エストニアの聖なるカンフーマスターのレビュー・感想・評価
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◇黒装束の闇鍋会
闇鍋(やみなべ)とは、それぞれ自分以外には不明な材料を複数人で持ち寄り、暗中で調理して食べる鍋料理。江戸時代には、闇の夜に野外の小川で網を打ち、かかったものを見ずにそのまま鍋に入れて食べる度胸試し的「闇夜汁」という料理もあったようです。
<カンフー&ロシア正教&ブラックサバス> それぞれ黒を基調としたダークな世界観で統一されて感じます。まさに何が飛び出してくるのか、予測不可能な闇鍋。そして、供されるものについては必ず食べなくてはなりません。
冒頭の古典的ワイヤーアクションから、秒殺で"あちらの世界"へとトリップ。荒唐無稽のハイテンポな展開は、有無を言わせず理性的理解を飛び越えていきます。
イメージはタランティーノ「キルビル」xニコラスケイジのおふざけ演技。中盤のカタコンベ(地下納骨堂)シーンで減速しつつ微睡ませておいて、後半は「悪魔」としての女性の登場。おや?恋愛ものだったのか。と軽い驚きへとハマり込みます。
ひねりにひねった変則的な舞台設定とどこか懐かしいローファイな世界観。虐げられた閉鎖的土壌だからこそ育まれる強かでシニカルな笑いが、私を新鮮な気分にしてくれました。
憎めないながらのワースト感!?
冒頭からロジャー・コーマンばりのB級感全開の雰囲気で大音量のブラック・サバスにカンフー三人衆が暴れマクるヘンテコな爽快感、あの三人はパッと見モーターヘッドみいにも!?爆音で鳴り響くロックンロールとカンフーで突き進む高いテンションが維持されない修道院から地味に物語が微妙な笑いを含みながらダルい展開へと、後は好き嫌いの問題かと、でも嫌いでは無い、けど面白くは無い、けど楽しくはある。。。
監督の前作『ノベンバー』は陰鬱で暗い雰囲気を醸しながらも微妙にコミカルだったり、本作は明るさ満開でジャンル映画のLookでありながら一筋縄では行かない問題作とは大袈裟にも、修道院とカンフー関係無くなってるし、ポップカルチャーが禁止された国と時代に焦点が当てられないし、でもイリネイは何も間違っていない、登場人物の中でイリネイには共感出来た。
"日野浩志郎"この名前だけは覚えておこう。
道を究めんとする者達
およそ50年前、ソ連支配下のエストニア。『神が与えた別の運命』に導かれたラファエルが、己の道と信じるメタルカンフーを極めるべく地元の修道院に密かに伝わる修道院カンフーを体得しようと門を叩く物語。
エストニアの青年のハングリーな日々を、遥か遠い中国のカンフー、西側の強烈な自由さを象徴するメタルミュージックによって彩った物語。カオス感漂うイントロではあるが、ブルース・リーが冷戦時代から続く反共産のアイコンだったり、体制に弾かれた人々が世を離れて修道院に住んでいたりと、現実の要素が盛り込まれているためか意外に地に足の着いた世界観だった。
本編にも、修行の一環として武道に励む求道者、花の咲く庭の大樹の下での修行、見習い同士のライバル関係、権力へ恭順しない人々、世俗の誘惑…、と少林寺を始めとする修験系カンフー映画を思わせるエピソードが多数あった。
路傍で名もなき人の導きによって不思議なことが起こる点や、ふらりと現れたラファエルが修道院で奇跡を起こす点、ラファエルと関わる人々が彼との邂逅で自分の道を確かにする点など、昔話や寓話を彷彿とさせる物語には妙な味がある。
奇抜ではないストーリーラインと奇抜なラファエルの個性・強いのかそうでないのか怪しいメタルカンフーが意外に良いバランスを保っていた。
舞台が修道院で修道院カンフーが正教の教えをベースにしているため、宗教賛美を感じる人もいるかも知れないが、あくまで心身を鍛えるためのものであるという修道院カンフーのポリシーは武道の教えに通じるものがあった。人の有り方と協調と寛容を説くという意味では、古くから人々の秩序として採用されてきた教義の根幹部分と武道の親和性は高いのかもしれない。
エストニアの福田雄一映画
エストニアにカンフーですよ。この怪しげな安っぽさ。これは観ない訳にはいかないでしょう。
