ザ・ルーム・ネクスト・ドアのレビュー・感想・評価
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マーサの部屋で話をしている時、マーサが話しながら窓を開ける 部屋の...
マーサの部屋で話をしている時、マーサが話しながら窓を開ける
部屋の中には外の街の音が聞こえ、部屋の中に外の空気が入ってくるような感覚を受ける
どこか空気が澄むような
けれど、イングリッドは話しながら窓を閉めてしまう
もちろん音は聞こえなくなり、空気の動きも止まったようでどこかに息苦しささえ漂う
マーサが選んだ残りの時を過ごす場所は、自然に囲まれた家
窓の外からは鳥の声などが聞こえ、自然の中にいることを感じさせる
窓を開けることを選ぶマーサ
それこそ彼女の生き方のように思えた
イングリッドとの違いもはっきりとしていて、
そんなふたりが最期の時を過ごす
マーサなら、
イングリッドなら、
答えの出ない問いを繰り返しながら、
それぞれがすると決めたことをやり抜くふたりを見守った
美しい…
わっ!わっ!!
ものすごーく良かったです!!
安楽死を望む女性と寄り添う親友の最期の数日間。
巨匠・アルモドバル監督が人生の終わりと生きる喜びを描いた作品。
「もしドアが閉まっていたら私はもうこの世にはいない」
なんて、ステキなセリフなんだろう…。
最近、映画でも良く取り上げられる
尊厳死がテーマなんですが、
重くなり過ぎない脚本で、
なんだろう、なんだか童話のようだった。
やはり、色彩とセリフと演出かしら…。
鑑賞中は、
どちらもの立場に置き換えて考えてみたりして、
マーサの立場だったら、誰に頼むかなぁ…とか。
イングリッドの立場だったら、頼まれたら承諾するかなぁ…とか。
6年空いていて、一番に頼んでないということは、
二人の関係性は、お互いにすごく蜜な親友というわけでもなく、
イングリッドは、作家という職業がら興味というものが
どこかにあったのかなぁ…とか、いろいろ考えていた。
でも、そんな考えたりすることも、二人のやりとりも、
全てがすんなり自分に入ってくるの。
戦場ジャーナリストと作家だからか、言葉が美しいし知的で聞いていて心地が良い。
さらに、マーサの衣裳も、ふたりの家も森の家も、
家具や装飾品や、音楽や、なにもかもが美しくて目でも耳でも楽しめました。
そして、そして、二人の女優の美しさが群を抜いて素晴らしかった。
ベッドで二人横たわる横顔のシーンの美しさが脳裏に焼き付いて離れません。
テーマは尊厳死という重い事柄ですが、
でも、私はマーサとイングリッドの決断と結果は、決して後ろ向きなことではなく、
逝く側、遺された側の同意の元だから、前向きな気分にさえ慣れました。
本当に美しい童話を観た気分です。
はぁ〜、雪のシーンも美しかったなぁ…。
素晴らしい演技者、色彩
素晴らしき映画体験
ずっと目が離せない 2人の対照的な演技合戦。2人がどのくらい疎遠だ...
ずっと目が離せない 2人の対照的な演技合戦。2人がどのくらい疎遠だったのか気付かなかったが、それぞれの"生と死”が鮮やかな色のコントラストで表現されているのか。
表情豊かなジュリアン・ムーアと対照的なティルダ・スウィントンの演技?に誰もがびっくりする。
誰かがペドロ・アルモドバル監督の代表作になりうる一作と言っていた、また観てみたい。
・エドワード・ホッパーの絵「太陽の下の人々」
・バスター・キートンの『セブン・チャンス』
・ジョン・ヒューストンの『ザ・デッド ダブリン市民』
・マーサの肖像画:演じるティルダ・スウィントンのパートナーであるサンドロ・コップが彼女を描いた作品が使われている
・ボスニア紛争:ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナで1992年から1995年まで続いた内戦
25-016
ジュリアンも歳とったなあ。が、さすがの演技。 安楽死に付き合う友人...
