「自分ごとのように感じられる人は、誰かの症状を緩和できる人なのかもしれません」青春ゲシュタルト崩壊 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
自分ごとのように感じられる人は、誰かの症状を緩和できる人なのかもしれません
2025.6.17 イオンシネマ京都桂川
2025年の日本映画(105分、G)
原作は丸井とまとの同名漫画
青年期失顔症に悩まされる女子高生を描いた青春映画
監督は鯨岡弘識
脚本は三浦希紗
物語の舞台は、日本のどこかにある平明高校
バスケ部に在籍している間宮朝葉(渡邉美穂)は、チームの中心として顧問の桑野(水橋研二)から絶大な信頼を得ていた
チームメイトも朝葉を通じて顧問に要望を出させるなど、そう言ったことも朝葉は断ることはなかった
彼女には母・葉子(戸田菜穂)と仲の悪い兄・夕利(濱田龍臣)がいて、朝葉はそのことを気にしていた
ある日のこと、朝葉は部員のみんなの言葉を伝えるために顧問の元へ向かった
だが、ストレスが極限まで達し、ふと廊下の鏡を見ると、自分の顔が見えないことに気づく
動揺してスマホを鏡に投げつけた朝葉は、そのまま廊下に倒れ込んでしまった
偶然そこに通りかかったクラスメイトの朝比奈(佐藤新)に助けられた朝葉は、そのまま保健室に連れてこられ、雨村先生(瀬戸朝香)に介抱されることになった
朝葉は体調を取り戻し、顧問のもとに向かうものの、顧問は「みんなで話し合う機会を持とう」と言い出す
そして、みんなの前で自分の気持ちを話すように言われた朝葉だったが、突如火災報知器が鳴り響き、辺りは騒然となって、それどころではなくなってしまったのである
映画は、青年期失顔症という架空の病気を題材にしているが、いわゆるストレス過多による認識機能の低下をわかりやすく表現したものになっていた
崩壊をそこまで恐怖っぽくビジュアル化はしていないが、想像で補うことはできる
冒頭から「人は水槽の中の魚のようだ」という例え話がモノローグで登場し、それがラストにも語られていく
人に気を使ったり、人が吐く悪意などを餌にして生きているという表現があり、それを摂りすぎた故に発症しているという感じになっていた
また、周囲に知られたくないという気持ちも症状を悪化させていて、自分自身を見失っている状況というものを可視化している
映画では、そんな病気に苛まれる人々を描いていて、これらの根源となるのが「悩むを打ち明けられない」というものだった
ラストでは、朝葉を中心として「お悩み相談室」というものが開設され、そこに集まる悩みに答えていく様子が描かれていた
若者の悩みはたくさんあるが、言語化できるものとできないものがある
目に見えるものもあれば見えないものがあるのだが、それらが引き起こす症状は多岐にわたる
なので、自分の顔が認識できなくなるという病気があっても不思議ではなく、見えないのではなく違って見えるというのは日常でも起こり得ることだろう
そもそも、人が見ている自分の顔は鏡で見るそれとは真逆なので、写真で見る自分の顔との違和感を感じると思う
それに対して、そんなもんだよねと流せる人もいれば流せない人もいて、そこに過剰に反応してしまうことでこの症状は起こるとも言える
朝葉の場合は、人によく見られたいとか役に立ちたいという願望がありながら、それに甘えてくる無自覚な悪意というものをもわかりながらも飲み込んでいく部分がある
それを分かった上で毒を取り込みすぎたと認識していて、その限界値が「大好きだったバスケを嫌いにさせてしまう」ほどに強力になっていく
そう言ったものからの解放が起こるのは、自己認識と行動でしかなく、顧問に対して「バスケを嫌いにならないために部活動をやめる」と宣言するのは強烈なカウンターだったように思えた
いずれにせよ、恋愛要素ゼロの青春映画で、主演のファン向けのムービーのように思う
そのファン層の年齢層はわからないが、何事もなく通過した後の大人には刺さらない映画のように思えた
この世代の子どもを持つ親、関わりを持つ職業だと、見えなかったものが見えるかもしれないが、そうではない距離感の人にはわかりにくい
自分の過去を掘り起こす映画でもあるので、何か自分に嫌なことがあって、体調を崩してしまったことがある人ならば、その時のことを思い出すのではないだろうか
個人的には中学校時代に原因不明の腹痛に見舞われた時期があって、どんな検査しても何も見つからず、意味があったのかわからない電気治療までしたことがあるのだが、その時の状況と似ているように思う
それは一過性で済んでいたのは引き摺らない性格だったからで、自分自身も朝葉のようになっていたかもしれないと思うと他人事ではないのだな、と思う
誰しも起こり得ることだし、年齢も問わないと思うので、自分の心の苦しみが体のどこかに出ていないかのチェックは怠らない方が良いのではないだろうか