ザ・ルーム・ネクスト・ドアのレビュー・感想・評価
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美しく死ぬこと
医療にとって死は最悪の結果で、それを極力避けるべく様々な治療が施される。しかし、全ての人に死はいずれ訪れる。永遠に死なないのも異常であり病気ともいえる。したがって、死ぬことは生理的現象であり健常なことだ。であれば、より良く生きるための医療だけでなく、より良く死ぬための医療があってもいいのではないか。ほとんどの人が、殺風景な病院のベッドの上で様々な管やコードにつながれ、モニターの音やアラーム、病院特有のにおいに囲まれて死んでいく。全く美しくない。それに比べ、マーサの死は美しいものであった。わざと死期を早めることにはいろいろと議論があろう。しかし、マーサのように精一杯生きたあとで、穏やかで美しい死を迎えることには憧れを抱かされた。私も健康に生きて、健康に死んでいきたい。
強く生きた人の話だと思った
友人とは何か
2024年。ペドロ・アルモドバル監督。作家の女性は新作のサイン会で友人の女性が癌であることを知る。戦争特派員だった彼女とは数年間会ってなかったが、見舞いに行くと、それまで知らなかった彼女と娘との関係などを聞かされて急激に距離が縮まっていく。その後彼女の治療は行き詰まり、安楽死を考えるようになる、、、という話。
ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアという実生活でも同い年のベテラン俳優二人が、お互いを思いやる友人として語り合う。それだけで映画ができるというのがすごい。嘘をついたり腹を探り合ったりしない人間たち。監督ならではの絵画のように洗練された構図と美しい色彩(やりすぎの面もあるが、赤い車はとてもいい)も楽しめる。
己が人間関係と死に方を見つめたい人におすすめ
瀕死の左派(🟦)に寄り添う保守(🟥)
2004年公開のスペイン映画『海を飛ぶ夢』でも“安楽死”を肯定的に描かれていた。海の事故が原因で四肢麻痺に陥った男(ハビエル・バルデム)が自死を選ぶ感動ストーリーだ。本作のティルダ・スウィントン演じる元戦争記者マーサも、末期ガンにおかされ最期に自死を選ぶのだが、「一人で死ぬのはいや」とそのためにわざわざ別の家を借り、友人の作家イングリッド(ジュリアン・ムーア)を隣室に寝泊まりさせ、自分の死を看取らせようとする....
どこかの誰かさんがアルモドバルの作品は“政治的”ではないと語っていたが、けっしてそんなことはない。この人若い時からフランコ独裁政権に反抗していた強者で、政治的束縛を嫌った自由を描いてきた映画監督なのである。この映画にも、地球温暖化を危惧する大学教授でマーサとイングリッドの昔の恋人ダミアン(ジョン・タトゥーロ)が登場し、「新自由主義と政治の極右化が地球滅亡の最たる原因」という自説を披露する。おそらくアルモドバルは、世界一の金持ちイーロン・マスクとは真逆の考えの持ち主なのだ。
そのイーロンとタッカー・カールソンのインタビューの中で「リベラルは反出生主義思想に汚染されている」とイーロンが語っていた。ショーペンハウワーやシオラン、古くはゴータマ・シッダールタや日本の太宰治もおそらくは反出生主義者であろう。LGBTQ差別反対に子供の人身売買、女性の社会進出を助長するフェミニズムや中絶賛成、すべての生命の源といわれる炭素の排出規制....イーロンによると、これらリベラルの主張に共通する思想が反出生主義だというのだ。
生めや増やせやの大号令下、人口増加=経済発展だった一昔前とは違って、ここもとの人口爆発がむしろ足枷となって経済衰退を招くことがだんだんとわかってきたのである。コロナ禍などはまさにその最たるものといってもよいだろう。しかし人権擁護を旗印にしてきたリベラルにとって「推しの政策は実は人口削減のため」とは口が裂けてもいえないのである。ましてや、この映画で大変美しく描かれている“安楽死”の合法化など、やりたくてもやれないまさに禁じ手なのである。
