ACIDE アシッドのレビュー・感想・評価
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そこまで酷くないと思いました☔️
建物はもちろん、動植物も溶かしてしまう程の酸性雨
魑魅魍魎でもヒトコワでもない
(ちょっとヒトコワあるけど)
自然が人間を襲う、それも雨。
隠れる場所も逃げる場所もない。
もちろんツッコミどころは多々あるけれど
ジワジワと迫る雨雲(恐怖)とパニックは
ハリウッド作品とまた違う演出や
ヨーロッパ独特の醸し出す陰鬱な雰囲気があって
個人的には好きでした。
ヒステリックに泣き叫び当たり散らす娘も
自分と、遠く離れた恋人のことしか考えられない
父親も実にリアリティあって良き。
怖い映画でしたね
最初ドキュメンタリー映画かと思った
いきなりスマホ画面の市庁舎だかに抗議に集まる
市民団体 責任者を吊し上げて何かやらかした責任を
取れ❗って機動隊巻き込んで大乱闘の場面
やはりヨーロッパの人間は抗議活動が積極的で実に
羨ましく思いました 日本人は毒入り注射で200万人
死んでも殆ど黙ってるからね
それで主人公の彼はこれから手術をしようとする女性
に付き添うが奥さんか?身内か?はたまた不倫相手か?
そこに彼の子供らしき女の子 後から奥さんと見られる
女性が出てきて 最初の女性は不倫相手だと判る
いきなり強烈な酸性雨の話はなくてテレビニュースから
外国の話ではなくてフランスにも起きているニュースが
流れてから話は浴びたら大惨事になる強烈な酸性雨の
恐怖がじわじわと迫ってくる
これがフランス映画の脚本なんだ
ハリウッド映画みたく酸性雨で溶けていくような場面は
なくて普通に降ってる雨が地面に落ちてから何かが
溶けて湯気が立つシーンからこれがただの雨ではないこと
がわかり始める じわじわと迫ってくる恐怖
しかしこの映画はどんどん悪い方に向かいあらゆる場面が
絶望的になっていく いったいどんな終わり方するのか
水道水も飲めない 川に落ちたら.....彼の奥さんのように
大火傷して死んでしまうとか 正に絶望的な世界を
描いてますね 最後の最後に自動車がぬかるみに
はまり娘がさまよった場所から彼が救出に向かうが
足はどんどん酸性雨の水溜まりに侵されていく
これで終わりならどうしようもないな
と思ってたら翌朝 軍が奇跡的に救出に来てから
やっと安堵したのでした
酸性雨の原因は世界中にDS の連中が空から
大量に毒物を撒き散らすケムトレイルだよ
ありとあらゆる毒物を撒いてるからだ
地球は病んでいく
テーマとしては興味深いが、ツッコミどころ満載。酸性雨の被害は、この映画ほどではないが、現実にある。他にも、PM25とか、言い出したらキリがないだろう。強酸性雨が、降ってきたら、車では逃げれないでしょう...真っ先にタイヤが溶けてしまうから。アルカリ性のキッチンハイターでも大量に散布して、中和できたら少しはマシかな?それはさておき、避難の方法をもっと考察して映像化して欲しかった。いずれにせよ、2024年の夏も猛暑だったし、悲しいかな地球は病んでいく。
表現したいことは?矛盾も多すぎない?
橋落ちちゃう雨なのに、草木は緑色の状態保ってるって。。。
あのレベルの酸性だったら雨上がりも呼吸しんどいし。。。
予算が無いんだな〜って鑑賞途中で頭をよぎる残念感。
所々、映画の中に入り込めない矛盾を感じました。
この映画で伝えたかった事も観ててわからなかったし、訴えかられている感も無かった。
♪メ〜ルト〜 溶〜け〜て〜し〜ま〜え〜ばいい〜
冒頭いきなり暴動が始まって、スクリーンを間違えたかと思った。
案の定なんの関係もなかったし、主人公一家が自己中過ぎて、バッドエンドを願いながら鑑賞。
警官隊へのタコ殴りは暴動の理由自体が不明だし、物理的クソ食らえは相手も悪いから目を瞑る。
しかし、人を撥ねておいて罪悪感どころか気にもしてないのは異常。
酸性雨を浴びた誘導員を、まるでゾンビのように「中に入れるな」と蹴り出すのは正当防衛にもならない。
(何の対策もしてない彼らも阿呆だが)
ネコを被検体に使うことへの躊躇いも皆無。
避難させてくれたデボラに「食べ物を分けてくれないから外から取ってきた」と嫌味を言う。
必要となれば平気で殺して奪うタイプだろ、アレ。
そんなんだから、エリーズが亡くなっても哀しくない。
ミシャルが何も感じないことはないだろうが、「コイツ妻より大切な人がいるんだよな」と頭を過ってしまう。
入院中の愛人という、娘にとって何の価値もない目的地を強要するし。
セルマは比較的まともだが、嘆いて批判するだけで前向きな発言行動がゼロ。
ひと雨で終わる問題でもないのだから、一時避難はまだしも大規模移動に意味はあるの?
