「死を見つめる旅、成熟への道ーーアルモドバル監督の新たな到達点」ザ・ルーム・ネクスト・ドア ノンタさんの映画レビュー(感想・評価)
死を見つめる旅、成熟への道ーーアルモドバル監督の新たな到達点
ペドロ・アルモドバルが初めて長編英語作品に挑んだ『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』。これまでの彼の作品と比べると、情熱的な色彩や感情の爆発は抑えられ、より静かで内省的な作品に仕上がっている。監督自身が老境に入り、死と成熟に向き合い始めたことの表れのように感じられる。
そして本作もまた、監督のその精神性を反映した、、死に向き合うことで、精神を統合し、成熟していく女性二人を描いた作品だと感じた。
主人公は、小説家のイングリッド(ジュリアン・ムーア)。彼女はかつての親友マーサ(ティルダ・スウィントン)から突然連絡を受ける。マーサは末期の病に侵され、意識のはっきりしているうちに自死を選ぼうとしていた。しかし1人でそれをすることは叶わず、かつての友人イングリッドに「私が死ぬとき、隣の部屋にいてほしい」と頼む。このリクエストに戸惑いながらも、イングリッドは彼女の最期の日々に寄り添うことを決める。
マーサは10代で妊娠し、母性を発揮することができず、子供を手放すかのように、仕事に邁進した。彼女は「人生をコントロールすること」に執着し、戦場記者として世界を駆け巡った。
極限の状況を生き抜くことで、自分の意志で自分自身と世界を支配できるような男性的英雄像を自分の中に持ち続けたのだろう。
しかし、病に侵され、死が迫ると、自制心が崩れ、思考が曖昧になることを何よりも恐れるようになる。だからこそ、彼女は「死さえも自分で決める」ことで、最後まで自己を支配しようとする。
だが、イングリッドとの再会、そして過去を振り返る対話を通じて、マーサは「コントロールする自己」を手放し、自分が避けてきた無意識の領域と向き合う準備を整えていく。
彼女たちはかつて、時間差で同じ男性と恋人関係にあった。環境学者となったレナード(ジョン・タトゥーロ)は、今や気候変動の研究をしているが、未来に対する恐怖に囚われている。本の発売イベントでは質問を受け付けず、「臆病者」と罵られたと語る。彼は右派の攻撃を恐れ、気候変動についても「もう地球は終わる」と怯えている。
マーサは死と向き合い、自分の過去とも向き合うことで、強さや成熟した精神性を身につけていくように見える。それに寄り添うイングリッドもまた「死が怖い作家」から「死と対峙する作家」へと成熟していくようだ。
そして、かつての恋人の男レナードだけが、成熟を果たせず取り残されてしまう。この精神的な成熟の差が浮き彫りになることで、いずれ別れるのだろうと予感させる。
マーサには、長年連絡を取っていなかった娘がいる。彼女は母に捨てられたという怒りと悲しみを抱えたまま、母のマーサとは和解できずにいた。
マーサは娘と再会せずに旅立つが、マーサが死に場所に選んだ家にマーサの娘を迎えて、母と娘の精神的な和解を見事に仲裁する。和解できなかったことで罪悪感に囚われそうになるマーサの娘に、そっと寄り添い、彼女を勇気づけるかのようだ。
この瞬間、イングリッドは「導く者」としての役割を果たし、彼女自身も精神的に成熟したことが示唆される。
「死を恐れるのではなく、それを受け入れることが、精神の成熟につながる」というメッセージが、静かに、しかし力強く響いてくる。
ペドロ・アルモドバルは、75歳にして、かつてのハイテンションな作風を脱し、静かに、深く、人生の終焉と向き合う境地にたどり着いた。「死と向き合うことは、生を統合すること」というアルモドバル監督の深い精神性と成熟した知性に触れられる名作であると思う。