ベイビーガールのレビュー・感想・評価
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いわば、ヤッてしまった世界線の「アイズ・ワイド・シャット」。
「ファーストキス 1ST KISS」
が絶賛大ヒット公開中だが、そこに期待したものがなかってがっかりした人。その期待したものは、ここで観れる(かもしれない。)
「ベイビーガール」
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Babygirl。直訳すると、「かわいらしい・守ってあげたい存在」(男女問わず)らしいが、ここではもう少し掘り下げると、イケメンがキッドマンに対し、そう呼ぶことで支配的な言動で主人公の潜在的な欲望や弱さをさらけ出させる関係を表してもいる。
体は、90年代の「ナインハーフ」を代表するオシャレ系セクシー映画。舞台は現代だが、使われる楽曲は、ジョージ・マイケルやINXSといったそのころのものだし、主人公のちょっと困った娘の髪形もまさに、それである。
ぱっと見エロティックムービー。
しかし、なぜもはや名女優となったキッドマンが本作に出演し、体当たり演技をしたか、がオレの一番の関心事だった。
途中(どうせわかりきったことだが)旦那にバレて、(というよりバレるようにイケメンは行動している)家族が崩壊手前まで来たときに、ああ、これはあれだ。
本人の代表作(そしてクルーズ、キューブリックの傑作)「アイズ・ワイド・シャット」の妻アリスの在り方を再構築して、現代の「行き過ぎた多様性への配慮」にカウンターを当てることを目指したのではないか。
いわば、ヤッてしまった世界線の「アイズ・ワイド・シャット」。
とすれば、90年代のエロティックムービーが流行ったころの、「男目線」で作られてきた作品群が、実は「女性のほうの」自身の自我の目覚め、性の目覚めでもあった、という解釈が作り手側にあり、カウンターとして、キッドマンでないといけないし、低俗とされたエロティックムービーのルックをあえて採用したのはA24らしい、ということか。
「アイズ・ワイド・シャット」のレビューでは、ムラムラしたら、ただ奥さんとF**k、すっきりすれば「賢者」とまとめたが、あなたではイケない。と言われるとショックだが、私はこんなセックスが好きなのよ。と言ってくれることもないから、浮気して目覚めてきなさい、とは言えない。
だが、奥さん自身が自分の意志でそうされると、こっちはたまらないが、それも否定できないような流れになるのかなあ、と「ファーストキス」よりもはるかに、熟年期の夫婦(はい、そうです。ウチです。)の関係について考えさせられた。
ただ、確かに、「アイズ・ワイド・シャット」よりさらに「家庭」、「仕事」、「老い」、「性欲」について、とっても盛沢山なテーマなんだけど、見た目が「エロティックムービー」で片づけてしまわれそうなところが、狙い通りであると同時に「ありふれた」「安っぽい」ともとらえられそうなところが痛しかゆしだ。
追記
これなら、夫役はクルーズでしょ、というわけにはいかないだろうから、のアントニオ。(アントニオもエロティック系出てたね)
イケメンとの殴り合いに負け、咽び、声がかすれる姿が最高に哀れで、最高にかっこよかった。
ハリス・ディキンソン恐るべし!