う~む、『ノベンバー』の監督だからぶっ飛び映画であろう事は覚悟の上だったのですが、その覚悟を超えるぶっ飛びで、もはや破綻していました。ソ連時代のエストニアで、ブラックサバスとカンフーに夢中の男が修道僧となって・・というはちゃめちゃコメディです。でも、残念ながら僕は全く笑えませんでした。制作の現場ではさぞや盛り上がって楽しかったのだろうと想像はできますが、その一つ一つのショットが微妙に僕の心を逸れて行きます。まるで、エストニアの福田雄一映画を観る様な思いでした。
ソ連下のエストニア社会や、その時代の宗教問題を秘めているのかもとは思いましたが、それを調べてみようという気持ちも起きませんでした。
意外に深いのかも
「ブラッド・スウェット&ティアーズに何が起こったのか?」を見終わってたまたま見つけた。ソ連構成国だった社会主義時代のエストニアで、英バンド「ブラック・サバス」に感化される青年…まさに今見た映画のテーマそのものや!と、勇んで久々の二本立て。エストニアには全く縁はない。
観てみると、(ブラックサバスやヘビメタ、また正教会についても何も知らないので想像だが)欧米文化への志向というより、統制・禁止が日常の世界で、秘蹟、修行による悟り、悪魔的存在への畏怖といった、いわば隠されたものへの情熱を表現しているのかなと思った。
これを中二病的と捉えれば、真面目に考察するような話ではないのかもしれないが(コメディだし)、これらを追求することが文字通り命がけの時代であったことや、カンフー、正教、ヘビメタと、いずれも抵抗の歴史が反映されていることは、エストニアの人々にとって意義あるテーマなのかもしれない。そうすると、これらの三位一体が冒頭の国境監視所を襲うカンフー使いなのか?確かに主人公は啓示を得たが(笑)
修道院での修行生活の部分が長く、体制や強大な敵と闘ったりはしないので、修道士たちのやり取りの細かい笑いがフィットするかで受け止めが分かれそう(面白かったが、少し記憶が飛んだ)。
謙虚さは力だ
謙虚さに目覚めすべてを得ても
謙虚さを失えばあっという間にかすんでしまう
物語に何を求めるかで評価は変わってきそう
予告からするとカンフーメインなものを期待してしまうけど
実際はかなり宗教、神秘的な要素がメイン
観ていると思わず信仰心に目覚めてしまいそう。結構マジで
青年ラファエルは国境での一件でカンフーにかぶれ
そんな彼の存在で周りの人々が気付きを得る
結末とラストカットはドキッとさせられる
周りから浮いた彼の風貌も
「こういうことだったのか!!」
とかなり驚かされた
しか知最後の最後まで「どういうところを落としどころにしたい話なのか」
が全く読めずかなりやきもきしてしまった
スベり続けて
一回転、奇跡的に足から着地出来た感。
ミニカーみたいな可愛い車、可愛くないヒロイン、パルプフィクションいただき、教会風の少林寺、所々コマ送り。
一番のツボは段々大谷亮平に見えてくる兄弟子イリネイ、どっちかと言うとこっちを応援していた。
後、所々でソ連だから・・KGB怖い! が出て笑えた、でも向こうの人にとっては笑い事ではないのかもしれない。
この映画は、エストニアの人々には全く違って見えただろう。
エストニアと言って思い出されるのは、バルト3国の一つで、バルト海の向こうはフィンランド、合唱が盛んなことか。長いこと、ヨーロッパ(特にドイツ)とロシアの間で揺れてきたエストニア。この映画の背景は、1973年のソ連占領下。
中国との国境警備隊に駆り出されて、西洋のロック(ブラック・サバス)と、アジア(中国―香港)のカンフーの洗礼を受けた青年ラファエルが、エストニアに命からがら戻り、なぜかカンフーの盛んなエストニア正教(ギリシア正教とロシア正教の間か?)の修道院に紛れ込み、一度はモンク(修道士)になるなど、まるで神様のような取り扱いを受ける。
おそらく、エストニアは、西洋(ロック)とアジア(カンフー)の力を借りて、ロシア(ソ連)の影響と斗いたいのだろう。その象徴が言わずと知れたKGB。ロシアとの戦いに苦しむウクライナの今と全く同じ。
もちろん、エストニアの人々は、そんなことは一言も口にせず、映画を楽しんだに違いない。ほんの少しだけ、フィンランドの名匠カウリスマキの映画の香りがした。ウオッカをラッパ飲みしたり、黒パンが出てきたりするところなど。
そういえば、ロシアの宮廷では、長くモンゴルの影響が残っていたことを思い出した。
エストニア………?