それより酸に耐えられる素材で安全地帯をつくることが最優先ではないのか。
先の誘導員同様に、何の対策もせずに平原を行軍してる様も正気の沙汰とは思えません。
何一つ好転も悪化もしないままとりあえず保護されて終了、と何をしたいのか分からない作品でした。
酸っぱい評価しかできないけど、「ASID」には辛辣なと言う意味があるのだよね
2024.9.4 字幕 TOHOシネマズ二条
2023年のフランス映画(100分、G)
酸性雨の到来によって逃げる人々を描いたパニック映画
監督はジュスト・フィリッポ
脚本はヤシネ・バッダイ&ジュスト・フィリッポ
原題は『Acide』、英題は『Acid』で、ともに「酸」という意味
物語の舞台は、フランス北部のアラス
工場勤務だったミシャル(ギョーム・カネ)は、ストライキの時に興奮し、機動隊に暴力を振るったことで収監されることになった
それが原因で妻エリーズ(レティシア・ドッシュ)と離婚し、娘セルマ(ペイシェンス・ミュンヘンバッハ)と会う時間も限られるようになった
ようやく外出許可が出るものの、足にはGPS付きの装置が付けられていて、その時間もわずかなものだった
ある日、セルマがクラスメイトのオーロレ(Blandine Lagorce)と喧嘩になり、そのことでミシャルとエリーズは学校に呼び出されることになった
久しぶりに顔を合わせるものの、小言と暴言の応酬で、セルマはさらに苛立ちを見せていた
映画は、この3人が悪魔の酸性雨から逃げると言う内容になっていて、この舞台では精巧な雨雲レーダーのようなものは存在しない
被害状況がわかるサイトのようなものがあるが、それもかなりざっくりしたもので、とにかくフランスはヤバいぐらいのノリにしか思えない
また、ミシャルには元同僚のカリン(スリアン・ブラヒム)という恋人がいて、彼女は足が悪く入院加療を続けていた
ベルギーのアントワープにある病院での手術も決まっていて、ミシャルは家族そっちのけでカリンの元に心が行ってしまっているようにも思える
さらに、エリーズの方もミシャルの兄ブリス(クレマン・ブレッソン)との関係を匂わせているし、彼は弟を頼っただけでブチ切れていたりする
ともかく沸点の低い人ばかりが登場し、会話よりも叫んでいるシーンの方が多い
なので、この登場人物を見ていると、早く全滅しないかな〜とか、どんな最期を迎えるのだろうとか、余計なことを考えてしまうのである
後半になると、とある民家に助けを求めることになるのだが、そこの住人デボラ(マリー・ユンク)とその息子ウィリアム(マルタン・ベルセ)との会話も不穏なところが多い
ウィリアムは透析が必要で、自宅でそれを行っているのだが、デボラは極端に警戒心が強いので、まともな会話にならない
食料を分けてもらえないので隣家に押し入るのだが、なぜかそこから食料を持ち帰り、デボラのところに戻ったりする
普通なら、隣家に行ったらそのままそこで夜を明かすと思う
なので、いろんな不可思議な行動が目につく感じになっていて、そのどれもが瞬間湯沸かし器のような即物的な精神反応に由来しているところに脱力感があるのではないだろうか
いずれにせよ、叡智を結集してパンデミックに挑むではなく、スマホがあってもロクな使い方もしない
訳のわからない動画を見たり、電力を無駄に消費するビデオ通話をしたりと、起こっていることに関する想像力がほとんどない
