚数の積み重ねがただの枚数でしかなくなる。(積み重ねを写真で、というのは上手いんですけどね。)
また、積み重ねはおばちゃんの方であり、若い旦那は「いつだって」初めてなのに、話の展開が積み重ねあっての心情の変化に見えるのも強引。ただし、演者の松村さんはそのことが分かっているかのようで、いつだって「初めて」の演技をしているのは素晴らしい。
しかし、いろいろ欲張っているものの、ストーリーの緩さと演出の強弱がないため、なんだが、「あえて」中途半端な形で終わらせようとしている感がある。完成までに時間がなかったのか、という風には思える。それともタイムスリップものに腰が引けたのかな。
腰が引けた感は、偶然靴下にくっついたポストイットで終わらせにかかるところなんかもそうだね。
なんだか、演者の力と、坂元脚本の「例の」会話のやり取りで作品できました!ってな風にみえすぎちゃって、今回特にセリフに押しつけがましさが目立ち、見どころである会話劇もオレはノれなかった。
ひねくれたおっさんはやっぱり観てはだめだな。
予告では、おばちゃんが、死んだ旦那の若いころの時代にタイムスリップし、死なないように手を打つが、青年旦那におばちゃんのほうを好きになる、という、言うまでもなく「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の例の展開が想起される。
おばちゃんが若いイケメンの子に好かれる、というのはこれはこれで立派なネタだ。そして本作の話の原動力は間違いなくそこである。
だがおばちゃんと若いイケメンの子が結ばれる、という表立って熟年層のおばちゃんが「ムフフ」というような映画にできなかったのは、死んだ旦那の死因がああいったもののため。
松さんと松村さんの「1ST KISS」で満足できればいいが。
死んだ旦那の死因の設定がこの映画の最大の欠点。この死因でなければ、もっと面白くなったかと思うし、日常の尊さのテーマと旦那の決意が飛躍しすぎるので、正直その設定は不快だった。
松さんも、独り言がおおく(もちろん、孤独感、イタイ感もあるが、タイムスリップの説明をさせる言い訳でもある)なに、このおばさん?というウザイ役も素晴らしい。
だが、オレが一番面白かったのは、かき氷の並びのところで、後ろの人に「そいつはおばちゃんのこと、好きなんだよ」と「モブ」に言わせる点。ここ最高だった。
追記
stではなくて、STなんだね。ST(大文字)は「本当の初めて」ではないよ、という意味なのかもしれない。でもターゲット層にはシンプルにアピールしたいから、「本題」「副題」として、「1ST」を入れたのかな。
トータルとしては、ゆるい感はあるが、「ターゲット層へ向けた」という意味では非常に「欲張り」な作品になっており、結果、塚原あゆ子監督らしい「お客さんを呼べる」娯楽作品に仕上がっているのは、いい意味で、演者の力で作品を持たせた、ということできっちり仕事をこなした、という点で素晴らしかった。
追記2
全く余談。
「オール・ユー・ニード・イズ・キル」がいつも同じ時点にタイムリープするが、うまいのは、前任者がいて、理解、協力する存在、その人がうまく機能(美しい女性に主人公を殺させて、タイムリープしなおす)していた点。
そういう意味では、森七菜さんや吉岡里帆さんをそういう存在にしてもよかったんじゃないかな、と思ったが、主人公2人の「セカイ」だから、難しいところだ。
追記3
おっと、忘れていた、ヴィルヌーブの「メッセージ」(’16)。
冒頭に、それらしいナレーションはあり、本人はそれでいいかもしれないが。
タイムトラベルの掘り下げ不足を感じるも「会話劇で魅せる不思議なラブコメ映画」としては十分面白い
本作は、会話劇が楽しく、ベースの完成度は高いと思います。ただ、会話がリアリティーを醸し出しているぶん、タイムトラベルという非常に「特異」な設定については受け止めが分かれるところ。個人的には以下の2点がマイナス要素に。
1点目は、松たか子が演じる妻は、とても論理的な人物として描かれていて作品の魅力を高めて良いと思います。その一方で、「タイムトラベル」についての根本的な考察がほぼ抜けていた点は不自然に思えました。高速道路を走り、たまたま「15年前の2人が出会う直前の場所」にタイムトラベル。ただ、どうやって現代に戻るのか? 戻った際の時間はどのくらい過ぎているのか? 再びタイムトラベルできたら、いつのどの世界に移動できるのか?