地位も名誉も幸せな家庭も手にした女性CEOが、夫との満たされない性生活をある日会社にやって来た青年インターンとの関係によって埋めていく。ギリギリで抑えていた欲望の水門が壊れ、その先に果てしなく広がる快楽の海へ運ばれて、悦びながら溺れていく。
と書けば、これまでなら破滅的な物語を想像するかもしれない。すぐ頭に浮かぶ過去作が何作かある。でも、結論から言うとそうはならないのだ。
その結論に驚きを隠せない人もいるだろう。しかしそれよりも、ニコール・キッドマンとハリス・ディキンソンが演じる出会うべくして出会った、否、出会うべきではなかった男女が、無言のまま特殊なプレーに没頭していくプロセスが面白すぎて、こっちまで抜け出せなくなってしまうのだ。実は何をしているのかよく分からないところも若干あるのだが、お互いの役目を熟知し、決して外さない男女の性的な遊戯(←もしかして死語でしょうか?)から目が離せなくなるのだ。
監督のハリナ・ラインは端からキッドマンを想定して脚本を執筆したとか。それ以上に、ディキンソンの冷酷無比な支配者ぶりが秀逸で、『逆転のトライアングル』('22年)で演じたラブドール的な役柄と比較しても、今、最も目が離せない存在だと再認識した次第である。
未知なる領域に踏み込んだ異色作
誰もが羨むキャリア、社会的地位、愛に溢れた家庭生活。それらを全て手に入れ、誰もが「成功者」として疑うことのない主人公ロミーの人生だが、本作はそんな彼女が内に秘めた性癖を充足させてくれる人物と巡り合ったときに巻き起こる予測不能のシーソーゲームをスリリングに描き出す。会社のCEOとインターンとの間でこんな精神的な下克上が起こるなんて、昔の映画であれば『流されて・・・』を思い起こしたり、もしくは仕事上の性的関係の面で『ディスクロージャー』的な展開すら予測してしまうが、他でもない現代に解き放たれた本作は、ロミーの迷える行動、心理状況、意志の力を、新進気鋭の女性監督ならではの視点で包み隠さず描き尽くす。そのはるかに高いハードルを難なく超えてゆくキッドマンの果敢な演技には恐れ入るばかり。作品の好みは見る人によって分かれるだろうが、これまで描かれたことのない未知の領域に踏み込んだ作品としては評価したい。
危険で刺激的なパワーゲーム
地位も名誉も手に入れた大企業の美しきCEOが、年下のインターンとの出会いによって快楽に溺れていく危険で刺激的なエロチックエンタメ。予測不能で先の読めないパワーゲームにグイグイ引き込まれた。そして何と言っても主演を演じたニコール・キッドマンの体を張った演技が素晴らしく見惚れました。
2025-72
ベイビーガール
手がシワシワ😥
ニコール·キッドマンとハリス・ディキンソンの下剋上オフィスラブストーリー。
なんとなく内容の想像がついてしまう。
想像の上を超えて来るものではなかった😥
ニコール·キッドマン主演作で直近に観たのは飲んだくれの女刑事役の ストレイ·ドック 。メイクがヒドかった。
今回はポスターがステキだったからちょっと期待。
新鋭女性監督とタッグを組んで定期的に出演するとのたまっているニコール·キッドマン自身のプロデュース映画みたいなものだからまあ仕方ない。
ハリス・ディキンソン出演の映画はキングスマンから全部観てる。
イケ好かない軽い役が多いが、引っ張りだこ状態。変な魅力がある。
今回もすっとぼけた、とても図々しい奴。
犬も熟女のグルーミングもお手のもの。
下剋上ハラスメントも狙ってやってんのかわからないほどお上手。
てっきり娘にもお手付きしちゃうのかと思ったけど、そこらへんはアダルトビデオと違ってお上品。
職歴が政府要人警護とか海兵隊員とか犬の調教師とか怪し過ぎる。新人商社マンとしては異質。
ストレイ·ドックの続きとしてはドック繋がりだったのは面白かった。
逆転のトライアングルでは最後、チ〇チ〇リンのフィリピンおばさんにご奉仕する羽目になったから、逆転の逆転、再逆転。
なんでよりによってバイクのカワサキなのよ!
アントニオ・バンデラスの旦那はよく頑張るなぁと思いました😭
彼女がロボットに仕分けさせる配送会社のCEOになったのも会長のオジサンとの濃いーカンケ―が絡んでのグレーな人事によるみたい。イタい経験を積んで成長したのはわかるんだけど···
これがベネチアで主演女優賞?????