誰もが自分の欲求に従う行動を見せていて、それがずっと積み重なっていくのだが、運だけはあるので生き残ってしまった
しかも、政府が機能不全に陥っている中で、足枷が外れて無罪放免っぽくなっているのでも微妙で、それでハッピーエンドっぽく演出しているのも、何だかなあと思ってしまった
見どころとなる印象深いシーンもほとんどなかったので、せめて橋崩落でエリーズが巻き込まれて死ぬとか、デボラの車で逃走したけど、ホイールが外れて制御不能になって大事故を引き起こすぐらいの派手な絵面があった方がマシだったかもしれません
がむしゃらに突き進むと失うものもある
9月3日(火)
有楽町駅を降りたらいきなり強い雨が降って来た。酸性雨でない事を祈りながら映画館へ急いだ。
TOHOシネマズ日比谷シャンテで「アシッド」を。
冒頭、労働争議のシーンがあり占拠された会社に突入した警察官をボコボコにしたミシャルは逮捕され、仮釈放中で足にGPSを着けられている。争議の原因になったのは事故で脚を怪我して手術を受ける事になったカリンのようで、ミシャルの今の彼女らしい。殆ど説明がないまま展開するので、壁に貼られたカリンの紙や殴っているのがミシャルである事を見落とすとこれはナンノコッチャ状態になりそうだ。
警察官をボコボコにした時の動画が拡散され、それで娘のセルマは学校でイジメを受けている。セルマは厩で馬糞をイジメの相手の口にネジ込み問題になる。学校に呼び出されて来たのはミシャルの元妻で母親のエリーズとエリーズの兄で、父親のミシャルはカリンの所に行っていて来ない。この辺りの人間関係も展開が荒く上手く表現されていないので、イマイチである。
南米で甚大な被害をもたらした強酸性雨を降らせたのと同じ雨雲がフランス上空に発生し、被害が出始める。授業で馬のトレッキングに森に行き置き去りになったセルマを迫りくる雨雲から助けるために、ミシャルとエリーズは車を飛ばして森に向かうのだが…。
やって来る雨雲と降り注ぐ強酸性雨から逃げ回る人々とその混乱を描くだけで、深みが無い。南米で発生した事例があるなら、何らかの対策を講じる事が出来たのではないかとか、川に落ちた人が亡くなるのも、あんなに流量がある川でだめなら地面に溜まった雨で車は走れないだろうとか、フランス側は駄目でベルギー側は大丈夫なのかとか(ベルギー政府?は被害者救済しているのにフランスは何もしていない。皮肉か)
トレッキングで遅れたセルマと馬をそこに待たせたまま先に行く教師の行動や、あんなにイジメの相手に対して強い気持ちを持っていたセルマが雨中ではただ助けてと泣き喚くだけだったりとツッコミどころ多すぎ。
「ツイスターズ」みたいに雨雲に何か打ち込み雲散霧消させるとか中和させるとかがあったらまだ面白かったのにフランス映画はそんな事はしない。
激情型ミシャルの(世話になった親子もほったらかしで)彼女に向かって一方的に突き進む姿だけを見せられた映画だった。
感情最優先
まず、日本人はほぼほぼ共感出来ないんじゃないかという主人公の自分勝手さ。
カッとなって怒鳴り散らして相手を萎縮させるやり方がデフォルトだとしたらフランスって…という印象になる。(他の国の作品にもこういう男性は出てくるけど大概は悪者じゃない?)
気が狂いそうになるような光景でパニックになるのは理解出来る。でもなんかモヤモヤする!メインの父娘が自分勝手だからか…?
