海の沈黙のレビュー・感想・評価
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芸術は美の上に美をつくらず、美の下に美をつくらず
水曜サービスデーの本日は、あの「北の国から」で有名な巨匠・倉本聰さんが長年にわたって構想したという渾身の作品「海の沈黙」をチョイス。
まず、言わせて欲しい。
主演の本木雅弘さん、私らの世代からすれば、シブがき隊のモッくんですよ。ほんでもって、メインの女優さんは、小泉今日子さん。なんてったってアイドルのキョンキョンですよ。懐かしい〜😘この共演をスクリーンで観れただけで、まず眼福🙄ガチアイドル出身のお2人を支える面子がまた豪華!中井貴一さん、仲村トオルさん、萩原聖人さんなどなど、渋おじイケおじのオンパレードでございます。役者さんのお顔に刻まれたシワに侘び寂びを感じる歳になりました。自分もおんなじ様に歳をとったのね〜。
観終わった率直な感想ですが、
ひと言でいうなら、
「わかるわかるんだけど、惜しい!」
かしら。
こちらの作品、2時間の映画で終わるにはあまりに惜しい!秘められたことが多すぎてモッくんとキョンキョンの恋に関しては、全く感情移入できませんでした。数話完結の連続ドラマで観たらもっと面白くなっただろうなぁと思わずにはいられません🤔
とはいえ、
映像の美しさや渋おじたちの重厚な演技などなど、見どころは満載!
生成AIが簡単に芸術をも凌駕しそうな昨今だからこそ観ておきたい🧐「本当の芸術ってなんだろう?」「芸術の価値ってなんだろう?」などなど、
芸術について改めて考えたくなる良作映画です♪
少しずつ、人々の連なりが姿を現す
人と人同士、人ならぬ絵画やアイテムまでも、その繋がりを明らかにしていく面白さ。この映画の楽しみはそういうところかと思いました。最終的に、最初に見せたアイテム「主役に似せたロウソク」に舞い戻る、描かれた真円のなんと美しいことか。
そもそも、下手の横好き感覚で、知識も経験も無く美術館に足を運んでいたこともあるのですが、「絵画に於ける贋作裏話」とか「真作を超える贋作」というテーマがとても興味深く、そこから一つずつ人の繋がりが見え始めるため、話を追うのが面白くて仕方が無い。
かと思いきや、ポンと刺青に話が飛ぶため、「なんのこっちゃ」と思いきや、それこそが、ことの真相へと直結。そしてようやく登場する、主演・本木さんの渋いお姿。ゴッホを100倍格好良くしたような本木さんのビジュアルがなんとも素晴らしい。溜めて、溜めて、「待ってました」と、ようやくのご登場がなんとも憎いですね。
ビジュアルのみならず、あくなき芸術を追い求める姿こそ、視聴者が求める理想郷。それと対比して「真作に加筆されてしまった画家」の石坂浩二氏が演ずる田村氏が、相反する存在として登場させられ、もはや、なんだか可哀相。
名を売って金を稼ぐ対照的な画家として登場させられてはいるけれど、ちゃんと自分の筆ではないことに気づき、強く咎められているにも関わらず、記者会見を開いて発表に踏み切ったこともあり、あまり悪い印象はありません。それで普通の人の姿だと思います。
それを超えて飽くなき芸術家の探求を重ねていったことが、体を蝕み、寿命を縮めたような気がして仕方がありません。作中、特に言及されていませんでしたが、主役の「芸術の呪い」に、主役を推したあの美術館の館長や、主役の「2番目の女」である彼女も、まるで「芸術家の呪い」に引き込まれてしまったかのように、自ら命を絶ってしまった。
別に「真の芸術家の魂」をまるでホラーの呪いのように言及したくはないのですが、この映画には「死」のアクシデントが散りばめられ、最後には今際の際で「3番目の彼女」に別れを告げに現れた。「1番目」のキョンキョンが逃げたのは「呪いから逃げるため」であって、「3番目」には「呪いをかけたくなかったから」という理由で、それぞれ刺青が掘られなかった、という私の考察は突飛でしょうか。
それはさておき、この映画の錚々たる役者陣には凄いと想うのは私だけでしょうか。本木さん、キョンキョン、石坂浩二氏、仲村トオルさん、中井貴一さん、等々、誰もが何処かで眼にしている有名人が揃い踏み。これもまた、人との繋がりを面白くした最大の要因ではなかったかと思います。
