ザ・ルーム・ネクスト・ドアのレビュー・感想・評価
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期待度◎鑑賞後の満足度◎ 嘗て“死”というのは生活の中で、社会の中でで、世界の中で生者の隣に居たのに、現代人はいつから“それ”が来るまで正面から向き合わなくなったのだろう…
①ペドロ・アルモドバルの監督作品で、主演の二人がご贔屓且つ現代映画界も最も優れた俳優であるティルダ・スウィントンとジャリアン・ムーア(でも老けた)と来たら、観ない訳にはいかないでしょう。
②初の英語作品ということだが、内容的には「母と娘」の物語、往年の映画・文学へのオマージュ(今回は特にジェイムズ・ジョイスの『ザ・デッド』と、ジョン・ヒューストン監督の映画化版作品)といったアルモドバル作品にはお馴染みの要素が散見される。
③ゲイにも触れられるけれども、「戦争の恐怖・悲惨さに比べたら世間で半道徳的と云われることなどつまらないこと」という台詞は刺さった。どこかの国のトップや政治屋達に聞かせてやりたい。
④それより、本作では「死」とそれに向き合う人間の姿が全面に押し出されている。
“生”と“死”とは隣り合わせ。
陳腐な連想かも知れないけれども、原題の“The Room Next Door”というは、「生と死」とのその関係性を暗喩しているのだろう。
間を隔てる扉の開閉がそのまま「生と死」を隔てている有り様のメタファーとなっている。
⑤また、登場人物たちの語る話の端々に人間の“死”だけでなく、“死”に向かう社会、世界の有り様をそれとなく散りばめていることで、風刺劇の側面をも持っている。
⑥
生き様と死に様
癌を患い死を覚悟した元戦場記者の女性と、彼女に寄り添う友人の作家の話。
本を出版してサイン会を行っているイングリッドのもとに友人がやって来て、マーサが癌を患っていると聞かされて巻き起こっていく。
かなり仲の良い古くからの友人の設定の様だけれど、娘のこととかその父親のこととかの離しの持っていき方が今更なのか?とちょっと脚本の都合を感じる流れもあったけれど、いよいよ余命が告げられて、そして森の中の家に住むようになって…。
あらすじ紹介を読んだだけではイマイチ判然としなかったけれど、扉を閉める時は薬を使う時ということなんですね。
病気や治療のせいで、時に精神的に不安定な状況に陥る友人と、素の感じで向き合う主人公が悲しく温かかった。
ただ、これを観て何を思えば良いのか…決して悪い作品ではないし共感出来るところもあったけれど、刺さるところはなかったかな。
メイビー・ネクスト・タイム
性と死
ザ・ルーム・ネクスト・ドア
イングリットの小説家の紹介の後、
マーサの紹介が始まった。
戦場カメラマンは、
殺戮の中で安らぐのはSEXだと、同性同士の行為を女性戦場記者に臆面もなく語り、
今インタビューした戦地の二人の男性達も恋人同士だと言い放った
マーサが20歳前に、戦地からPTSDで帰還した恋人と別離のキスして、その延長で激情に任せて性交に至り、その時に妊娠し、その後、戦場記者となった故に、戦場でのSEXの興奮が深く分かるのだろう
また、次の夫との激しい営みが同じ夫となるイングリットと赤裸々に語り合えるのが頼もしい
そんな生死の殺戮の戦場が、
自身の身体に癌として命を奪いに襲って来た時、マーサが選んだのは人間として尊厳ある最期を過ごし終えたいと言う望み…
その為には、介護でもなく寄り添わなくてもいいから信頼できる人を感じながら、隣の部屋に居るだけでいいから最期を迎えたいと言うことを疎遠だったイングリットに頼む
その思いと深部には、やはり、かの戦場カメラマンと同じように、理解あるイングリットに肌を触れられながら安穏の中で、その日を感じ、受け入れたのであろうか
その後に完璧に安楽の死に至る身だしなみを整え薬を飲んで白昼に屋外テラスの長椅子に横たわった
立派な終わり方だった。
素晴らしいロケーションと友人に包まれたその死は、爆弾と血肉飛び交う中を生き抜いた戦場記者だからこそ望んだ死のあり方だと思う。
