「色彩豊かに、主演女優の演技力を武器に描かれる旅立ち」ザ・ルーム・ネクスト・ドア 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
色彩豊かに、主演女優の演技力を武器に描かれる旅立ち
「尊厳死」を題材に、病に侵された女性が、安楽死を求めて親友と共に過ごす数日間を描いた意欲作。
監督は、色鮮やかな映像とユーモア溢れる作品群で数々の賞を受賞してきたペドロ・アルモドバル。本作も2024年度ベネチア国際映画祭にて金獅子賞を受賞。W主演には、ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアの2大オスカー女優。
小説家のイングリッドは、自身のサイン会にて旧友から親友のマーサが闘病生活で入院している事を聞かされる。
見舞いに訪れたイングリッドは、再会したマーサと病室で語らいあう。かつて戦場ジャーナリストとして活躍していたマーサの人生は、若かりし日の恋人との苦い思い出や、彼との間に出来た娘との軋轢がありながらも、1人の女性が送ってきた人生として充実していた。
しかし、そんなマーサにも容赦なく病魔は歩み寄る。投薬治療も効果が無いと悟ったマーサは、「尊厳のある死を望む権利くらいはあるはず」と、ネットの闇サイトで安楽死の薬を入手。
「人の気配を感じながら最期を迎えたい」と、イングリッドに最期の日々を共に過ごしてほしいと懇願する。はじめは戸惑いつつも、イングリッドはマーサの要望を聞き入れ、彼女が借りた森の中の家で、彼女と最期の数日間を過ごす事になる。マーサは、自身がもうこの世にいない場合の証明として、自室のドアについてイングリッドに告げる。
「もしドアが閉まっていたら、私はもうこの世にいない」
私はアルモドバル作品初鑑賞。しかし、これ一作だけでも、監督の持つ独自の作家性を存分に味わう事が出来た。「尊厳死」を題材にしつつも、作品を彩る鮮やかな背景や美しい音楽が、最後の旅立ちへの物語を暗くさせずに演出している。それは、監督自身も意識していた部分であり、「死」というものを暗く陰鬱に描くのではなく、あくまで一つの旅立ちとして表現している。また、画角に収まる人物や小物の配置、ファッションに至るまであらゆる視覚的部分に拘っている事が伺える。
W主演のティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアは同い年。何処か両性具有的な雰囲気を放つ個性派のティルダと、女性的な優しく暖かな印象を与える王道派のジュリアンの共演は、ともすれば個性のぶつかり合いに成りかねないかもしれないのに、抜群の調和を持って画面に溶け込んでいる。
そんな本作を語る上で、ティルダ・スウィントンの放つ「病に侵され、尊厳死を望む」というリアリティある女性像は外せない。これまで私は、『コンスタンティン』(2005)の天使ガブリエルや『ナルニア国物語』シリーズの白い魔女、『ドクター・ストレンジ』(2016)のエンシェント・ワンといった超常的存在を数多く演じてきた彼女に、リアリティある女性感を抱いた事は無かった。しかし、本作では癌に蝕まれ、思考がネガティブになっていく、精神的孤独を恐れ、親友に最後の頼みを行う姿のどれもこれもが、抜群のリアルさを感じさせる。不吉な発言ばかりで、時にイングリッドとの間に気まずい雰囲気が流れる様も他人事とは思えなかった。
対するジュリアン・ムーアは、長い赤髪と緑の瞳が放つ抜群の包容感で、ティルダ演じるマーサの最期の日々に寄り添う。長い間交流の無かった親友が、最後に頼る存在としての説得力がある。小説家としてではなく、親友としてマーサへの素直な言葉を紡ぐ姿の暖かさ。劇中で恋人のデイミアンが言う「君は他人に罪悪感を抱かせず、苦しむ方法を知っている」という台詞が印象的。
また、チョイ役ではあるが、マーサが自殺した後、イングリッドを取り調べる事になる警察署の刑事を演じたアレッサンドロ・二ボラも印象に残る。狂信的なカトリックである彼は、マーサの尊厳を無視して自殺を絶対の悪として捉え、協力者であるイングリッドにも厳しい視線を向ける。彼の言葉は、決して間違ってはいない。しかし、世の中には「正論では救えない事」がある。だからこそ、僅かな出演時間と台詞ながら、それを否定する彼は本作唯一の悪役として強烈な存在感を放つのだろう。
本作を鑑賞した者ならば、自然と頭を過ぎるであろう「私がマーサの立場ならどうするか?」「私がイングリッドの立場ならどうするか?」という問い。私は、マーサには共感出来るのだが、イングリッドの持つ底知れない包容力は持ち合わせていないと思ってしまう。また、尊厳死として自殺を選択せざるを得ない現在の司法の是非についても、安易に答えは出せない。
しかし、先述した「正論では救えない事」があるのは間違いないし、あの刑事のようにマーサの死を責めたてられるだけの「自らの正義」はない。そう選択したのなら、それを理解は出来なくとも受け止めはすべきだと思うから。
マーサが雪降るマンハッタンの街を眺めて引用する『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』(1987)の台詞と、それをアレンジして語るラストのイングリッドのシーンの美しさが圧巻。
【雪が降っている。寂しい教会の墓地や、すべての宇宙に、おぼろげに降り続く。かすかに降る雪。やがて来る最期のようにーすべての生者と死者の上に…】
【雪が降っている。一度も使わなかった寂しいプールの上に。森の木々の上に。散歩で疲れ果て、あなたが横になった地面に。あなたの娘と私の上に。生者と死者の上に降り続く】