あと、主役の本木さんは3人の美しい女性達を侍らせた、と言えば悪い言い方ですが、でも、まったく嫌味を感じないですね。エロいようでエロさもなく、優しく、そして暖かいとまで言っても良いかも。ストイックな芸術家というものは、こうもモテてしまうのか。
最後、ワンちゃんがいい演技してました。彼(犬)もまた、主役の優しさを示すサインでしょうか。創作に苦しむ主役の心を癒していたのでしょう。それもまた、番頭を名乗る中井貴一さんの配慮だったかも知れません。
ともかく、良い映画でした。特に説明も理解せず飛び込んでみて良かった。
主要人物らの描かれないバックストーリーが作品の豊かさであり、物足りなさでもある
本編112分だが、物語のスケールとしては映画なら三部作、ドラマなら1クール分かそれ以上の長さがないと描き切れない豊穣さと奥深さがあるように感じた。原作・脚本としてクレジットされている倉本聰は、脚本とは別に「登場人物の履歴」に膨大な量の情報と歴史などを描き込み、出演者らに渡したという。本編で直接描写されないそうしたバックストーリーは、俳優らが役に命を吹き込む際の重要な源になり、人物らの会話の内容などから示唆されて、豊かな映画世界に貢献している。だが一方で、たとえば画面に映っている二人に過去にどんないきさつがあり、今の関係性があるのかなど、もっと知りたいのに想像するしかないもどかしさ、物足りなさを感じる部分もところどころあった。本木雅弘、小泉今日子、中井貴一らの演技が見惚れるほど味わい深いからこそ、キャラクターたちの人生をもっと見せてほしいと願ってしまうというか。
本木が演じる津山竜次は、稀代の贋作画家でありながら刺青彫師でもあるというおよそ現実味のない設定であり、その設定に説得力を持たせる意味でも刺青を彫るシーンは入れるべきだったと思うが、それも尺が限られているせいかもしれない。
倉本聰が脚本を担当しキャスティングにも関与するなど影響力があった1974年のNHK大河ドラマ「勝海舟」で演出スタッフと衝突し、脚本を途中降板してそのまま東京から北海道に移住したのは有名な話。大組織や大企業の論理、都会的なるものへの異議はドラマ「北の国から」などに込められ、本作にも通じる。創作物の良し悪しが市場価値で測られることへの違和感、伝統ある大きな業界の権威に対する反発についても、自身の体験を本作の孤高の贋作画家に重ねたように感じた。
不可解な作品
北の国からが面白くて温かくてその長い物語が大好きだったし、倉本聰さんは脚本を書くとき主人公だか登場人物だか忘れたが、三代前まで遡ってキャラクターを考えるとどこかで語っていらっしゃったのを読んだ記憶があって、緻密でしっかりした脚本を書く方だと思っていたのだけど、この映画はちょっと乗れなかった。
主人公・津山竜次が孤高の天才なのはいいとする。石坂浩二さんの田村画伯が絵の大家として豪勢な暮らしを送っているのもいいとするが、津山竜次側の設定がどうも気になって仕方がなかった。
本家本元の大作を凌ぐ贋作を描いて億単位で売っていたようだし、ヨーロッパの富裕層に入れ墨を彫ったりしていたようなので、それなりの生活は送れるんだろうけど、スイケンってどこから出てきた何者? 彼が津山の財産一切合切を管理しているのだろうか。財産管理から料理の腕前、人脈づくりまで何でもこなすスーパーマンで、しかも、津山を贋作作家に追いやった田村画伯に対する復讐も実行に移そうとしている? かつての恋人も再会させちゃうし、生きた標本も調達し、用済みになれば切っちゃうし、新しい標本候補も見つけてしまう。そうした標本たちはみんな津山に惚れてしまう。大体個人の収蔵品ならともかく、大臣まで見に来る大規模な展覧会の目玉作品という評判が立てば、本物の所有者が「うちにも同じものがある」と名乗り出てこないのだろうか。物語が始まった当たりから最後、津山が死んでしまうまで津山がせっせと描いていた絵は贋作ではなく、彼本来の作品なのだろうか。
こういう不自然なところが気になってくると、映画の世界に入り込むことはできない。長年構想していた作品というわりにちぐはぐな印象が否めなかった。
ずっしりとした本物の映画をひさびさに観た満足と喜びに浸りました
海の沈黙
若松節朗×倉本聰
テレビドラマの頂上タッグ
大傑作です!
