劇映画 孤独のグルメのレビュー・感想・評価
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めちゃくちゃな展開!でもそれが…よくないよw
母親がドラマの大ファンなので親孝行も兼ねて…
まず、パリから始まるのはワクワクして最高!
杏ちゃんの演技の安心感、パリで食べるオニオンスープなんてお腹ぐーぐー。いいかんじ!!!
とおもったのは5分だけ
杏ちゃんの祖父役 塩見 三省の演技が大丈夫か?!
こんなんだっけ?!と言うぐらいの下手さ。。
杏ちゃんの祖父なら90代が現実。塩見さんは70代。
90代に見えないし見えるように演技するから無理がある。
終始キツかった。。
そして、謎の『いっちゃん汁』これがしつこいしつこい
これを食べたいとか抜かすことから始まるマジで謎の旅スタート。
それまでに、なぜか韓国を無理やり挟む、大人の事情感。
韓国で孤独のグルメが人気だから?
いやいや無理やりねじ込むなよw
そして、でたでた!『女の自立!男に媚びない人生の再スタート!』という女だらけの韓国島w
気持ち悪くてこの島は酷かった
そこに何やかんや行く前に五郎は何度も死にかけるし。
最後はラーメン?
ラーメンスープと汁は全く違う。
豚汁みたいな汁なんじゃないの?
それゃ、じーさんも違うってなるわ。
パスポートのことがあるのに飯食うなよw
「こう言うので良いんだよ」がもっと欲しかった!
【”幻のスープの具材を探して三千里”食材探しの波乱万丈のロードムービーからの名作ラーメン映画”タンポポ“風の流れがじんわりと沁みる作品。主演、初脚本兼初監督でこの作品レベルって松重豊さん、凄いなあ。】
■飛行機で、且つての恋人で今は亡き小雪の娘、千秋(杏)の祖父一郎(塩見三省:嬉しい。)の願いで絵を巴里まで届ける所から、もう美味しそうである。機内食のビーフシチューか、焼鳥丼で悩むところから(機内食あるあるである。)、巴里について相変わらずの嗅覚で選んだビストロでオニオンスープとビーフブルギニョンを頼み、美味しそうに食べるゴローさん(松重豊)。
で、千秋と一郎に絵を届けると、一郎から”想い出のいっちゃん汁を探してくれないか?”と頼まれて、引き受けてしまうゴローさん。
で、ナント、サップボードで五島列島の島へ向けてゴー!と思ったら、台風に遭ってアッサリ遭難。流れ着いた島は韓国領域で、曰くある女性だけのコミュニティ。出会った志穂(内田有紀:ホント、不老の人だなあ。)達に美味しそうな韓国料理を御馳走してもらい、韓国入国手続きをわざわざ入国審査官(ナント、ユ・ジェンミン!)に港まで来てもらい、その後東京で志穂の元夫(オダギリジョー)で、半分やる気がないラーメン屋さん”さんせりて”で炒飯を頼んだら美味しくって、スープ作りを常連の中川(磯村勇斗)と共に頼んじゃうゴローさん。
良くまあ、尺2時間に満たない中で、このストーリーを収めたモノである。
◆感想
・ヤッパリ、ゴローさんの食事を美味しそうに食べながらの、脳内ナレーションが良いんだよね。そして思うんだ、食事を美味しそうに食べる人に、悪人は居ないよねってね。
・個人的には、塩見三省さんを久しぶりに観れた事が、嬉しかったな。キャスティングも松重さんが指示したのかな。若手からベテラン、そしてユ・ジェンミンまで登場するとはなあ。
・ご飯も当然美味しそうで、特にユ・ジェンミン演じる入国審査官を待たせての、食事シーンは面白かったな。ゴローさんならぬユ・ジェンミンの脳内ナレーション。”コイツ、ホントに美味そうに食うな・・。”クスクス。で、そこで重要な食材ファンテ(タラの干物)を見つけてしまうのである。巧い脚本だなあ。
・で、東京に戻って志穂の元夫の店に行って、炒飯を二度食べて腕の確からしさを確認した上で、”いっちゃん汁”を作って貰うシーン。ナカナカ味が出ない所で、ゴローさんはファンテの干物を思い出すのである。