新入社員がわざと床に捨てたネクタイを翌朝拾ってこっそりバックにしまうキッドマンのお芝居にはニッコーってしてしまったけど。
恵比寿ガーデンプレイスにあるオシャレな映画館まで行って観たのは正解でした。ガーデンタワーには彼女みたいなCEOがいそうです。
駅のミルクスタンドで瓶牛乳飲んでから、ガーデンタワーの最上階で自分の稼いだお金で高級ディナーを食べてみたい気分にちょっとなる映画😎
いやらしいったらありゃしない。
今年57歳のニコールが、実年女性の性を剥き出し全身で体現する凄まじさ。まずはこれに圧倒され、「ナインハーフ」や「フィフティ・シェイズ」で映画でやろうとする男女支配ロマンスの多様性含む最新状況に、ちょっと企画のいやらしさを感じずにいられなかった。A24と聞いて、「でしょうね」と思った次第。
SM願望とは…
ニコール・キッドマンの出演作を映画館で観るのはものすごく久しぶりで、最後に見たのはアザーズ。
(あとでよく調べたら、ライラの冒険でした。えーと、2007年だから18年ぶり)
久しぶりのニコール様、大画面でみるとやはり老けた…でも、57歳という年齢を考えると驚異的な美しさです。
美熟女CEOが若いインターンにマゾッ気を見抜かれて服従させられる…という刺激的な題材をどう料理してくれるのかと期待して観ましたが。
うーん、想像してたのと違う!
犬の真似したり、割れたカップを拾わされたり、後ろから×××されるだけ?
もっと○○○されたり、ーーーされて、△△△されて…とかじゃないの?(自粛)
…と思いかけましたが、SMといってもハードなのからソフトなのまで色々ありますもんね。
なら、精神的なSM(言葉責め系)に期待しよう!と思いきやそっちの描写も全く物足りず。
「あなたの言う通りに何でもします」と言わせたのがクライマックス?
主人公目線で物語が進むから仕方ないのですが、インターン君の行動が謎すぎて意図が不明。SM関係を社会的な野心の達成に利用…しないんだね。結局、密室でのやりとりに終始してしまっていたのがつまらない。
倒錯した性的ファンタジーを持っている女性でも結局は恋愛関係を求めてしまう、というのも、まあ女性の心理としてはありがちなのですが、主人公がCEOの意味はあったの?
男社会の中でCEOにまでなった女性なのだから、ありきたりの女性とは違うんじゃないのと。(そこは部下の女性にも言わせていましたが)
主人公はヒッピー(カルト?)コミューン育ちなのをちらっと語っていましたが、被虐趣味の要因だったということなのか?
娘のうちの一人はLGBTのようだけれで、そのへんも盛り込みすぎて色々と消化不良。
男女の性的主従関係を描いた物語、古くはエマニュエル夫人とか、O嬢の物語とか、団鬼六の作品群とか、色々ありますが、どれも年長者の男性→若い女性の関係で、年齢が逆転したらどうなるのか、というのが一つの見所だったと思うのですが。
「あなたを傷つけたくない」としきりに言っても「ハア?何言ってんの?俺の方が(性的に)立場が上だし」てインターン君に冷たく言われて、余計にハアハアしちゃう主人公。
だめだこりゃ…
ラストで夫に奉仕(!)させながら、脳内でファンタジーに浸っていましたが、これが最適解だったのかと突きつけられてちょいとがっかりしました。
女性の性欲の扱いって難しいですね。
⭐︎3.3 / 5.0
個人的にはかなりの名作
期待せずに観たつもりが、まさかの良作。
6P鑑賞ということもありあまり期待していなかったが、思いのほか心に刺さる作品でした。
不倫の是非は置いておいて、人間の欲や弱さ、繊細さにフォーカスした描写が秀逸。
理解できないとB級に見えてしまうかもしれない難しさはあります。
劇場内に微妙な空気が流れるほど露骨な描写もあるが、そこに込められた意味を汲み取れるかどうか、本人の恋愛観や経験によって評価が大きく分かれそうですね。
ただ目があってはじまるのが男女だと思うので違和感なく見れました。
