ザ・ルーム・ネクスト・ドア : インタビュー
“人生における困難から目をそらさないこと”ティルダ・スウィントンが語る、ペドロ・アルモドバル監督作の普遍性と死への向き合い方
2024年・第81回ベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞した「ザ・ルーム・ネクストドア」が公開となる。スペインの名匠ペドロ・アルモドバルによる初の長編英語劇で、ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアが共演したヒューマンドラマだ。
病に侵され、安楽死を望む女性マーサは、彼女を古くから知る友人イングリッドに、自身の最期までの時間を共に過ごしてほしいと依頼する。死というテーマから、人間の孤独、かけがえのない友情、家族との関係など、名優ふたりの美しく軽やかな会話劇で、人間誰しもが経験する普遍的な感情、そして最期を丁寧に紡いでいく。昨年11月に来日したティルダ・スウィントンに話を聞いた。
※本記事には映画のネタバレとなる記述があります。
――このインタビューの前にあなたが登壇した「CHANEL and Cinema TOKYO LIGHTS」でのトークで、演技における最近の新しい試みとして、「自分自身を役柄に反映させるようになった」と仰っていました。病に侵され、人生の終わり方を自身で決定するマーサを演じるにあたり「偽物に見せたくなかった」ともコメントしていましたが、あなた自身とマーサはどのように共鳴し、どのような部分を重ねたのでしょうか?
この物語で、マーサとイングリッドは、病という苦境と、無力というものに直面します。無力という状況に陥った彼女たちは、ある種正直であることに純化したとも言えます。私たちは皆、このような人間関係を知っているし、このような苦境を知っているはずです。人々が人生の中で困難に直面したときに、つながりや誠実さにおいて、美しいこと、本物の奇跡が起こる――しかし、そういった現実はあまり語られません。そして、それを映画で見ることは非常に稀で、特に女性ふたりが一緒にいるところを描く作品はほとんどないでしょう。ですから、ジュリアンと私は、このような作品へ参加する機会を与えられたことをとても光栄に思っています。
自分の若い時代を知っている人物と再会するということは、とても美しいことだと思うのです。それは、ずっと連絡を取り合っている仲よりも特別なことだとも言えます。そして、会っていなかった間の自分の気がかり、例えば子どものこと、老い、仕事、住まい、転居……そういったことは、本当に深い意味で重要なことではないのです。
私がこの映画に持ち込んだ私自身の経験は、自分が何度かイングリッドの立場にあったことです。多くのマーサたちを前にし、彼、彼女たちから学びました。ですから、今回、自分をマーサの立場に置くことは、その経験を振り返る素晴らしい機会だったのです。それは、ある家に住んでいて、近くにある別の家を見るようなものです。そしてある日、その家に入ると、違う窓から自分の家が見える――それはとても不思議で啓発的な体験でした。
そこで、イングリッドの立場がいかに貴重なものであるかが明確になります。私は何度もイングリッドの立場を経験していますが、経験があっても、その価値と、マーサを助けることができるかどうかということについては、何もわかりませんでした。でも、マーサの立場になったとき、ただそこに誰かがいてくれるだけで、何もする必要がないのだと、今ならわかるのです。
そこにいることが“すべて”なのだと。そこにいて、何もしない、何もしようとしないことが本当に重要です。そのような状況で一番避けたいのは、自分にできることが何もないのに、主体性を持とうと騒ぎ立てることです。私は自分の母が末期がんで死の淵にいたときのことを思い出しました。死は野蛮で、時にはサディスティックなもののように感じられます。当時母は83歳で、ずっと良い人生を送っていたので、何かできないものだろうか? と当時の私は必死にいろいろと考えました。
でも、マーサのような立場になったときに必要なのは、ただいるだけの人なのです。無力感に寄り添い、そのプロセスを認め、絶対に受け入れるという優しさ。そして、目をそらさないということは、本当に重要なことだと思うのです。考えれば考えるほど、これはペドロ(・アルモドバル監督)の作品の包括的なテーマでもあるとわかりました。人生における困難から目をそらさないこと、彼はいつもそういったテーマで映画を作っています。多くの彼の映画のプロットはとても普遍的な物語です。この作品では誰かが性別を変えたり、ハイヒールを履いて街を走ったりもしません。観客の誰もが経験することが描かれていますし、誰もがいつかはこのような状況に陥るのですから。
――本作のテーマのひとつである尊厳死、自分で自身の死を決めることについて。
私は安楽死や自殺という言葉を使うことにためらいがあり、尊厳死という言葉を使います。こう言うと少し冷たく、語弊があるかもしれませんが、魅力的なテーマだと思うのです。私たちの特定の社会が持っている思い込みを解き明かす機会を与えてくれるからです。それは死についてではなく、生きることについてであり、それが地球のさまざまな地域、社会で今後どのように展開されていくのかはとても興味深いことです。
――シーグリッド・ヌーネスの小説「What Are You Going Through」が原作です。アルモドバル監督から、なぜこの作品を自身の映画のために選んだのか説明はありましたか?
