「巨匠渾身のスペクタクル!」グラディエーターII 英雄を呼ぶ声 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
巨匠渾身のスペクタクル!
20数年を隔てての続編なので、列伝的な別の物語かと思ったら、れっきとした続編だった。
五賢帝によるローマ帝国史上最も平和で安定した時代は皇帝マルクス・アウレリウスの死によって終焉し、後継者コモドゥス帝による暴政時代へと移り変わる。
アウレリウスの嫡男コモドゥスと、アウレリウスが後継者に指名したローマ軍の将軍マキシマスとの抗争を描いたのが前作だった。
コモドゥスの死後、コモドゥスには実子も養子もいなかったことから「ネルウァ=アントニヌス朝」は断絶、かつてアウレリウスやコモドゥスに仕えていた軍人たちが入り乱れて帝位を争い5人の皇帝が乱立した内乱の時代となる。
間もなく内戦を制したセプティミウス・セウェルスが「セウェルス朝」を樹立するのだが、この映画はその王朝の二代目当主ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス(通称=カラカラ)とプブリウス・セプティミウス・ゲタの兄弟が共同皇帝として統治した時代を舞台としている。
歴史的には、カラカラが暗殺されるのがコモドゥス暗殺の約25年後なので、前作と本作との間隔とほぼ合致している。
コニー・ニールセンが唯一前作から継続したキャスティングでルッシラ(アウレリウスの娘でありコモドゥスの姉)を演じている。
ルッシラは将軍アカシウスの妻となっていた。
前作ではマキシマスへの純愛を持ちつつ弟コモドゥスからの近親愛的な執着を受け入れた、運命に抗えない女だったが、本作では幼い頃に手放した息子への贖罪の思いを抱えながらも、マキシマスの遺伝子に暴政打倒の希望を抱き、夫への愛と信頼を示しながら夫を革命に向かって歩ませる強い女になっている。
内乱前の王朝の血筋だから粛清されていてもおかしくないが、現皇帝の特別な計らいで(常に監視されながらも)貴族的な生活をしているという設定だ。
主人公ハンノことルシアスを演じたポール・メスカルはアイルランド人俳優で、国技ゲーリックフットボールの選手だったらしい。その鍛えあげられた肉体で説得力のあるグラディエーターぶりを見せている。
出演していた英国のTVドラマを観たリドリー・スコットに抜擢されたとのこと。
前作の主人公マキシマスと同様に亡き妻への愛を貫く男だが、ルシアスには母親への愛と葛藤がそこに重なっている。
ルッシラの夫アカシウス役のペドロ・パスカルは、『ワンダーウーマン 1984』(’20)で情けない敵役マックス・ロードを演じた人。
一転して、本作での役どころは肉体も精神も強靭で威厳も兼ね備えた将軍だ。
妻への熱い愛情から、彼女の生き別れた息子であるルシアスに対しても特別な感情を抱く。
ルシアスとアカシウスの二人は架空の人物(のはず)だ。
カラカラ(フレッド・ヘッキンジャー)とゲタ(ジョセフ・クイン)を双子の兄弟という設定にしたのはなぜだろうか。
父セウェルス帝が兄カラカラを副帝に任命したことに弟ゲタが反発して兄弟が不仲になったため、セウェルス帝は後にゲタも副帝に任命して兄弟の立場を対等にした。そのままセウェルス帝の後を継いで兄弟で共同皇帝に就いたのだが、その経緯の説明を省くために双子の共同皇帝としたのか…。
とにかく、この兄弟は出生地も誕生年も違うので実際は双子ではなかった。
カラカラの側近に成り上がるマクリヌスも実在の人物だが、黒人のデンゼル・ワシントンを配役したのには驚いた。
元奴隷で、ハンノ=ルシアスを剣闘士として見出したことで王朝との距離を詰めていく狡猾な商人の設定だが、実際のマクリヌスは騎士階級の家系出身で、セウェルス帝時代に役人になっている。ただ、そもそもローマ民族は多民族の混成だったので、属州には黒人の騎士階級一族があったのかもしれないし、マクリヌスがイタリア民族だったとか、ゲルマン民族だったとかを確認したわけではないので、単に私の印象に過ぎない。
それはさておき、デンゼル・ワシントンの存在感がこの映画のドラマ部分のスケールを上げているのは間違いない。衣装の袖や裾をたくし上げる仕草が優雅で、借金を負わせた元老院議員の一人を追い詰める場面では強烈な威圧感があった。朝廷の要職に就いたときの、椅子を撫でる恍惚の姿も印象的だ。
映画のオープニングに映し出される、前作を振り返る油絵調のアニメーションが…良い。(“スコット・フリー・プロダクションズ”のロゴ映像と似た手法だ)
画面が実写に切り替わって穀物の粒が映し出されると、それを手ですくい取る主人公ルシアスが登場する秀逸なイントロダクションだ。
ルシアスは後にコロセウムでも地面の砂をすくい取る場面があり、マキシマスと同じ行動で血縁を匂わせている。
開巻間もなく、ローマの海軍が北アフリカの一国を攻め落とす海岸の合戦が描かれる。
