国境ナイトクルージングのレビュー・感想・評価
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大変、期待して見たが。
背景は国境の町、朝鮮族が主体の吉林省朝鮮族自治州、私の好きな「スプリング・フィーバー」にも出てきた。登場人物は3人、しかし、描き方は類型的。
ナナという若い女性は、オリンピックを目指して頑張っていたフィギア・スケート選手、けがで挫折し、この町延吉に逃げてきて、ツアーのガイドを務める。要領はよい、韓国の著名な選手がモデルか。シャオは、ナナの友達、彼女に好意を寄せているが、ある一定以上は深まらない。勉強がきらいで、叔母を頼って四川から移って、仕事を手伝っているようだが。3人目のハオフォンが、一番見えにくい。上海の金融マンとはいうが、結婚式に出席のため延吉に来たとは言え、だれの結婚式なのかもはっきりしない。
北京の冬のオリンピックの頃とすれば、名実ともにバブル経済の最中だろう。全体として経済が膨張しているので、個々の力は、それほど問題にならない。何とかなってきたのだろう。ただ、バブルが崩壊して、国全体がだめになってしまったどこかの国と比較すると、この映画には、二つ良いところがある。
一つは、目標があること、天地(白頭山)、(この映画の中では、アリランと天地が良かった)展開が散漫ではあるが、頂上に到達できなかったことそのものは、あまり問題にはならない。目標を持つことが大事。もう一つは、帰るところがあること、ナナとシャオは、結局、家族のところか。しかし、ハオフォンは、ここでも流されているだけ。
一番困るのは、この映画の目指しているところが、はっきりしないこと。もしかすると、この映画は、どこかの国の映画を目指しているのではなかろうか。
アニメとVFXしか見るべきものはなく、「あいまいで、流されるだけで、何も起こらず、不安だけが強い」この国の映画を。
あの香港映画や中国映画の持っていたエネルギーや輝きは、一体どこへ行ってしまったのだろう。
冬の出会い。
友人の結婚式で延吉を訪れたハオフォンと、延吉でハズガイドをするナナと、ナナに好意を寄せるナナの友人シャオの話。
翌朝のフライト時間まで暇つぶしで参加した観光ツアーで携帯紛失のハオフォン、そのお詫びと夜の延吉へと誘ったナナと、行った先の店で待ってるシャオ…、飲み過ぎ寝坊で予約のフライト時間に間に合いそうにハオフォンに数日遊んでけよとシャオが声を掛け数日共にする3人になるが…。
延吉残ってナナの住む団地を寝床に日中はシャオの車、バイクで出掛けて締めは飲み屋で帰宅と、その酔った流れで関係を持っちゃったハオフォンとナナだったけれど、距離が縮まってエレベーターの描写とか、天池へ向かうが悪天候で引き返した際の用達とか何か残念描写だったかな個人的に。
3人でバス、車、バイクを使ってロードムービー的な作品?何て勝手に思ってたけど全然違う世界観だった。
ナナとハオフォンの寝てる姿を見て帰ろうとしたシャオに抱きつく流れのナナの心情はどういう心情?その前夜のクラブで拒んでたのに…。それぞれに苦悩する部分も見えたけどハオフォンとナナの涙の意味はちょっと分かりにくかった。
【鬱屈を抱えた男女三人が数日を共に過ごす中で過去と決別し新たな明日への一歩を刻む姿を美しいショット多数で描き出した作品。アンソニー・チェン監督は岩井俊二監督作品が好きではないかと思った作品でもある。】
■登場人物
1.ハオフォン:母からの過大な期待により、心療内科に通う上海のエリートサラリーマン。
演者:リウ・ハオラン:久しぶりに拝見したが、良き俳優である。憂いを帯びた姿がとても良い。