起伏に乏しい点はあるものの、海外枠という観点では2月1週の枠か…
今年39本目(合計1,581本目/今月(2025年2月度)2本目)。
他の方が書かれていることと重複しますが、ストーリー全体に起伏が乏しく、同じようなシーンややりとりが続くので、放映テープがぶっ壊れているのかとすら思えるレベルなのがちょっとどうなのか…といったところです。
いわゆる自死やそれに関連しうる議論を扱った映画で、一部ではかかる趣旨が日本でも理解できる点はありますが、大半は日本と考え方が違うし、このあたりを理解しようと思うとそこそこきついのではないかな…といったところです。
ただ、そうした「重い話題」を扱うがゆえに、派手な演出を避け、個々個人に趣旨を考えてねという考え方で作られれているようにも思えるし(原作はスペイン映画。本映画は英語放送だが、一部にスペイン語が混ざる)、その意味ではフランス映画枠というような趣もあるし(ただし、例のCANAL+派出てこない)、この点、いくつか解釈は取れそうです。
願わくばパンフ…だったのですが、ベルばらの混雑ぶりがひどくて買えずといったところです。
ただ、作品の中で人を不愉快にさせるような発言はほぼ出ないし、二度三度見ることもまた良いのでは、といったところです。
確かに趣旨を理解しがたいという点はあるものの、扱う趣旨が特殊なもので、監督ないし著者ほかが特定の思想をおしつけるのには適さない趣旨のタイプの映画である点は明確に指摘することができ、その意味で「あえて考え方を押し付けない」趣旨(換言すれば、フランス映画のような展開になる)になるのは理解できるので、フルスコアにしています。
ただし、他の方も書かれている通り、映画内で明確な「答え」が出ているわけではなく(もちろん、映画内のストーリーはストーリーとして明確に描かれます)、映画内で扱う個々「重い話題」について大半を解釈を個々にゆだねていることに注意が必要です。
タイトルなし
ザ・ルーム・ネクスト・ドア。もちろん、“隣の部屋のドア”と言う意味なんですが、生は死と隣り合わせ、死ぬことは隣の部屋(違う次元へ)に移る と言う意味もあるんでしょう。
マーサの罠にイングリッドが嵌った。
警察の事情聴取、イングリッドに対し刑事は『あなたは人から頼まれて断るタイプではない』。
マーサの部分が大半だけど、余白にイングリッドのような「生」や「美」、人間としての柔軟性、包容力、優しさ、あたたかさなんかもある。あるだけじゃなく、いっぽうで臨終の時、完全に一人きりで逝くのは嫌だけれど、同時に自分を全て包み込んでくれる 大いなる母のような 母子のような そんな中で看取られたい、ペドロ監督の老境の心理や願望、希望が入ってる映画なのかな、と。
全編 淡々としずきているので心に響くことはなかった。ただ、時勢の事を憂いているのは少しホッとした。
繊細で強くて美しい
ザ・ルーム・ネクスト・ドア
前半無理やり説明をするもんだから軽く寝てしまった。がしかし、新居に行く展開がついてからはむしろ食いついて見ていた。面白かったと思う。
何とも形容し難い違和感がずっとあった。音楽なのか,主演の演技なのか。カメラなのか撮り方なのか。映画を通して、映画的だと思った瞬間がなかった。テレビでB級映画を見ているような感じ。編集の間が悪いのか?完全にいい作品とは言い難い。
面白かったのは、安楽死を選ぶ友人をただ見守るしかないという主人公の立場。ありそうでなかったシチュエーション、そして彼女は友人の死を乗り越える。
それでいて、安楽死に対する俗論に訴えかけるようなメッセージもあった。
最後に中盤の伏線を回収する主人公の決め台詞で終わる。少々臭いような気がした。僕だったら何も喋らせないだろう。その状況とリンクするような伏線はすでに丁寧に貼っているのだから。
とはいえ、表現方法に正解も不正解もないのだなと実感した。私はこれから、この表現方法が「ただ自分が気に入らないもの」なのか「拙さの表れ」なのかを見極めていく必要があるのだと思う。
そして、「拙さの表れ」は静かに訂正し「自分が気に入らないもの」は尊重し巻き込んでいくことができたらとてもとてもいいんじゃあないかと思う。
ヴィヴィッド・カラーにくるまれる