ローマ軍を指揮するのはアカシウス、防衛側の大将がハンノ=ルシアスで、ルシアスとアカシウスの因縁がここから始まる。
のっけから迫力の戦闘場面だ。
やはり戦士であった妻をこの戦闘で亡くしたルシアスは、捕虜となりやがて剣闘士となるのだが、アカシウスへの仇討ちの機会を探るのだった。
コロセウムでの闘技会が折あるごとに開かれ、剣闘士となったハンノ=ルシアスは過酷な戦いを強いられる。
人間だけでなく、凶暴なヒヒやサイを相手に戦う。オマケに、このヒヒとサイがまるで怪獣なのだ。
こういう奇抜な(もはやSF的な)戦いで前作と異なるバリエーションを見せてくれるのだが、予告編にも使われていたコロセウムに水を張った疑似海戦が特に圧巻だ。水中にはサメがウヨウヨいるのだ。さすがにルシアスが水中でサメと戦うことはないが、落ちたら一巻の終わりとなる。
いったいどこからサメを連れてきたのか、海水をどうやって運んだのか(サメが元気なので、海水なんだろう)…と、思ったのだが、どうやら実際にコロセウムに水を張って海戦を行った記録があるみたいだから、驚く。
この海戦の最中にルシアスがアカシウスがいる観覧席に矢を射る。
役人に誰が射たのか問い詰められたルシアス率いる奴隷闘士たちが、口々に自分だと言う場面が感動的だ。
リドリー・スコットが敬愛するスタンリー・キューブリックの『スパルタカス』(’60)の名場面を模している。
さて物語では、ハンノ=ルシアスの出自と復讐、マクリヌスの陰謀にカラカラ帝の暴走、アカシウスとルッシラ夫妻の体制への抵抗が絡み合って、狂気と愛の模様が展開する。
基本的な構成は前作をなぞっている。
合戦→奴隷から剣闘士→闘技会で連勝→皇帝の狂乱・暴挙→脱走→暴動→決闘……
変化要素として工夫されているのは、敵役がアカシウス→カラカラとゲタ→マクリヌスと、二転三転するところだ。
正義と愛のキャラクターがルシアスとアカシウスの2人登場するため、前作と違って感情移入が主人公に集中しきれない面がある。
ましてや、妻は戦士として合戦で死んだのに敵側の将軍を仇だと狙うのに違和感があるし、その仇討ちも途中で立ち消えになるから、この主人公の闘いに寄り添いにくいのが難点と言える。
最後の決闘を終えたルシアスが国境の門の前に仁王立ちし、内側にいるマクリヌス配下だった近衛兵団と外側にいるマキシマスの精神が息づくローマ軍に存在を誇示する場面は、これで悪政が打破され新しいローマ帝国に踏み出す第一歩を示唆するという、前作と同じ大団円の図だ。
なにはともあれ、史実を下敷きにしたファンタジーとして、よく考えられたストーリーだと感心する。
前作から画的にも物語的にもにスケールは倍化していて、大迫力のスペクタクルを堪能するには、劇場で観るべき映画だと断言する。
狂人のように描かれたカラカラ帝であるが、暴君であったことだけでなく、全ローマ領民へ国籍を付与して民族・人種の差別を撤廃し、ローマ民族を地中海世界を統合した大民族へ発展させた皇帝としても歴史に記録されている。
共同皇帝だった弟ゲタ帝とは副帝のころから対立していて、自らの手で殺したのも事実とされている。
マクリヌスは、カラカラ暗殺を主導したと見られており、その直後に実子との共同で帝位に就いている。だが、カラカラの血族であるヘリオガバルスに敗れて殺害されるまで、わずか1年強の短命政権だった…。
昨日、友人の家に行き「グラディエーター」のブルーレイ・エクステンデッド版未公開映像を見せて貰った。約16分程の中であった方が良いと思ったのはコモドゥスがマキシマスの死を確認しなかった兵士二人を弓矢で処刑するシーン。ルッシラがルシアスは貴方の子だと告げるシーンは、・・・無かった!!
友人の勘違いでした。レビューに追記しました。
サーリドリーは、もの凄い絵で語る人で、ストーリーやコンセプト、ましてや役者に演出なぞどうでも良い時期こそ傑出してたと思っとります故、最近の巨匠風な立ち位置とか、ブレラン続編俺が撮るべきだったとかの老人の暴言とかちょっと説教したいのです。
kazzさん、コメントありがとうございます😊
確かに今の時代、これだけのスペクタクル歴史劇を製作できる巨匠はリドリー・スコット監督くらいですね‼️ただ仰る通り、やはり主役の俳優さんがラッセル・クロウには遠く及ばずと言うところでしょうか‼️最近、歴史劇や西部劇で主役を張れる俳優さんが少なくはなってきてますよね
共感・コメントどうもです。
「スパルタカス」にそういうシーンがありましたか。
kazzサンのおっしゃるとおり、カットしても、しなくても焦点がぼやけましたね。諸刃の剣ですかね、グラディエーター(剣闘士)だけに。(つまらなくてすいません)
私のレビューに書いたように、第1作でルッシラ(コニー・ニールセン)がマキシマス(ラッセル・クロウ)にルシアスは貴方の子だと告げるシーンをリドリー・スコットがカットしたのが影響してますね。
マキシマスの子だというのが第1作で判っていれば唐突な感じがしなかったのに。