2.シャオ:故郷を飛び出し、北朝鮮との国境沿いの延吉のサービスエリアでコックをする男。
演者:チュー・チュー・シアオ:初鑑賞だが、雰囲気が良い。
3.ナナ:足の怪我が元でフィギュアスケート選手生活を断念し、今はバスツアーガイドで生計を立てている。故郷を出て3年が経つ。
演者:周冬雨:ハッキリ言ってファンである。
家人の(多分、一人前)のガールフレンドに雰囲気が似ているから。中国では”13億人の妹”と呼ばれているそうだが、日出処の竹野内豊似のオジサンの妹にならないかい?(嗚呼!今、私のフォロワーの方が100人ほどフォロー解除をした音が聞こえて来ました・・。)
◆感想<Caution!内容にやや触れています。>
・物語は比較的淡々と進むのだが、独りで上海から来たハオフォンと、それまで顔見知り程度だったシャオやナナが、ハオフォンがスマホを失くした事がきっかけで仲が良くなり、共に過ごす姿が自然な描写で映されており、且つ雪景色も透明感溢れる映像で、良いのである。
そして、ハオフォンの時計が4時45分で止まってしまうシーンを短ショットで映す技法もナカナカだった。(彼の厳しい現実が止まった事を暗喩していると思ったな。)
特に北朝鮮との国境を流れる凍てついた豆満江で人々が遊ぶ中、ナナがフィギュアスケートをする幻想的なシーンや、3人で雪の長白山に登るシーンは良い。
・ナナがハオフォンに心を許し、身体を預けるシーンはハラハラドキドキしたなあ。美しい女性の裸体は若い頃から結構見ているので(イタタ、石を投げないで下さい!)、オジサンは周冬雨さんの裸体よりはあの素敵な笑顔が見たいのだよ。
・シャオのバイクに3人乗りで小柄なナナを守るようにハオフォンと街の雪道を走るシーンもロードムービーのようで有ったな。
と言うか、この映画自体が一種のロードムービーじゃないかな。
<で、レビュータイトルにも書いたが、今作は”鬱屈を抱えた男女三人が数日を共に過ごす中で過去と決別し、新たな明日への一歩を刻む姿を美しいショット多数で描き出した作品。”だと思ったな。
あとは、雪景色の映し方も綺麗で、何となく岩井俊二監督の”Love Letter"を思い出したな。
それにしても、周冬雨さん(本名なのかな。素敵な名前である。)のぶっきら棒であったり、可なり酔っ払ったり、そして何よりも笑顔が素敵な作品だったな。まあ、私は周冬雨さんのファンだからねえ。(クドイ!)>
飲酒喫煙する十三億人の妹
北朝鮮のさらに北側に位置する朝鮮族自治州の中心都市・延吉。
知人の結婚式のためにこの地を訪れたハオフォン。現地の観光ガイドを勤めるナナを介し、その友人シャオとも親しくなり、しばし三人で行動を共にすることに…。
ヒロインのナナを演じるのは「十三億人の妹」と称されるチョウ・ドンユイ(周冬雨)。本作で飲酒喫煙だけでなく、濡れ場も演じている。
三十歳すぎたのでいけなくはないが、前に観た『少年の君』(2019)では高校生役だったから、そのギャップに正直驚き。
『ソウルメイト/七月と安生』(2016)を観た際も感じたことだが、イメージの定着がいやなのだろうか、妹キャラには程遠い大胆な演技を本作で披露している。
彼女の「絡み」の相手ハオフォン役は、TVシリーズ『榔琊榜弐』(2017)や『九州縹緲録』(2019)で若くして主役を演じたリウ・ハオラン(劉昊然)。
透明感ある瞳にどこか戸惑いの色を宿す彼に神経症で自殺願望もあるハオフォン役はぴったりだが、チョウ・ドンユイも含め若い世代に人気のある二人。知らずに観てショックを受けるファンも多いのでは?!