二人は1960年11月と12月生まれの同い年生まれであった。
イングリットは、小説家というよりカウンセラーのようでしたね。
生きることを精一杯やって来たからこその安楽死であり、尊厳あるものと受け入れたいものだ。
こんな自前ホスピスを夢見るのもいいかも知れない。
そう言えば、
映画監督ジャンリュック・ゴダールさんがスイスで安楽死を選択したのを思い出す。
彼の友人がそうだったようだ。
(^_^)
ザ・ルーム・ネクスト・ドア
スペインの名匠ペドロ・アルモドバルによる初の長編英語劇で、2024年・第81回ベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞したヒューマンドラマ。
ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアという当代きっての演技派の2人が共演し、病に侵され安楽死を望む女性と、彼女に寄り添う親友のかけがえのない数日間を描く。
重い病に侵されたマーサは、かつての親友イングリッドと再会し、会っていなかった時間を埋めるように、病室で語らう日々を過ごしていた。
治療を拒み、自らの意志で安楽死を望むマーサは、人の気配を感じながら最期を迎えたいと願い、“その日”が来る時にはイングリッドに隣の部屋にいてほしいと頼む。悩んだ末にマーサの最期に寄り添うことを決めたイングリッドは、マーサが借りた森の中の小さな家で暮らし始める。
マーサはイングリッドに「ドアを開けて寝るけれど、もしドアが閉まっていたら私はもうこの世にはいない」と告げ、マーサが最期を迎えるまでの短い数日間が始まる。
「フィクサー」でアカデミー助演女優賞を受賞し、アルモドバルの短編英語劇「ヒューマン・ボイス」にも主演したティルダ・スウィントンがマーサを演じ、
「アリスのままで」でアカデミー主演女優賞を受賞したジュリアン・ムーアが親友イングリッド役を務めた。
ザ・ルーム・ネクスト・ドア
La habitacion de al lado
2024/スペイン
演技は流石ですが、共感は出来ませんでした。
私はまだマーサと同じ立場になったことがないので、実際に同じ立場になったらどうするかは分かりません。ですので、あくまで想像上の話ですが、私ならば人生の最後に友人に迷惑をかけるようなこと(下手をすれば犯罪者になるかもしれないこと)は絶対にしたくありません。人に迷惑をかけてまで安楽死をするくらいなら尊厳死を選びたいです。なのでマーサには全く共感できませんでした。
それから、扉が閉まっていたらもうこの世にはいない、という設定がいかにも作り話的でとてもチープに感じました。
あと、マーサとマーサの娘を一人二役でやる意味ありげな意図も理解できませんでした。
ただ、ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアの演技は流石でした。
本作で何を見せたかった?
子宮頚がんにかかった元戦場記者のマーサは、作家で親友のイングリッドと病室で再会し、2人で語らう日々を過ごしていた。新たな治療法が失敗し、転移したため、マーサは自らの意志で安楽死を望むようになった。マーサは最期を迎える時にはイングリッドに隣の部屋にいてほしいと頼んだ。悩んだ末にマーサの最期に寄り添うことを決めたイングリッドは、マーサが借りた森の中の小さな家で暮らし始めた。マーサが最期を迎えるまでの数日間をこれまでの人生を振り返りながらイングリッドと過ごした、そんな話。
結局、安楽死がテーマなのだろうけど、苦しまずに死にたいと言ってたから良かったのかなぁ?
イングリッドがマーサの安楽死の事を知っていたのかどうか、そこはよくわからなかった。
警察の取り調べのシーンは必要?
マーサ役のティルダ・スウィントンの鮮やかなファッションが良かったし、イングリッド役のジュリアン・ムーアの表情豊かな名演は素晴らしかった。
色々考えさせられました。
これは青春映画だ!!