元妻が死んでショック受ける娘を現在の恋人のところに行くために連れて行くなよ…。
娘もキレて行方くらました後にパパに助けを求めるなよ…。
娘を助けた結果パパの両足無くなったけど娘なんとも思わないのかよ…。
とりあえず、水と電気はとても大切だということがよくわかった。
稀にみる残念な映画
娯楽や対環境問題の要素を排除したドキュメンタリー的なリアリズムに徹した映画と考えれば・・・と思ったがダメだった。一体何が言いたい映画なのか・・・。あれがリアリズムだとしたら、フランスっておかしいんじゃないかという気がするし。
主人公の頭にあるのは新しい彼女のことばかり。浮ついてる場合か!という気がするし、行き当たりばったり的で、もっと考えて動け!とイライラした。
最後は何も成就しないまま、あっさり「もう降参だ」みたいな終わり方、これじゃ今まで一体何を見せられていたのか・・・。
稀にみる残念な映画だった。
これがほんとの酸性雨。オススメしない。ただ逃げただけのフランス自己中暴力男のサバイバル映画。
これがほんとの酸性雨。魔鬼雨ではない。
何でも溶かす雨が突然降って来たので、家族で逃げたサバイバル映画。
冒頭、フランス名物の暴動である男が機動隊員を必要以上にボコボコに。
相手はただの警察官なのに、いやだなぁと観ていたら、彼が主人公!
案の定この後も怒り爆発で物にあたる暴力男。
フランスでは今でもこんな野蛮な男が受けるらしい。
これは感情移入できない。
ニュースで、南方で高濃度の酸性雨で溶けた動物の映像が流れたと思ったら、
あっというまに、フランスでも降るという。(他の国はどうなの?)
一応温暖化の影響らしい。
娘を連れ戻すため、元?夫婦は娘のいる寄宿舎へ。
雨が降り出して、そこから先は家族3人のサバイバル。
ただ逃げるだけの話になる。
途中、助ける義理も無い他人の母子に、命を助けられたのに、ほとんど礼もしない父親。
しかも、その家屋の崩壊から母子を助け出さずに、車だけ拝借して見殺しにする展開が許せない。
これでは、父娘に車を提供するためだけに、そして犠牲になって泣かせるためだけに出て来たみたいだ。
もっと、観客が納得できる筋立ても考えられたはず。
その後、車からわざわざ降りて自分からピンチになる娘。
命がけで助けてくれた父親のおかげで娘は傷一つなく、救助されたのでした。
主人公が両足を失ったことと、その恋人が足の手術をしていたのは何か関係あるのか?特に説明はない。
恋人も叔父さんも死んだらしい?
何とも救われないまま終わってしまい、あー予想通り観なくていいヤツだった。
これがフランス流か。
ただ、強酸の雨が降りだしたので逃げた家族の話。
話に広がりも深みも希望も何も無い。
どうせなら、母親が気象学者か天気予報士か自然保護活動のNPO勤務で、温暖化による異常気象を訴えていたとか、
父親も冒頭の暴動が環境破壊企業に対するデモに巻き込まれたとか、
娘も、動物が好きで動物学者を志し、特に馬が好きで、逃げる教師たちをしり目に、一人馬を駆り(あのかわいがっていた馬)、降り出した雨から馬たちを助け出すとか、
叔父さんが金持ちなのは、自然破壊もいとわない悪徳営利企業のCEOだからだとか、
両足手術の恋人の足の病気?怪我?の原因も、そういう企業のせいだったとか、
そういうのが必要でしょうが。
蛇足-
こんなラストを妄想してた。
フランス空軍機編隊によるアルカリ中和剤の散布により、空には七色の飛行機雲が。
中和された無害な雨が、荒んだフランスの街並みと人々に降り注ぎ、悲劇のあとを洗い流す。
こんな悲劇があっても、娘は、人々は、復興のため明日に向かって歩き出すのであった。
・・・というベタな感じで。
酸性雨の怖さ
地球温暖化が招くリスクを題材にしたフランス製のサバイバル・スリラー作品。
度重なる環境汚染により、南米では酸性雨が降り家畜に被害が出ているというニュースを他人事のように見ていたがやがてフランスにも酸性雨が降り始めるようになる。
二年前に勤務先の工場で過激な労働争議を引き起こし、駆け付けた警察官への暴行で逮捕されたミシャルは妻エリーズとも離婚し、仮釈放中の身ではあるが今も足にGPS監視装置の装着が義務付けられている。孤独なミシャルを支え続けたのは元同僚で足が不自由なためにベルギーで入院中のカリンの存在でミシャルはカリンとの新しい生活を夢見ていた。