リアルな女性心理の描写。
満たされない夜の生活、若い男への依存…テーマはありがちでも、女性特有のヒステリックさ、劣等感、視線、仕草までが非常にリアルに描かれている。
犬やミルクといったアイテムに込められた主従関係の暗示も巧みでみどころです。
娘たちの描写にも深みがあり、
優しく穏やかなホームレスに靴をわたして裸足で帰ってきてしまう娘はおそらく夫似、反抗的で浮気性なレズビアン娘は主人公似。
表面上は問題児に見える妹の方が、実は母親を深く理解している構造も物語に納得感を与えています。
気持ち悪いような際どい描写もビジュアルの良さでカバーされています。
不倫相手のセリフ「ぼくのベイビーガール」「綺麗だよ」と言うと本当に可愛らしく見えるんです。
「私はあなたのことが怖くない 私の欲しいものをよく知ってる」
人が恋愛にハマって失敗する理由が詰まっています。
最初のシーンの「私はあなたを恐れていない」と同じセリフでもタイミングで意味が変わってくるのも面白かったです。
ジェンダー描写もありましたが、あくまで主人公視点からの風刺的な表現だったと思います。
女性監督だとこのあたり偏りがちだなーと感じることは多かったのですが、その点見やすかったです。
正義感の強い真面目なフェミニストの本命彼女と、プライドは高いが繊細でドMな主人公のコントラストも面白いです。
「尊敬できるあなたでいてください」「野心と道徳を履き違えないで」のやりとりはその部分がよく表現されていました。
惜しいラスト、でもまた観たい。
終盤はややありきたりな展開で締めくくられたのが残念だったが、それでもまた観たくなる魅力があります。
万人受けはしないかも…でも個人的にはブッ刺さった作品でしたね。
期待値が高くて残念
だからなんやねん!パート2
タイトルのだからなんやねん!パート1はアノーラです。
ニコールキッドマン、相変わらずの美しさ。裸のシーンなんてほんまもうすぐ60歳やと思えないくらい。鍛えてるんやろうなあ。
肝心の中身はというと、映画館で観る必要はなかった…
有名なCEOがインターンの若い男性との肉体関係にのめり込んでいくという話だが、あそこまで成功している人がなぜあんな胡散臭い男に惹かれるのか?破滅願望なのか?なるべくリスクを避けて生きていこうと思っている私には1ミリも理解できず。二重生活に苦しくなり(というより彼女に圧をかけられ)夫に暴露するのも、いや〜自分勝手やわ〜。絶対また同じことすんで。
熱演やとは思うけど、ニコールは出る映画を選んでほしいなと思う今日この頃でした。
最後に、映画とは関係ないが鑑賞中に何回もスマホをいじっている人がおり集中が途切れた💦スマホいじりたいなら映画館で観ないでいただきたい😡😡
夫婦関係のインターンシップ
まず恋愛ではないですね。ロミーは途中から我を忘れてしまいますが、恋愛感情とは到底違う。
支配と服従のゲームとして見るとやや食い足りない。女性解放の語り口ではない。
まあ個人の嗜好をスキャンダラスな装いで見せた作品という感じでしょうか。
唯一良かったのは、最後の方に出てきた昭和を体現するようなおっさんにビシッとNOを突きつけたところ。
ロミーを演じるニコール・キッドマンは女優魂を見せて頑張ってました。ポドックス注射はセルフパロディなのでしょうか?凄いな。
サミュエルは高身長でイケメンなのは間違いないのですが、爽やか系というのではなく、また策士という感じでもない。ちょっと垢抜けない若造風にも見えますが、かと言ってガツガツもしていない得体の知れないキャラでした。演じたハリス・ディキンソンが上手いということですね。
あと少年みたいな娘イザベル役の子 ユアン・マクレガーの娘ですよね。「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」でティルダ・スウィントンの若い頃を演じてた時も思ったんですが、目の輝き✨が違うんですよ(DNAなのかな?)。この子伸びます!