このような初歩的な大前提について、せめて「東京リベンジャーズ」くらいの最低限の考察は劇中で欲しいところでした。
2点目は、妻が15年前の過去に何度も行き、松村北斗が演じる夫の将来に変化を与える設定は面白さを生んでいます。それなのに、終盤での夫は、2つの可能性のうちの「片方だけ」を前提にしていて、論理的に必然性が欠けているように思えました。
以上のような特異な設定に起因する不自然さも見られますが、「会話劇で魅せる不思議なラブコメ映画」と割り切って見れば、十分に面白い映画です。
タイトルなし(ネタバレ)
結婚から15年。
カンナ(松たか子)と夫・駈(松村北斗)の夫婦、はじめは睦まじかったが、冷え冷えとした関係になってしまった。
離婚届を夫が持って出た日に、駈は人命救助のための事故で死んでしまう。
それからしばらく後、大きな地震があり、首都高走行中のカンナがトンネルを抜けた先は、15年前、駈と出逢った夏の日だった。
もしかしたら、彼のバイアス・思い込みを変えれば、彼を救えるかもしれないと考えたカンナは・・・
といった物語は、使い古されたタイムリープもの。
愛する人を過去に戻って救いたい・・・のようにみえるが、脚本の狙いはそこにない。
花束みたいな恋をした』同様、腐ってしまう花束にも、輝いた花束の時があった・・・みたいな物語。
うまく行かなかった結婚生活、タイムリープという驚く事件に遭遇し、うまくいかなくなる以前に立ち戻れて・・・
この前半のカンナが冷めきった夫・駈と再び出逢い、「うわぁ、いい人…」と思い直すあたりが好き。
このあたりのカンナの心理は、
「好きではなかった人を喪い、悲しいとかそういうのではなくて、自己を責め、何か埋めることはできないか」という理由なき贖罪なのか・・・
しかしながら、現在に戻って来ても、過去に戻って再び浮き立つ自分を抑えられない・・・みたいな。
が、そう描かれてもおらず。
ただただ「この人、救いたい」ゲームみたいになって、あまり面白くない。
このゲーム性要素高いエピソードは笑うに笑えず(といっても少し笑ったが)。
最終的に、しあわせな夫婦生活を送ることになるのだが、
あれれ? 心変わりは、過去の経緯から夫・駈だけで、妻・カンナはそれを知らない・・・
(夫側から変わることが重要です、と説いているのかもしれないが)
カンナが、消し忘れた電気を消すシーンなどが欲しかったかなぁ。
(つまり、妻側も変わったのよ、を示すシーンも必要)
このように脚本に穴があり、致命的穴は、映画のほとんどがカンナの視点なのに、最後の最後は夫・駈の視点になってしまう。
これはご都合主義。
過去が変わったので未来もその途中も変わるわけだが、変わった中でもカンナの一貫性が必要。
個人的には、現在に戻って来たら、しあわせな生活になっていた・・・
が、その大半は忘れていた。
腐った花束みたいな毎日だったかもしれないが、意外といい夫婦生活だった。
部屋中央の螺旋の洗濯物干しに、しあわせな時間の記録が残っていた。
15年のエピソード。
初めは密に、後には疎らに。
でも、しあわせな夫婦生活だった・・・
な、ややビターテイストも含めての感じで。
死ぬか死なないか、結果がすべて・・・ではない物語は良い。
が、物足りないなぁ、という感じでした。
少しウルルと来たけれど。
恋愛の鮮度をいかに保ち愛を熟成させるか
「崩落事故でカンナは亡くなっている」もう一つのストーリー
タイムリープの設定が腑に落ちなくて2度鑑賞し、2度目の鑑賞で標題の「崩落事故の段階で、カンナは死んでる」説に立ったもう一つのストーリーを考えるようになりました。「これが正解」というつもりはなくて、作中で「ミルフィーユのように時間が成立」しているように、この映画自体も複数のストーリーを許容する重層的な作りを意図して作られているのではないかと想像しています。