エリーズを不慮の事故で亡くし、母の日を目の当たりにした娘のセルマは自暴自棄になりながらも避難生活を送る。一方のミシャルはカリンのもとへはやく会いたいとしか考えていない。
想定外のアクシデントが起きたときに人間の本性が露わになるとは云うが、ミシャルは自分の求めることだけしか考えられず、セルマにもカリンに会いたいからと言い聞かせ、助けてもらったデボラ一家にも恩を仇で返すような事を言ったりと、自分勝手で自己中心的な考え方だから、案の定セルマを助けようとした際に酸性雨の水溜りに足が浸かってしまったことにより命は助かるも両足を失ってしまう。
ラストのセルマに対してミシャルが"すまない、ひどく疲れた"のセリフには自分の都合で振り回したりして申し訳ないにも聞こえた。
慌てず冷静に見極めることの大事さを学んだね。
【"陰酸"じゃなかった、"陰惨・陰鬱"なるパニック映画。酸性雨に襲われた仏蘭西から逃げる避難民たちを追って来る黒い雲から降って来る強酸性雨。全ての水が強酸性になった時の恐ろしさを描いた作品である。】
ー 冒頭、労働争議のシーンがスマートフォンで映される。ミシャル(ギヨーム・カネ)は、一度は逮捕され仮釈放の身で自宅に娘セルマと元妻エリーズ(レティシア・ドッシュ)と居る。三人の関係性はあまり良くないようだ・・。-
◆感想
・ストーリー展開は粗いが、黒い雲から降って来る酸性雨が不気味である。フィリッポ監督は、”大気汚染や、環境汚染が直近の課題である事を伝えたかった。”と言っているので、あまり細かい事は気にはしてはいけないのかもしれない。
・ミシャル君は娘セルマと元妻エリーズと、酸性雨から陰鬱なる空の下、逃げ始める。そして、ミシャル君は職場の同僚で、労働争議のきっかけとなった事故で負傷したと思われる恋人カリンの事を気に掛けながらも、元妻の兄ブリスを訪れようとする・・。
って、感じなんだけれども、どーにも展開が粗いのである。何で、冒頭に労働争議のシーンを入れたのかな・・。
・避難途中に元妻エリーズが群衆で一杯の橋から川に落ち、流される中ドンドン髪の毛や肌が溶けて死んでいくシーンは、ヒジョーに怖い。
・で、ミシャル君は、娘セルマと行き先を恋人カリンが入院している病院へ変えるのである。そして、途中で見つけた母と息子が暮らす屋敷。水道水も強酸のため、飲めない。息子は腎臓病で透析を受ける装置で命を保っているが、その屋敷も酸性雨の為に崩れ落ち、ミシャル君はナント親子を見捨て母の車を拝借し、恋人エリンに会いに行こうとするが・・。
<再び、フィリッポ監督のインタビューに戻るが、
”私達の弱さに気付いて欲しい。⇒うん、気付いた。
全てを乗り越える原動力は愛。⇒嘘だー。愛だったら、助けてくれた親子を見捨てたりしないじゃん!とまあ、突っ込みたくなる
【我儘、ミシャル君、酸性雨が降る中、我が道を行く】映画でございました。
ミシャル君、両足の膝下を強酸性雨で失っても、成長した娘セルマと生き残れて良かったね。
今作は、フィリッポ監督の長編第二作らしいが、もうちょっと、頑張ろうね。(エラソーですいません。)>
リアリティ重視。雨が怖くなった。。
あるようで無かった、この設定。
雨の表現、音響、視覚効果、よく出来てる。
ガチで雨が怖くなる(笑)
とはいえ、物語はフランス流なので、
肌に合わない人も多い気がする。。
吹替版で、もう一度観たい。
つまらない
酸性雨と言えば『ブレードランナー』で初めて知った言葉でそのうち日本でも降ってるみたいな話題になって未来、ディストピアだなどと不謹慎に興奮していたがいつの間にか何の話題にもならなくなった。しかしこの映画は超酸性雨で雨に当たると大やけどして車や家が破壊される。エイリアンのよだれか。
川に人が落ちると全身大やけどで死ぬ。だとしたらもう魚はどうなるのだ。農作物も全滅する。アルカリ性の苦土石灰をまいて中和できないのだろうか。水道の水を飲んでも死ぬし、もう無理だ。数日生き延びたとしても未来はない。
容赦ない世界を徹底して描いていたけど、海の水はどうなのだとか大局については触れない。もうちょっと生き延びる可能性もあった方がスリリングではないだろうか。雨の降る範囲が限定的だとか、干ばつ地帯に行けば助かるとか。
お父さんもお母さんも娘もみんな他者を責めるタイプで、特に娘、よけいなことばっかしてアホか、なんもできないならせめて大人しくしてろ。みんな嫌だった。変に人格者が出ないところがリアルなのだろうか。
過激ともいえる労働争議の現場。 争議の先頭に立ったミシャル(ギヨー...
