海の沈黙のレビュー・感想・評価
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芸術は美の上に美をつくらず、美の下に美をつくらず
水曜サービスデーの本日は、あの「北の国から」で有名な巨匠・倉本聰さんが長年にわたって構想したという渾身の作品「海の沈黙」をチョイス。
まず、言わせて欲しい。
主演の本木雅弘さん、私らの世代からすれば、シブがき隊のモッくんですよ。ほんでもって、メインの女優さんは、小泉今日子さん。なんてったってアイドルのキョンキョンですよ。懐かしい〜😘この共演をスクリーンで観れただけで、まず眼福🙄ガチアイドル出身のお2人を支える面子がまた豪華!中井貴一さん、仲村トオルさん、萩原聖人さんなどなど、渋おじイケおじのオンパレードでございます。役者さんのお顔に刻まれたシワに侘び寂びを感じる歳になりました。自分もおんなじ様に歳をとったのね〜。
観終わった率直な感想ですが、
ひと言でいうなら、
「わかるわかるんだけど、惜しい!」
かしら。
こちらの作品、2時間の映画で終わるにはあまりに惜しい!秘められたことが多すぎてモッくんとキョンキョンの恋に関しては、全く感情移入できませんでした。数話完結の連続ドラマで観たらもっと面白くなっただろうなぁと思わずにはいられません🤔
とはいえ、
映像の美しさや渋おじたちの重厚な演技などなど、見どころは満載!
生成AIが簡単に芸術をも凌駕しそうな昨今だからこそ観ておきたい🧐「本当の芸術ってなんだろう?」「芸術の価値ってなんだろう?」などなど、
芸術について改めて考えたくなる良作映画です♪
主要人物らの描かれないバックストーリーが作品の豊かさであり、物足りなさでもある
本編112分だが、物語のスケールとしては映画なら三部作、ドラマなら1クール分かそれ以上の長さがないと描き切れない豊穣さと奥深さがあるように感じた。原作・脚本としてクレジットされている倉本聰は、脚本とは別に「登場人物の履歴」に膨大な量の情報と歴史などを描き込み、出演者らに渡したという。本編で直接描写されないそうしたバックストーリーは、俳優らが役に命を吹き込む際の重要な源になり、人物らの会話の内容などから示唆されて、豊かな映画世界に貢献している。だが一方で、たとえば画面に映っている二人に過去にどんないきさつがあり、今の関係性があるのかなど、もっと知りたいのに想像するしかないもどかしさ、物足りなさを感じる部分もところどころあった。本木雅弘、小泉今日子、中井貴一らの演技が見惚れるほど味わい深いからこそ、キャラクターたちの人生をもっと見せてほしいと願ってしまうというか。
本木が演じる津山竜次は、稀代の贋作画家でありながら刺青彫師でもあるというおよそ現実味のない設定であり、その設定に説得力を持たせる意味でも刺青を彫るシーンは入れるべきだったと思うが、それも尺が限られているせいかもしれない。
倉本聰が脚本を担当しキャスティングにも関与するなど影響力があった1974年のNHK大河ドラマ「勝海舟」で演出スタッフと衝突し、脚本を途中降板してそのまま東京から北海道に移住したのは有名な話。大組織や大企業の論理、都会的なるものへの異議はドラマ「北の国から」などに込められ、本作にも通じる。創作物の良し悪しが市場価値で測られることへの違和感、伝統ある大きな業界の権威に対する反発についても、自身の体験を本作の孤高の贋作画家に重ねたように感じた。
構想60年前
原作脚本は誰もが知っている有名な脚本家劇作家演出家の重鎮。
ネットの拾い記事によると──、
作家は『どうにも納得がいかないという美の価値への思い』を出発点とし『60年前に仕込んだ子どもがやっと生まれてくれた』と構想60年をしみじみ語った。
『時代が違うとわかった途端、作品を認めていた評論家も世間も美の価値を下げる。この風潮に納得がいかなくて、なんとか映画にしたいと思ってきた。』とのことで『作品の美に、作者や時代の裏付けが必要なのか。そんな問いかけだ。』と記事は結んでいた。
簡単に言うと時代遅れの不器用な絵描きの壮絶な生き様を描いた──という感じの映画。
世界的な画家の田村修三(石坂浩二)の展覧会で作品の一つが贋作だと判明する事件が起こる。 連日報道されるなか、北海道の小樽で女性の死体が発見され、この2つの事件の間に浮かび上がったのが、新進気鋭の天才画家と呼ばれ、ある事件を機に人々の前から姿を消した津山竜次(本木雅弘)だった・・・。
──というストーリーの中に、津山が田村の妻(小泉今日子)に淡い恋心を抱いていたり、彫り師でもある津山に女が寄ってきたり、病に侵され喀血しながら絵画を仕上げる、などが描かれる。
