劇場公開日 2025年1月31日

「隣にいることを考える」ザ・ルーム・ネクスト・ドア Raspberryさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0隣にいることを考える

2025年2月3日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

ティルダはいつだって変幻自在。人間だけじゃない。吸血鬼、天使、魔女。いかなる性別であれ、いかなるアイデンティティであれ、何にも囚われず自由に意識を流動させるところが好き。
ジョイスが意識の流れを外に開放させようとしたように。

ジュリアンムーアはいつだって人間の量感たっぷり。相手との一筋の糸を取らまえながら存在そのもので語るところが好き。ヴァージニアウルフが自分に意識を集中させたように。

本作は死についての映画ではない。やがて訪れる死を前にして人はどう生きるかという映画。
そして、死にゆく人に目を背けることなく側にいること、何も言わずにただ耳を傾けること、すべてを目撃する繋がりの映画。

私たちは誰かの隣の部屋にいる。ガザやウクライナの人々の死と共鳴するのは恐ろしいことだけど、私たちは彼らの隣の部屋にいる。彼らと繋がることを拒否しない優しさ。そのことをグサリと思い出させられた。

読書が大好きだった人がもう本を読めなくなったり、ひとつずつ自分の機能を失い始める辛さを、ティルダも〝自分自身が減ってしまう〟と言っていた。だからこそ、最後に真紅のルージュを引きイエローの服で自分自身を停止させなかったところが詩的で美しかった。

一方で、メタファー的な死とは、固定観念や過去に支配され自ら判断・選択することを停止した者のこと。取り調べをした単純思考の警察官や、「新自由主義と右翼が台頭する世界で…」ってセリフにも、思考停止に対する不安と批判が凝縮されていた。

それでは、過去に囚われ、誰かを助けるために火の中に飛び込んだ青年のことは?

ラストのピンクの雪は、死者と生者 、批判する者と批判される者全てを一色に埋め尽くす。意識の階層の分断、その構造を全て均質化させた。

ヴァージニアウルフの遺書「また自分の頭がおかしくなっていくのがわかります。(中略)私にはもう何も残っていませんが、あなたの優しさだけは今も確信しています。」の言葉が思い出されて、本作の二人の物語に滲み出ているように思った。

Raspberry