もっと高く評価されるべきと思います
海の沈黙とは劇中に登場する絵画の題名です
2024年公開
監督 若松節朗
映画よりどちらかというとテレビドラマ界の大物ディレクターとして有名です
脚本、原作 倉本聰
泣く子も黙る超大物脚本家
駅stationなど映画の脚本も書かれていますが、この人もまたテレビドラマの巨人です
無数のテレビドラマの脚本を書かれて、しかも名作ばかり
ところが、この二人が組んだ
テレビドラマは有るようでないみたいです
映画は若松節朗監督は近年活発に撮られていますが、倉本聰はもともと映画の脚本はとても少ない方です
一番最近の作品でも1988年の「海へ 〜See you〜」以来ですから、36年振りのことになります
この二人ががっちり組んで映画をとったならどういう作品になるか?
やっぱり導入部はテレビドラマ的作品の味わいです
テレビにはテレビ、映画には映画の映像の言語があるのでしょうか?
見せ方、展開の仕方にそれぞれの流儀や作法があるのかも知れません
テレビは基本茶の間で観るものですから、色々と途中で注意を逸らされながら鑑賞されることが多く、映画は劇場に観客を隔離して映像に没頭させることができます
その違いが脚本や演出にも出てくるものなのだと思います
しかし、中盤をすぎるころから、終盤に向かうほど、映画の味わいが深く濃くなっていきます
終盤は映画そのものです
冒頭
小泉今日子のアップです
まぎれもなく本作のヒロインですから、そこからスタートするわけです
占い師のような老人から色々と問われて答えるシーンです
さすが倉本聰です
ズバリと本作の要約を全てこのシーンで言い切っています
彼女の演技力はさすがです
そして本木雅弘
ものすごい演技を観ました
終盤の赤をくれ!のシーンは圧倒的でした
ずっしりとした本物の映画をひさびさに観た満足と喜びに浸りました
加筆
※ネタバレ注意※
以下は本作の内容を自分なりに登場人物ごとに整理してみたものです
劇中に明示されていないことも勝手に妄想してあります
倉本聰さんも、若松監督も映画なので、あえて一から十まで説明するまでもないとされたのだと思います
もしテレビドラマなら、このようなこまごましたことまで明示的に説明するシーンを入れたかも知れませんが、本作は映画なのだからそこまで詳しく説明しなくても良いと判断なされたのでしょう
すくなくとも、このように色々と妄想する楽しみがありました
そこがテレビドラマ界の頂上タッグの技とも言えると思います
(本木雅弘)
津山竜次
1960年頃生まれ
80年代中頃芸大入学
80年代後半海の沈黙事件で芸大退学後、札幌で彫り師として生計を立てる、この頃スイケンに出会う
90年代中頃、スイケンに呼ばれミラノに行き、欧州で刺青の彫り師としてマフィアの親分の庇護をうけ、彫り師の仕事のない時はミラノや欧州各地の美術館で模写する生活を続ける
やがてその模写がマフィアの親分を通じて贋作として出回るようになる
2000年頃、インターポールから手配され、スイケンと共に日本に帰国
2000年代初め、帰国後、スイケンをイタリア修業に送り出してくれたレストランのオーナーのところで飾られていた田村の漁村シリーズの落日を偶然見掛ける
その作品が自分の海の沈黙をベースにした作品である事に気づき、その作者が自分を画壇から追放した田村であることに驚く、しかも今はかって愛した師の娘安奈を妻としていると知り、さらに京都に愛人を作り安奈とは別居していることも知る
あまりの怒りに、自分ならこう描く!と田村の作品に加筆して、自分の方が画家として上だ!と彼への芸術家としての復讐を行うが、その落日は、そのままオーナーの手元に残される
その後色々な機会に展覧会や美術館に貸し出されるうちに評価が田村の作品として次第に高まっていく
(石坂浩二)