「なぜそう思うか」を、つらつらと書いていきます。
まず、三宅坂JCTで崩落事故に遭遇したカンナの車はコントロールを失い、横滑りしています。迫りくる障害物に恐怖するカンナの顔が映された後、衝撃音とともに暗転。そこで過去にタイムリープします。どうみても無傷ではすまない状況ですが、トンネルを抜けたカンナは無事。車も傷一つない。アナザーストーリーを想像するきっかけは、このシーンの不自然な演出。(もしかしてカンナはここで死んでる…?)と思い始めたことが理由です。
では、トンネル事故後に展開されるストーリーは何かというと「カンナが死の間際に見る予知夢」なのではないでしょうか。自分が生きていたら体験したかもしれない「希望的な未来」を、事故に巻き込まれたカンナが臨終間際に走馬灯のように見た。この解釈に立つと、いろいろ言われている時空の設定上の矛盾も、タイムリープも「夢」ということで説明がつきます。
この「死の間際に見る予知夢」のプロットは、古くはアンブローズ・ビアスの短編小説「アウルクリーク橋の出来事」で描かれています。これは絞首刑に処される男が主人公の話。男は処刑のために首に縄を結ばれ、橋の上に立たされています。いざ処刑が執行され橋から落とされるのですが、運よく縄が切れて助かります。上から射撃されたりしながらも、命からがら川を泳ぎ切り家へたどり着きます。そこで妻がやさしく手を広げて自分を迎えるのが目に入る。「なんて幸せな人生なんだ」と実感したその瞬間、男は首に強い衝撃を感じて絶命するというストーリーです。本当は縄は切れておらず、橋から落ちて縊死するまでのわずかの時間に、もしかしたら起こりえるかもしれない未来を、まるで本当に起こったことのように幻想して死ぬ男の不思議な物語です。ネタバレになりますが、映画「ジェイコブス・ラダー」や「ルル・オン・ザ・ブリッジ」でもこのプロットは使われています。
このプロットをうかがわせる要素がいくつか本作に散りばめてあります。
例えば、駈の研究テーマであるハルキゲニアのラテン語の意味は「夢想」です。上下左右が逆転するこの生物の学術的な発見エピソードは、「夫婦生活は視点を変えることで不幸を幸せに変えることができる」といった含蓄のようにも思えますが、他にも様々な解釈が成り立ちいまいちピンときません。ここは「カンナの予知夢」を暗喩する存在としてのハルキゲニアだったのではないでしょうか。
同じような暗喩がもう一つ。主人公の名前は「栞奈」や「環奈」ではなくカタカナのカンナです。カタカナで書くカンナは南米原産の花の名前でもあります。この花の花言葉は「妄想」。さらに赤いカンナは「堅実な最期」です。臨終の際に駈との堅実で幸せな生活が実現した様子を夢に見て、安らかに眠りにつく。そんなストーリーを演じる主人公だからカンナという名前なのかもしれません。
カンナが駈とかき氷屋に並んでる場面で、駈は地球の歴史と比較して「人の一生なんてチュンという間に終わってしまう」と語ります。このセリフは、映画冒頭の電車事故のシーンでも駈のモノローグとして流れます。まるで「これから描かれるストーリーは、カンナが死の間際に見るチュンという間のできこと」と暗示しているように感じます。
もう一つ、カンナが過去に戻った際に「森林からカンナを見ている鹿」が何度か登場します。鹿はシシ神と呼ばれ、生命与奪の力をもつといわれています。死の間際にいるカンナを見守る存在として、鹿を登場させているのではないでしょうか。
要所要所で登場するチェキで撮影する2人の子供の存在も謎めいていて、まるで冥府からの使いのようにも思えます。
