「光を当てる角度/悪魔のいけにえ的な」ブルータリスト ouosouさんの映画レビュー(感想・評価)
光を当てる角度/悪魔のいけにえ的な
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トートの建築同様、光を当てる角度によって見え方が全く変わる作品だと思った。最後、結局みなイスラエルを目指すというところを取れば、シオニズム翼賛みたいにも見えるが(それは設計に隠された意図が明かされる場面でピークに達する)、全員何かに怯え、征服したいと思っている、という意味ではもう少し普遍的なメッセージを読み取ることもできるように思う。フィラデルフィアという、“アメリカ”始まりの地が舞台になっている点もわかりやすく、見下していた“身体障害者”の“ユダヤ”“女”がオックスフォードで教育を受けていたりして、イギリスという抑圧者に対して腕一本の叩き上げでやってきた人(たち)がコンプレックスを刺激されるには十分だろう。/ところどころ、『悪魔のいけにえ』を想起する場面がちらほらあった(これは極めて個人的な連想のような気もするが)。腹に一物(という名のむき出しの欲望もしくは攻撃性・暴力性)を抱えながら生きることが象徴的に示されるという意味では晩餐・パーティというのはそうだろうし、なんだか薄暗く抑圧的な雰囲気のコミュニティセンターの内部のシーンもそうである。/イタリアが映画的仕掛けとして巻き込まれていくところにも意図が張り巡らされているような気がするし、とすると、日本はどう?/要は人間みな後ろ暗さとの戦いなのである。/知的に組み上げられた映画でエモーショナルなところはあまりないので、そこは賛否が分かれるところかもしれない。
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