「【”大切なのは到達地。旅路ではない。”今作は架空のハンガリー系ユダヤ人の建築家、ラースロー・トートの激動の半生を彼が作ったコミュニティセンター建設過程を軸に、アーティスティックに描いた作品である。】」ブルータリスト NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”大切なのは到達地。旅路ではない。”今作は架空のハンガリー系ユダヤ人の建築家、ラースロー・トートの激動の半生を彼が作ったコミュニティセンター建設過程を軸に、アーティスティックに描いた作品である。】
■今作品の構成を最初に敢えて記す。
1.序曲・・ラースロー・トート(エイドリアン・ブロディ)が妻を含めた家族と引き裂かれる様を描く。
2.第一部”到着の謎”・・ラースロー・トートがアメリカ・ペンシルベニアに単身渡り、富豪の実業家、ハリソン・ヴァン・ビューレン(ガイ・ピアース)と出会い、建築家としての才能を認められるまでを描く。
- ここまでで、キッチリ100分である。
そして、15分間のインターミッションが入る。
結構長いので、お客さんの半分くらいはゆっくりと席を立つ。
スクリーンでは15分から徐々に残り分数がカウントダウンされて行く。
そして、お客さんはゆっくりと自席に戻り、場内は徐々に暗くなるのである。-
3.第二部”美の核芯”・・ラースロー・トートの妻、エルジェーベト(フェシリティ・ジョーンズ)と姪ショーフィア(ラフィー・キャシディ)が漸くアメリカに辿り着き、ハリソン・ヴァン・ビューレンの依頼により、ラースロー・トートが彼の邸宅の近くの丘の上に、礼拝堂が併設されたコミュニティセンターを作る過程が描かれる。
4.エピローグ・・舞台は、1980年のヴェネツィア・ピエンナーレで開催された”第一回国際建築展”にイキナリ、移る。ラースロー・トートの数々の建築物が展示され、”過去の存在”と銘打たれている。シニカルだなあ・・。
で、ここまで再びキッチリ100分である。ストレスなく映画を堪能出来る構成である。今作では、構成自体も作品なのである。
◆感想
・今作では、ラースロー・トートが苦労して、アメリカに渡り、その後も様々な障壁に会いながらも、”マーガレット・ヴァン・ビューレン・コミュニティセンター”建設に挑む姿が描かれる。
・だが、そこでは観客が望むような気持のよい展開は、余りない。逆に1950年代のアメリカ社会における、人種や宗教の壁などが暗喩的に描かれる。ラースロー・トートも、資材搬送列車の度重なる事故により、一度はハリソン・ヴァン・ビューレンに理不尽に解雇されている。
・第二部の再後半は、会食するハリソン・ヴァン・ビューレン宅にエルジェーベトが乗り込み、激しく彼を罵倒するシーンまである。
ラースロー・トートが自分の夢を果たせなかったのかな、と勝手に解釈する。
今作は、作品に明快な解を求める人には戸惑う所が幾つかあると思う。だが、私はそれは気にならない。映画館で観る【力のある映画】は、大体面白いと思ってしまうからである。
<今作ではラスト、”マーガレット・ヴァン・ビューレン・コミュニティセンター”の円形の教会の天井の十字の形をした窓から、太陽光が差し込み十字架を映し出すのである。
そして、”ブルータリズム”の定義である”1950年代、”トートが設計したコンクリート打ちっぱなしの礼拝堂の様に、”素材を生かした建築様式”という言葉を思い出すのである。
今作は架空のハンガリー系ユダヤ人の建築家、ラースロー・トートの激動の半生を彼が作ったコミュニティセンター建設過程を軸に、アーティスティックに描いた作品なのである。>