「オカルト映画?」少年と犬 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
オカルト映画?
「犬が主人を選ぶ」ということはあり得るだろうし、犬に選ばれたことをきっかけに人々が繋がっていくという着想も面白いと思う。
ただ、窃盗団の運転手に身を落としてしまった男だとか、クズ男を殺してしまったデリヘル嬢だとかの、不幸のオンパレードのような登場人物が出てきても、「自業自得」という言葉が思い浮かんで、今一つ同情することができなかった。たとえ、震災の被害にあっても、あるいは、恵まれない家庭環境で育っても、真っ当に生きている人達はいくらでもいるのである。
確かに、不幸な2人は「多聞」によって慰められたのだろうし、だからこそ「多聞」は2人を選んだのだろうが、それでも、犯罪を「仕方のないもの」として肯定するかのような語り口には、違和感を覚えざるを得なかった。
家族で散歩に出て「天国みたいだ」と幸福感に浸っていたのに、いきなり窃盗団の運転手を志願したり、母親のために「多聞」を連れ戻しにやって来たのに、「良いことをしたい」と「多聞」を西に連れて行こうとしたりと、主人公の脈略のない突発的な言動にも当惑を禁じ得ない。
それにも増して、この映画で許容できなかったのは、高橋文哉演じる青年と、犬の「多聞」の2つの死である。
特に、青年の死には、何の必然性も感じられず、お涙頂戴のための作為にしか思えない。
さらに、幽霊になった彼が、「多聞」と旅をしたり、西野七瀬演じる女性と語り合うに至っては、ちっとも怖くないオカルト映画のような滑稽ささえ感じてしまう。
こんなことなら、変な小細工を弄さずに、彼が、刑期を終えて出所して来た彼女と一緒に、人生をやり直す様子を描いた方が、よほど感動的な物語になったのではないだろうか?
「多聞」のその後の話も、それは、幽霊から教えてもらうのではなく、斎藤工演じる父親に会って、彼がインターネット等で情報収集をした結果を聞き取るべきだろう。
「多聞」の死にしても、観客を泣かせようとする「あざとさ」が透けて見えて、かえってシラケてしまう。それどころか、下手をすると、せっかく東日本大震災のトラウマから立ち直った少年が、新たに熊本地震のトラウマを負うことになりかねず、まったく納得できないばかりか、「不幸の安売り」に辟易してしまった。
極めつけは、幽霊の設定の杜撰さで、青年の幽霊が堂々と姿を見せるのなら、「多聞」の幽霊が出てきてもおかしくないはずなのに、そうしたシーンが一切ないところには、ご都合主義的なチグハグさを感じざるを得なかった。それとも、どこかに、「人間しか幽霊になれない」というルールでもあるのだろうか?