そこからの展開は、伊丹十三監督の名作「タンポポ」を思わせる。志穂が考えた”さんせりて”のロゴマークがタンポポのロゴマークに似ていて、ようやく完成したスープで作ったラーメンを、ゴローさん、中川、滝山(村田雄浩)がカウンターに座って、夢中で食べてスープを一斉に飲み干すシーンは、絶対に「タンポポ」へのオマージュだと思ったな。
<その後の展開も、とてもハッピーで、ドラマに敬意を表したような嬉しいサプライズ(ナント、遠藤憲一さんが主演のグルメ番組ロケで”さんせりて”が使われる。)が韓国の志穂のコミュニティで流れて、送られて来た元夫のスープを飲んだ彼女が、コミュニティの皆にラーメンを作ろうと立ち上がったり、ユ・ジェンミン演じる入国審査官の家族が、同じくTVで流れるグルメ番組を見ながら、あのゴローさんが美味しそうに食べた店で、漸く焼きサバを食べるシーンの連動性など、見事でありました。
今作は、食材探しの波乱万丈のロードムービーからの、名作ラーメン映画”タンポポ“風の流れが、じんわり沁みる作品なのである。重ねて書くが、主演、脚本を兼ねた初監督でこの作品レベルって松重豊さん、凄いなあ。>
伊丹十三作品の「タンポポ」を思い出した
ツボを押さえてる
いいじゃないか
「腹が...減った」
久住昌之原作・谷口ジロー画のグルメ漫画、深夜ドラマとしても10のテレビシリーズを数える人気作が何故か映画化。監督はまさかの松重豊。
輸入雑貨商・井之頭五郎(演:松重豊)は亡き友人の娘である千秋(演:杏)に絵画を届けるためフランス・パリを訪れる。無事に納品を済ませた五郎だったが、千秋の祖父(演:塩見三省)から思わぬ依頼を受ける。それは、彼が子供の頃、生まれ育った長崎・五島列島で食べた母の味「いっちゃん汁」をもう一度食べたいというものだった。食材もぼんやりとしか分からず調理法も不明、つい勢いで引き受けてしまった五郎はすぐさま五島に飛び、「いっちゃん汁」の謎を探るが...。
うおォん!いいじゃないか。これだよこれ。松重豊の言葉を借りるならば「中年男がひたすらメシを食い続けるだけのドラマの何が面白いのか?」、しかも2時間近く尺があるにも関わらず、開始15分で既にフレンチをパクついているわけで、「飛ばし過ぎでは?」と不安になったが、杞憂に終わった。
もうドラマで実績を積み重ねてきているので、「方程式を崩さずに最後まで続けられるか」だけがポイントであり、いつもの展開がむしろ「実家のような安心感」と言ってよかった。ただ、フランスからスタートということもあってか、五郎さんいつもよりも食い方が大人しかったような感じがした。品目としては大分食べているのだが、行儀がよい。もっと豪快に食べてもらってもよかったかなと思う。それにせっかくなら"ビールクズ"久住もどこかにチラッと出てくればよかったのに。あと余談だけど塩見三省大丈夫か?あれ演技なのか?演技だよな?演技だったらいいけれど...。
「いっちゃん汁」再現のために手を貸すラーメン屋のワケあり店主とその元妻、さらにTV局のプロデューサーなど、様々な人間を巻き込んだドラマは(やや尻切れトンボ感はあったけれど)ホロリとさせてくれた。井之頭五郎、いい仕事をしてくれた...。途中のドラマに登場するゲストに死ぬほど笑った。なのでできれば情報封鎖のうえで観てもらいたい。
時間や社会に囚われず、孤独に空腹を満たすとき、束の間人は自分勝手になり自由になる。誰にも邪魔されず、気を遣わず物を食べるという孤高の行為。この行為こそが、現代人に平等に与えられた最高の癒しといえるのである。
明日は浅草かぁ...何食おうかな。
ドラマ版とは少し違う
孤独のグルメファンとして、最高でした。
『劇映画 孤独のグルメ』鑑賞。
*主演*
松重豊
*感想*
新年1作目の映画は、孤独のグルメ!僕は孤独のグルメの大大大ファンで、S1〜S10、それぞれの孤独のグルメ、大晦日全SPを全部見たことあります!