他にもあるかもしれませんが、これらの要素からだけでもこの映画が「カンナが臨終間際に見ている夢」である解釈を許容できそうな気がします。
最後に、このプロットのみで成立する一つの幸せな結末について書いてみます。
多くの方が指摘しているように本作は時間軸の設定があいまいです。(だから予知夢のプロットが成立する隙があります)前半で不幸な結婚生活の描写があり、終わりに幸せな結婚生活が存在するような演出から、複数の時空が存在するマルチバース(多元的宇宙)のようでもあります。また、作中でカンナの同僚の森七菜が「過去も未来もミルフィーユのように存在している」とブロック宇宙論らしき解説をしてくれます。このように複数の宇宙理論が登場するため観客を混乱させますが、トウモロコシや非常ベルのエピソードが描いている通り、過去に干渉すると未来が変わる同一時間軸上のユニバース(一元的宇宙)が一番しっくりきます。
では、ユニバースだった場合どうなるか?映画の最後に描かれる「幸せな結婚生活を送った硯夫妻の世界」では、私たちが感情移入していた、何度もタイムリープして駈を救おうとするカンナは存在しません。駈が亡くなった後、未亡人として生きるカンナの人生が続きます。離婚するほどの関係であっても、自分を残して死んだ駈を恨んで(想って)いたカンナです。まして、幸せな生活を送ったカンナが駈を失った喪失感に耐えられるでしょうか?映画で描かれた後の時間は、カンナにとってとても悲しいものになりそうです。
マルチバースでは、過去を変えても、そこから分岐した別世界の未来が作られるため、元のカンナがいる世界は変わりません。トウモロコシや非常ベルのエピソードが成立しないので、理論的な説明ができず、無理くり結果を想像してみると、最後のタイムリープの延長線にある未来は、上に書いたユニバースと同じ結果になります。一方で、最後のタイムリープで自分の素性を明かして若い駈との幸福な時間を過ごしたカンナは、元の世界へ戻ります。元の世界では、遺影の駈は難しい顔をしているし、離婚届を書いた事実はそのまま。餃子も焦げています。タイムリープで若い駈と過ごした思い出が生きていく励みになるかもしれませんが、経験していない幸せな結婚生活を実感することはありません。
タイムリープするカンナが幸せを実感できるとしたら、不幸な結婚生活の後に過去へ戻り、若い頃の駈に影響を及ぼし、その先の未来で幸せな結婚生活が実現するという一連の流れを「映画の観客のように見届ける」ことでしか達成できません。
「夢」の話にもどります。このプロットを採用すると、本作はメタ構造になります。本作の主要パートである三宅坂の事故後のストーリーはすべてカンナの夢。私たちは夢を見ているカンナを鑑賞していることになります。この視点の構造的な変化は、カンナは「私たちが鑑賞している映画」と同じ情景を「夢」として見ていることを意味します。まるで映画の観客のように一連のストーリーを見届けているわけです。そして私が(おそらく多くの方が)本作を見て感じたように、満ち足りた感情を持って幸せのまま天に召されるわけです。
予知夢落ちのストーリーでは、最後に主人公がすでに死んでいる情景を見せて落ちを明かしますが、この映画ではそれがありません。そう描くことでストーリーが固定化してしまい、重層的な解釈をする楽しみがなくなることを懸念して、このラストになっているのだとしたら、まさに今、私はその楽しみをしみじみと味わっています。いい映画でした。
45歳のカンナは幸せな人生を過ごせただろうか
何度も未来を変えようと頑張った45歳のカンナは、最後のタイムリープを終えた後、かけるの愛を感じて幸せに生きることができただろうか、と想いを馳せてしまう。