この映画「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」の物語は、原作小説の中の、わずかなエピソードに過ぎないのです。イングリッドのキャラクターが旧友と同じような出会いをする小さな場面だけで、結末は異なります。その箇所に、ペドロはインスパイアされてこの映画に変えたのです。ですから、原作の厳密な映画化ではありません。
そして、この映画は“痛みと栄光”を描いた作品でもあります。ペドロは、自身の過去作からテーマを拾い、また別の作品でそれを発展させるアーティストの一人です。彼の創作は常に循環し、拡大し続けています。ペドロの「ペイン・アンド・グローリー」では旧友同士が再会します。彼はその物語をもう少し先に進めたのです。そして、定かではありませんが……きっと彼は、シーグリッド・ヌーネスの小説のそういった部分に触発されたのでしょう。
私が原作小説を読んだときにピンときたことのひとつは、私がどんな状況にあっても、最終的に完全に不滅であると感じられる3つのこと――それによってマーサの命を維持できるとわかったのです。それは、仲間であること、友情、そして芸術<fellowship,friendship,and art>です。私は人生の中で、この3つは決して裏切らないものであると、ずっと感じてきました。それをこの映画の中で表現できたことは、特別な喜びがありました。
――短編「ヒューマン・ボイス」(20)に続き、今作は最初の長編アルモドバル作品で、あなたの母語である英語で演じています。アルモドバル映画に参加しての感想をお聞かせください。
とても面白い経験でした。「ヒューマン・ボイス」でペドロのような尊敬する映画監督と一緒に仕事をして、モニターを覗き込んでみたとき、そのフレームに私が入ってくるなんて、クレイジーだ、と思ったのを覚えています。
私は、彼のフィルモグラフィをすべて知っているし、よく使われる色も、赤いキッチンや家具の一部も知っています。異なる映画でも同じものがよく出てくるのは、彼のアパートにあるものだからです。そして、登場人物が別の映画で再登場することもよくあることです。
「ヒューマン・ボイス」を作ったとき、彼が私を必要としていることが信じられませんでした。私はスペイン人ではないし、グラマーな黒髪の美女でもないですから、ペドロ・アルモドバルの映画の世界の人間ではないと思っていました。ましてや2本も映画に出演するなんて思いもよらなかった。だから奇妙だと思っていましたが、実際にスペインに行って、様々なものを見て、アルモドバルの世界を理解することができました。
――「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」は死をテーマにした作品ですが、あなたはフィルムメイカーとして生きる喜びを「CHANEL and Cinema TOKYO LIGHTS」でのトークで語りました。日本をはじめアジア諸国でよく知られる仏教用語で輪廻転生という考えがありますが、もし今の人生の後に生まれ変われたとしたら、あなたはまたフィルムメイカーになりたいですか?
あなたがその質問を言い終わる前に、私がなりたい動物のいくつかを頭に思い浮かべていました(笑)。また人間になるなんて考えてもいません。そうですね……やはり動物ではなく、大きなシカモアや樫の木がいいですね。未来では生物が進化して、映画制作をする樫の木になっているかもしれません。