公開初日に観た人からの感想を聞いておいて良かったぁぁぁぁ😂それが無かったら『??????ワタシハイッタイナニヲミサセラレテイルノカ??????』とばっかり考えてしまって全く楽しむことは出来なかったと思う💦
謎多き作品。
監督のやりたい放題だった気がする。
強いて言うなら抑圧される社会主義体制への批判と信仰の力についての映画……なのかしら??
とゎいぇ、『こんな時に信仰を捨てるなんて!』なんて“困った時の神頼み”的に使うもんでもないだろーよ💦むしろ罰当たり…。そして前半での餃子投げ合いシーンに聖職者でありながら食べ物を粗末にする描写か気になって気になって……。
そもそも“エストニア”どこにも出てこないwww
一体どこが評価されて賞をとったの??誰かワカルヒト懇切丁寧に教えてぽよ🙏
何とも言えないあざといB感。
怪しげなタイトルに興味をひかれたが、別にカンフー好きでも無いのでスルーする予定だったが「ノベンバー」の監督と知り見る事に決めた。
B級カンフー映画愛に満ちた、エストニアの宗教物です。何故かブラックサバス、何故かカンフー、何故か教会の後継問題。監督の好き❤️を集めただけのおバカ映画ですが、振り切っているので見応えはあります。
しかも、ところどころ笑えます。
摩訶不思議なサイケデリック+カンフー=修道士!!
何とも摩訶不思議な映像体験!!
エストニア、ラトビア、フィンランド、ギリシャ、日本の合作であるが、まずは旧ソ連のラトビアでカンフーが浸透している事にビックリ!!
”ドラゴン”ことブルース・リーの人気というのは全世界共通なのだなぁと改めて実感!!
メタルとカンフーに魅入られた青年が修道士としてカンフーマスターを目指す過程を笑いを交え描くのであるが、文化・ファッション・世俗とある意味全く相容れないお国ではあるものの、それはそれであまりの馬鹿馬鹿しさに一気に魅せられる力強さが全編に漲っている!!
全く異なるもののインドのマハラジャ作品に近いノリがあり、今後のトレンドになるかも・・・・・・・!?
珍品
監督の前作「ノベンバー」を2年前鑑賞していたので今作も
エストニア映画でカンフーとブラック・サバスと修道士
この組み合わせに惹かれ観たものの…
なんじゃ、これ( ゚д゚)
途中から、一体何を観せられているのか、と
10人中9人が「なんじゃ、これ!?」だと
なかなかの珍品なので、好きな人は好きだろう、ね…オワリ
りっぱなB級映画です。
真面目な映画ファンは見ないほうがいいと思います。オープニングからミュージシャン風の男3人が宙に浮いてます。そのあとの展開もマンガみたいです。男女がへんちくりんなダンスを踊って笑えます。ヘンな映画です。自分としては見たことないリヤエンジンの車に興味持ちました。
メタル、カンフー、修道院!
80%は実際にあったエピソードで主人公のモデルもいるとのこと。
マジかw
中華系の盗賊に国境警備隊が襲撃された時の唯一の生き残りで、チープなスポーツカーに乗ったスピード狂のカリスマ僧侶なんて最高のネタなので映画にしたいというのは物凄くわかるんだけど、調べたエピソードをそのままぶつ切りではなく、もう少し物語として成り立つように映像化して欲しかった。
ただ当時のエストニアの若者達の抑圧に対する反発やパワーや勢みたいなものはすごく伝わったかも。
今期一番ぶっ飛んだ意味不明な映画でした。
こっからやろがい!
