「タイトルなし(ネタバレ)」ザ・ルーム・ネクスト・ドア りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
タイトルなし(ネタバレ)
作家のイングリッド(ジュリアン・ムーア)は、書店のサイン会でかつての友と再会し、かつて恋人を奪い合った仲の親友マーサが重い病で入院していることを知らされる。
病室で対面したマーサ(ティルダ・スウィントン)は治療に対して後ろ向きだった。
一人娘とも折り合いが悪い。
それは、マーサが子育てを一顧だにせず戦場カメラマンとして活動していたからだが、娘の出生とその後の娘の父親のいきさつも関係していた。
そんなかつての話をイングリッドに語ったマーサは再び治療に専念に、いっとき光が見えたかに思えたが、病状は急激に悪化。
遂には、自身の最期の姿を描くようになった。
それは、自ら選ぶ死。
ただし、誰かに看取られたい。
が、その誰かは娘ではない。
何人かの友人に相談したが断られた末、最後の最後、マーサが頼みにしたのはイングリッドだった。
ふたりは、郊外の森のなかにあるスタイリッシュな邸宅で、マーサ最期の日を迎えることなった。
ただし、その日がいつかは、まだわからない。
いつも開いているマーサの部屋のドアが閉まった日、それがその日なのだ・・・
といった物語。
鑑賞から2週間近く経ってのレビュー。
鑑賞直後は、本作、個人的にうまく咀嚼して飲み込めず・・・という感じでした。
(いまは飲み込めているけれど)
観ていて気になったのは、映画前半の語り口。
森でのふたり暮らしを始めるまでの導入部で、ここをしっかり描かないと後半につながらないので難しいところ。
だが、語り口として採用した演出は、やや安直で上手くない。
マーサから語られる過去のエピソードが、過去シーンの映像となって再現される。
彼女が直接体験したエピソードはそれでもいいのだけれど、娘の父親の最期のエピソードを再現する必要はなかったなぁ。
なにせ、マーサは現場におらず、あくまでも伝聞事項なので、観客にわかりやすくするだけの演出。
イングリッドに語るだけでは観客に伝わらないと思ったのかもしれないが、あくまでもマーサの出来事として描かないと視点に乱れが出る。
マーサの視点で描くなら、語りは語りのままで、娘の父親の最期の地を彼女が訪れ、そこに立つ画を写す、とかか。
森のなかの邸宅のエピソードの数々は、さすがに上手い。
いずれも、すぅっと心に入って来る。
が、映画最終盤で、マーサの娘が登場したあたりから困惑した。
まあ、マーサの娘を○○が演じていることもあるのだが、マーサとイングリッドの話から、アルモドバルお得意の母娘の話にまたしても帰着するのか、と。
なので、鑑賞直後は、あまりうまく飲み込めず。
が、3度登場する「雪降る」シーンから考えると、うまく飲み込めるようになった。
(3度のうち1度は、映画『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』の映像)
死者と生者に等しく雪は降る・・・
死者と生者を隔てるものは、ほとんどない。
ただ、死んでいるか、生きているか。
マーサの娘とイングリッドが並んでいるラストショット、イングリッドにはマーサが生きていることを実感したのだろう。