「性の不一致 一番傷ついたのは誰」ベイビーガール レントさんの映画レビュー(感想・評価)
性の不一致 一番傷ついたのは誰
御多分に漏れず氷の微笑のようなセクシャルサスペンスを期待して見事に砕け散りました。夫婦間の性の不一致をテーマにまじめすぎるくらいまじめに作られた作品で正直面白みはありません。
主人公は一代で会社を築いた女性CEOのロミー。そんな仕事もプライベートも充実しているように見える彼女が実は夫ジェイコブとの夫婦生活には満足できておらず、インターンとして現れた青年サミュエルに魅了され溺れていく物語。
登場シーンからして暴走した犬を簡単に手懐けてしまうサミュエル。彼は生来的に動物を手懐けるツボをわきまえていた。当然女性という動物のツボも。
彼はロミーと出会い彼女が求めているものをすぐさま見抜く。人の上に立つ人間だが実は支配されたい願望を持っているのだと。彼女の中に潜むマゾヒスティックな願望を一発で見抜いてしまう。
そんな遠慮のない無礼な物言いの彼に対して憮然とした態度を取りながら図星だったロミーは彼に惹かれていく。そして次第に彼の要求を拒めなくなる。彼は自分の求めていることが手に取るようにわかっていた。夫との行為では一度も感じたことのない快楽を彼は与えてくれる。彼との情事にふけり次第に泥沼にはまってゆくロミー。
彼を独占したいがために彼女は自分の権力を利用しようとする。しかし右腕のエスメに諭されて我に返る。この辺がかなり物わかりのいい大人だ。
彼女は自戒の念を抱き、サミュエルとの過ちを夫ジェイコブに告白する。しかし、嫉妬心に囚われた夫は聞き入れてくれない。自分の性癖を理解しようとはしてくれない。
別荘でサミュエルと会っているところにジェイコブが現れ二人は取っ組み合いとなる。サミュエルは妻の性癖を理解しようとしないジェイコブに対してそれは古い考えだと戒める。そして彼は二人の下から去ってゆく。
サミュエルのおかげでジェイコブは心を入れ替え妻の性癖を理解し彼らの性生活は充実したものとなり円満な夫婦生活を送ったのでした、めでたしめでたし。
終わってみればサミュエルは彼ら夫婦仲を壊すためではなく夫婦の絆をさらに強めるための性指導の役割を果たしただけの存在だった。彼が何をしたかったのかはあまり描かれない。不倫ものによくあるばれるのばれないのみたいなのも一応描かれるけどさほどスリリングな展開もない。正直言ってエンタメとしては物足りないし、女性の性に関する話としても新鮮味はない。
そもそも結婚して19年間もロミーは演技していたということ、そしてそれに気づかないジェイコブ。劇中やたらと若いあなたを傷つけたくないとロミーがサミュエルに言うけど、一番傷ついたのはあなたでいったことがないと告白されたジェイコブでしょう。まあ、彼もサミュエルに言われた通り古い時代の男、独りよがりなセックスで妻を満足させられていると思い込んでたわけだから、哀れながらも自業自得の面も。そして自分の性癖を理解してもらおうとしなかったロミーにも責任はある。
セックスはパートナー同士の重要なコミュニケーションの手段。お互いのツボをわきまえて一緒に快楽に浸るもの。だからこそお互いのことを深く理解した上で行わなければ意味がない。
確かに昔の時代は男だけが能動的に行為を行い、女性は受動的に義務的に付き合わされるだけで生涯オルガスムスを経験しないまま人生を終える女性も多かったという。
キリスト教圏の国では女性が性に対して積極的であることさえタブー視されることもあると聞く。そういう点でロミーが夫に長年自分の性癖を語れなかったのもわからないではない。
そんな欲求不満の人妻が若いツバメとの悦楽に溺れていくというもはや手垢のついたような古臭いエロティックなドラマを御年57歳のニコール・キッドマンが演じた。彼女が体当たりで大胆なヌードや濡れ場を演じたという以外あまりこれという魅力のない作品。途中でこれは見たかった作品ではなかったと退屈しながらの鑑賞だった。
強いて良いところと言えば最後の方で取締役のような高齢男性がロミーに対して横柄な口をきいたのに対してロミーが負けじと言い返す場面。まさに女性の性の解放が女性の社会的地位を押し上げたことを象徴するような場面で女性監督ならではの視点で描かれてるのが感じられた。
ただ、いまさら1960年代の女性の性の解放やフリーセックスなどの時代を経ている現代においてこの映画で描かれたような内容では今の観客にとても満足してもらえるとは思えない。
そういえば本作を鑑賞して昔若いころ好きだった漫画家の石坂啓さんの「スリット」という作品を思い出した。あの作品も似たような社内不倫の話だけど本作より何倍も刺激的な作品だったなあ。