「ぶっ飛びながらも奥深い」MaXXXine マキシーン R41さんの映画レビュー(感想・評価)
ぶっ飛びながらも奥深い
2025年の作品
1985年のハリウッドを描いた作品
ストーリーはぶっ飛んでいるが、非常に多角的要素に満ちている。
そしてこの時代を選択したのは、「現代」では監視カメラなどがあり、サスペンスのネタ作りが限られてしまったからかもしれない。
逆に、全盛期のハリウッドを再び蘇らせたい思いも感じる。
また、セダ・バラは、ハリウッドの「神話的女優」でヴァンプという異名で、男を誘惑し破滅させる妖婦的な女性像を意味する。
この女優のマークにタバコを投げるシーンは、世代交代だろうか。
どこの国でもそうだと思うが、ハリウッドでも有名俳優になれるのはほんの数人。
彼らの夢を、いくつかの言葉を遣って応援している作品でもある。
その中でも「私らしくない人生なんて、絶対受け入れない」とする強靭的な言葉は、自分自身が閉じこもっている小さな箱から脱出するためのおまじないでもある。
そしてすべての人に共通した言葉でもある。
この物語がぶっ飛んでいるのは、主軸の構成だろうか。
マキシーンがもらった役柄はホラー映画の主人公
彼女には隠されている過去があるが、それは明確にはされない。
しかし彼女は明らかにトラウマになってしまった出来事があったのだろう。
作中に起きる連続殺人事件ナイトストーカーもまた、ひとつのサスペンスとして描かれるが、最後にそれはホラーのようになっていく。
つまり、マキシーンの主役がホラーで、彼女の過去は映画「サイコ」のようだったと推測され、現実に起きている連続殺人事件と知人の死 そして犯人 これらの構成一つ一つにホラーの要素を組み入れている。
狂信的なキリスト教信者
ミラー牧師が率いる原理主義的な宗教団体
映画「サイコ」にあった犯人の二重人格的な人格
マキシーンはその舞台を見つめる。
そこに見えたのが、「父」だったように思った。
父の言葉 強い言葉は、結果としてマキシーンの揺るがない指針となり、父もろとも吹き飛ばしてしまう。
この時、誰もが持ってしまっている頭の中の両親 諸刃の刃であり、マキシーンのトラウマの根源を吹っ飛ばしたのだろう。
この誰もが持ってしまっている「両親の意見」こそ、常にその承認を求めてしまっている人の在り方だろう。
ここから脱却しなければ、自分の人生など作れない。
このような言葉が、この作品の根幹
それ故の、「私らしくない人生なんて、絶対受け入れない」
そのための試練をデフォルメしたのがこの作品だろう。
さて、まじないのような言葉を遣って、人はどこまで夢を実現できるのだろうか?
その言葉を遣う前に「私はいったい何がしたいのか」という問いに答えなければならない。
そのさらに前には、「私は何者か」という問いに答える必要もあるだろう。
この堂々巡りとも思えてしまう自問自答
この答えを端然と出している人は、どれくらいいるのだろう?
それを出したとき、人は井上尚弥・大谷翔平選手のようになれるのかもしれない。