ジョイランド わたしの願いのレビュー・感想・評価
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前時代的な価値観=家父長制が生む悲劇
主人公ハイダルくんが実に優しくて良い人。
ただ、お父さんとお兄さんの前時代的な価値観に
ハイダルくんを通してウンザリ😮💨します。
ダンサーであるビバへ憧れるハイダルくんですが、
その一方で、トランスジェンダーであるビバの
生きにくさも目の当たりにします。
が、ビバのことをちゃんとは理解できていないが故に
完全に突き放されるハイダルくん。
でも、ハイダルくんは自分の性嗜好に
気づいたんですよね。
で、奥さんムムターズに「わからなくなった」と
言って、ここで奥さんも傷ついてしまうんですね。
さらには悩んだ挙句に自死を選んでしまう。
その死を蔑む兄にはさすがにブチキレる💢
ハイダルくん。
ハイダルくんはラストシーンで
奥さんの遺骨を海に持参して、自身は海に入っていき
ますが、
ジョイランドに行くことはできたのでしょうか?
言葉としてのLGBTQは多くの人が知ることには
なりつつありますが、本質的な理解が
全世界で進むのには、まだまだ相当な時間が
かかると感じる作品でもありました。
深かったです。
パキスタン第2の都市ラホール。 古都であり、保守的な街だ。 中流家...
パキスタン第2の都市ラホール。
古都であり、保守的な街だ。
中流家庭の次男ハイダル(アリ・ジュネージョー)は現在無職、美容師の妻ムムターズ(ラスティ・ファルーク)が家計を支えている。
ハイダルは老齢の父の面倒を見、兄夫婦の子どもの面倒を見、兄嫁とともに家事全般を引き受けている。
厳格な父の就職命令で、友人の紹介で職を得たハイダルだったが、それは成人向け劇場の舞台で踊るダンサーの仕事だった・・・
というところからはじまる物語で、トランスジェンダーの女性ダンサー、ビバ(アリーナ・ハーン)にハイダルが惹かれていく・・・と展開する。
これだけのあらすじだと、コメディ風の映画なのかしらん、とも思う。
が観終わった感想は、「家族と個人の物語。さながらヴィスコンティ映画のよう」でした。
主婦としてのハイダルの生き方は、美容師の仕事にやりがいを感じる妻の気持ちを尊重したものであったのだが、根底には、パキスタンの家父長制度のなかで、「自由に生きる」生き方だった。
が、ダンサーとして職を得、仲間から疎まれるとともに、ビバに惹かれていくことで生来の気質が湧き出てしまう。
ハイダルは、もともと同性愛気質があったのだろう。
トランスジェンダーのビバと出逢って、それが出てしまう。
妻は、結婚前にそのあたりを察している・・・
(だから、ふたりの間に子どもがいないのだ)
妻ムムターズも察しているが、家に縛られずに、一個人として認めてくれるハイダルを選んだのだが、ハイダルの就職で家に縛られてしまう。
さらに、女性性としての歓びも得られず煩悶し、さらなる悲劇の芽を作ってしまう・・・
悲劇の芽は、ムムターズのお腹の子なのだが、不義姦通の結果の義兄との間の子・・・
煩悶としているムムターズをみた義兄は、そのとき・・・
偶発的・衝動的に関係を結んでしまった(とみた。映画では具体的に描かれないが)。
イスラム社会での不義姦通は西洋社会のそれよりも罪が重い。
特に、女性側への罪が重い。
この悲劇の芽を感じさせるのは、老齢の父と隣家の叔母との関係に、それとなく描かれる。
家族・家を包み込むような不穏で悲劇を生み出すような雰囲気・環境・・・
旧弊な家族観vs.現代的家族観という対立軸からみえる以上に、かなりの生臭さがまとわりついているように感じました。
終盤に重なる悲劇の輪を食い止める役割は、長兄の嫁が担っているのだが、男児を産まないため、因習から逃れる役割を果たせずに、悲劇が続いてしまう。
この重なる悲劇の輪が、ヴィスコンティ映画のよう」と思わせたのでしょう。
すごい映画でした。
監督・脚本(共同)は、サーイム・サーディク。共同脚本は、マギー・ブリッグス。
一人ひとりがやり切れなさと生きづらさを感じて。
優しいのは良いけど、何ともはっきりしないハイダル。ビバといる時は自分を見つけたかのよつに、欲を爆発させている姿を見ていると思わず「しっかりせい!」と言ってしまいそうになりました。
世帯を持つ選択、自分の人生を生きる選択、色々あるけど一人ひとりそれぞれが抱えてる思いや葛藤がとてもうまく表現されていました。
ムムターズがお腹に宿した子は本当にハイダルの子だったのかな?