いきなり何を言ってるんだか、というタイトルで済みません。
ある高校で同じ文芸部の親友だとします。
ひとりが不治の病にかかり、残り少ない高校生活の最後を看取って欲しい、と親友に懇願する。病に罹った女性の親は町で一番の総合病院の経営者で、小さなころから優秀であった彼女は、病院内の見取り図や警備体制を熟知しており、ある日そっと例の薬物を手に入れる(映画的には、それくらいのことをやってのける賢さを持つ二人だからこそ感情移入もできるし、リアリティも感じられる)。高校生活最後の秋から冬にかけて、彼女の親友には受験勉強もあるし、その他諸々の障害はあるけれど、遂には親や教師の目を逃れ、最後の時を迎えることになる。残された手紙は親友あて、それぞれの両親あて、学校もしくは警察あて。
なんて想像で置き換えても、私にはなんの違和感も無いのです。
世界的に高齢化=長寿化が進み、高齢者の老いや死をテーマにした作品が増えているが、認知症を発症するにはまだすこし時間的猶予のある中高年からすれば、そのようなテーマは決して他人ごとではないことも十分わかっているし、その切実さも身に染みて理解できるが、あまりにも救いがないように感じることもある。
まだ現役バリバリの世代からすれば、今さら甘酸っぱい青春時代を気取るつもりはないけれど、〝死〟というものに対して単なる諦めとか悟りではなく、自分の選択として受け止めたい。文学的素養をもって、迫りくる死や人生について親友と語らうことの、なんと哀しく、そしてなんと貴い時間だろう。
選択肢というのは、自分で何かを起こせる未来があるからこそ存在する。
未来を選択できるのは、決して若者だけの特権ではない。
ピンと来ない
マーサの部屋で話をしている時、マーサが話しながら窓を開ける 部屋の...
マーサの部屋で話をしている時、マーサが話しながら窓を開ける
部屋の中には外の街の音が聞こえ、部屋の中に外の空気が入ってくるような感覚を受ける
どこか空気が澄むような
けれど、イングリッドは話しながら窓を閉めてしまう
もちろん音は聞こえなくなり、空気の動きも止まったようでどこかに息苦しささえ漂う
マーサが選んだ残りの時を過ごす場所は、自然に囲まれた家
窓の外からは鳥の声などが聞こえ、自然の中にいることを感じさせる
窓を開けることを選ぶマーサ
それこそ彼女の生き方のように思えた
イングリッドとの違いもはっきりとしていて、
そんなふたりが最期の時を過ごす
マーサなら、
イングリッドなら、
答えの出ない問いを繰り返しながら、
それぞれがすると決めたことをやり抜くふたりを見守った
美しい…
わっ!わっ!!
ものすごーく良かったです!!
安楽死を望む女性と寄り添う親友の最期の数日間。
巨匠・アルモドバル監督が人生の終わりと生きる喜びを描いた作品。
「もしドアが閉まっていたら私はもうこの世にはいない」
なんて、ステキなセリフなんだろう…。
最近、映画でも良く取り上げられる
尊厳死がテーマなんですが、
重くなり過ぎない脚本で、
なんだろう、なんだか童話のようだった。
やはり、色彩とセリフと演出かしら…。
鑑賞中は、
どちらもの立場に置き換えて考えてみたりして、
マーサの立場だったら、誰に頼むかなぁ…とか。
イングリッドの立場だったら、頼まれたら承諾するかなぁ…とか。
6年空いていて、一番に頼んでないということは、
二人の関係性は、お互いにすごく蜜な親友というわけでもなく、
イングリッドは、作家という職業がら興味というものが
どこかにあったのかなぁ…とか、いろいろ考えていた。
でも、そんな考えたりすることも、二人のやりとりも、
全てがすんなり自分に入ってくるの。
戦場ジャーナリストと作家だからか、言葉が美しいし知的で聞いていて心地が良い。
さらに、マーサの衣裳も、ふたりの家も森の家も、
家具や装飾品や、音楽や、なにもかもが美しくて目でも耳でも楽しめました。
そして、そして、二人の女優の美しさが群を抜いて素晴らしかった。
ベッドで二人横たわる横顔のシーンの美しさが脳裏に焼き付いて離れません。
テーマは尊厳死という重い事柄ですが、
でも、私はマーサとイングリッドの決断と結果は、決して後ろ向きなことではなく、
逝く側、遺された側の同意の元だから、前向きな気分にさえ慣れました。
本当に美しい童話を観た気分です。
はぁ〜、雪のシーンも美しかったなぁ…。
素晴らしい演技者、色彩
素晴らしき映画体験
ずっと目が離せない 2人の対照的な演技合戦。2人がどのくらい疎遠だ...