目標を見失った若者が何となく肩を寄せ合い、理由なく離れていくプロットは古くからある青春ドラマの定型。
怪我でアスリートを断念したナナ。
親の期待どおり高給取りのエリートになっても生き方に悩むハオフォン。
勉強嫌いで親族の下で料理人に甘んじるしかなかったシャオ(チュー・チューシャオ(屈楚蕭)演)。
「生きたいように生きる。それが人生」という彼の言葉は、まったく胸に響かない。
霧に阻まれ辿り着けなかった天池は、彼らの人生の暗喩なのだろう。
「これで終わり?!」と言いたくなるようなラストも含め、鑑賞者の想像に委ねるタイプの映画だが、見る人の推測を誤誘導させる仕掛けを最後で空振りさせてる手法がユニーク。
大きな起伏もなく、肩透かし的な終わり方に賛否はあると思うが、個人的にはそれなりに退屈せずに観ることができた作品。
本作のリウ・ハオランと、『西湖畔に生きる』(2023)のウーレイ、対称的な若い二人の共演作(できれば歴史劇)を、いつか劇場のスクリーンで観てみたい。
鑑賞後に目にした週刊文春シネマチャートでの本作の評価は、意外にも概ね好意的。
芝山先生なんか『ジョーカー2』で星2つしか点けなかったのに。
これほどまでにダサい邦題は久々だが、映画はとても良いのでスルーしないでくださいね
2024.10.19 字幕 MOVIX京都
2023年の中国&シンガポール合作の映画(100分、G)
とある理由で中国と朝鮮半島の国境の街を訪れた青年が地元民と交流を果たす様子を描いた青春映画
監督&脚本はアンソニー・ウォン
原題は『燃冬』、英題は『The Breaking Ice』で、日本語に意訳すると「雪解け」という意味
物語の舞台は、中国の延吉市
友人の結婚披露宴でこの地を訪れた上海勤務のハオファン(リウ・ハオラン)は、早々に披露宴を抜け出して、外で一服をしていた
そこに観光バスが入ってきて、バスガイドをしている女性と目が合った
ハオファンは何を思ったのかバスのツアーに紛れ込み、そこでバスガイドのナナ(チョウ・ドンユイ)と関係を深めていく
スマートフォンを盗まれてしまったハオファンはナナを頼ることになり、そこで彼女の腐れ縁の青年シャオ(チュー・チューシャオ)を紹介された
シャオはずっとナナのことを想っていたが、彼女にはその気がなく、いつも先制しては彼の心を折っていく
ナナはかつてルームメイトと一緒に住んでいて、フィギュアスケーターとして活躍していたのだが、怪我によって、その夢は絶たれてしまっていた
そのことに未練を抱えるものの、生活のためにしたくもないことをして、さらに自分を押し殺していたのである
シャオは叔母を頼って食堂を手伝い、他にも色んな仕事をしながら生計を立てている
彼はギターで弾き語りができるのだが、その道に進むこともなく燻っていた
また、ハオファンは有名大学から有名企業に就職したが、競争が終わったと思ったらまた競争という現実に嫌気が差していた
心理カウンセラーの予約催促の電話も無視し、「全てを終わらせたい」と考えるようになるほどに追い詰められていたのである
映画は、この3人が過ごす日常を切り取っていて、深酒で寝過ごしたハオファンが数日間を共にする様子が描かれていく
そんな中で、本屋に立ち寄ったハオファンは、水墨画で描かれた「長白山」に心を奪われる
そして、三人でその山に登って、頂上にある「天池」に行こうと考えるのである
映画は、よそ者の出現にて地元民ふたりの関係が変化するというもので、ハオファンはナナと関係を持ってしまう
シャオは心を痛めるものの、自分の代わりをしてくれていると考えていて、彼自身は関係を持つことよりも、ナナが立ち直ることに重きを置いていた
物語は、それぞれが新しい一歩を踏み出す様子を描いていて、長白山はそのメタファーのような存在だった
登る目的がそれぞれ違っていて、おそらくハオファンはその頂上から天池に飛び込もうと考えていたのだろう
神はその行動を阻止し、地上に帰るように仕向けるのだが、それによって3人はそれぞれの道へと向かうようになった
最初に動いたのはシャオで、彼はどこか新天地で生きることを決める
それが音楽で生きることかは描かれないが、ナナへの未練を経ち、自分自身を生きる道を選ぶ
次に動いたのがハオファンで、彼は別れを告げることもなくナナの元を去ることになり、おそらくは上海に帰ることになるのだろう
そのまま仕事を続けるのかはわからないが、生き方そのものは変わっていくように思えた
ナナはフィギュアの道には戻れないが、押し込めたい過去を背負う覚悟を決めている
誰に頼ることもなく、依存することもなく立ち上がるというイメージがあって、彼女も前向きに生きていくのかな、と感じた
いずれにせよ、よそ者が関係性を変えるという物語はたくさんあって、その二人がよそ者の異変を感じている状況だった
シャオからすれば邪魔者なのだが、ナナとの関係をはっきりさせるためには必要だった
映画の後半にて、ナナがシャオにキスをするシーンがあるのだが、この時にナナが男に求めていたものを、お互いに感じ取ってしまい、その役割を相手に求めてはいけないことを理解したと思う
それは、ハオファンをそのように扱っていたナナ自身の心を露呈することになるのだが、行為自体はハオファンを助けることになっていた
ハオファンとナナが関係を持たなければわからなかったもので、もし彼がこの地を訪れず、ナナとシャオが関係を持つことになったとしたら、おそらくはもっと傷つけあったのではないだろうか
ふたりにとってのハオファンは雪を解かす太陽のような存在だったのかもしれません
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