田村修三
1950年頃生まれ
70年代中頃芸大入学
70年代後半パリ留学
80年代中頃帰国すると
芸大後輩の津山の天才的才能に驚き嫉妬する、しかも師の娘と交際しており、もしかすると師の娘婿になるかもと聞き、そうなれば自分が画壇で栄進しようとする妨げになるものと敵視するようになる
それで、80年代後半海の沈黙事件が起きた時、津山追放の急先鋒となる
80年代後半漁村シリーズを製作して画壇に自歩を固めるが、津山の傑作海の沈黙を参考にした落日を1988年書き上げる
80年代後半津山と交際していた師の娘安奈と結婚し、以後安奈の父の後ろ盾を得て、さらに画壇に確固とした地位を築き栄進していく
2000年頃、漁村シリーズの落日の評価が高まる
その頃、結婚後も津山を忘れられずにいる妻と別居、京都に仕事場を移す
2024年、展覧会で自身の作品落日が、実は津山が加筆したものに入れ替わっていることに気づく
一目見て、これは津山の作品だと田村は分かっており、これは彼の復讐であって、海の沈黙事件への意趣返しであると見抜く
(小泉今日子)
田村安奈
津山と田村の芸大の師の娘
1970年頃生まれ
80年代中頃高校入学
80年代後半津山と交際
津山は母の体に父が自分の名前を彫ったように安奈の体に刺青を入れようとしたため驚き彼から逃れる
80年代後半、父の弟子の田村と結婚
しかし津山のことは忘れられず、結婚は破綻し2000年頃田村と別居する
90年代中頃から欧州各地の美術館で津山を見かけたとの噂を聞き、手を尽くして消息を調べるが分からないまま年月が経つ
2000年頃になって、また津山を見かけたとの噂を時折聞くようになり
2020年頃津山の詳しい消息を知りたく占い師にみてもらう
しばらくしてその占い師から津山の居場所がわかったと連絡を受け小樽に向かう
(中井貴一)
スイケン
1960年頃生まれ
80年代中頃札幌でイタリアレストランの料理人として働く
80年代後半、時はバブル真っ盛り
イタ飯ブームの中レストランのオーナーの援助でイタリアミラノのレストランに修業に出る
そのオーナーは実のところ半分ヤクザ、その後、ヤクザからは足を洗い実業家兼政治家になり、自分の事務所に田村の落日を何も知らずに購入して飾る
スイケン自身も、料理人でありながら半分ヤクザでもあり、それで、彫り師の津山や半沢医院長と知り合う
スイケンは90年代初め、ミラノで修業中、料理の腕を認められイタリアマフィアの親分に可愛いがられるようになる
90年代中頃、マフィアの親分から日本の刺青の彫り師を紹介してくれと頼まれ、津山をミラノに呼び寄せる
津山が刺青の注文をとりやすいように牡丹を人間カタログにすることを思いつく
津山が美術館で模写をするようになると、それをマフィアの親分に見せるとどうしても欲しいと言われて売るうちに、それがイタリアレストランの料理人よりも本業となってしまい、いつしか津山先生の番頭を自認するようになる
90年代後半インターポールから手配されたことを知り、津山と共に帰国
ミラノに行かせてくれた札幌のイタリアレストランのオーナーに帰国の挨拶に津山と共に出向くとそこに、飾られている絵に津山が激しく反応したことに驚き、海の沈黙事件のことを津山から聞き出す
2000年以降は、マフィアの親分から要請が合ったときのみ、津山と牡丹をともなって欧州各地に行く生活を送る
日本にいる間は津山から聞いた安奈のことが気になり、調べてみると、田村とは離婚できないものの別居していることを知り、それとなく、津山の消息の噂を彼女の耳に入れる
落日が展覧会にオーナーから貸し出されることを知り、津山の芸術家としての復讐を遂げさせる絶好の機会と考え、田村が必ず落日をしっかりみるように策を思いつく
今は大物政治家になっているオーナーに頼んで文科相の臨席を確実にして田村を京都から誘き出す
