劇場公開日 2024年11月22日

  • 予告編を見る

「テーマがいい」海の沈黙 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5テーマがいい

2025年7月12日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

倉本聰さんが長年温めてきた物語
この物語の中にある「美」とは、神のように「絶対」なものであり、人の心の中心に位置する光のようなものだろうか。
資本主義 需要と供給によって価格が決定する社会
お金で買えないものなどないと、日ごろから感じるようになってきた社会
他人の評価など意に介さないという言葉を残したツヤマリュウジ
鬼才と貧困
買うことができないキャンバス
天野先生の描いた絵をキャンバスに使って金賞を受賞した「海の沈黙」
「相変わらず海しか描きません」
ツヤマが幼い頃、マグロ漁師の父が遭難
母と一緒になって夜通し焚き続けた迎え火
海ほどいろんな表情を見せる自然はないだろう。
父の死が貧困を決定的にしたのだろう。
それでもツヤマは母の愛情という絶対的な美を心に刻んでいた。
父の死と母のやさしさと、貧困という現実は、ツヤマにとって不条理で、理不尽だったのかもしれないが、描かれていないその部分は、おそらく一般的に想像することで間違いないように思う。
この物語で思い出すのが、フェルメールの贋作事件だ。
メーヘレンは、フェルメールの画風を徹底的に研究し、「未発見のフェルメール作品」として贋作を制作・販売
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに、フェルメールの贋作《姦通の女》を売却。
戦後、「国宝級のフェルメールをナチスに売った裏切り者」として逮捕される。
死刑の可能性もある中で、メーヘレンは「あれは自分が描いた贋作だ」と主張。
信じてもらえなかったため、牢屋で実際にフェルメール風の絵を描いてみせて証明した。
贋作と詐欺の罪で禁錮1年の判決を受けるが、控訴期間中に心臓発作で急死。
彼の死後も、その贋作は「美術史上最大のトリック」として語り継がれている。
この事件が本作のモチーフになったように感じた。
偽物が本物以上という概念
その根拠 「ツヤマが唯一追及していること」
さて、
「美しさ」とは何だろうか?
それが絶対であるならば、「美しさ」とは時代や文化や宗教的背景が伴う社会構造の枠を超えているものだろう。
だからそこには正邪的要素はない。
すぐに思い浮かぶ「花」
ツヤマはかつてアンナの背中に菩薩を彫ろうとした。
菩薩とは、ツヤマの心の中に残る母親像であると思われるが、その母を菩薩に見立てた若い彼の「美」意識は、置き換えという単なるモチーフに過ぎず、ツヤマの独りよがりだったのだろう。
彼は小料理屋の牡丹の体に様々な刺青を入れ、それを標本にして外国人客を相手にした。
牡丹の入水自殺
牡丹はおそらくツヤマが好きだったのだろう。
ツヤマの彫る入れ墨も牡丹にとっては「美」であったに違いない。
しかし、アザミという新しい女が登場したことで、牡丹は精一杯の背伸びをして見せ、自身の役目が終わったという絶望を感じた。
ツヤマは現金を受け取らなかった。
牡丹の背中に残された「空白」
この空白という言葉はないが、牡丹が依頼していることで想像できる。
遺体でも警察の話でもそれははっきりしない。
そもそも「見本」のようにバラバラで統一性のない刺青
ツヤマは牡丹の体に「水蓮」は彫れなかったのだと感じた。
その他の絵もあっただろう。
お金を受取らなかったことは、「美」にできなかった牡丹への謝罪があったように思う。
その謝罪の念を牡丹は感じたのだろう。
自分との違い 若さなのか美しさなのか。
アザミへの敗北感
「キャンバス」というものの重要性
ツヤマの美への認識と牡丹が感じた拒絶
ツヤマは彫れなかったのだろう。
それ故の牡丹の自殺
アザミ
若く美しく、お袋を思い出させる身体 指
人の体に見つけた「美」に、ツヤマは手を出せなかったのだろう。
それを「良し」とした。
芸術とは、嘘がないことだと思う。
ツヤマはキャンバスに嘘は描けない。
描こうとする意識は、真実を歪めてしまう。
このジレンマ
久しぶりに対面したアンナと別れ、海辺て焚火したとき、あの日のことをはっきりと思いだした。
迎え火を頼りに父がこっちに向かって泳いでいることを強く信じたあの時。
父になったつもりで海から焚火を見たことで、最後の作品を思いついた。
赤に拘ったのは、疑いようもない血のつながりを感じたからだろうか?
あの日夜通し焚いた火の赤
その赤を知っている自分
赤の中にあるたった一つの願い
たった一つの想い
それが叶わなかった絶望 黒
ツヤマの最後の作品
その作品のいったいどこに「美」があるのだろう?
ツヤマの体験は、すべてあの絵の中に描かれていた。
しかし、絵を見てそれを窺い知ることなどできないだろう。
しかしそこに心が動く。
嘘のないその絵に心が動くのだろう。
当時、金賞を取った「海の沈黙」
この絵に描かれていたのは、おそらく浜から迎え火を通して描いた海
そこに乗せた幼いあの日のこと。
そして今度は、海から見た迎え火
父が見たであろう風景
それは「希望」のはずだ。
もうすぐ死が迎えに来るツヤマにとって、死んでしまっていても、きっとあの火を見てくれたに違いない父に対する想いを、新しい「海の沈黙」として描き上げた。
最初の作品に関じた絶望という共感
そしてこの作品に感じる希望という共感
美しさとは、心が感じるものであり、感じることこそ「絶対」なのかもしれない。
そして、描かれたそれそのものが提供するのは、見た者が感じ取ること以上のものは提供できない。
つまり「美」とは、それそのものではなく、何かを感じ取れる心であり、それこそがその瞬間の自分自身そのものを見たことになるのだろう。
映画とは、心を揺さぶられたいために見るものだろう。
この作品のテーマをそこに寄せているのは素晴らしいと思った。

R41
PR U-NEXTで本編を観る