未来を知ったかけるとの幸せな夫婦生活は、実感することはないながらも、かけるが過去を明るいものに塗り替えてくれた痕跡をたどりながら、幸せに生きたことを願いたい。あの手紙の本当の意味を理解できるのは、45歳のカンナなのだから、きっと大丈夫だったと思いたい。
あいさつは大事
妻と一緒に見に行けばよかったなと思いました。なにせ別行動なもので。。。
男女で受け止め方が異なるかもしれないですね。わたしはカケルが生き続ける未来のカンナが見たかったです。
いちばん大切なことと 譲れないこと
タイムリープものなんだけど、理論とか不思議な現象とか考えさせない、必然とさえ感じるストーリー運び。コメディを観ているみたいだけど切なさが増していく、笑いつつ何か期待させるスクリーン展開。こんなにしつこくやり直して、撮影自体も何回何パターン撮ったのだろう。重ねていくカットは気持ちの焦りが募って行くようでこちらも引き込まれる。坂元裕二脚本作品の松たかこは、本当に最高で、コメディエンヌなのだけど、切なくて、笑わせるけど泣かせる。15年前の彼と現在の彼女が本音を話し合うシーンは名シーン。やられました、完全に夫婦の会話になっているところに胸が熱くなりました。元々価値観が違う2人は最後まで守りたいものが違っていた、しっかりと練られたお話に、涙しつつ清々しい気持ちになれた名作です。
花江夏樹、あの声やはりそう?妙な扮装してた男の子なのか、確認出来なかったからもう一度見ようかな、きっともう一度見ても見飽きない作品でしょう。
リアリティはないけど素敵な映画
恋愛映画でタイムスリップものはリアリティがなくて感情移入しずらかった。
でも何度もタイムスリップする中で、かけるが出会ったばかりのカンナに何度も恋に落ちる所や、カンナが突き放しても結局未来では結婚している所、自分が死ぬとわかっても尚カンナと結婚したい、離婚したくないと伝える所は「運命の人」という言葉を信じたくなるような良いシーンだった。
タイムスリップする前の2人の夫婦関係は破綻していたのに、かけるが自分が死ぬことを知った後の世界線ではカンナとかけるの夫婦仲が良くなっていたことが、夫婦関係は相手への思いやりや歩み寄りで良いものに変わるというところがとても大切に感じた。
私たちはタイムスリップなんかできないし、過去を悔やんでも仕方がない。大事なのは今、未来の自分が後悔しないために、今一緒に居る相手を大切に過ごすことなんだと感じさせられた。
普段ラブストーリーは殆ど観ないが・・・ 間違い無く2025年を代表する一作
そよ風にさざめく木々の音、白樺並木の中で 駈がカンナに話す。
「あなたに恋をし始めているからでしょうか?だからあなたに会いたい、あなたの事が知りたい」
「一生・・・わからなくていいと思う」
そんな会話だったろうか。カンナが過去を変える為に出逢わなかった事にすると決意した後の二人のやりとりだ。
カンナは離婚を決意するまで冷めてしまった相手なのに、それでも生きていて欲しい、過去を変えれば生き続けてくれると・・・。
何故?
カンナが15年連れ添った駈への思いは“言葉”では表現しきれなかったのかもしれないし、男性目線で観るとその“理由”はわからないのかもしれない。
カンナは「過去を書き変える事が出来れば、あなたが死ななかった“今”を作れるかもしれない」
そう言って、何度も過去にタイムリープする、しかし、無情にも思い通りの“今”は訪れない
「あなたを助ける方法は、私達は出会わない、結婚しない。もうここしか無いよ・・・」
ちょっとしたボタンのかけ違いからすれ違ってしまった二人だが、本当はお互いの事を心の底では思い続けている。
それを愛と言う一言で片付けていいのかはわからないけど、行間に“言葉”には表せない思いが詰まっている。
カンナは“今”を変える事はできたのだろうか?
