「遥かなる、到達地へ」ブルータリスト 機動戦士・チャングムさんの映画レビュー(感想・評価)
遥かなる、到達地へ
天才が故に、できたこと。
天才が故に、遺せたもの。
天才が故に、苦しんだこと。それは…
最近、気付いたんですけど、映画の主人公って、こういうキャラだよねっていう型に嵌めて、映画を観ている私がいます。(その型から大きく逸脱したのが「ジョーカー フォリアドゥ」。結果、ラジー賞にノミネート。私は、その勇気を讃えます。)
せっかく足を運んだのだから、何か得るものがある。映画館を出る頃の私は、どこまでレベルアップしているのかしら、なんて期待しちゃうわけです。でも、それは、考えようによっては、他者に期待しているだけで、自分に全く期待していない。挙げ句、期待ハズレだと、思いっきりコキおろす。そうでもしないと、存在の堪えられない自分に、気付いてしまう。他者を攻撃することで、自我を保とうとする。そんな過去の私が、フラッシュバックしそうです。
個人的に好きかどうかは、別として、濃い映画ですね。全く隙がない。張詰めた人間関係が続く。マーティン・スコセッシ並みに、観ているだけで、疲れます。ラースローが、そうであるように、この映画のプロデューサーと監督さんも、ある意味、天才かも。今時、こんな長い映画、よほどブレない意思がないと、出来ないよね。
ブレない何かを、持ち続けること自体、天才なのかな。何かを創ることで、何かを伝える。その何かが、よく分からない私です。(因みに私、大槻ケンヂの「人として軸がブレている」と云う曲が、大好物です。)
ところで、この映画のお金持ちおじさん、どう思います?。最初、ガチ切れしていた書斎、他者が褒め称えると、態度急変。あれはあざけ嗤うべきヒトなのか、あるいは、世間の価値観なんて、あの程度でしかないと云う皮肉なのか、どっちだと思います?。
何かを創ること。
何かを遺すこと。
他者に評価(及び、批判)されること。
その重圧を表現するには、やはりこれだけの時間とエネルギーが、要るようです。おかげで私の感想文も、インターミッションが要るレベルの長さになりました。
以上、映画には興味あるけど、建築にまるで興味のない私の感想文でした。