「犬と同じように粗末に扱われた主の家族の場面対比」アイム・スティル・ヒア てつさんの映画レビュー(感想・評価)
犬と同じように粗末に扱われた主の家族の場面対比
幸福そうな海辺での家族の姿から始まる。海中から顔を出すエウニセ、子どもたちそれぞれサッカーやビーチバレーボールに興じ、迷い込んだ犬を娘の一人が弟のマルセロに託し、マルセロは家で飼いたいとエウニセやルーベンスにせがみ、二人は最初は断ろうとするが、押し切られる。車に乗って移動中に、娘の一人がムービーカメラを動作しながら、ありきたりの家族や風景を録画していくが、途中のトンネル内で取り調べを受けてから、運命が文字通り暗転していく。
ルーベンスの連行の後、エウニセとエリアナも連行され、女性にもかかわらず、執拗に連日取り調べを受け、帰してもらえない。家に残された年少の子どもたちは、もちろん不安だったろう。母姉の連行前だったかもしれないが、マルセロは健気に監視役の男を相手に、父と同様にゲームで気を引いていた。エリアナが先に帰されたようで、エウニセが戻り、エリアナも安心したのも束の間、年少の子どもたちの不安を慮ったエウニセの心遣いにもかかわらず、エリアナ、そしてロンドンで真実を知った長女のヴェロカとの溝が生じてしまった。
ある日、家の前の道でけたたましい音がして、エウニセが出てみると、飼っていた犬が車に轢き殺されていた。監視役の男たちの仕業らしい。この頃、ルーベンスも殺害されていたのではなかろうか。女中に払う給料の金を得るためにルーベンスの銀行口座から引き出そうとして認められず、外貨両替で凌ぎ、後日ようやく不要な土地の買い取りが認められた。ヴェロカが帰国し、リオデジャネイロの家を引き払って、サンパウロに移ることになり、冒頭場面のように海辺で楽しむことになり、エウニセがまた海中から顔を出し、子どもたちも遊ぶが、ルーベンスの姿はない。
エウニセは大学に戻ると言っていて、研究職かと思ったが、25年後の職は弁護士で、学生に戻ってからということだったようだ。マルセロは電動車いす利用者になっていた。ルーベンスの死亡証明書が発行され、エウニセは、区切りをつけるとともに、国による補償責任を訴えた。
さらに18年後には、子どもたちをそれぞれ家族を増やし、賑やかに集まり、エウニセは年老いて認知症であるようだが、テレビでのルーベンス他の政治犯たちの消息の放送を観て、心が動く様子だった。そしてルーベンスが健在だった頃の録画ムービーが放映され、懐かしげに見入っていた。
フィクションであれば、長い忍耐の末にルーベンスが戻ってきて、家族の幸せを噛み締めるという結末も可能だったかもしれないが、現実はこんなにも過酷で、ちょうど飼うことになった犬の運命と同様に、主が粗末に扱われたということだ。その対比の構図も良かったと思った。本当によくできた政情批判のホームドラマだった。