この策は上手く成功し、津山からの復讐であることを田村にわからせることができたが、スイケンはそれだけでは足できず、さらに、津山と安奈を再会させるべきだと考え、占い師との触れ込みで安奈に面会して、彼女の心のなかに未だに津山への愛があることを確かめる
そして津山との再会をアレンジする
(村田雄浩)
半沢院長
80年代後半から札幌の夜の街で表に出れない人々を診る医者として働いていてた その頃スイケンや津山と知り合う
(清水美砂)
牡丹
1970年頃北海道岩内生まれ
80年代後半札幌に出て夜の仕事につく
90年代初め頃津山に初めて刺青を彫ってもらう
この頃スイケンとも知り合う
90年代後半、スイケンと津山に呼ばれ欧州へ刺青の人間カタログとして度々出向くようになる
やがてそのギャラで地元の岩内と小樽に店を持つ
2024年、スイケンの代理人から数百万円の手切れ金、口止め料を貰う
しかし、ドガの贋作が津山の作品であることを村岡に口外したため、口を封じられる
犯人は恐らくスイケン
その人間カタログの刺青の異様さはかねてインターポールから日本警察に照会されていたため、死後すぐにインターポールが小樽に現れる
津山が自分の肌に触れて刺青を入れる時の優しさが昔の女性への捨てられない愛情から来ていることを知っているが、自分がどう足掻いても津山の心の中の女性に勝てないこともわかっており、津山の行き場を失った愛情を受け止められることだけで満足している
自分はただの津山のキャンバスに過ぎないと言い聞かせている
(菅野恵)
あざみ
2000年生まれ
スイケンから牡丹の後継に選ばれる
とは言え、インターポールの捜査も迫り牡丹のように人間カタログにして欧州での彫り師の商売は手仕舞いのようで、スイケンは津山に新しいキャンバスを用意したくらいに考えているらしい
彼女はそんなことは何も知らず、牡丹と同じように自分に触れる津山の優しさに惹かれていく
津山は結局あざみには刺青を入れようとしない
それはもう刺青をいれる意味が無くなったからです
安奈は自分の物だと刺青をいれようとしたことの代償として牡丹を扱ってきたのですが、落日贋作事件で田村への復讐も遂げ、安奈とも30数年振りに再会でき、もはや彼女に刺青を入れる男女関係では無い年齢にお互いになったと知ったこと、そして刺青を入れるまでもなく、安奈はずっと自分のものであったと彼は確信できたからです
それであざみに刺青を入れる理由も無くなっていたのです
刺青とは、男がこの女は自分のものだと、消えないしるしをいれるものでもあるのです
(仲村トオル)
清家
1970年頃生まれ
80年代後半芸大入学
2020年頃 中央美術館館長就任
地方美術館館長の村岡とは芸大の同窓
田村は芸大の大先輩に当たる
海の沈黙事件は田村、津山の後輩ながら何が起きたかは知っている
(萩原聖人)
村岡
地方美術館の館長
津山が加筆した落日に惚れ込み、高額にも拘わらず購入したものの、作者の田村から贋作とされ責任を取って入水自殺する
もしかすると、そうではなくドガの贋作が津山のものであることを牡丹から聞いたため、スイケンから入水自殺に見せかけて口封じされたのかも知れない
清家中央美術館館長とは芸大の同窓
本当は清家とはライバル関係だが二人とも、津山や田村のような優れた才能を持たず、将来はどこかの地方美術館の館長になれれば御の字だと在学中から清家と話合ってきた仲
贋作と、そうでないものとの違いは一体何?謎に包まれた天才画家を軸に、巨匠 倉本聡が私たちに問いかける。
男性目線のメロドラマ
問題を起こして美術界から追放された
才能溢れる画家(もっくん)
その昔つきあってた恋人(きょんきょん)
集中して観てなかった私が悪いが
仲村トオルと石坂浩二ともっくんは、同世代ってこと?
