「自ら車を運転して出頭したルーベンスは、そのまま帰ってこなかった。」アイム・スティル・ヒア 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
自ら車を運転して出頭したルーベンスは、そのまま帰ってこなかった。
1971年1月(夏)、軍事政権下のブラジル、かつては下院議員を務め、リオで建築業を営んでいたルーベンス・パイヴァの拘束と行方不明について、その妻エウニセが、どのように行動したのかを描いた、長男マルセロの回顧録に基づく感動作。
その日、ルーベンスは、私服で銃を保持した秘密諜報機関と思われる人物の訪問を受け、自分の車を運転して当局に出頭する。ルーベンスには、水面下での政治亡命者との付き合いがあったようだ。翌朝には、妻エウニセも拘束され、情報の提供を求められる。服を替えることもできないエウニセの独房での拘束と尋問は、12日間に及んだが、ルーベンスの行方は全く不明だった。エウニセは、ルーベンスの生還だけでなく真実を明らかにすることを求めた。そのような活動には危険が伴い、家族間の軋轢もあったろう。実際、この家族は、軍事政権が続いているあいだ、ずっと監視下に置かれていた。しかし、この映画の冒頭でのエピソードが活きてくる。いくら経済的に恵まれているとはいえ、エネルギーに満ち溢れた家族だった。
ルーベンスの生還を待つエウニセは、購入していた土地を売り、邸宅も貸して、お金を作ると、生活費の高いリオからサンパウロの実家に戻り、子供たちを育てながら、大学に復学して弁護士の資格を取り、社会運動に従事した。
25年後の96年、エウニセの活動の結果として、はじめてルーベンスに関する公的な文書が公開される。その時、エウニセを囲んでいたジャーナリストから問われて彼女が返した言葉が、この映画の白眉;(軍事政権が85年に終了した以上)過去の事件を振り返るよりも(今、エウニセが取り組んでいるような)優先すべき事柄がたくさんあるのではないか、との記者の問いかけに対し、彼女は「過去の過ちを検証しなければ、また同じことを繰り返すことになる」と訴えた。実際、軍事政権下で捉えられて帰ってこなかった人たちは2万人を越えたと言う。彼女は、被害者家族への補償を求めたのだ。
大変、驚いたこと、96年の時67歳だったと思われるエウニセは、認知症の症状を示していた。ここで映画は終わりにして、あとは、写真とテロップを示すだけでも良かったのではないかと思ったが、私の言い過ぎか?