静かで力強い映像美と音楽も作品にマッチしていて切ないけどとても良かったです。
トランスジェンダーとか関係なくても、優柔不断すぎるお前が悪い。
パキスタンの保守的な家庭で育った主人公の男が、トランスジェンダーの女性との出会いをきっかけに、これまで当たり前のように過ごしていた毎日が、若い夫婦の、家族の人生が大きく変わっていく。
そして悲劇の結末を迎えることになる。
そもそも、全ては、主人公が妻となる女性と結婚の際に「妻になっても働きに出て良い」と安請け合いの約束をしておきながら、結局父親にさからえずに約束を破ったことから始まる。
自分は仕事に出て、そればかりか仕事先で浮気までしたお前が悪い。
挙句の果てに、浮気がばれて、妻に出て行かれそうになると泣きつく。
泣きたいのは妻の方のはずなのに。
もっと許せないのは、トランスジェンダーのダンサーとの仲を、バックダンサー仲間からかわれて、かつらをかぶせられて、写真まで取られても逆らわないのには、本当にあきれて、頭にきた。
なんか、70から80年代の、山田太一、市川森一、とかのドラマを思い出してしまった。
幕間のダンサーたち
いまだ古い価値観に縛られる人々。個人の価値観が尊重され誰もが生きやすいジョイランド(喜びに満ち溢れた国)への道のりはまだまだ遠い。
家父長制がいまだ色濃く残るパキスタン。そのパキスタンの都会で父と兄夫婦と同居する無職のハイダルは妻が働きに出ていて、専ら家事と兄夫婦の子供たちの世話をしていた。
心優しい彼だが父や兄に対して自己主張できず家では肩身の狭い思いをしていた。また、男の孫ができないことから父親からプレッシャーも受けていたし、妻のムムターズが仕事に出ていることにもくぎを刺されていた。
そんな彼がようやく見つけたダンサーの仕事でビバとの運命的な出会いを果たす。ビバに次第に魅了されハイダルは本来の自分を見つけ出す。今までの自分はこの社会の古い価値観に縛られ本来の姿ではなかった。家父長制の社会において何かと男らしさを求められてきた、そして跡継ぎを生むために存在するものとして。
そんな彼がビバと出会ったことで自分の中の本当の自分を見出した。次第に彼はビバと本当の自分にのめり込み、いつしか妻を構わなくなって行った。
ムムターズも仕事を辞めて子を授かるが、喜びもつかの間、自分は兄嫁のようにただ嫁いだ家の跡取りを生んで育てるだけに残りの人生を捧げるのか、自分にとっての生きがいであった仕事まで奪われて。絶望のあまりその場から逃げだそうとするが、結局家出もできずに戻るしかなかった。そんな自分の気持ちをハイダルは察してはくれない。
追い詰められて結局自死を選んだムムターズ。そんな彼女の気持ちに気づいてやれなかった自分への怒りと兄や父への怒りで初めて感情をあらわにするハイダル。
ジョイランド、遊園地は普段抱える悩みや社会のしがらみから解放されて誰もが心から楽しめる場所。でもそれはひと時の夢でしかない。夢から覚めれば厳しい現実が待っている。
ビバやハイダルたちは舞台の合間、すなわち幕間で踊ることだけを許されたダンサーだった。けしてメインの舞台では踊れない。
それはまるで世の中の古い価値観と自分自身の価値観との狭間で揺れ動く、この社会で自分の生きたいように生きられない若者たちの姿のようでもある。
ビバに捨てられ、ムムターズをも失ったハイダル。海に泳ぎだした彼が誰もが生きやすい喜びに満ちた国ジョイランドにたどり着くことは果たしてできるのだろうか。
パキスタンは女性の就業率は南アジアで最下位に近く、ジェンダーギャップ改善のための施策もなされているが現実には追い付いていないようだ。女性やLGBTの保護を法律で定めてもそれが世間一般にまで浸透するにはまだまだ時間がかかるし、ハイダルの家のようにいまだ古くからの家父長制を引きずりその下で苦しんでる人が多い。