特別編と劇場版は、松重豊さんがプロデュースされており、非常に興味を持ったので、新年1作目は孤独のグルメは絶対に観に行こうと決めておりましたので、今日までとても楽しみにしてました。
孤独のグルメの魅力はやはり主人公の五郎さんが仕事の帰りにたまたま立ち寄った店でご飯を食べる所。五郎さんの食べっぷりが最高。なんでこんなに美味しそうに見えるんだろう。
今回は一味違い、映画化され、監督が松重豊さん。え、松重さんが監督!?どんな感じに仕上がるんだろうと楽しみにしてました。
映画化なので、日本だけではなく、フランスパリ、韓国、あの五郎さんが大ピンチに遭います。
そして、ただ食べるだけではなく、ちゃんとストーリーがあり、ドラマ版とは全然違ってましたが、アドベンチャー要素が結構強かった。五郎さんがあるスープを求めて大冒険します。コミカル要素も多々ありつつ、感動要素もあって、めちゃめちゃ面白かったです。
「そんなバカな(笑)」ってツッコミたくなる場面もありましたが、最高でした。
孤独のグルメといえば、やはり、ご飯を食べるシーン。フランス料理、韓国料理、ラーメン等、五郎さんは映画でも食べまくってます!
観終わった後、腹減りました!!
どの料理も美味しそうだったな〜!
総じて、孤独のグルメファンとして、最高に面白かったです!
また、レギュラーシーズンやって欲しいな。
引退だけはしないで〜w
うまいメシを食うのがドラマになるわけ
ドラマスペシャル孤独のグルメ
はじめのパリや五島探索までは見てて美味しそう、お腹が空いたと思いながら楽しめたが、韓国へ遭難あたりでこれいる?や実はの場面で段々白けてしまいました
食材もほぼ韓国のものこれなら五島である必要が感じられずはじめから韓国で探す話で良いのではと
故郷五島の昔の母の味と言うならば五島の食材で揃える話を見たかったしラーメンや韓国の無理やり感に違和感が多く感じてしまいました
ただ食事シーンは変わらず美味しそうに食べていてこちらもお腹が空いてしまう作品でした
劇映画 孤独のグルメ(映画の記憶2025/1/10)
イメージ通り
予告ではドラマ版とはかけ離れた波乱がありそうで少し嫌な予感がしていたが、実際のところはいつも通りで安心した。
映画なので多少の誇張や強引な展開はあるものの許容範囲内でむしろシュールな笑いを誘う。
肝心の食べるシーンは相変わらず美味しそうで20分前に食事を済まして見たのに鑑賞後はすっかりお腹が空いた気分になってしまった。
ドラマ版の雰囲気を維持しつつドラマパートをメインに組み立てられ、新しくもいつも通りなファン納得の「劇映画」に相応しい内容だったと思う。
スタッフロールで、キーパーソンのオダギリ・ジョーの役名にフルネームが設定されてないのにネタキャラ全開なダニエルにフルネームが設定されている事に気付いて笑ってしまった。
ご都合主義も目に付きますが、話の流れは良く出来ています。
『孤独のグルメ』をベースに『タンポポ』『寅さん』「松重分」を混交したダシの妙味に舌鼓。
ああ、なるほど、
ラーメン屋を再興させるお話だから
『タンポポ』のマークなんだな!!