そんな禁じられたテーマ“安楽死”をとりあげるとは、さすが反骨の映画監督アルモドバルなのである。ほぼほぼティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアの二人芝居で、大したどんでん返しもなく、淡々と進んでいく展開に物足りなさを感じなくもない。イングリッドの自殺幇助を疑うキリスト教福音派の警官をごっつぅ敵視した演出や、マーサの死後登場する“ある人物”に多少驚きがあるかもしれないが、まあまあ想定内といった感じなのだ。
トランプ“二度”めの大統領当選によってすべての常識がひっくり返りそうな予感のする今日この頃、リベラル代表格Warnerがあわててしかけた反出生主義のプロパガンダ映画、とでも表現すればいいのだろうか。生者=トランピストの上にも、死者=グローバリストの上にも均等にふるつもる雪とはいったいなんのことなのだろう?決して核戦争による“死の灰”のメタファーとならないことを祈るばかりである。
女優2人が素晴らしかった
生者にも死者にも雪は降り積もる
映画を観ながら若くして病気になった友人を思い出した。亡くなった時に、「まだ若かったのにかわいそうだね。」と言う人もいた。本当にかわいそうなのだろうか?可哀想と言うこと自体が失礼な話なのではないのか?一人悶々と考えたが自分自身がなぜこれほどまでにその発言に怒りをおぼえたのか分からなかった。
マーサの癌で生き残ったものは勝者、死んだものは敗者という認識をされる。だから自分は癌より先に死を選ぶという発言を聞き、あの時の違和感は勝者、敗者というカテゴライズされているように感じたために自分は嫌悪感をおぼえたのかと妙に納得した。
自分がマーサの立場なら?イングリッドの立場なら?どうするだろうか。
自分の死は自分で選びたいと願っても痛みを和らげるのみで、安楽死を選ぶことは日本でもできない。以前、難病患者の嘱託死事件がニュースとなり日本でもかなり安楽死については論争が起きた。延命をさせる技術は発展しているのに、死を望む人にはその権利は与えられない。当事者でないともちろん想像できないがなんとも苦しい気持ちになった。
自分がイングリッドならあの提案を受け入れたやろうか?考えても考えても結論は出ない。映画を観終わってからもそのことが頭から離れない。イングリッドはほんまに愛情深く優しい人物で、マーサもまた聡明で思慮深く友人思い。マーサにとっていい最期であったと思いたい。
パイの様に何層にも重なった感情
ラストシーンを迎えた時に、感謝、希望、悲しみ、やるせなさ、安らぎといった感情が何層にも重なったパイの様に押し寄せてきて、この気持ちを例える言葉が見つかりません。
私は過去に日本人の安楽死に関するドキュメンタリー番組を3本観たことがあり、安楽死に非常に関心があります。理由は、死期が近いのに強い痛みが続くことに耐えられないと思っているからです。日本社会では安楽死はおろか死もタブーになっているので、なかなか本気で死を語られることもありません。だから、ドキュメンタリーで安楽死を選んだ方の気持ちを知りたかったのです。
本作はもちろんドキュメンタリーではありませんが、アルモドバルのクリエイティブが妙に身体にしっくりきて“死”を受け入れた先にあるのが、“決して恐ろしくない何か”ではないかと感じました。
そして、マーサとイングリットの友情の描き方がいつものアルモドバルらしさ満載で、これは男性の立ち入る隙はないですね。もし、イングリットが男性だったら絶対に逃げ出すと思います。アルモドバルの描く女性はいつも肝が据わっているし、それこそが女性の本来の姿なんですよね。
マーサのデスクの中にあった数えきれない小物やノート、レコードや本やアートが、マーサの想い出の象徴の様で、なんだか妙に心に残りました。
“死”は隣のドアを閉める様に自然なこと。でも隣のドアを開けた先には新しい始まりがある。のかもしれないと言われているようでした。