いやーそれはないか、と思いつつも、
明確に石坂浩二がもっくんを後輩扱いしないことと
髪を真っ黒に染めてちょっとパーマかけていることで、
同世代の役なのか???と、混乱し始める。
そこへ中井貴一の石坂浩二に対する「君よばわり」で
やっぱり3人は同世代設定なの???
ていうか中井貴一は石坂浩二より年上?
もっくんがキャンバスの前で大胆にハケを奮ってるシーンは
シブガキ隊のダンスパフォーマンスをうっすら連想
男性目線で、自分を主人公に重ねて感情移入するなら
もっくんぐらいのビジュアルは欲しい
画としても映える
きょんきょんの切なくもドライな感じよかった
昔の恋も40年くらい経ってたら、これくらい距離あると思う
画家兼彫り師の設定って必要だったかなー
どちらも興味を引く題材だと思うけど
あんまり深掘りもしてないし
清水美沙のエピソードも、うーん、アクセントにはなってるのかな
名声はないけど本当はすごい才能で誰かを感動させることができて
昔の恋人と切ない再会がちょっとあって
死ぬ間際に自分の納得いくものを描き上げて
これって男のロマンじゃね?
構想60年前
原作脚本は誰もが知っている有名な脚本家劇作家演出家の重鎮。
ネットの拾い記事によると──、
作家は『どうにも納得がいかないという美の価値への思い』を出発点とし『60年前に仕込んだ子どもがやっと生まれてくれた』と構想60年をしみじみ語った。
『時代が違うとわかった途端、作品を認めていた評論家も世間も美の価値を下げる。この風潮に納得がいかなくて、なんとか映画にしたいと思ってきた。』とのことで『作品の美に、作者や時代の裏付けが必要なのか。そんな問いかけだ。』と記事は結んでいた。
簡単に言うと時代遅れの不器用な絵描きの壮絶な生き様を描いた──という感じの映画。
世界的な画家の田村修三(石坂浩二)の展覧会で作品の一つが贋作だと判明する事件が起こる。 連日報道されるなか、北海道の小樽で女性の死体が発見され、この2つの事件の間に浮かび上がったのが、新進気鋭の天才画家と呼ばれ、ある事件を機に人々の前から姿を消した津山竜次(本木雅弘)だった・・・。
──というストーリーの中に、津山が田村の妻(小泉今日子)に淡い恋心を抱いていたり、彫り師でもある津山に女が寄ってきたり、病に侵され喀血しながら絵画を仕上げる、などが描かれる。
芸術家とはデカダンであるという大正浪漫趣味を恥ずかしげもなくさらし、刺青の針が女の柔肌に花や龍をきざむのが耽美であるとか、まだそんなたわごとを言うあほがいるんだ、という感じの昭和から一歩も動いてやるもんかという決意のみなぎった定石日本映画。
太宰治みたいな画家が吐血しながら絵を描くという退廃表現を令和に見るとは思わなかったという話だし、刺青が美学だって言いたいなら彫り物見せびらかしたい与太公だらけの三社とかだんじりとか見てからにしとけ、という話。
偉大な芸術家とは不健全なものである、という不文律がある。これは作家や作曲家、概して創造をする人物にいえる方程式のようなものだ。じっさいに、わたしたちが好きな大時代の絵描きや作家や作曲家はデカダンや不幸せを背負っていた。
ロートルならきっとモンパルナスの灯(1958)をご覧になったことがあるだろう。代名詞的な美男俳優のジェラールフィリップがモディリアーニを演じていた。貧乏なのに酒飲みで、カフェに入り浸って客の似顔絵を描き、むりやり売りつけて得た金を酒代にして夜の街を徘徊していた。それを身重の同棲者ジャンヌが一晩中探し回る・・・。結局モディリアーニは貧困と肺結核、大量の飲酒、薬物依存などの不摂生と荒廃した生活の末にしぬんだ。