ずっと目が離せない 2人の対照的な演技合戦。2人がどのくらい疎遠だったのか気付かなかったが、それぞれの"生と死”が鮮やかな色のコントラストで表現されているのか。
表情豊かなジュリアン・ムーアと対照的なティルダ・スウィントンの演技?に誰もがびっくりする。
誰かがペドロ・アルモドバル監督の代表作になりうる一作と言っていた、また観てみたい。
・エドワード・ホッパーの絵「太陽の下の人々」
・バスター・キートンの『セブン・チャンス』
・ジョン・ヒューストンの『ザ・デッド ダブリン市民』
・マーサの肖像画:演じるティルダ・スウィントンのパートナーであるサンドロ・コップが彼女を描いた作品が使われている
・ボスニア紛争:ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナで1992年から1995年まで続いた内戦
25-016
ジュリアンも歳とったなあ。が、さすがの演技。 安楽死に付き合う友人...
起伏に乏しい点はあるものの、海外枠という観点では2月1週の枠か…
今年39本目(合計1,581本目/今月(2025年2月度)2本目)。
他の方が書かれていることと重複しますが、ストーリー全体に起伏が乏しく、同じようなシーンややりとりが続くので、放映テープがぶっ壊れているのかとすら思えるレベルなのがちょっとどうなのか…といったところです。
いわゆる自死やそれに関連しうる議論を扱った映画で、一部ではかかる趣旨が日本でも理解できる点はありますが、大半は日本と考え方が違うし、このあたりを理解しようと思うとそこそこきついのではないかな…といったところです。
ただ、そうした「重い話題」を扱うがゆえに、派手な演出を避け、個々個人に趣旨を考えてねという考え方で作られれているようにも思えるし(原作はスペイン映画。本映画は英語放送だが、一部にスペイン語が混ざる)、その意味ではフランス映画枠というような趣もあるし(ただし、例のCANAL+派出てこない)、この点、いくつか解釈は取れそうです。
願わくばパンフ…だったのですが、ベルばらの混雑ぶりがひどくて買えずといったところです。
ただ、作品の中で人を不愉快にさせるような発言はほぼ出ないし、二度三度見ることもまた良いのでは、といったところです。
確かに趣旨を理解しがたいという点はあるものの、扱う趣旨が特殊なもので、監督ないし著者ほかが特定の思想をおしつけるのには適さない趣旨のタイプの映画である点は明確に指摘することができ、その意味で「あえて考え方を押し付けない」趣旨(換言すれば、フランス映画のような展開になる)になるのは理解できるので、フルスコアにしています。
ただし、他の方も書かれている通り、映画内で明確な「答え」が出ているわけではなく(もちろん、映画内のストーリーはストーリーとして明確に描かれます)、映画内で扱う個々「重い話題」について大半を解釈を個々にゆだねていることに注意が必要です。
タイトルなし
ザ・ルーム・ネクスト・ドア。もちろん、“隣の部屋のドア”と言う意味なんですが、生は死と隣り合わせ、死ぬことは隣の部屋(違う次元へ)に移る と言う意味もあるんでしょう。
マーサの罠にイングリッドが嵌った。
警察の事情聴取、イングリッドに対し刑事は『あなたは人から頼まれて断るタイプではない』。
マーサの部分が大半だけど、余白にイングリッドのような「生」や「美」、人間としての柔軟性、包容力、優しさ、あたたかさなんかもある。あるだけじゃなく、いっぽうで臨終の時、完全に一人きりで逝くのは嫌だけれど、同時に自分を全て包み込んでくれる 大いなる母のような 母子のような そんな中で看取られたい、ペドロ監督の老境の心理や願望、希望が入ってる映画なのかな、と。
全編 淡々としずきているので心に響くことはなかった。ただ、時勢の事を憂いているのは少しホッとした。
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