安らかに死を迎えることができるのか
久々にアルモドバル作品を観た。赤や緑の原色を強調した画面づくりは彼ならではの美しさだし、かつての過剰さやLGBTのモチーフは控えめにして、流麗な音楽とともに、風格のある作品に仕上がっている。
何よりティルダ・スウィントンの存在感が凄い。痩身の佇まいは、哲学者のよう。役柄もそうだが、丸顔のジュリアン・ムーアと好対照をなしていた。
人は安らかに死を迎えることができるのだろうか。最近観た「敵」で、死に迫られてジタバタする主人公の姿に共感したこともあり、今作で描く安楽死は、甘美な誘惑のように思えてしまう。
ジェームス・ジョイスの「雪は生者の上にも死者の上にも降り積もる」の一節をこのテーマに重ねるのも、あまりに綺麗すぎるのでは、とも感じた。
生き死にの問題は、生者にのみ課されている。
どう死んでいくかは、どう生きる(生きた)のかという哲学
女優二人の演技が神がかっているのと、森や建物まで設計されたような鮮やかな色、染みるような音楽に魅了され。
癌に侵された女性が思い返す人生のフラッシュバックが時に重く、時に軽妙で効果的な演出で、芸術性へ重きを置いた映画としての完成度は高い。
尊厳死の可否とかかっこつけるのではなく、どう生きる(生きた)のかという哲学を、死という題材で提示しているのだろうと思いました。
考えさせられる映画であり、面白いから観たいのに……
重いテーマと美しい絵の連続が拭いきれない眠気を誘い、瞼を閉じないようにする戦いがつらかった面もありました。
Close
ある程度の年齢を超えるとどうにも自分や他人の死について考える機会が多くなり、近年の高齢化も相まって安楽死を扱ったテーマの作品にはついつい足を運んでしまいますし、今作も例に漏れずでした。
ただこのテーマの作品を観るたびにやっぱ合わないなぁ、死生観が違うんだろうなとなるのがお決まりで、今作も首を傾げながらの鑑賞になってしまいました。
まず本題の安楽死をするから近くの部屋で見守っててというところに辿り着くまでがかなり長かったです。
病気の話ならともかく、ご婦人方のこれまでの人生とかを振り返る様子が延々続くのでなんの話だっけ?となる場面がかなり多く、会話劇としての盛り上がりも無いときたので困りっぱなしでした。
やっとこさ同居が始まるかと思いきや、安楽死するための薬が無い!とヒステリックになるので、これはギャグとして見るのが正解なのか?となってしまったのもあってテーマの重みと不釣り合いな気がして居心地があまり良くなかったです。
よくよく考えたらとんでもないワガママだよなぁとなってからはこの人死なないで欲しいなとはどうしてもならず、安楽死したいのならサッとすればいいのにと人の心無いんかくらいの発言をしてしまいそうでした。
安楽死を見守って欲しいという無茶な願いを受け入れる優しさは凄いなと思いつつも、友情というよりかは義務感での見守りなのかなと思ってしまったのもモヤモヤな点です。
そこからの展開はまだとんとん拍子で進んでいき、安楽死実行、そこからの家族との関わり合い、色々ありながらも警察が来てからガラッと動くのかなと思いきやスーッとエンドロールに突入していくので消化不良感は否めませんでした。
前半の謎会話を減らしてこの後の展開を増やしてくれたら良かったのに…と心から思いました。
全体的に色合いはとても綺麗ですし、背景の小物なんかもかなりこだわっているんだろうなというのは強く感じられました。
好みではなかっただけで、こういうテーマの作品は様々な視点で作られるのが良いと思いますし、自分の死生観と似たような作品と出会える事を願いながら映画を見続けていきたいものです。
鑑賞日 2/4
鑑賞時間 15:55〜17:55
座席 H-20
どちらも
気持ちはわかるけど、辛いですねえ。死ぬ側は一人では寂しい、しかも自宅は嫌だ。見送る側は、ある意味大きな責任を伴うが、亡くなる直前の友達の気持ちもわかる。辛い選択ですね。警察の調べが大きな事にならない事を願います。
赤、赤、赤!