「逃げたな…」としか思えないラスト
興味のある作品が集中した先週、候補の一つであった本作『ベイビーガール』ですが米国映画レビューサイトの評価が思いのほか低く、一旦は劇場鑑賞候補から外すことを決定。ところが先日鑑賞した『終わりの鳥』が良かったこともあり、やはりA24作品は観ておこうかと思い直して1週遅れで鑑賞です。
第81回ベネチア国際映画祭で最優秀女優賞に輝いたニコール・キッドマン。残念ながらアカデミー賞ではノミネートされませんでしたが、授賞式で司会のコナン・オブライエンが話題にしたことも印象に残り、彼女の演技に大変期待を寄せていました。で、実際に観て思ったのは巧さをとうに超えて、最早凄みすら感じる正に怪演。解説にある「脚本構想段階から当て書き」に強く納得するロミー役は、挑戦的なシーンも多々ある中、要所要所に考えつくされた演技に不自然さは一切なく、彼女以外には考えられない仕上がりで高い評価がうなずけます。そしてハリス・ディキンソン他、彼女を取り巻く役者たちもそれぞれ印象に残る演技で、全般において「俳優たちの演技は素晴らしく」て非の打ち所がありません。
ところが、、、残念なことにストーリーは凡庸で退屈。設定や台詞に現代(いま)っぽいアレンジはされていますが、その環境や立場に対する現実性の希薄さが目に余り、残念ながら結局はポルノにしか見えません。勿論、フィクションにとって言えば必ずしも「リアリティー」が評価そのものを下げる要素とは言えないと思います。「映画的な嘘」はストーリーが面白ければ大して気になりませんし、それをもとにこの作品へケチを付けているわけではありません。そもそもジャンルには「エロティックスリラー」とありますが、シチュエーションこそ変えて見せても、基本的には同じ力学における繰り返し構造。そのため、先に進むほどスリルを感じるどころか、むしろ飽きてしまって終盤は最早「オチ」に期待するしかなくなってしまいます。ところが、残念なことに「逃げたな…」としか思えないラストは、どちらにも肩入れしない姿勢がむしろ欺瞞とすら感じてしまいます。劇中の世界観では無視されたリスクマネジメントですが、何なら作品に対して批判を受けないようにするためのリスクマネジメントに必死で、114分の上映時間は観終わって疲労感しか残りません。
啓蒙と言うには悪質さが目立って程遠いですし、かと言ってエンタメとしては潔さが感じられずに中途半端。何なら役者たちの演技力の高さが、反転して悪目立ちに見えてしまいかねない危なっかしさすら懸念される出来で、とても残念な一作でした。とほほ。
性の不一致 一番傷ついたのは誰
御多分に漏れず氷の微笑のようなセクシャルサスペンスを期待して見事に砕け散りました。夫婦間の性の不一致をテーマにまじめすぎるくらいまじめに作られた作品で正直面白みはありません。
主人公は一代で会社を築いた女性CEOのロミー。そんな仕事もプライベートも充実しているように見える彼女が実は夫ジェイコブとの夫婦生活には満足できておらず、インターンとして現れた青年サミュエルに魅了され溺れていく物語。
登場シーンからして暴走した犬を簡単に手懐けてしまうサミュエル。彼は生来的に動物を手懐けるツボをわきまえていた。当然女性という動物のツボも。
彼はロミーと出会い彼女が求めているものをすぐさま見抜く。人の上に立つ人間だが実は支配されたい願望を持っているのだと。彼女の中に潜むマゾヒスティックな願望を一発で見抜いてしまう。
そんな遠慮のない無礼な物言いの彼に対して憮然とした態度を取りながら図星だったロミーは彼に惹かれていく。そして次第に彼の要求を拒めなくなる。彼は自分の求めていることが手に取るようにわかっていた。夫との行為では一度も感じたことのない快楽を彼は与えてくれる。彼との情事にふけり次第に泥沼にはまってゆくロミー。
彼を独占したいがために彼女は自分の権力を利用しようとする。しかし右腕のエスメに諭されて我に返る。この辺がかなり物わかりのいい大人だ。