過激ともいえる労働争議の現場。
争議の先頭に立ったミシャル(ギヨーム・カネ)は、その様子をスマホで撮られ、凶暴な男として認知されてしまった。
10代の娘セルマ(ペイシェンス・ミュンヘンバッハ)は寄宿学校に預けられていたが、クラスメイトたちはそんなミシャルの様子をネタにして、セルマをいじめていた。
そんな中、フランスの気候は急激に悪化しており、強酸性の雨がゲリラ豪雨のように襲いかかるようになってしまった。
寄宿学校の生徒たちは急遽、親元に返されることになり、ミシャルと元妻エリース(レティシア・ドッシュ)はセルマを迎えに行くことになったが・・・
といったところからはじまる物語だが、「酸性雨」のスリラー・娯楽映画という先入観があるせいか、冒頭の過激な労働シーンは、当初「何これ?」感があります。
が、リアリズム重視がフランス流。
リアリティの観点でいえば、ミシャルが最も気にかけているのは恋人のカリン(スリアン・ブラヒム)。
彼女は入院中で、どうも作業現場で重傷を負ったにもかかわらず、会社からは何の保証もされていない様子。
会社は、事故が起きるような危険な現場を放置し、さらに被害者までも放置。
それが、冒頭の労働争議のようなのだ。
で、娘と元妻を連れて強酸性雨から逃げているにもかかわらず、ミシャルの心は遠く離れた恋人に寄せられている。
ハリウッド流でいえば、こんな設定は不必要なのだが、カリンは移民っぽい。
移民問題は映画中盤でも描かれており、強酸性雨から逃れようとする人々が行こうとしているのは北のベルギー。
国境には吊り橋があり、そこに避難民が大量に押し寄せる描写は、内乱・内戦から逃げ惑う難民のそれ。
また、避難民の集団からはぐれたミシャルとセルマが辿り着いた先は、事情を抱えた母子家庭。
ミシャルとセルマは、不審な難民として描かれている。
最終的にどのようになるか書かないが、ハリウッド流とは大きく異なることは付け加えておくとして、強酸性雨によって国をうしなって難民になってしまうミシャルらフランス国民の姿をみて思い出したのは、『日本沈没』(1973)のラストの亡国・棄国感でした。
ペーハー"3(酸)" は、7より小 ってか?
オリンピックを記念して、『ラ・マルセイエーズ』に乾杯 🥂
あまりにも馬鹿げた映画については、後ほど...
それでは映画とは全く関係のない事から始めまっしょい!?
I believe it is the viewer that creates the power in this
photograph , completing its image. And so this photograph
has been in a constant process of being re-created over the
decades since its making.
- ある方の archive より
人の名を聞くだけで口にも出したくない映画の事をパブロフの犬の条件反射のように膿が頭の中に湧いて出てくる。理由は、その映画は、美化してはいけないモノを故意に美化し、そのような禁忌な事が、実在の被写体である人達をあたかも「汚れた物のようだ」と言わんばかりに... 真実を表現しない製作者は、そう思っているに違いない。 ただし、一般には受けがよかった。
その実在した写真家から写真家になるように勧められた現代の〈ニューヨーク派〉と呼ばれた写真家に本作は映像に関して彼の作品からインスパイアしている。
まぁ、「バタフライ効果」というそれだけのことですけど... 何か?
さて本題として、第一波を何とか凌いだお笑い "Tricolor" スリーアミーゴースはこんな痴話喧嘩を始めました。
[選手紹介]
一人目は現代っ子のひねくれ屋:セルマ。二人目は、働く独立型有閑マダム:元妻エリース。そして大トリは、「ブルジョワジー」を毛嫌いする理想だけが心の支えの男:エリースの"EX" でセルマの実父ミシェル。
カァーン (o゚Д゚)◯カーン 三者三様の舌戦の始まり、始まり~ぃ!