終盤に入ってようやく気付いて、帰りにパンフで答え合わせ。
僕はちょうど伊丹十三が俳優から監督に鞍替えして、『お葬式』でヒットを飛ばした時期のことをよく覚えている。あの伊丹監督が第二作に何を撮るんだろうなと、みんなが期待をみなぎらせていたら、思いがけずマカロニ・ウエスタンテイストのラーメン屋再建物語『タンポポ』を出してきて、驚かされた。このあと、伊丹監督が『マルサの女』でさらに大ヒットを飛ばしたせいで印象が若干薄くはなっているが、『タンポポ』は日本ではめずらしいグルメ映画の走りであったし、ブニュエルの『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』を意識したセクシャルな要素も楽しい、それなりに衒学的で前衛的な映画でもあった。
松重監督は、そんなグルメ映画、ラーメン映画の嚆矢である『タンポポ』にオマージュをささげて、ラーメン屋「さんせりて」の商標イラストを『タンポポ』にしたというわけだ。
パンフでは、とにかく『タンポポ』カット(カウンターで食べている人たちを横アングルの寄りで撮る)をやってみたかったと、松重監督は発言している。
合わせて感じるのは、山田洋次監督の影響、とくに『寅さん』からの影響だ。
(パンフの監督インタビューでは寅さんには言及されないが、かわりに『幸福の黄色いハンカチ』の話が出てくる。)
「マドンナ」(杏&内田有紀)が出てきて、しばしのあいだ、五郎と温かな交流を深める展開があって、五郎は結局、相手のために「一肌脱ぐ」ことになる。とくに内田有紀のためには「離れ離れになっている想い人との仲を取り持つ」ことに。まさにやっていることは寅さんだ。
そのために五郎が「旅」をすることになる点、どこに行くにしても寅さんがいつも同じ腹巻とジャケットを着ているのと同様、五郎もいつでもどこでも(遭難しているときでさえ)同じ「背広」を着ている点。本当は好き同士の二人を引き合わせるやり方が「粋」で「さりげない」点。
いずれも、いかにも寅さんっぽい。
ここに、福岡県出身で、北九州の風土と食にこだわりがあり、韓国との交流にこだわりがある松重監督自身の「個性」と、思いがけないくらいに有能な「監督/脚本家としての才能」が加わって、この劇映画『孤独のグルメ』は成立している。
ちょうど、映画が4種類のだしの選定と調理をめぐる物語であるのと同様、本作では『孤独のグルメ』テレビドラマ版というベースの「だし」をもとに、伊丹十三や山田洋次のテイストを加え、さらには松重監督独自の味付けを加えているということだ。その4種混合の「マリアージュ」がまさに絶妙の「塩梅」で、作品を成功せしめている。
本作で語られる秘伝の「和風魚介とんこつスープ」の組成は、今回の劇映画『孤独のグルメ』のありようとの面白いアナロジーを形成しているというわけだ。
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今日はよんどころない事情で、珍しく公開初日に足を運んだが、僕は必ずしも『孤独のグルメ』テレビ版の良い視聴者ではない。
たまにやっていたら観る程度。ただし、原作のほうは月刊誌『パンジャ』に連載されていたころから読んでいた(2年近くで休刊した徒花のような雑誌だったが、チャイドルブームと『孤独のグルメ』を功績として後世に遺した)。原作漫画が、国内以上にフランスで大人気で、向こうでは作画の故・谷口ジローが巨匠としてガチで崇められているのも知っていた(おそらくなら、だからこそフランスが序盤の舞台なのだ)。
今回観て何より思ったのは、松重豊監督のバランス感覚の良さである。
最初、予告編を観たときは、僕が著しく苦手としている福田雄一監督に似たテイストがほの見えて、「俺、最後までこれ我慢して観られるのかな??」と思うくらいにビビらされたものだったが、実際に観てみると、思いがけないくらいに「抑制された」つくりの映画版だった。
すなわち、テレビシリーズのテイストから外れないよう、どんなときでも「通常営業の五郎さん」になるように、きわめてこまやかに作られていた、ということだ。
たしかにスケール感は増した。
三か国をめぐるロードムーヴィー仕立て。遭難アクション。多数のサブキャラ。
でも、基本の部分は驚くほど、「いつもどおり」に作られている。
決めぜりふ。孤独ショット。食事時のふるまい。食べ方。BGM。
そこの『孤独のグルメ』としての「型」は、意地でもゆるがせない。
だからこそ、違和感が少ない。すっと入っていける。
いつもの世界線の延長上に、劇映画をきちんと位置づけられる。