2024年劇場鑑賞254本目。
まぁなんか西洋の変なカンフー映画ということで、アフリカン・カンフー・ナチスをこっちは想像していくわけです。
カンフーとキリスト教の組み合わせは一見荒唐無稽に思えるかもしれませんが、仏教がキリスト教になっただけだし、西洋にも修道僧(モンク)という職業があるのはファイナルファンタジー1から知っていたのでそれはいいんです。少林寺よろしく、修行をしていくのはいいんですが、こういうカンフー映画って絶対倒すべき敵がいて、最後に倒して終わるからカンフー映画じゃないですか。なんの映画を観たらこういうストーリーになるのか不思議で仕方ありません。肩透かしもいいところでした。最初はワクワクしたんだけどな。
(いい意味でも悪い意味でも)2024年ベストのネタ映画か…
今年364本目(合計1,456本目/今月(2024年10月度)15本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
この映画、確か放映前の予告編などでは「みない人は見ないだろうが、100回見る人は100回見るだろう」みたいな予告編だったと思うのですが、まさにそれのような気がします。
エストニアかどうか…というのも本質論ではなく(ただ、当時のソ連の影響があったのか、ソ連ネタは一部出てくる)、キリスト教も絡めたコメディ映画で、カンフー映画というかというとそれも違うという困ったところです。
かつネタ映画(普通に言えばB級ないしはC級映画)のお約束の通り、意味がまるで謎というのはまぁまぁあるんですが、個々個々見た場合、キリスト教がテーマになっている(修道士がどうこうという話なので)ため、個々の日本語字幕自体は日本語としてはやや高度である一方で全体をつなげるとまるでわからない…といったネタ感がかなりありそうなところです。
またこれまた評価も分かれると思いますが、話の「飛びよう」がすごく、最初こそ教会内でカンフーがどうのといった話ですが、後半になるとKGB(ソ連国内ないしソ連の支配下にあった諸国での秘密警察)がどうだの、果てにフェミニズム思想がどうこうといったまるで脈略のない話に飛びまくるので(カンフー映画でキックが「飛ぶ」のと同じく、話の脈略の「飛び」具合もすごい)、まるで何がなんだかわからないまま終わってしまう(ちなみにエストニア映画等見る機会など当然超レアで、「おしまい」に当たるエストニア語?も出てくるが、当然わからない)というのがアレで、判断がかなり分かれるかなと思います。
そのことが最初に書いた、あるいは予告編などで言われた「観ない人は見ないだろうが、100回見る人は100回見るだろう」というネタっぷりで、見るみないが極端に分かれるB級たたっぷり成分といったところです。
ただ、映画としては「ネタ」ないし、まあ評価上「少しわかりくい」(当時の共産主義などを知らないとわからないネタがある?)のはあるとしても、この映画がネタ映画であるのはここでもあるいは、予告編でも明らかだったし、観客を不愉快にさせるような字幕や展開にもなっていないので、大きくは引かない主義です。
採点は以下まで考慮しています。
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(減点0.3/ところどころ出る字幕がかなりわかりにくい)
・ この映画、章立て(チャプター形式)を取っているのか取っていないのか不明ですが(仮に取っていても話の飛び具合が無茶苦茶なので章立てに意味がない)、ところどころエストニア語?が出てきて日本語字幕が出ますが、これらは「ハレルヤ」や「修道長の何とかキック」だのところどころでてきます。ただ、それらが章立てなのか単なる表現なのか(そのうえで日本語字幕がついているのか)わからず、ネタ映画でわかりにくいところさらに理解を妨げているところはちょっと工夫の余地があったのかなといったところです。
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ブラック・サバスというよりはチープ·トリック。
ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!のような感じかなと、新宿武蔵野館へ。
ピアノ線で吊られて針葉樹林の上を飛んで行く黒い革ジャンの男たち。長髪のカツラをかぶったなんちゃってアジア系の3人の男が中国ロシア国境の警備隊を素手とヌンチャクだけで全滅させるところから始まる。
ひとりだけ生き残った下っ端の警備隊員のラファエル。ブラック・サバスのファンで、母親と二人暮らしの自動車整備士。変てこな男。酒場で女をめぐってボコられて、カンフーマスターが経営する男だらけの修道院に弟子入り。
燃えよドラゴンを観たのは中2、ブラック・サバスのアルバム、血まみれの安息日を聴いたのは中3だったから懐かしかったけど········😅
マリア様???がハチミツの涙を流すキセキをラファエルが起こす。
修道院長役が山谷初男に似ていた。
主役の男は常田富士男とムロツヨシを合体させたような芸風。
ライバル関係となる若い修道士はイケメン。酒瓶回収の彼女は石田えりっぽくってよかった。
ドタバタだからかなのか?キリスト教の教えがよくわからないせいなのか?さえよくわからないほど、よくわからない映画だった。
エストニア関係あるの?
ラブ&ピースってことでいいんでしょうか?それともまだまだ修行が足りないのでしょうか?謙虚さが足りないのでしょうか?
エンドロールを見ながら、これ新作映画?
もしや55年ぶりのリバイバル上映か?と思いましたわ。
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