主人公の二人ともインテリで濃厚に生きている女性。一人は小説家のイングリッド(ジュリアン・ムーア)、一人は戦場ジャーナリストだったマーサ(ティルダ・スウィントン)。それぞれがどのような仕事をしているのかしてきたのか映る場面が始めに描かれていたのは二人の個性や性格を知るうえでよかった。マーサの仕事に関しては映画「シビル・ウォー」を見ていたことも参考になった。マーサは死と向かい合う中で抑えざるを得ない感情を解放し爆発させる必要と生の確認が男性を求めることにつながっていたように思った。その激しさと強さ、反動的に襲ってくる弱さをティルダは素晴らしく演じていた。アドレナリンが消え何にも興味がもてなくなること(読書ができなくなる、に共感した)、記憶が曖昧になり精神がぼやけることからは身体の痛みや苦しみと同じかそれ以上に解放されたいことだと思う。イングリッドを演じたムーアは、今まで見た中で一番いいと思った。知的で優しく寄り添って静かに耳を傾ける人。しばらく疎遠であってもイングリッドを選んだマーサの眼に間違いはなかった。
二人の会話、特にマーサの話は物語のようでずっと聞いていたかった。彼女の話に耳を傾けるイングリッドはなぜこんなに強く受け身でいられるんだろう。私はできるだろうかと自問した。
衣装も部屋も家具も食器も家もアルモドバルの世界。基調の赤と緑は他のクリアな色と喧嘩しない、女性の友情と連帯と信頼のしなやかな繋がりのように。スウィントンは何歳にでも誰にでもなれるのは知っていたが今回は息を呑んだ。最初から最後まで緩みなく作られた映画。素晴らしかった。
おまけ
マーサとイングリッドが時間差で結婚していた夫デイミアンからは笑いをもらった。気候変動に、世界の右傾化に心を痛め絶望している。半分はわかる。半分はもっと楽観的になった方がいいよと言いたくなる、でもとても頼りになる人。
洒落ていて濃厚
毎度ながら、アルモドバル作品の内容は、全く自分とは違う設定、なのに滅茶苦茶心に響いてしなう、という相変わらず素晴らしい作品をじっくり堪能。
しゃれた映像は、いっそう隅々まで気を配られていた印象で、ビジュアルのセンスの良さだけでも素晴らしい作品だと思います。
そしてこの重々しい内容。世相も十分反映されていて、すべてが前進に染み渡ってくるような映画でした。
とはいえ静けさが際立つ内容だったので、多少の気合いは要るのかもしれません。退屈だということもあるでしょう。ほぼ成功者しか出てきませんし、いけ好かない雰囲気もあると思うので─。ジュリアン・ムーア、ティルダ・ウィンストンというコンビもどうかなぁなんて、失礼ながら勝手に危惧していたんですが、まさにその2人!と思わせてくれるだけのパワーを感じます。まぁそれも勝手な解釈でしかないのですが─。それだけ素晴らしさを感じた作品だったということです。
安楽死、尊厳死を取り上げた映画ですが、課題も見えて参考になりました。
子宮頸がんステージ3で闘病していたマーサは、かつての親友イングリッドと再会。
安楽死を望むマーサは、人の気配を感じながら最期を迎えたいと願い、“その日”が来る時にはイングリッドに隣の部屋にいてほしいと頼む。
悩んだ末にマーサの最期に寄り添うことを決めたイングリッドにマーサは「毎日ドアを開けて寝るけれど、もしドアが閉まっていたら私はもうこの世にはいない」と告げる。
そして、イングリッドが友人とのランチから帰ると、マーサの部屋のドアが閉まっていた。
ドアを開けるとマーサは部屋におらず、森の見えるお気に入りの椅子で命を絶っていた。
私も終活してて安楽死、尊厳死には肯定しているが、やはり課題もあることが分かりました。
観られる方は覚悟して観て下さい。
死という誰にとっても受け入れがたく避けられないものに対する向き合い方
母と娘というアルモドバル馴染みの題材 ✕ 2人の名優 = 英語で綴られる尊厳死を扱ったドラマ。彼らしい語り口と題材、色彩感覚に一瞬にして誰の作品を観ているのかわかる。戦場記者だった彼女が言う、死との闘い。まるでそれが善と悪の戦いであるかのように。一方で、死を恐れているイングリッド。決して自死を肯定的に描いているわけでなく、病(癌)という目前に迫って避けられない重病を前にして、自分の人生を支配するのか。気候変動などあらゆることが予測不可能に、暗いニュースが飛び交う世界で、死のあり方すら多様性。すべては己の受け止め次第。生者にも死者にも雪は降り続く、死との対峙。
P.S. またしてもスマホ怪獣の外国人が隣の席
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