この絵に描いたような悲劇映画は日本で大ヒットした。
おそらくこの映画を書いた大先生もモンパルナスの灯を見て感涙したくちであろうと思う。フランス映画の退廃は日本映画に芸術家=デカダンという紋切り型を生成した。だから津山は喀血しながら絵を描くわけ。
念のために言っておくがジャックベッケルのモンパルナスの灯はいい映画だ。が、2020年代にその憧憬で映画をつくられたらかなわない。構想~年ていう日本映画が大好きな謳い文句あるけれども、およそ時代にそぐわなくなっている題材を後生大事にかかえてきたってだけの話でしょうが。
だいたいデカダンが芸術家のあるべき姿だというなら、健全で裕福でハングリーさのない人間はいい絵を描けないのか。その両義性や相対性や複合選択性を一顧だにしないのが日本映画の特徴であり、日本では悲劇的状況にフルスロットル入れちまう猪突猛進な人しか映画をつくらないことが再確認できる安定の日本映画だった。
暗いだけの作品
ミスキャスト
小泉さんの役はとても重要だと思うが、どうしても「~してますの」みたいなお上品な奥様言葉が似合わなくて笑ってしまった。どうしてこの役に抜擢したのかわからないけど、せめてこういう言葉がすんなり言える女優さんにすべきだったと思います。小泉さんじゃどうしても元ヤンでいまだ「~じゃん」とか言ってる役しか無理でしょうよ。なんか全体的に暗い情動みたいな映画なのに、小泉さんだけ浮いてて残念でした。
あと、もっくんと仲村トオルとキョンキョンが同級生はわかるけど、そこに石坂浩二は無理でしょ。せめて石坂浩二は恩師役にでもしないと、ギャップがありすぎて理解できないよ。石坂浩二は恩師役で、若い才能と恋人を奪ったでいいじゃん?なんで同級生にしたのよ、どう見ても変でしょ。
言葉ではないもので伝える
絵画界を去った男性と女性が時代が流れ、それぞれ立場を変えて数十年ぶりの再会と別れ。
現代とは違い想いを言葉にしない表情や仕草は鑑賞するこちらに数十年溜まった憎しみと愛情をのせた想いを想像させられる。
この想像がある意味心地いい人間ドラマとなっている。
だから?
美の無限
“贋作”と言うと一見本物そっくりだが、プロの目からすれば本物に劣る偽物、紛い物という印象。
しかし劇中でも語られていたが、この世には、見分けが付かず、“本物”として認知されている“贋作”だってあるかもしれない。
“偽物”が“本物”を超えた時、果たしてそれは“贋作”と言えるのか…?
世界的画家・田村の展覧会が開かれるが、名画の一つが贋作である事が判明。
田村自身が認め、作品を飾っていた美術館の館長が責任を取って自殺するなど波紋が拡がる中、北海道・小樽で身体中に刺青が彫られた女性の遺体が発見される。
何の関連も無いと思われたが、贋作画家と刺青彫師が同一人物の可能性が。
田村と同期で、当時異端の天才と呼ばれながらも、問題を起こして絵画界から抹消された津村の存在が浮かび上がる…。
世界的名画が贋作だった…!
ミステリータッチの導入はいい。
『嘘八百』や『コンフィデンスマンJP』などで贋作を扱った話があり、それにプラスして殺人や複雑な人間模様のミステリー(雰囲気的に松本清張風)を期待したい所だが…、
表舞台から姿を消した一人の画家の、画や美への凄まじき執着のドラマであった。
世界的画家が展覧会中に贋作である事を認める=敗北を認めるほど。稀代の天才か…?