彼女は自戒の念を抱き、サミュエルとの過ちを夫ジェイコブに告白する。しかし、嫉妬心に囚われた夫は聞き入れてくれない。自分の性癖を理解しようとはしてくれない。
別荘でサミュエルと会っているところにジェイコブが現れ二人は取っ組み合いとなる。サミュエルは妻の性癖を理解しようとしないジェイコブに対してそれは古い考えだと戒める。そして彼は二人の下から去ってゆく。
サミュエルのおかげでジェイコブは心を入れ替え妻の性癖を理解し彼らの性生活は充実したものとなり円満な夫婦生活を送ったのでした、めでたしめでたし。
終わってみればサミュエルは彼ら夫婦仲を壊すためではなく夫婦の絆をさらに強めるための性指導の役割を果たしただけの存在だった。彼が何をしたかったのかはあまり描かれない。不倫ものによくあるばれるのばれないのみたいなのも一応描かれるけどさほどスリリングな展開もない。正直言ってエンタメとしては物足りないし、女性の性に関する話としても新鮮味はない。
そもそも結婚して19年間もロミーは演技していたということ、そしてそれに気づかないジェイコブ。劇中やたらと若いあなたを傷つけたくないとロミーがサミュエルに言うけど、一番傷ついたのはあなたでいったことがないと告白されたジェイコブでしょう。まあ、彼もサミュエルに言われた通り古い時代の男、独りよがりなセックスで妻を満足させられていると思い込んでたわけだから、哀れながらも自業自得の面も。そして自分の性癖を理解してもらおうとしなかったロミーにも責任はある。
セックスはパートナー同士の重要なコミュニケーションの手段。お互いのツボをわきまえて一緒に快楽に浸るもの。だからこそお互いのことを深く理解した上で行わなければ意味がない。
確かに昔の時代は男だけが能動的に行為を行い、女性は受動的に義務的に付き合わされるだけで生涯オルガスムスを経験しないまま人生を終える女性も多かったという。
キリスト教圏の国では女性が性に対して積極的であることさえタブー視されることもあると聞く。そういう点でロミーが夫に長年自分の性癖を語れなかったのもわからないではない。
そんな欲求不満の人妻が若いツバメとの悦楽に溺れていくというもはや手垢のついたような古臭いエロティックなドラマを御年57歳のニコール・キッドマンが演じた。彼女が体当たりで大胆なヌードや濡れ場を演じたという以外あまりこれという魅力のない作品。途中でこれは見たかった作品ではなかったと退屈しながらの鑑賞だった。
強いて良いところと言えば最後の方で取締役のような高齢男性がロミーに対して横柄な口をきいたのに対してロミーが負けじと言い返す場面。まさに女性の性の解放が女性の社会的地位を押し上げたことを象徴するような場面で女性監督ならではの視点で描かれてるのが感じられた。
ただ、いまさら1960年代の女性の性の解放やフリーセックスなどの時代を経ている現代においてこの映画で描かれたような内容では今の観客にとても満足してもらえるとは思えない。
そういえば本作を鑑賞して昔若いころ好きだった漫画家の石坂啓さんの「スリット」という作品を思い出した。あの作品も似たような社内不倫の話だけど本作より何倍も刺激的な作品だったなあ。
主人公が、男社会に迎合せずに女性として、真に自立するまでを描く。女性の脚本・監督・製作であることが重要。
インストール済
PG-12ということは、
カラオケ行こ、
くらいのスタンスで観てください、
いや、
観れるようになる日が来ますように、
というメッセージかもしれない。
まさかのMX4Dの座席、
シュー、ピカ、ガタガタとか、、
、、期待はしたが、、、
もちろんありません、
さて、うえを向いて、
本作は、表面的には火遊びのような物語に見えながら、
その実、
ロボットテクノロジー会社のCEOを装った、
プログラム、バグ、インストール済、
調教、マインドコントロールといった、
