「死の自己決定権、死に方を選べるということ」ザ・ルーム・ネクスト・ドア レントさんの映画レビュー(感想・評価)
死の自己決定権、死に方を選べるということ
安楽死、尊厳死の問題は世界中で議論が活発で、もはや避けては通れない問題。誰もが当事者になりうるから本作は身につまされる思いで鑑賞した。
自分がマーサの立場だったら、イングリッドの立場だったら、どうするだろうか。自分と親友とに当てはめて考えた。主演のお二人は少し上の世代だけど、その年齢になって同じ状況に立たされたらどうするだろうか。
イングリッドの立場なら、もし隣の部屋にいてほしいと頼まれたらそうするかもしれない。劇中の彼女のようにマーサの心変わりを期待しつつ何か打開策が浮かぶかもしれないと淡い気持ちを抱きながら親友のそばに付き添ってあげれるし。ただ、毎朝の安否確認のために部屋のドアを確認しに行くのはさすがにメンタル的に応えるだろうな。
たまたま風でドアが閉じてしまってそれを見たイングリッドが悲しみに暮れてるところにマーサが平然とした顔で現れるくだり、あれはやると思ってたけど、イングリッドにしたらたまったもんじゃない。あそこで彼女はリタイアするかと思ったくらい。
自分が自殺ほう助の容疑をかけられるリスクを負いながら引き受けた彼女には感心するけど、ただ仲のいい友人だからというだけでなく彼女の小説家という職業が関係したのだろう。こんな体験はなかなかできないだろうし、実際に本を書きたいと言ってたしね。
ではマーサの立場ならどうだろう。こちらはイングリッドほど答えは簡単ではない。実際に彼女のような状況に置かれないとその心理を読み解くのは想像だけでは難しい。治る見込みのない病の治療を続ける苦痛、薬品投与で自分を失いそうになる恐怖。それはそのときになってみなければ実感できないだろう。マーサは化学療法を受けてる間は自分が自分である部分は10%と話していた。
自分を失ってまで、自分らしさを失ってまで寿命を少しだけ伸ばすよりも、最後まで自分らしく生きて最後は自分の意思で人生の終わりを決めたい。そう考えるのも理屈では理解できてもやはり他人事として考えてしまう。
そうなのだ、所詮は他人事なのだ、人の死というものは。自分の死は他人にとっては他人事なのだ。自分の人生も死も、それは至極当たり前のことだ。だから自分の人生をどうするか、どう終わらせるかはとても個人的なことであり他人にとやかく干渉されるものではないのだ。
自分の人生をどう生きるか自分で決められる権利があるのなら、自分の人生の終わらせ方も自分で決められる権利があるはずだ。死の自己決定権だ。
ただ、その個人的な権利と命を尊ぶ社会倫理とが対立する。この問題が容易に解決できないところがそこにある。
命は尊いものだ、神から与えられた命を粗末にしてはいけない、死んで花実が咲くものか、乗り越えられない試練を神は与えない、命尽きるまであきらめずに頑張れば必ず救われるなどなど宗教的教えからことわざまで。そんな社会の固定観念が自己決定権の邪魔をする。
そんなことは聞き飽きた、そんなことは十分承知の上での決断なのだ。何十年も人生を生きてきた自立した人間が出した答えに水を差さないでくれ。そんな当人の気持ちも理解できる。ただ、逆につらい状況下で通常の精神状態ではないのではないかと周りは勘繰りたくもなる。
マーサがイングリッドから同じ問いを投げかけられた時うんざりした表情をしたのは再三同じことを言われたからだろう。
自分が自分であるからこそ自分の意思で決断したのだ、人生の終わらせ方を。どうかその自分の意思を汲み取ってくれ、私の意思を尊重してくれ。そう言われたら周りの人間は何も言い返せないだろう。
人生はよく旅に例えられる。旅の行程、行き先を本人が自由に決められる。そして旅をいつ終わらせるかも。
私の人生の旅はまだしばらくは続きそうだが、もしマーサと同じ状況に立たされた時、旅を終わらせるかどうかはその時の自分の意思で決めたいと思う。
レントさんの仰る他人事の意味、よくわかります。生まれるのは自分の意志と関わりないけど、死ぬのは災害や事故や戦争その他、自分の意志と関わりなく来ることもあるから死だけすごく受け身に考えるのはどうなんだろう?と色々考えます
スイスのドキュメンタリー、私もテレビで見ました。とても恐怖感を覚えたことに自分でも意外でした。どういう構成にするのかわかりませんが、映画館では見たくないかなあ…
レントさんのレビューにとても共感しました。自分の死は他人にとって他人事。そうだ。でも私は自分の父の死を未だ他人事にできない。長く生きてきて色んな経験をして色んな人と出会って見てきて自分もいろいろ考える。今まで何回も自分で決断してきた、右へ?左へ?でも生死を自分で決めるのは傲慢だろうか?生まれる、だけは自分の蚊帳の外で決まる。で、死。考え続けながら毎日暮らしていくんでしょう、しばらく。と思います