むしろこのドラマとしての「冒険」は、映画ならではのスケール感とは別のところにある。
「食」の受容について、いつもの食べ歩くだけの「受け」の姿勢から、「料理を調理する」側へと一歩踏み込んでいる部分。これこそが、海外渡航よりもマドンナ要素よりも、なにより一番の「冒険」要素かもしれない。
それでも、じゃあ「五郎さんに作らせるか」ってところまでは敢えて踏み込まないのが、松重監督なりのバランス感覚だ。
あの五郎さんが、ふだんの食べて評価するクリティックの側から、とある味を求めて食材を集めるプレイヤー側に一線を越える。特別感のある、踏み越え方。だからこそ、この作品はテレビドラマ版ではなく「劇映画」として、作られねばならなかった。
それでも「本当に食材を見つける」人間は内田有紀だし、「本当にだしを調合する」人間はオダギリジョー。そこはちゃんと「プロ」に任せて、五郎はコーディネーターとしてしか動こうとしない。そこでぎりぎり「食べる人」としての「五郎さん」のキャラクターをつぶさないよう、配慮がなされている。この辺が、五郎が五郎として五郎のまま「冒険」できるギリギリのラインだというわけだ。
結果として、劇映画の展開は「いつもの裏」を行く作りになっている。
すなわち、通常版の『孤独のグルメ』は、「見ず知らずの店に当て勘で入って、その雰囲気や味から類推して店の背景を夢想する」作りである。しかし今回の劇映画は、「店の背景や夫婦の置かれている状況はすべてわかったうえで狙ってその店に行って、そういった事態を解決できる究極の味を逆算して見出していく」作りとなっている。
「味」から「店の背景」を引き出していくドラマ版に対して、
「店の背景」から「味」を引き出していく内容に切り替えられている。
そこが劇映画の「キモ」ということだ。
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もう一点、特筆すべき点として、松重監督が仕掛けてきた複数の「メタ的遊び」の面白さがある。
『孤独のグルメ』というテレビドラマを知り尽くし、作品の内容にも積極的にかかわり、ついには監督を引き受けるまでに至った、熱くて覚悟の完了した男が、あふれかえる作品愛とスタッフ愛をこめて、作品内で入れ子構造を用いて『孤独のグルメ』を大胆にいじってくる。
これが、けっこううまく決まっていて、実に楽しい。
そこで出してきた俳優のあまりの互換性の高さにも爆笑したが(「みんな俺と同じこと考えてたのね、というか、松重さん自体思いっきり俺の代わりをやるならコイツってふつうに思ってたんだww」)、番組スタッフの実際の取材の動きを再現するとか、エキストラへの気配りを再現するとか、細かく番組やスタッフへの愛着を練り込んできているのが面白かった。
考えてみると、
パリに行ったらマジで杏がいるってのも、
韓国に行ったらユ・ジェミョンのイミグレがいるってのも、
ラーメン屋の店主役がオダギリジョーってのも、
ラーメン屋の常連の中川君が実はアレってのも、
さらにはこの映画の監督が松重豊というのも、
みんなある意味「出オチ」であり、メタな仕掛けだといえる。
松重さんは、こういう仕掛けが好きで、しかも実にうまい。
他にも、細かい部分で感心させられた点がいくつもあった。
●内田有紀が海岸べりで「私はいまとっても幸せで」といって振り返るシーンが、逆光になっていて表情が陰になってよく見えないのに感心した。彼女の実はさみしくて満ち足りない気持ちや、自分の心に対してウソをついているうしろめたさが、一瞬の「陰」と表情に集約されている。
●登場したときのオダギリジョーは、あからさまに世間でいうところの「難あり店主」であり、SNSなら炎上必至のかなり感じの悪い態度で客に接していたが、だしの食材を目にして、何かしら感じ入るところがあってからは、理不尽だったり不機嫌だったりの理由で怒鳴り散らすようなことは一切しなくなるし、「なんか物足りないんですよね」とかかなり不敬な煽りを中川君からされても、突っかかりもせず、むしろ「そうなんだよねえ」と素直に応対している。
このへんのキャラクターづくりも、バランス感覚が非常に良いと思う。
●五郎さんは、ラーメン屋に対して最後まで食材の提供主が奥さんであることを伝えない。同様に、完成したスープを奥さんに送るときにも、スープの作成を夫のラーメン屋に頼んだことは敢えて伝えない。ただ、「さんせりて」のロゴ入りの中華どんぶりを同封するだけだ。内田有紀はひとくちで、それが「自分の提供した食材で、夫が作ったスープ」であることに気づく。
なんと品の良い演出! なんと粋なはからい!