何度も何度も過去に戻って修正を重ねても、駈の“運命”は変えられなかったかもしれない。
だけれども、二人にとっての“今”は変える事が出来たのだと思う。
「餃子を焼く前に戻りたい」全ての始まりは、3年前代引きで注文し焦がしてしまった餃子。
そして“今”、チャイムが鳴って受け取ったのは、まだ焼いていない駈が頼んでくれた餃子。
恐らく、来年の日本アカデミー賞主演女優賞は松たか子さんで決まりなんでは無いだろうか。
そう思わせるほど、松さんがCUTE過ぎる。
年齢を重ねた役になる事より、若かった頃に戻る方が難しい。“15年前”の松さんは、本当に15年前に戻っていた。それどころか「HERO」の頃の松さんほど。
脚本の坂元裕二&松たか子コンビはドラマ「カルテット」(2017)、「大豆田とわ子と三人の元夫」(2021)でもタッグを組んでいるが、この二作品が好きな人なら間違いなく刺さると思う。
監督塚原あゆ子、脚本坂元裕二、撮影:四宮秀俊ってだけでも劇場に足を運びたくなるが、音響も素晴らしかった。
映画館で観るべき2025年を代表する一作。
一つ注文があるとすれば、「FIRST KISS」というタイトルがしっくりこないし、そんなタイトルにしてしまったからなのかのキスシーンは要らなかったかな。
生き方をちょっと変えてみようかな〜
昔の自分に戻っている(自分はひとり)タイムスリップではなくて、パラレルワールドに入り込む(自分がふたり)という方です。
パラレルワールドを扱った話も最近多いのけれど、この映画はなかなか面白かったです。
松たか子って、コミカルな演技って本当にうまいですね😊雑な女の人の演技もピカイチです。
自然な感じがとっても良かったです。
駈からの「これ以上ドキドキさせないで」みたいな事を言われて、おかわりするのはめっちゃ可愛かったです💕
気持ちわかります❣️
最初は駈に会いにいくだけだったけど、未来に影響を及ぼす事がわかると、駈を死なせない方法があるのではないかと思い始めて。。。
ラストはネタバレになるから言えないけど、人生って生きる長さではないんですね。
どの様に生きていくかが大切で、笑顔で毎日生きていった方が、周りもハッピーにしていくって事ですよね。
しかし人間だもの難しい💦
私も機嫌の悪さを、扉の開け閉めの音で表現してしまいます(笑)
旦那も一緒、お互い様です(笑)
ため息もつくし、不機嫌になって喋らなくなるし。
でも「おはよう」「行ってきます」など挨拶はします(笑)
なんやかんやで35年やってきました😅
これから少し変わってみようかなーって思える映画でした。
穏やかで、幸せな未来に近づいてくれるかなー。
素敵な映画でした✨
抗えないものと変えられるもの
バツイチの私。
前夫とは何をどう変えられるとしても
もう2度と結婚したくない。
よく言うあれ“女は上書き保存”だ、まさに。
この夫婦はすれ違った上に離婚届も書くけど
運命のいたずらか提出する前に夫が亡くなる
どこか気持ちを残したまま相手に死なれて
前に進めないまま無気力に日々をこなす
45歳の女性がイキイキと蘇る様の面白さよ
15歳も若い相手に合わせようとオシャレし
メイクを頑張りどんどんキレイになってく
ここの描き方はさすが女性監督だと思う!
