「動物たちはなぜ戦ったのか」野生の島のロズ jin-inuさんの映画レビュー(感想・評価)
動物たちはなぜ戦ったのか
人間に奉仕するために作られたロボット「ロズ」と、最初に見た動く者を親として認識する「刷り込み」の習性のせいでロボットを親として認識してしまった雁の雛、「キラリ」のお話です。
本来ロボットには性別も感情もないはずですが、このロボットはだんだん「母性」に目覚めてしまいます。声が綾瀬はるかさんですので、まるで『義母と娘のブルース』ロボット版です。献身的な母親ロボットの姿に涙を誘われます。成長したキラリは母ロボットの元を離れ、群れの一員として渡りに参加し飛び立っていきます。
前半は「母性」の物語です。キラリが孤児になった理由を誤魔化すために、物語の力が使われました。
寒い冬がやって来ます。ロズはボロボロになりながらも島中の動物たちを温かい家の中へと引きずり込みます。動物たちが凍死するのを防ぐための献身的な働きです。動物たちが異質なロズを「自分たちの守り神」のような存在として受け入れる重要な場面です。ただし、ホントの野生の動物達は越冬能力がありますのでこんな努力は全く不必要であり、非常に作為的なシーンです。
雁の群れのリーダーであるクビナガはリーダーの座をキラリに譲ります。悪いロボットの銃口がキラリを狙うと、キラリを守るために自分から銃口に身をさらし討ち死にします。小柄なキラリを「変わっている」という理由で次期リーダーに抜擢したのも、そのキラリを守るために命を捨てたのも、全く作為的です。
ロズを回収するために島にやって来たロボット軍団を相手に、動物たちは一致団結して戦います。なぜ彼らは命の危険も顧みずに戦ったのでしょうか。大切な存在であるロズを敵の手から守るために動物たちは自己犠牲も厭いません。
輸送船に捕らわれたロズを助けるために、キラリと仲間の雁たちは大挙して輸送船に襲いかかります。なぜ彼らは命の危険も顧みずに戦ったのでしょうか。リーダーのキラリの指示に盲目的に従ったのでしょう。なぜだか小さな雁たちが零戦のように見えてしまいました。
後半は「自己犠牲」の物語です。自由で自分勝手で自己本位的だった動物たちは、いつの間にか勇敢で自己犠牲を厭わない盲目的な戦士の集団に変質してしまいました。
一体本作はなんの話で、テーマは何だったのでしょうか。
映画のタイトルは「野生の島のロズ」、原作小説は「The Wild Robot」ですが、本作は野生もロボットも描いていません。動物もロボットも感情を持ち、言葉でコミュニケーションを取り、火を使い、物語を語り合います。見た目は違いますが、これは明らかに人間の話であるのが分かります。
島の動物たちは、前近代の人間の部族社会のメタファーでしょう。動物たちは死にますがロズは永久に死にません。彼らにとってロズは「神様」となり、神様と仲間を守るために彼らは侵略者に対して勇敢に戦いを挑み、戦争が起こりました。
鑑賞中、本作の映像、音楽、声、物語に激しく情動を刺激され、何度も涙を拭いました。今こうして冷静に振り返ってみると、涙の理由は「献身的な母性」と「集団のために死をも厭わない自己犠牲」の2つの要素にあり、われわれ人類はこの2つに極めて弱いことが分かります。
この映画を「人間の情動を刺激するための壮大な実験」として見ると、大成功なのではないでしょうか。映画や物語の天才の手にかかると、凡人に涙を流させることも自己犠牲を払わせることも、容易いことなのかも知れません。
ホモ・サピエンスである私たちは「物語、フィクション、虚構、嘘」を駆使することで絆を深め合い、集団を維持し、敵と戦って来ました。そんなことをするのはホモ・サピエンスだけであり、種が絶滅するまでそれは変わらないのでしょう。