一種のトランス状態の間を巧みに行き来する作品であり、
その技術的な完成度には目を見張るものがある。
シナリオ、演出、芝居、音楽、効果音のいずれもが高いレベルで調和し、作品に対する説得力を保ち続けている。
具体的に例をあげると、
〈一線を越える瞬間〉の無音の使い方、
サスペンスと緊張を最高潮にまで高め、
無音という空白が観客に圧倒的な精神的影響を与える、
〈セロトニン系のシーン〉では、
吐息と効果音、音楽が絶妙にミックスされ、
まるで観客の体温が上昇していくかのような感覚を覚える。
一方で、〈ドーパミン系のシークエンス〉では、
腹に響く低音のリズムが、
観客を深い没入感へと引き込む。
このように、音の使い方が物語と密接に結びついており、
視覚と聴覚を駆使して感情の動きに寄り添っている。
ニコール・キッドマンの近作としては、
『エクスパッツ~異国でのリアルな日常~』や
『ホランド』で見られるように、
本能的な衝動に従って行動する主人公の役が多い。
しかし、これらの作品では、
彼女の役柄が本能と官能の衝突を単純に描くにとどまっており、
いわゆる「彼女がこんなことをしている、だから凄い」
という安直なアプローチが目立っていた。
しかし『ベイビーガール』では、
キッドマンの混乱の過程が丁寧に描かれ、
観客はその崩壊をただ傍観するのではなく、
登場人物と一緒に精神的な迷宮に迷い込む感覚を味わうことになる。
物語の冒頭では、
子どもたちとの会話、関係性、
とりわけ、
子どもたちのリュックに寄ったカットが登場する。
このリュックの使用感、母親としての立ち振る舞いの記号として、
母親がどれだけ完璧に見える人物であるかが一目で伝わる。
だが、その完璧さを1ポイントずつ、
時間をかけて丁寧に崩していくサミュエルの幻惑が、幽玄感(言い過ぎか・・)が、
このプロセスが、非常に緻密に描かれているため、
観客は次第にサミュエルの操縦の影響の範囲を、
それぞれに勝手に想像してしまう。
ロミーが語る、
コミューンでのカルト的な育成歴(真偽は不明、(噂によると撮影済み、諸事情でオミット))だが、
彼女の行動の根底にあるマインドコントロールの暗示として、
解釈する人も出てくるだろう。
さらに、
物語の途中で観客は、
サミュエルがどれほど洗練された操縦者であるかを感じることになる。
こうした疑念と解釈の余地を観客に委ねる点で、
監督はまさにマインドコントロールのように観客を支配している、
と言えなくもない、
精緻に仕組まれた高い技術だ。
A24らしいといえばらしいが、
本作に関してはA24の影響は必ずしも大きくないように感じる。
というのも、
A24はしばしば強烈なビジュアルや抽象的なイメージを通じて物語を表現し、
シナリオを抽象化したままにしたり、
結末を曖昧に留めることが多いが、
本作はそのアプローチとは一線を画している。
物語と映像表現の具体性、
そしてその技術の高さは、
むしろプロダクションチームの力量によるものではないだろうか。
難解なテーマをこれほどまでに具体的に描写し、
視覚的・聴覚的に圧倒する手腕には感服せざるを得ない。
ただし、『ジェイコブス・ラダー』や『カッコーの巣の上で』といった作品を連想させるセリフ、要素が散見されるが、
それらとの関連性については追及の必要はないかもしれない。
観客が自らの思考を巡らせる余地を与えるこの作品は、
ただの心理ドラマではなく、
複雑で精緻な人間心理の解析を表現した映画とも言えるだろう、
それは技術的な完成度、演出の精緻さ、
キャスティングの巧妙さにおいて、
見応えのある作品に仕上がっている。
ナインハーフ、危険な情事のような、
ラブサスペンス作品にカテゴリーされるかもしれないが、
心理描写にはかなりの技術的な手間暇がかかっている。
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