「シリアスで、コメディで、ミステリーでもあるエンターテイメント」花嫁はどこへ? Tofuさんの映画レビュー(感想・評価)
シリアスで、コメディで、ミステリーでもあるエンターテイメント
本作は事前に良い評判しか聞かなかったのだが、実際、噂に違わなかった。しかも本作はインド映画にしては珍しく上映時間が124分しかない!🤣
舞台は2001年のインドで、当時は携帯電話もあまり普及しておらず、あっても田舎の村ではほとんど電波が入らない。新婦のプールの家で結婚式を挙げ、遠く離れた自宅に列車とバスを乗り継いで花嫁を連れて帰るディーパック。この日はいわゆる大安吉日で、新婚カップルだらけの夜行列車内の新婦たちは揃って同じような赤いベールで顔を覆っている。車内でウトウトしていて気づいたら自分が降りる駅になっていて慌てて新婦を起こして彼女の手を引いて降りたディーパックだが、村に戻って新婦が顔を覆う赤いベールを外したら人違い。一方、生まれて初めて自分の村を出て、右も左も分からないプールも、どこだか見当もつかない駅で独りぼっちになる。ディーパックはプールを探し出しながら、連れてきてしまった花嫁を戻そうとするのだが、その花嫁のジャヤはどうやら戻りたくない様子で……。
幼い頃から家の手伝いはしていて家事はできるがろくに読み書きもできず、自分の実家の住所もぼんやりとしか分からず、嫁ぎ先も夫に黙ってついて行けばいいとよく知らないプール。色々な知識を持っていそうなのに、それを表に出すことを憚られる様子のジャヤ。何れにせよ、女は自分の意見など一切持たずに男の言うことを聞いておけばいい、という家父長制的伝統がまだ色濃く残っている。
しかし、プールは駅の食堂のおばちゃんの手伝いをして初めて自分の労働に対して対価が支払われることを経験し、ジャヤは周りの女性たちに対してなぜ?と疑問を投げかけることで少しずつ気付きと自信を与えていく。変わらないと思われた価値観も様々な人々との出会いによって少しずつ変わっていく。
前日に鑑賞した『この星は、私の星じゃない』 の主人公、田中美津さんは、本作の舞台の30年前の1970年に「男たちによって女の役割は自分たちの面倒を全て見てくれる《母》か、性欲の処理の対象である《便所》のどちらかに限定されてしまっている」と喝破し、その縛りからの解放を訴えていたが、21世紀初頭のインドではそれがまだまだ残っていたと言える。
それから四半世紀が過ぎ、どこまで現代のインド社会は変わってきているのであろうか?少なくとも、この問題をエンターテイメントの形に落とし込んだ本作がヒットするくらいまでには人々の意識は(少なくとも都市部では)変わりつつあるのであろう。
振り返って、田中美津さんの主張から半世紀以上を経ている我が国で、こんな現実を「対岸の火事」だと眺めていられるほど人々の考え方は進歩してきたのであろうか?誰よりも多額の裏金を不記載にして党公認を外されても、家父長制の堅持を強く主張する某宗教団体の全面的バックアップを受けた候補が選挙で当選しているような現実を目の当たりにすると、本邦の根本の部分はまったくアップデートできていないのではないかと暗澹たる気持ちになる。
話を本作に戻すと、シリアスな話題を扱っているにも関わらず、コメディであり、ミステリーであり、最後にはしっかりカタルシスを得られ、希望を抱いて劇場を後にできる作りになっている素晴らしいエンタメ作品だ。タイマー