まず感動したのが赤色の使い方。イングリットのコートの赤、ランプの赤、キッチンベンチの赤、鮮やかなブルーのソファのパイピングの赤、ドアの赤、二人の口紅の赤…と挙げればキリがないほどに赤。 日本では皆同系色にコーディネートする傾向があるが、赤とブルー、グリーンとのクッキリとした鮮やかな色のコントラストがとてもオシャレで記憶に残る。自分の家もあんな風にしたいとワクワクした。
私は映画を観る時、自分の経験に置き換えたり、自分ならどうするか考えながら観る傾向がある。この映画に関して言えば、四年前までオーストラリアで看護師をしていた時を思い出させた。救命救急で働いたせいもあり、抗がん剤治療の副作用や痛みで来る患者さんを多く見た。生に対する執着や死に対する恐れは人それぞれ違う。私が住んでいた州では当時、安楽死は認められていなかった。忘れられないあの50代の女性の癌患者さんは、痛み止め以外の全ての治療を受けない選択をしていた。痛みが治まり、物静かにベッドの上で読書をしていた。かっこよかった。とはいえ、知らないだけで、実は取り乱したり、泣き叫んだりしたのかもしれないが。今は合法になった安楽死があの時あったならば、最後の最後まで痛みに苦しみ大量の鎮痛剤を朦朧とするまで打たなくとも、マーサの様に癌に支配されるのではなく、自分で自分の人生をコントロール出来たのにと思うと少し悲しくなる。 私自身、同じ立場に立ったなければどうなるかわからないが、マーサやあの患者さんの様に最後は潔く、かっこよく逝けたらいいなと思う。
色、デザイン、女優さん達の揺らぎの表現力、素晴らしかった。 強いて言えば、マーサと最後に出てくる娘の二役がどうも好きになれなかった。顔も声もそのままなので、ちょっと一瞬ストーリーから集中力がそれて我に帰ってしまったので、ひようかは3.5。そっくりさんでやって欲しかった。
自分には合わなかった
美と静寂の中で描かれる尊厳死。淡いピンク色の雪が降る街。
美と静寂の中で描かれる尊厳死。
主演の二人が素晴らしい。
特に、ティルダ・スウィントンの容姿がこのテーマにとてもよく合う。
そのメイクや衣装デザインもあってい美と静寂の中で描かれる尊厳死。い。
各シーンの室内のレイアウト、舞台となる郊外の一軒家、街の本屋に至るまで、すべてのカットが美しい。
窓から見える淡いピンク色の雪が降る街の情景。
尊厳死について、静かに描く、静寂に満ちた映画だった。
そして扉が閉ざされた
予告で聞いた「ドアを開けて寝るけど、閉まっていたら私はもうこの世にはいない」の台詞。
死んだらドアは閉められないのにどういうこと?と思ったら安楽死の話なのね。
内容は粗筋の通り、癌に侵されたマーサと親友だったイングリッドが数日一緒に過ごすだけ。
レイトショーだったこともあり、序盤めちゃくちゃ眠い。
娘やその父親を中心にマーサの過去に軽く触れられるが、いきなりそんな話を聞かされても…
マーサは理論的で、死への姿勢もブレることがない。
はじめから最終段階に入っているので、人間というより単なる一つの“主張”にしか見えなかった。
その上その考えによる我儘でイングリッドを振り回す。
最後まで彼女に魅力を感じたり、「死んでほしくない」と思ったりといった情動が生まることはなかった。
じゃあイングリッド側の“揺らぎ”が描かれているかというと、そうでもない。
時に感情的になることはあるが、基本的にはマーサの意見を尊重するスタンスは一貫している。
そもそもこの2人、長らく連絡すら取っていなかった“元”親友なのだ。
それでも余命幾ばくもないと言われれば、極論喧嘩別れしてたとしてもある程度は寄り添うでしょ。
劇中で「断らない人間」と語られてたことも手伝って、友情や絆にも見えないし…
最後に娘ミシェルがマーサに対する誤解に気付き、「死がふたりを近づけた」と語られるが…
これ、死なないと出来ないことですかね。
なんだかイマイチ刺さらなかった。
亡くなり方にほんの少し意外性があったことと、ラストシーンの被せ方は良かったです。
最後は物理でなく精神的に、イングリッドを“隣の部屋”に感じたからあの時を選べたのだろうか。
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