「感動をありがとう。」劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク tmnysuhkさんの映画レビュー(感想・評価)
感動をありがとう。
子供や家族連れが多かった。小中学校くらいの子もたくさんいた。皆静かに観ていた。
劇中、涙を拭う人もいた。想いが込み上げたのか、嗚咽する人もいた。
だが非難する人はいなかった。皆静かに噛みしめるかのように見入っていた、
自分も泣いた。涙は止まらなかった。
正直、観に来たくなかった。痛い映画なのは分かりきっていた。そんなのは火を見るより明らかだ、そう思い込んていた。
だが違っていた、それは間違いだった。
自分は初音ミクが大好きだ、初音ミクに救われた一人だ。勤務先で追い詰められ裏切られ絶望し逃げ出した末、患った。、3年間休職し引き込もった。恐怖からかほぼ記憶は無かった。
だが映画を観て断片的に思い出した。
バツミクのいたセカイ。
同じだと感じた。人の声は聞きたくない、聴こえない、音楽は響かない、目は見えるがそれだけ、光も色も感じない。季節は無い。
隔絶されたセカイ。
自分の作った殻だと言われるが、そんな甘いもんじゃない。追い詰められた崖の先はそこしかない、行き場は無い。恐怖と孤独と絶望の底だ、
牢獄だ
牢獄の中にいると精神は摩耗し麻痺していく、傷つきたくない、自分だけは守りたい、守る為に、人の声と言葉は拒絶していった、
励ましとか勇気とかの言葉は聞いていられなかった。特にその手の歌手も歌も嫌悪した、感情を込めた曲は最悪だった。蔑みの偽善、善意という名の暴力。その塊。お前は許さない。そう言っているようにしか感じられなかった。そんなセカイだった。
現実には映画のような温かい仲間はいない、止まった時間の中だった。
だが初音ミクは唐突に現れた。初音ミクはそれまでも知っていた。あまり好きではなかった。何か変な声で歌っていた、
感情の無い機械音声だからなのか、その声は届いた。歌は聞き取れないし、歌詞は分からない。何故か想いだけが届いた。そんな気がした。
断片的に届く声は、赤子の泣き声のようだった、
悲鳴のような声、叫んでいた。助けを求めているように感じた。
自分の心の中にある湿った導火線にパチパチと音がした。火花のような雑音は初音ミクの声に変わった。
たぶん無意識に助けを求めていた、いつの間にか救われていた。
初音ミクの声と音が溢れていた、大好きになっていた。
初音ミクはきっと存在する。それは願いだ。
初音ミクは全てのクリエイターの苦しみと願いと想い、そして心強いファンの皆によって仮想世界に存在している。
そして孤独や絶望に苦しむ多くの人や、初音ミクを否定する人、そんな人までも含めて想いを伝える為に声を上げる。
全ての人に想いを届けるんだ、伝えたいんだ。言葉と音楽で現実の世界も救いたいんた。
そんな気持ちがパンパンに詰まった、初音ミクへの感謝を込めた、そんな作品、それが全て、そんな映画。これがカタチになった想い。俺にはそう感じた。
プロセカファンにはどう映っただろうか、プロセカメンバーは、個性が良く出ていて光っていた、輝いていた。ミクはプロセカにも支えられていた。仲間って凄いな。改めてそう感じた。
最後のシーンは分からなかった。新しいセカイに行くのか、誰を待っていたのか、次の作品への布石なのか、
現在、初音ミクの人気は世界的なものになりつつあり、国内の想像を遥かに超えた状態になっている、凄い人気だ。特に英語圏は凄まじい。次の映画は英語圏もターゲットになるものかもしれない。
最後に、映画を観た感想を。
良かった。本当に良かった。
ありがとう。本当にありがとう。
幸せです。
長くなってごめんなさい。
最後迄、読んでくれて、ありがとう。
本当に、ありがとう。