「会話劇を彩る色彩・詩的表現の美しさと、悲劇を生きること。」ザ・ルーム・ネクスト・ドア だいずさんの映画レビュー(感想・評価)
会話劇を彩る色彩・詩的表現の美しさと、悲劇を生きること。
ペドロ・アルモドバルが監督をして、ジュリアン・ムーアとティルダ・スウィントンが主演。
どんな仕上がりだろうと、この座組の映画を見逃すのは有り得ない。
そう思う、中年女性による感想です。
舞台がアメリカ・ニューヨークで、英語作品。だけど?相変わらずの鮮やかな色彩。
とはいえ、わたしには今までのスペイン語作品より、寒い地域っぽい色使いに思えた。
トーンがちょっと抑え目で、シックな感じがするような。
太陽の眩しい光ではなく、鈍色の空から降る雪に映える色ってかんじ。
森の中の家で夜更かしして映画を見ているときにマーサが着ていた、
多色切り替えのチャンキーなセーターとか、マネして編もうと思えば編めるなーとか思った。
森の中の家の裏庭の赤と緑の椅子(プールサイドにあるようなやつ)とか、緑のソファーとか、イングリッドの家のガレージっぽさとか、ニューヨークのマーサの家のカラフルなキッチンとか、いろんな色使ってるのにまとまっていて落ち着く感じの部屋に住みたーいと思った。
子宮頸がんを患って、尊厳死を望むマーサは、その日を迎えるとき隣の部屋にいてほしいと、旧友イングリッドに頼む。死を恐れるイングリッドは戸惑いつつも、マーサに寄り添う。
ほぼ2名の会話劇。一人で抱えられなくて、部分的に共通の元カレであるダミアンに、イングリッドは相談する。
アメリカの法律なのか、尊厳死は自殺扱いで、その手助けは自殺教唆として裁かれるみたい。
マーサの娘への思いや、そこに至る経緯や、戦場での思い出、なぜ尊厳死を望むかなどを、
2人は語らう。
ダミアンの厭世的な現実の受け止め方、わかるってなった。
新自由主義となんとか(右翼的ななんかだったっけ?資本主義?全体主義?)があかんのやってところ。
息子夫婦が3人目の子を作るので、それを非難?したら息子に嫌われたとか、あたり前やでと思うが面白かった。すみません。ひとが生まれても木は産まれないってのもわかる。
で、この世は悲劇で、悲劇を生きる苦痛を和らげるのに、性交は効果的で、とかも面白かった。
イングリッドの、悲劇を生きる方法はあるでしょっていうのも、わかる。
どんなに嫌な世の中でも、今生きてるし、マーサは別としてまだ生きたいと思っているなら、どうにかして楽しみを見つけて生きるしかないもの。
で、マーサです。治らない病気、苦しいだけの治療。思考が鈍り、憂鬱になる。
そこから自由に、自発的に逃れたいと決めている。
薬の置き場所を忘れたりとか、その時のサインとしてドアを開けておく約束を忘れたりとか、病気による思考鈍化によって、行動が危うくなる感じ、すごくリアルだと思った。
ああやって重い病気が進行したら、いつかわたしもああなるって、おもった。
まだわたしは生きたいから、心情はイングリッドに重なるけれども、いつかマーサの気持ちを味わうのかもしれない。未来の予行演習をしているような気持ちになった。
ジェイムズ・ジョイス原作の映画『ダブリン市民/ザ・デッド』(見たことないけどね)の引用も印象的だった。雪は生きるものにも死ぬもの(死んだもの?)にも降り積もる、みたいなところ。
自分の死を、詩的に受け止められるというのは、美しいことのように思えた。
いい映画でした。
字幕翻訳:松浦美奈さま