君主制から民主制へと移り変わる中でいまや個人の人権が尊重される時代。それぞれの価値観の多様性が認められるなかでいまだ古い価値観に縛られ生きづらさを感じる人々。
いい加減個人の生き方を尊重できない家族制度から脱却すべきだが、いまだ先進国といわれる日本でも選択的夫婦別姓制度も認められないありさまだ。
家父長制の下で人はその価値観に縛られる。当の父親でさえも家長として威厳を保つことを強いられるが、もはや高齢で体が衰えた父親はトイレを我慢できず粗相をしてしまう。それでも威厳を保ち続けねばならない父親の姿も憐れであるし、男らしさを求められる次男や家庭に入ることを強いられる嫁も然り。
主人、嫁、跡取り、個人をそんな枠組みにはめ込み個人の意思や個性を尊重できないような家族制度はもはや時代遅れだ。今は君主による国家運営を家族運営にもリンクできた時代とは違う。
いまや互いの個性を尊重し合い助け合うことでしか個々の人間が家族として共に暮らす意味はないのではないか。
作品冒頭で産気づいた兄嫁を病院に送り届けるハイダルを俯瞰で捉えたシーン、終盤ではこれと対になるようにムムターズの棺が運ばれるシーンが描かれる。兄嫁が生んだ女の子たちの未来をまさに暗示しているかのようであった。このまま古い価値観に縛られていては子供たちの運命も暗澹たるものとなるだろう。そんな監督の強いメッセージが伝わってきた。
喜びの国に行くための方法は、想像以上に苦しみを伴うものだった
2024.10.21 字幕 アップリンク京都
2022年のパキスタン映画(127分、G)
家父長制の一族の中で生きづらさを感じる次男夫婦を描いたヒューマンドラマ
監督はサーイム・サーディク
脚本はサーイム・サーディク&マギー・ブリッグズ
原題は『جوائے لینڈ『、英題は『Joyland』で、劇中の訳では「遊園地」という意味
物語の舞台は、パキスタン東部のラホール
家長アマン(サルマーン・ピアサダ)を中心としたラナ家は、長男サリーム(ソハイル・サミール)とその妻ヌチ(サルワット・ギラーニ)、彼らの子ども3人と、次男のハイダル(アリ・ジュネージョー)、その妻のムムターズ(ラスティ・ファルーク)の8人で暮らしていた
失業中のハイダルがみんなの食事を作り、ヌチの娘たちの世話もしていく
ムムターズはサロンのエステシャンとして働き、ハイダルは主夫状態になっていたが、父からは「早く仕事を見つけて子どもを作れ」と急かされていた
ある日、ハイダルは友人のカイサル(ラミズ・ロウ)から仕事を紹介してもらうことになった
だが、その仕事はバックダンサーの仕事だった
踊れないハイダルはそれを拒むものの、以前に病院で見かけた美女ビバ(アリーナ・ハーン)のバックダンサーと聞いて、やる気を見せて積極的に関わるようになる
ビバはいわゆる第三の性という属性があり、ハイダルはそれを好意的に受け止めていた
物語は、ビバに気に入られたハイダルが、付き人のような生活を送る中で、頼まれた特大パネルを自宅に持ち帰るところから動き出す
屋上に隠したものの、近所に住む未亡人のファイアーズ(サニア・サイード)に見つかってしまい、父に報告されてしまう
ダンサーではなく支配人だと嘘をついたことはバレなかったものの、成人劇場で働くことは一族の恥だとして、口外することは許されなかった
映画は、ハイダルとビバの関係の変化を描きつつ、家に押し込められることになったムムターズの変化を描いていく
ヌチの娘を預かっていることで夫婦の営みもままならず、さらにハイダルが働き始めたことで、ムムターズはエステシャンを辞めざるを得ない