何度もやり直してでも死んで欲しくない愛を
段々と実感していく感じもせつないのに
ところどころ小さな笑いが楽しかった
結局は抗えないものもあったけど
2人で過ごす15年が素晴らしいものになり
観ていて幸せな気持ちになりました
あたたかくて、せつなくて、幸せな
美しい物語でした
このタイムスリップ恋愛コメディが、教えてくれること…
倦怠期を迎えた夫婦は、少なからず“恋愛時代からやり直せたら”…と思うことがあるのではないだろうか。
いつの間に、相手の嫌なところが目につき始めたのか。互いに目を合わせなくなったのか。
この映画、結構ベタな展開でファンタジーと言えども説得力に欠け、感じ方によってはアホくさくも思えるだろう。でも、小気味よい演出と松たか子の卓越したパフォーマンスが上手にスクリーンに惹きつけてくれる。
そして、やってくる結末に心を強く打たれるのだ。
40代、50代なのに、とてもそうは見えない女優がとかく注目される昨今、松たか子は年齢相応に見え(いや、一般的にはあんな若々しい47歳は珍しいのだが)、それを個性にして活動しているように思う。本作でも、下唇を突き出したりしてオバサン感を出している。
だが、松たか子ってカワイイ女優なんだと、本作で再認識させられた。
夫を事故で亡くした妻が、時空を超えて15年前の二人が出会った場所と時間に移動することは、予告編で先に明かされている。
妻役の松たか子は現在が起点で、夫役の松村北斗は15年前が起点という配役だから、松村北斗は老けメイクで15年の時の経過を表現している。
一方の松たか子はというと、15年前の当時の自分とニアミスを起こすので、ピチピチ20代の姿もほんの少し登場する。さすがにあれはメイクだけではなさそうで、ディエイジング技術を用いているのか、とにかく今の映像技術は凄い。
この若き日の松たか子が可愛いのは当然だが、15歳も年下の若い男にときめく中年の松たか子が可愛いのだ。
恋するオバサンを愛くるしく演じていて素晴らしい。
そして、彼女のコメディエンヌのスキルがいかんなく発揮されていて、坂元裕二の脚本は彼女を当て書きしたもののように感じた。
過去のテレビドラマで坂元裕二と松たか子の親和性は立証済みなのだから。
何度も同じ時間を繰り返す構成は、似たような映画が無かったわけではないが、二度目の恋愛を盛り上げていくために積み上げていくエピソードに小技が効いていて、演出のテンポもよくて面白い。
分っかんないかなぁ〜
この人は教授の娘なんかに興味はないの!
おばさんのことが好きなんだよ!
…あそこであの人物に言わせるか、というアッパレな脚本。
この物語が見事なのは、未来を知っている人間が逆転する仕掛けによって、メッセージを発していることだ。
倦怠期に至ると、こちらが努力したって相手の態度がああなんだから無駄…という意識に陥ってしまうが、それこそが元凶なのだとこの映画で思い知らされる。
かつて恋人だった相手が配偶者になって変わってしまったのではない。自分が変えてしまったのだと、省みなければならない。
こちらが愛情を注ぎ続ければ、相手を冷めさせないでいられる…そんなメッセージがこの映画にはある。
恋愛状態を維持されているご夫婦はご一緒に、倦怠期をむかえられたご夫婦は別々に観賞されることをお勧めする。
オール・ユー・ニード・イズ・告白
40歳過ぎた頃、同僚に聞いたんです。「今でもお出かけのチューとかしたりするの?ニヤニヤ」。そしたら同僚はこう言ったんです。「僕たちは何でも言い合って来た仲なのでもう完全に家族になったんです。妻は謂わば妹と同じなんです。僕は妹とはキスしません。」。独身の私は“あー成程な“と不思議に納得してこう言ってやったんです。「確かに!俺も弟とはキスしないわ。」ってね!
