ジョイランド わたしの願い : 映画評論・批評
2024年10月15日更新
2024年10月18日より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにてロードショー
なぜ壁が作られるのか。人の意識が生み出す、見えない厚い壁
今、世界には78の壁があるとされる(2024年10月時点)。ベルリンの壁が崩壊した1989年には16だった壁は35年間で4.8倍に。イスラエルには、パレスチナ(ガザ)、レバノン、エジプトとの境界線上に壁があり、本作の舞台パキスタンにはインド国境に有刺鉄線のフェンスが設置されている。
なぜ壁が作られるのか。人と人の間には見えないベールが存在し、その具現化の最たるものが壁なのではないか。思想や宗教、伝統を楯に異人種を排斥する。攻撃から国を守り、他民族の流入を阻止して安全と利益を保つ。でも強固な壁は自由を奪う諸刃の剣となって自分に跳ね返る。隔たりが他者との分断を加速させ孤立を招くのだから。
この映画はかくれんぼで始まる。3人の少女が叔父さんと慕うシーツを被った男は、失業中で家事を手伝う次男のハイダル。本作の主人公である。パキスタンの古都ラホール、伝統を重んじる家主ファザーの下、家父長制のしきたりを頑なに守る長男サリームと妻のヌチの間には第四子が誕生間近。次男の嫁ムムターズは美容室で働きながらメイクの技術を磨く。ふたりに子はない。そんな家に近隣に住む寡婦のファイヤーズが毎日のように差し入れを持ってくる。
自由に働きたいと願うムムターズの代わりに家事を担当するハイダルは、妻の弁当を作り、長男夫妻の三娘と、足が不自由な父の世話まで、何ごとも厭わずに家事に勤しむ。だが厳格な父と兄は「仕事に就いて息子を作れ」と圧をかけてくる。
ある日、劇場で働く友人からバックダンサーの仕事を紹介される。リズム感ゼロの自分には無理だと断ろうとするが、目の前に現れたビバを見るなり態度を変える。彼女は数週間前に病院の廊下で茫然自失の体で涙を流す姿に目を奪われた人だった。心の疼きを感じた彼は即座に仕事を引き受ける。
次男が職に就いたことで家族の日常が変わる。仕事という生きる翼を奪われたムムターズは、インテリアのスキルを持つ義姉と家事を手伝う羽目に。ダンスの練習に励むハイダルは、偏見や蔑視と闘いながら、壁を突き破ろうと懸命に踊るビバに心を奪われていく。彼の帰宅は遅くなるばかり。
誰もがこの地の伝統的な価値観を重んじ、同時にその矛盾に気づいている。ラホール出身の33歳、脚本も執筆したサーイム・サーディク監督は、家族とビバを簡潔に描くと、それぞれの日常を静かに重ね合わせて彼らが直面する現実、見えない壁を浮き彫りにしていく。
注目すべきは“赤”の強調だ。お祝いで捌かれた山羊が流す血、ビバの衣服にこびりついた朱、ダンサーや女性たちが身に纏う衣服、深紅の画面一杯にクローズアップされる顔。見えない壁に直面した彼らの心の叫びを代弁するかのように、鮮烈な赤が絶妙にインサートされて独特なリズムを刻む。長編デビュー作とは思えぬエモーショナルな描写が効いている。
タイトルの“ジョイランド”とは遊園地を指し、悪しき伝統に縛られた家に嫁いだ女性ふたりが、家長の特別な許しを得て家族と夜間外出する場面に起因している。僕たちが生きる世界は、旧態依然とした人の意識が生み出す、見えない厚い壁で隔てられているのかも知れない。壁は今も増え続けている。だからこそ、自分らしく生きることの難しさを描くこの作品が発する「願い」が重く胸に突き刺さる。
(髙橋直樹)