芸術家とはデカダンであるという大正浪漫趣味を恥ずかしげもなくさらし、刺青の針が女の柔肌に花や龍をきざむのが耽美であるとか、まだそんなたわごとを言うあほがいるんだ、という感じの昭和から一歩も動いてやるもんかという決意のみなぎった定石日本映画。
太宰治みたいな画家が吐血しながら絵を描くという退廃表現を令和に見るとは思わなかったという話だし、刺青が美学だって言いたいなら彫り物見せびらかしたい与太公だらけの三社とかだんじりとか見てからにしとけ、という話。
偉大な芸術家とは不健全なものである、という不文律がある。これは作家や作曲家、概して創造をする人物にいえる方程式のようなものだ。じっさいに、わたしたちが好きな大時代の絵描きや作家や作曲家はデカダンや不幸せを背負っていた。
ロートルならきっとモンパルナスの灯(1958)をご覧になったことがあるだろう。代名詞的な美男俳優のジェラールフィリップがモディリアーニを演じていた。貧乏なのに酒飲みで、カフェに入り浸って客の似顔絵を描き、むりやり売りつけて得た金を酒代にして夜の街を徘徊していた。それを身重の同棲者ジャンヌが一晩中探し回る・・・。結局モディリアーニは貧困と肺結核、大量の飲酒、薬物依存などの不摂生と荒廃した生活の末にしぬんだ。
この絵に描いたような悲劇映画は日本で大ヒットした。
おそらくこの映画を書いた大先生もモンパルナスの灯を見て感涙したくちであろうと思う。フランス映画の退廃は日本映画に芸術家=デカダンという紋切り型を生成した。だから津山は喀血しながら絵を描くわけ。
念のために言っておくがジャックベッケルのモンパルナスの灯はいい映画だ。が、2020年代にその憧憬で映画をつくられたらかなわない。構想~年ていう日本映画が大好きな謳い文句あるけれども、およそ時代にそぐわなくなっている題材を後生大事にかかえてきたってだけの話でしょうが。
だいたいデカダンが芸術家のあるべき姿だというなら、健全で裕福でハングリーさのない人間はいい絵を描けないのか。その両義性や相対性や複合選択性を一顧だにしないのが日本映画の特徴であり、日本では悲劇的状況にフルスロットル入れちまう猪突猛進な人しか映画をつくらないことが再確認できる安定の日本映画だった。
暗いだけの作品
ミスキャスト
小泉さんの役はとても重要だと思うが、どうしても「~してますの」みたいなお上品な奥様言葉が似合わなくて笑ってしまった。どうしてこの役に抜擢したのかわからないけど、せめてこういう言葉がすんなり言える女優さんにすべきだったと思います。小泉さんじゃどうしても元ヤンでいまだ「~じゃん」とか言ってる役しか無理でしょうよ。なんか全体的に暗い情動みたいな映画なのに、小泉さんだけ浮いてて残念でした。
あと、もっくんと仲村トオルとキョンキョンが同級生はわかるけど、そこに石坂浩二は無理でしょ。せめて石坂浩二は恩師役にでもしないと、ギャップがありすぎて理解できないよ。石坂浩二は恩師役で、若い才能と恋人を奪ったでいいじゃん?なんで同級生にしたのよ、どう見ても変でしょ。
だから?
美の無限
“贋作”と言うと一見本物そっくりだが、プロの目からすれば本物に劣る偽物、紛い物という印象。
しかし劇中でも語られていたが、この世には、見分けが付かず、“本物”として認知されている“贋作”だってあるかもしれない。
“偽物”が“本物”を超えた時、果たしてそれは“贋作”と言えるのか…?
世界的画家・田村の展覧会が開かれるが、名画の一つが贋作である事が判明。
田村自身が認め、作品を飾っていた美術館の館長が責任を取って自殺するなど波紋が拡がる中、北海道・小樽で身体中に刺青が彫られた女性の遺体が発見される。
何の関連も無いと思われたが、贋作画家と刺青彫師が同一人物の可能性が。
田村と同期で、当時異端の天才と呼ばれながらも、問題を起こして絵画界から抹消された津村の存在が浮かび上がる…。
世界的名画が贋作だった…!
ミステリータッチの導入はいい。
『嘘八百』や『コンフィデンスマンJP』などで贋作を扱った話があり、それにプラスして殺人や複雑な人間模様のミステリー(雰囲気的に松本清張風)を期待したい所だが…、
表舞台から姿を消した一人の画家の、画や美への凄まじき執着のドラマであった。
世界的画家が展覧会中に贋作である事を認める=敗北を認めるほど。稀代の天才か…?
絵画界から抹消された理由。キャンパスを買えぬほど貧しく、ある時師の描いた画の上に自身の画を…。絵画への冒涜、問題児か…?
父親が刺青彫師。自身も刺青を彫る。美しい女性の身体を求め…。エロオヤジか…?