●終盤の「例の撮影」シーンで、「六郎」役の俳優が、心のナレーションを口で出して言う。そこで「それやっちゃうともう『孤独のグルメ』じゃなくなっちゃうんだよね」と客にいったん思わせておいて、「本番では心の声は言いませんので!」と本人に言わせる。巧みな上げ下げで、ここも演出がうまいと思った。
― ― ― ―
その他、観ていて思ったことなど。
●アバンの飛行機内での「ビーフの機内食がどうしても食べられない」ネタって、これもしかしてブニュエルの『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(食べたいのに食べられないネタの不条理映画)を意識されてます??
●フランスでのシーン、エッフェル塔とビストロでの食事はロケだったけど、その前の到着してしばらくって、ものすごく合成っぽくなかった? 気のせいかな?
●塩見三省って昔からこんな演技だったっけ? ちょっと軽くなにかあったような印象。
●いっちゃん汁の味捜しで、「あの食材だ」って確定されるまでのロジックが、僕には今ひとつわかりにくかった。
●SUP(サップ)で海を渡ろうとするとか、さすがに原作のテイストからかけ離れすぎているんじゃないかとは思ったけど、これもしかして「スープ」とかけたダジャレ?
●遭難先の「女しかいない島」って、ちょっと新版のほうの『ウィッカーマン』(ニコラス・ケイジ版)を想起させる。あれは、蜂の社会を模したフェミニズム・ホラーで、こちらは「龍宮城」に例えられる「傷ついた女たちの楽園」だという違いはあるけれど。
●フレンチのシェフ出身のこだわりのラーメン店主が、コロナと食材の高騰で没落していく流れって、旧京都全日空ホテルの総料理長だった松村氏がラーメン店「勝本」と「八五」を大行列店として成功させながら、コロナの影響で負債額12億で倒産させた(のちに復活)のを思い出させる。
●とにかく、松重豊は食べ方がきれい。ええっと思うくらいリフトして、それがびっくりするくらい容量の大きい口腔に、するっとスムーズに吞み込まれる。口から出っぱっているものが消えるスピードが異様に速い。このへん、実は作品の根幹だと思う。
●塩見三省の落ちは、なんとなく読めていました(笑)。
ただあれ、別に「味が物足りない」という総意から干しだらに変えただけで、もしかすると「エソ」のだしを使ったままのスープなら、おじいちゃんに満足してもらえたのかも。あと、前に「さんせりて」で出していたラーメンの味が、なぜ「いっちゃん汁」に近いのかについては、さりげにあまりちゃんと因果関係が説明されていない気もする。
●あえてシリーズのために映画化を言い出し、結局は自分で監督をするにいたった松重さん。ちょっと『刑事コロンボ』とピーター・フォークの関係性を思い出しました。またぜひ、次なるチャレンジを!
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