ガサツ女とイヤミ男、いつしか会話もなくなり家庭内別居、離婚届提出日当日に事故に遭い夫を亡くし、偶然??にも二人が出会った場所にタイムリープを繰り返し、果たして夫を救えるか、と言う話。全編の会話センスが秀逸でもどかしい所を突いてくる。だから未来の妻と打ち明けた時に一気にもどかしさが解放され、続く“ファーストキス“でカタルシスが最高潮に達する。二回ほど涙をグッと堪えて、、、3列ほど後ろに座っていた若い女性達に涙を見られるのを恥ずかしがった訳じゃないのですが、涙ポロリをグッと堪えることが・・・堪えることが出来ちゃった、と言うのは前半の引っ掛かりがずっと頭に残っていたからです。
正直な所、カンナが何故夫を生き返らせたいのか、家族の情があるから生き返らせてスッキリ別れたいのか生き返らせてもう一度関係をやり直したいのか、どうやったらそれを達成できると思っているのかが自分にはよくわからず、若い元夫カケルをかき氷デートに連れ出すためにどうしたら良いか模索しているようにしか見えず、勿論その後の説得によって事故当日の行動を変化させて事故に遭わないようにすると云う目標だったと解る訳ですが、そんなピンポイントな影響を願うのは無理がないですかねと思える筋がイマイチしっくり来なかったんです。原作未読なのでもしかしたら原作には書いてあるのかも知れませんけども、上映時間の都合上主要イベントのみピックアップして映像化するしかなかったと云う事なら良くある話。
恋に堕ちるまでの話によくあるはずの「特別な出会い」「お互いの理解」「心の共鳴」の描写が弱いのか見逃したのか、そもそも現カンナは説得するために信頼を得ようとしていただけなのか若カケルとの一刻の恋を楽しもうとしていたのか、その辺りが見えず引っかかっていたんです。例えば王道ストーリーなら1巡目で直行でカケルを捕まえて文句を言ったら不審者扱いされて警察を呼ばれそうになる、2巡目は色仕掛けで近づいたら吉岡里帆にシッシッされて近づけない、3巡目で犬に襲われて若カケルに助けてもらうもその場でアッサリさようなら、4巡目にカケルの形見の古代海洋生物“アノマロカリス“のキーホルダーを持ってきてキッカケを作りかき氷屋に向かうことに成功するも現カケルの悪口を誰のことか伏せて言ってたらカケルに引かれてしまう、5巡目で現カケルの好きだった所を誰のことか伏せて若カケルに話している内に現カケルのことがやっぱり好きだと再認識、若カケルも何故だか他人事と思えなくなってカンナと心が共鳴し始める、とかとか素人の私が考えつくようなこんな話なら“さいきょうの凡作“確定なのですが、端的に言うと若カケルが15歳年上の現カンナにビビッと来た理由が掴めなかったんです。また松たかこさんも若く見えるから、ほんの五つぐらい歳上と見えてたって事なんでしょうかね。
とは言え、道中会話が噛み合ってくる感じ、現カンナがカケルが気に入っていた会話の感じを思い出しながら再現したかのような会話劇は“この人とならずっと一緒に居られるかも“と言う感じが出ていて、それは“ずっと一緒に居たから“と“ずっと一緒に居たのに“という「美しい思い出」と「悲しい結末」の二つの思いが交錯するように見えてやるせない気持ちになりました。話が進むにつれ気になってくるのは「これラストどうなるの?」と言うところ。もし説得に成功して現カケルが生存することになったならタイムリープする理由が無くなって若カケルの目の前で現カンナは消えるのかな、目の前から消えると言えばアニメ映画「君の名は」のクレーター円環での時空を超えた出会いと忽然と消えた時の強烈な喪失感、あんな感じの名シーンがまた生まれるんだろうか、とその瞬間を待っていました。
結局説得は成功せず目の前から消えることもなく肩透かし、過去を弄って幸せな結婚生活に変わっても事故に巻き込まれ死亡届を役所に出すはめになるバッドエンドと思いきや、この時空線では調理前に戻りたいと願う餃子が今届いたところ、タイムリープするのはこの後ですからまた1巡目から再スタートのはずです。私の考える“さいきょうの凡作“では再び何度もタイムリープを繰り返して“もう若カケルはアテにならん“と結論付け、「15年後にこれをカンナに渡せ」と若カケルに手紙を託しカケルの手の平にマジックで何か書いて目の前から消え、15年後の事故当日に手紙を読んだカンナが対面ホームに現れ線路に落ちかけたベビーカーをガッチリ掴んで誰もホームに落ちなかった、と言うハッピーエンドですかね。
映画全体がいい雰囲気、会話もセンスがあって、あと少しカケル・カンナ両者の琴線に触れる描写があれば同じタイムリープ恋愛作品の「アバウトタイム」クラスの傑作に思えたかも、30分ぐらいエピソードを追加した「ファーストキス1stKISSディレクターズカット版」が出ることがあったら必ず観てみたいですね。今気が付きましたが“餃子型タイムマシン“だったんですかね。さらにずーっと未来のカケルからの贈り物だったのかも知れません。
奇跡の松たか子
想像してたより10倍は面白かったですね👍
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