絵画界から抹消された理由。キャンパスを買えぬほど貧しく、ある時師の描いた画の上に自身の画を…。絵画への冒涜、問題児か…?
父親が刺青彫師。自身も刺青を彫る。美しい女性の身体を求め…。エロオヤジか…?
末期の癌。血を吐き、倒れながらも、画を描く。狂気とも言えるその執着。
かつて田村の妻・安奈と恋仲。今回の件で再び再会し…。哀しき男の愛。
複雑な内面と人間像。狂気と哀愁滲ませ、減量し、自ら筆も持ち、本木雅弘が圧巻の熱演で魅せる。
小泉今日子、中井貴一、清水美砂、仲村トオル、石坂浩二らベテラン/名優陣。
倉本聰の脚本、若松節朗の演出。
アニメや若者向けの昨今の日本映画の中でも、じっくりと大人の鑑賞に耐えうる作品になっている。
しかし、“名画”にはなり損ねたという印象。
美への飽くなき追求、美へ囚われたと言っていいほど。
そこに倉本聰の哲学さえ窺える。構想は60年…!
だが、いまいちよく分からないような、分かり難いような、分かる人には分かる、分からない人には分からないような…。
美への追求や執着なのは何となく分かったが、でも結局の所、何を伝えたかったのか…?
登場人物の言動も。中井貴一演じる津村の番頭と名乗る男、何者だったの…?
清水美砂演じる牡丹が自死した理由は…? モックンと清水美砂の『シコふんじゃった。』以来の共演は嬉しいが、彼女の役回りは必要だったのか…?
小泉今日子演じる安奈との過去の悲恋も何だか陳腐。
モックン、石坂浩二、仲村トオルが美術学校の同期という設定も無理がある。
濃密で深淵さを打ち出しているが、詰めが甘い点多々。
大人向けの作風ではあるが、それは格調高く洗練されたものではなく、古臭さも否めない。
劇中の問題の絵画、“海の沈黙”。
そこに何が見えるか…?
激しさ、荒々しさ、鮮血のような赤、繊細さ、静けさ…。描いた津村にとっては…。
本作もそれが言える。本作から何を感じるか…?
崇高な名作、ヒューマンな秀作、キャストの熱演以外見所がない凡作、TVの2時間ドラマで充分…。
あなたが見えたもの、感じたもの、それぞれでいいのだ。
美に明確な答えはない。一つじゃない。
“本物”に魅力を感じなくても、贋作に魅せられようとも。
あなたの心に感じたものが美。
美は美であって、それ以上でもそれ以下でもない。
最後の最後にこの台詞を聞いて、倉本聰が言いたかった事が少し分かった気がした。
巨匠の原作脚本を演者が超えちゃったかな(^◇^;)
自宅レイトショー『海の沈黙』Netflix
タイミング合わず劇場パスした作品
モッくんの役作りでの痩せ方は、水抜きなのか!?ってくらいカサカサで壮絶で、KYON2との共演はデビュー当時から知る同年代には胸熱なんですが、続・続最後からを観た後なので、貴一さんとの共演ギャップがツボでしたw
他の出演者も主演級レベルで安定感抜群なので、作品的にも賞レース席巻するかと思いましたが・・・
巨匠の原作脚本を演者が超えちゃったかな(^◇^;)
映画に一筆付け足したい…
怒られるだろうか。もっと竜次と安奈の過去やスイケンとの過去、田村との確執、牡丹やあざみとの関係、村岡の贋作「落日」への想い等々。芸術の上手い下手、つまりは美はお金では買えないとか分かるが、出演陣も良いし、それだけに惜しかった。しかし、本木雅弘と石坂浩二、仲村トオルが同窓って年齢的に無理があるとずっと思ってしまった。
尊敬する倉本聰の作品だっただけに少々残念。 そう言えば、昔から倉本...
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