末期の癌。血を吐き、倒れながらも、画を描く。狂気とも言えるその執着。
かつて田村の妻・安奈と恋仲。今回の件で再び再会し…。哀しき男の愛。
複雑な内面と人間像。狂気と哀愁滲ませ、減量し、自ら筆も持ち、本木雅弘が圧巻の熱演で魅せる。
小泉今日子、中井貴一、清水美砂、仲村トオル、石坂浩二らベテラン/名優陣。
倉本聰の脚本、若松節朗の演出。
アニメや若者向けの昨今の日本映画の中でも、じっくりと大人の鑑賞に耐えうる作品になっている。
しかし、“名画”にはなり損ねたという印象。
美への飽くなき追求、美へ囚われたと言っていいほど。
そこに倉本聰の哲学さえ窺える。構想は60年…!
だが、いまいちよく分からないような、分かり難いような、分かる人には分かる、分からない人には分からないような…。
美への追求や執着なのは何となく分かったが、でも結局の所、何を伝えたかったのか…?
登場人物の言動も。中井貴一演じる津村の番頭と名乗る男、何者だったの…?
清水美砂演じる牡丹が自死した理由は…? モックンと清水美砂の『シコふんじゃった。』以来の共演は嬉しいが、彼女の役回りは必要だったのか…?
小泉今日子演じる安奈との過去の悲恋も何だか陳腐。
モックン、石坂浩二、仲村トオルが美術学校の同期という設定も無理がある。
濃密で深淵さを打ち出しているが、詰めが甘い点多々。
大人向けの作風ではあるが、それは格調高く洗練されたものではなく、古臭さも否めない。
劇中の問題の絵画、“海の沈黙”。
そこに何が見えるか…?
激しさ、荒々しさ、鮮血のような赤、繊細さ、静けさ…。描いた津村にとっては…。
本作もそれが言える。本作から何を感じるか…?
崇高な名作、ヒューマンな秀作、キャストの熱演以外見所がない凡作、TVの2時間ドラマで充分…。
あなたが見えたもの、感じたもの、それぞれでいいのだ。
美に明確な答えはない。一つじゃない。
“本物”に魅力を感じなくても、贋作に魅せられようとも。
あなたの心に感じたものが美。
美は美であって、それ以上でもそれ以下でもない。
最後の最後にこの台詞を聞いて、倉本聰が言いたかった事が少し分かった気がした。
巨匠の原作脚本を演者が超えちゃったかな(^◇^;)
自宅レイトショー『海の沈黙』Netflix
タイミング合わず劇場パスした作品
モッくんの役作りでの痩せ方は、水抜きなのか!?ってくらいカサカサで壮絶で、KYON2との共演はデビュー当時から知る同年代には胸熱なんですが、続・続最後からを観た後なので、貴一さんとの共演ギャップがツボでしたw
他の出演者も主演級レベルで安定感抜群なので、作品的にも賞レース席巻するかと思いましたが・・・
巨匠の原作脚本を演者が超えちゃったかな(^◇^;)
尊敬する倉本聰の作品だっただけに少々残念。 そう言えば、昔から倉本...
期待大でしたが…
出だしは、倉本聰らしい、テンポがいい話運び(「大都会」「ブルークリスマス」「6羽のかもめ」みたいに)。これは結構面白そう、と期待大でしたが…。
ちょっと一人よがりの映画になってしまった。
降旗康男監督の「駅/STATION」はラストを、監督が変えた。倉本聰の脚本は甘くて(別れた妻と会うラスト)、監督が変更したラスト(健さんの一人の表情で終わる)の方が良かった。
そんなことを思い出した。
この映画の監督若松節朗はうまい監督だと思う。「沈まぬ太陽」は良かったし。今回も監督としては、いい仕事をしていると思う。
ただ、面白くない。倉本聰の脚本に問題があると思う。
もっくんは、映画映えする色気があり、いい役者だと思うし、キョンキョンは相変わらずいつものようにいいし。他の演者もそこそこ見せる。レベルの高い映画だと思うけど、面白くない。
海の沈黙
果たしてどこに価値を見出すべきか…
登場人物たちそれぞれが「過去」を抱えながらも、あまり多くは語られないために、その交錯する複雑な関係性を観客があれこれと想像する余白が大きく残されている。2時間の映画ではなく連続ドラマとして制作されていたら、それぞれの人物描写や関係性の描写が詳しくなされたかも知れないな、とは思う一方で、1から10まで全て説明されてしまうテレビ的な作りを敢えてしたくなかったのかな、と思ったりもする。
それは、「美術(品)」に対して、評判などは無関係に作り手や鑑賞する人間の心の中にある純粋な「美」を追い求めることに価値を見出すのか、それとも権威や金額に換算してその価値を測るのか、というこの映画のテーマそのものとも重なってくるような気がする。
美術絵画の価値
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