Selma: Talk to Uncle Brice?
Elise: He made it to Metz. But he can't pick us tonight. Too
risky.
Selma: He's abandoning us.
Elise: No, he's coming for us tomorrow morning.
Selma: He'll drive back and forth just for us? What if he can't?
Michal: We'll manage alone.
Selma: We can't go by foot.
Elise: We can count on him, don't worry.
Selma: What if the storm heads east? Then what do we do?
Elise: Brice's friends will find us a place.
Michal: He has lots of cool rich friends who can help us. We're
lucky to have him. It's harder for those without cool rich
friends.
Elise: Same old bullshit.
Michal: Brice can't help.
Elise: Do you help me?
Selma: Stop.
Elise: What do you do to help?
Michal: What do I do?
Elise: Yeah!
Selma: Stop it.
Michal:Where am I now? Where am I? Aren't I with you?
Elise: Only Brice can get us out of here. Don't be a pain!
Michal:Only Brice can help us? So why did you call me?
Why did you call me? Answer!
Elise: How have you helped these past two years? That's
why you hate him. Now you can't ruin things. It's been
a while.
いかがでしたか? また読んでいない。ありゃ、まぁ、こりゃまた失礼。その方が賢明かな?
フラ語による言い争いなので、迫力に欠けるところもあるけどフランス人らしい個人主義が分かると思います。
聞くところによると本作『ACIDE アシッド』は、バジェットが言いなり状態で予算が許す限り使えるはずだったのが、改めて脚本やテーマの酸性雨について精査したところ、それほど高額な費用を掛けようが掛けまいが映画的には格段の差が出るとは限らないことが判明。そのことで撮影のロケ地はフランスのお話なのにベルギーで撮影され、しかもほとんどがセットで行われている。
よって、"Therefore, all efforts are just self-deception." 先人のよく知られた戯曲の中のセリフが少し的外れでもよく似合っている。
The aim of science is not to open the door to infinite
wisdom, but to set a limit to infinite error.
-Bertolt Brecht
ナチュラル・ディザスターには、地震・雷・家事(火事)・オヤジ なんてね⁉ でもオヤジは生存確認不能。失礼しました。その他には地滑り・噴火・洪水・巨大台風・津波・最近話題の竜巻・大火事・氷河期、そして映画の定番の巨大隕石の衝突などがあるけど最近ではパンデミックも含まれる。
ここで言いたいのは、ナチュラル・ディザスターを扱った映画はある程度は常識の範囲で科学的な裏付けを基に製作されていて、その許される範囲で映画化されているけど... 本作に関しては、予算にリミテーションを設けないのと同じように科学的根拠なんて完全に無視かそんなの関係ね~ぇと自由奔放に作ることが許されて映像的に面白い作品となるはずが... そのはずなのに何故か製作者たちは20年落ちの家族愛にシフトし、その限界を自ら設けてしまっている。
Art and science work in quite different ways: agreed.
But, bad as it may sound, I have to admit that I cannot
get along as an artist without the use of one or two
sciences. ... In my view, the great and complicated
things that go on in the world cannot be adequately
recognized by people who do not use every possible
aid to understanding.
-前述のBertolt Brecht
現実世界とファンタージーを重ね合わせるときに起こるメタフィクション。それが本作のプロットには数多く存在し、あたし個人としては、突然に唐突にメタフィクションを繰り返されるので、見る気がそがれ、そがれればそがれるほどにいい加減な適当なご都合主義的発想と偏屈な家族愛が目についてしまい気が滅入ってもしまう。
ラストこそ、この映画の冴えたる包括的な象徴となっている。
一つだけ... 警官隊が市民に対して、フランスらしさの現れの警察権力を見せつけるつり橋のシーンでいきなりスプレー缶の催涙スプレーって、これって風向きによったら、そんなチンケで何メートルも飛ばない催涙ガスによって... 自爆しないのが不・思・議??? あまり不可思議な事を並べたてるとあたしは70郎になっちゃいますって!?
言いたいことを言ってら~ぁ。ですので失礼します。
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