そして、家事を押し付けられながら、閉塞感に詰まる時間を過ごし、ハイダルはその変化に気づくこともなく、ビバとの関係を深めることになったのである
パキスタンに限らず、家父長制の地域はいまだにあり、この一族はその縛りが思った以上に厳しく描かれている
劇中でもカイサルが揶揄するように「髪型ひとつ変えるのにも親父の許可がいる」みたいなことが普通に行われている
劇中で印象的だったのは、羊を締めるシーンでハイダルの代わりにムムターズがしてしまうところとか、ムムターズに仕事を辞めるように言わされるシーンなどがあった
ハイダルは父どころか兄にすら言い返すこともなく、ムムターズの死によって、ようやくそれが為されるほどに軟弱でもある
だが、ハイダルは自身についてでは抵抗せず、自分の妻を侮辱されたことに対する怒りしか見せられず、最後の決断へと至ってしまうのである
いずれにせよ、ラストシーンに関しては賛否両論になりそうな内容で、最後まで無抵抗であることへの不寛容は多いと思う
だが、そのような家庭で教育され続けたことでハイダルのような人間が育っていることを考えると、これ以上のことは彼にはできないように思えた
映画のタイトルは「遊園地」という意味だが、ダブルミーニングとしての「喜びの楽園」という意味合いも強い
そう言った楽園はどこにあるのかと問われれば、この一族に関しては、あの世にしかなかったということになるのだが、それは来るべき未来だったようにも思えた
(オンライン試写会は内容に関係なくネタバレ扱い)日本と離れたあるアジアでの実態
今年363本目(合計1,455本目/今月(2024年10月度)14本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
fansvoiceさまのご厚意でオンライン試写会で見ることができました。
パキスタンを舞台に、いわゆる家父長制の問題点を鋭く描きつつ、それに付随して起きる日本では想定できないような男女格差、また、少しずつ認知が始まってきたいわゆるLGBTQの方に対する国内での扱いなどが論点になってきます。
確かに現在の日本の水準からすると遅れているなという部分はありますが、一方で日本が映画で描かれている程度の認知度だったり扱いだったりした時期は確かに存在します。その意味において、ただ単に「先進国、発展途上国において取り組むべき問題の優先順位が違いこれらが後回しになってしまうこと」それ自体は責められるものではありませんが、一方でそれらの問題点がパキスタンをはじめいくつかの国においてまだ(経済成長を最優先するという旗振りの影に隠れて)解決されておらず苦しんでいる当事者を描く映画です。
内容としてネタバレ関係になるところはいくつかあり、これらは一応「書かないで」の扱いにはなっていませんが、常識的に考えてそうであろうと推知できる点が2~3か所あります。これらは省略します。また、上記のようなストーリーの関係上、最後は女性同士の連帯がある程度生まれる点において「広い意味では」シスターフッド系の映画とも思えましたが、それは結果論であってそれを最初から想定したものではないと思います。
採点上特に気になる点までないのでフルスコアです。
なお、本試写会がそうだったのか実際の放映がそうなのかは不明ですが、映画冒頭のいわゆるクレジット関係の表記が61秒(1分1秒)と比較的多かったのは少し気になりました(いつ始まるかわからないため。ただ、権利関係はちゃんと処理されるべきだし、指摘はするもののだからといって「権利関係は省略しましょう」にはならない)。
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